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6. 米海軍のナノテク開発動向
6-1 概要
 第4章、「米軍・教育機関の取り組み」で触れたように、米軍は軍事分野への応用を目的にナノテクの基礎及び応用研究に力を入れている。本章では特に海軍の研究に焦点を当て、中でも船舶に応用が可能と思われる研究を紹介する。
 
 海軍の研究は、2,500名の研究者、エンジニア、技術者を擁する海軍研究所(NRL: Naval Research Laboratory)を中心に行われている。NRLは1992年、既存の海軍研究・開発・試験・評価エンジニアリング施設(Navy Research, Development, Test and Evaluation Engineering)と艦隊サポート施設(Fleet Support)を統合して設立された。以下にあげる4つの研究所からなり、海軍研究局(ONR: Office of Naval Research)が各研究の調整機関の役割を果たしている。
 
(1)Naval Air Warfare Center
(2)Naval Command Control and Ocean Surveillance Center
(3)Naval Surface Warfare Center
(4)Naval Undersea Warfare Center
 
 これらの研究所とは別に、2001年4月にはナノテクに関する研究所「ナノサイエンス研究所(Nanoscience Institute)」が設立された。NRLの研究は従来、傘下にある各研究所内部で終結する縦割り型のものが中心だったが、新研究所は、材料、電気、生物学の各分野から研究者を招聘し、研究に学際的なアプローチを取り入れたのが特徴である。
 ナノサイエンス研究所の現在の研究分野は、(1)ナノ・アセンブリ(2)ナノ光学(3)ナノ化学(4)ナノ・エレクトロニクス(5)ナノ・メカニクス
 
 2003年には、5,000平方フィートのクラス100クリーンルームを備えたナノサイエンス・リサーチ・ラボが新設された。
 以下では、ナノサイエンス研究所の研究内容の中でも、特に船舶用製品への応用が想定される研究の概要を紹介する。
 
(1)ナノ・アセンブリ
(1)ナノフィラメント
 船舶に使われる材料、エミッター、センサー、電子機器への応用を目的に、特定の性質を持った、異なる材料のナノフィラメント(炭素ナノ・ミクロ構造体)を再生可能な方法で作成、操作する技術を開発する。
 
(2)ナノ構造体
 階層的アーキテクチャに自己組織するようなナノ構造体を開発し、有機導電体やノンリニア(非線形の)光学材料といった材料の性能をさらに強化して、新材料の開発につなげる。新材料は、光スイッチ、光通信、メモリ機器等の光及び電気アプリケーションでの利用を想定している。
 
(2)ナノ光学
(1)有機発光材料とデバイス
 熱的に安定し、長寿命、高効率のカラー有機LED(発光ディスプレイ)を開発する。小型軽量、バックライト不要、高輝度、広視野角、高耐久性といったLEDの特徴を活かし、戦場シミュレーション、ヘルメット搭載型ディスプレイといった軍事用アプリケーションのほか、航空機のコックピット向けディスプレイ、携帯型コンピュータ、通信用デバイス、超小型ディスプレイ、屋外でも視認可能な着脱式ディスプレイ等への応用を想定している。
 
(2)光電池デバイス
 高効率固体有機光電池デバイスを開発する。標準的な無機電池デバイスと違い、有機デバイスはプラスチック、金属箔、繊維といった柔らかい基板上に作ることが可能で、しかも軽量で機械的に耐久性に優れている。再生可能なエネルギー源として、携帯型コンピュータ、及び船舶、航空機、衛星に搭載される大型アレー用の着脱可能な集積回路への応用を期待している。
 
(3)発光性量子ドット・べースのナノスケール・バイオセンサー
 軍事向けが中心だが、海中の爆発物、薬物・毒素・病原菌の発見と監視等、長期的な環境監視用センサーを開発する。
 センサー関連の開発は、ナノ化学、ナノ・エレクトロニクスの観点からも活発に行われている。ナノ化学では、センサー向けに感受性の高い材料を開発する。また、ナノエレクトロニクスでは、センサー、画像処理、コンピュータ、信号処理、通信機能を一体化した高速・小型・低電力の携帯型多機能デバイスの開発を最終的な目的に掲げており、ナノスケール電界効果トランジスタ(FET)、リソグラフィ技術、量子結合技術等の研究を行っている。
 
(3)ナノエレクトロニクス
(1)カーボン・ナノチューブ・エレクトロニクス
 屋外でも視認可能な平面ディスプレイのほか、軍事用が中心になるが、レーダー、通信、及び電子妨害手段向けRF増幅器を開発する。
 
6-2 ケーススタディ
 ナノテクの研究開発では、海水による錆よけや熱・衝撃に強い塗料や材質の開発が目立った。以下では、民間船舶への応用が可能と思われるここ数年の研究を2件紹介する。
 
6-2-1 テーマ:VOC(揮発性有機化合物)の量を低減した六価クロム・フリーの下塗剤
協力企業名:フェニックス・イノベーション(Phoenix Innovation, Inc.)
概要:フェニックスのこれまでの研究で、極少量のカーボン・ナノチューブを塗料にまぜることにより、アルミニウム基板の侵食を防げられることがわかった。VOCを含まず、自然放熱下で保存できる下塗剤を開発する。
 
6-2-2 テーマ:海兵隊水陸両用攻撃車両向け低コスト・高強度・高堅牢性・耐食性材質の開発
協力企業名:クエステック・イノベーションズ(QuesTek Innovations LLC)等
研究開始年度:2003年度
概要:海水や砂といった腐食性及び研磨性の高い環境での使用に耐えうるような、低コスト・ナノ構造体・高強度・高堅牢性ステンレス鋼を開発する。軍事用が中心だが、民間への応用も可能と思われる。
 
 このほか、現在大学で研究中のコーティング剤で期待されている「サメ肌」技術がある。
 船舶にとって、船底に付着するフジツボ類の処理は、非常に大きな問題となっている。
 米海軍によると、年間にフジツボ等水生付着物の処理による船や潜水艦の保守管理におよそ5,000万ドルの費用を費やしているという。現在、1〜2年おきに潜水夫が特別な洗浄機械を使って船底をきれいにしている。船や潜水艦の数を考えれば、そのコストが膨大であることがわかる。
 海軍もかつては、藻やフジツボを除去する有機スズ化合物(TBT)を含むコーティング剤を使っていたが、世界的に禁止されたことによってその使用を中止し、現在は同様の効果を持つ銅化合物を利用している。しかし、銅化合物にも毒性があるため、新たなコーティング素材の開発に期待がかかっている。
 そうした中、フロリダ大学が海軍の援助で開発を進めているのが洗浄回数を減らし、かつ毒性のないコーティング剤である。これは、サメの皮膚構造を模倣したもので、プラスチックとゴムのコーティングを合わせることによって、人工のサメ肌を作ることに成功した。サメの皮膚には、極小の長方形の鱗の上にさらに小さな突起がついているが、これが皮膚を粗くして、付着物が付くのを防いでいる。これをコーティング素材で実現するということになる。
 「ゲーター・シャーコーテ(Gator Sharkote)」と名付けられたコーティングは、実際に何十億個もの菱形のパターンを形成している。実験では、船体に付くもっとも一般的な緑藻(Ulva)を最大で85%減らすことに成功している。現在、フロリダ、英国、ハワイ、カリフォルニア、オーストラリアに配置されている海軍の船舶に試験的に使用している。しかし、現在のゲーター・シャーコーテは、すべての水性付着物に対応していないため、今後さらなる改良が必要になる。実際に実用化されるまでには数年かかると見られている。
 
6-3 米海軍の資金授助
図21: 米海軍のSBIRの流れ
 
 米海軍では現在、中小企業の技術革新と事業化を支援する目的で設置された助成金プログラム「中小企業技術革新研究(SBIR: Small Business Innovation Research)」を設置している。上記の研究プロジェクトに参加している企業も同プログラムから資金を得ている。
 SBIRは、技術開発の促進を目的にしたフェーズI、製品のプロトタイプ開発及び試験を目的にしたフェーズII、そして量産化等を目的にしたフェーズIIIがある。
 海軍が開発を進めているナノテクは、いずれもが実験段階の粋を出ていない。また、SBIRから資金援助を受けている企業も第1フェーズで消えていく場合もある。したがって、現在、海軍及びベンチャー企業の間で進められている技術が実用化されるまであと数年はかかると考えられる。
 その一方で、すでにベンチャー企業が開発した技術も積極的に取り込んでいる。例えば、インダストリアル・ナノテクノロジー(Industrial Nanotechnology)が開発した断熱効果を持つコーティング素材「ナンスレート」やインフラマット(Inframat)のコーティング素材等を採用している。
 以下に海軍がSBIRを通じて支援したナノテク開発企業の一部を次ぺージの表で紹介する。
 一部の企業は、数年前に海軍のSBIRから資金を調達したものの、その後成果をあげていないため、表から省いている。
 
表16: NAVY SBIRの支援を受けたナノテク開発企業
会社名 URL 事業内容
GMA Industries, Inc. http://www.gmai.com/ ナノスケールのセンサーを使った回路検査機を開発。
Isotron Corporation http://www.isotron.net/ 海兵隊の機器向けに不揮発性の有機化合物によるコーティング剤を開発。
TDA Research, Inc. http://www.tda.com/ 船体の亀裂を水中で修理する際のコーティング剤を開発。環境汚染を防ぐ。
Integument Technologies, Inc. http://www.integument.com/ 落雷などの環境下で静電気を帯びないコーティング素材を開発。
Hybrid Plastics, Inc. http://www.hybridplastics.com/ 酸化に強い抵抗を持つポリイミド(POSS)を開発する。ポリイミドはもともとデュポンが開発したプラスチックで、耐熱性などに優れていたが、これにナノレベルでの加工を施すことによってさらに性能を向上させている。
Triton Systems, Inc. http://www.tritonsys.com/ ポリマーを使った腐食防止コーティングを開発。米軍の水陸両用車(AAAV)への応用などが期待されている。電波妨害効果も持つ。
Maxdem Incorporated http://www.maxdem.com/ 厳格な気象条件化でも利用できる有機発光ディスプレイ(OLED)を開発。海軍の空母での利用を想定。同社は独自に3原色の発光ポリマーを開発し、それを使ったp-OLEDを開発する。
New Span Opto-Technology Inc. http://www.new-span.com/ 白色の有機発光ディスプレイ(OLED)を開発する。発光時の温度もきわめて安定している。
QuesTek Innovations LLC http://www.questek.com/ ナノ素材を使った合金をギア向けに開発する。海軍が試験的に使った段階では、ギアボックスの効率を高めることに成功している。
Utron, Inc. http://www.utroninc.com/ ナノ素材を使った合金をギア部品向けに開発する。ギア部分だけに限らず、モータなどへの採用も期待できる。磨耗に強い。
 
 米軍による技術開発への投資は、米国自体の技術開発の牽引役の1つである。さらに、陸、海、空軍によってニーズが異なるため、それぞれがもっとも必要とする技術を求めて、様々な形で産業界や大学研究機関との連携プレーを行っている。


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