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奥野 正孝(おくの まさたか)
(昭28.3.6生)三重県鳥羽市
 
 医大助教授の職を自ら辞任して離島の診療所に再赴任し、厳しい条件のなかで島民の医療に献身し、僻地医療の重要性を身を以て示されている。
(推薦者:社会貢献支援財団 事務局)
 
Mr. Masataka Okuno
(Born on March 6, 1953)
Mie Prefecture
 
 Abandoning his work as assistant professor at a medical school, Mr. Okuno started his new assignment at a clinic on a remote island, devoting himself to the medical treatment of the island people under severe conditions. He showed the importance of being on the front line of medical treatment in remote areas by his own deed.
Recommended by The Foundation for Encouragement of Social Contribution
 
 1980年春、自治医大を卒業して3年目、三重県鳥羽港の北東約14kmの海上に浮かぶ神島の診療所に赴任した。人口約千人の神島の桟橋近くにある診療所は、奥野さんが赴任する前1年の間、医師が不在だった。鳥羽との間の定期船は海が荒れると運行が止まり、急病人は漁船で50分ほどかけて運ぶ他なかったが、それを島民総出で手伝った。奥野さんは日に2〜30人の患者を診て、夜は島民と酒を酌み交わした。医師としての腕は未熟だが、そこに医師がいることが大切なのだと思った。
 2年後、島を離れたが更に2年後の84年に希望して島に戻った。9年間の自治医大卒業者に対する出身県勤務の義務年限は島で終えた。89年に自治医大の地域医療学教室で僻地医療のやりがいを学生達に熱心に説いた。プライマリケアを志す者にとって、離島はその要素全てが揃っている、保健や福祉とも極めて密接に関わりあえる魅力的な場所であると奥野さんは言う。そして助教授に昇進した。医療の第一線を離れて10年が過ぎた頃、自分の言葉に迫力がなくなってきたことに気づいた。それは学生の反応にも現れていた。しきりに神島の漁師達を思った。
 ‘99年、自治医大助教授の地位を捨て、神島に戻った。島の人口は半分に減っていた。鳥羽市立神島診療所は、奥野医師と看護師及び事務員で、内科、小児科、外科、婦人科、耳鼻咽喉科の全てをカバーする。得意とは言えない科目もあるが、それを減らしながら総合医療の専門家になる道を歩んでいる。僻地の住民は医者を選べないのだ。僻地医療を担う医師を育てる目的で設立された自治医大の卒業生でも、義務年限を終えて僻地で診療を行う医師は少ない。奥野さんは神島に可能な限り居続けたいと語っている。
 
受賞の言葉
 島とかかわり始めてから26年、島に勤務すること通算13年、島の人達に育てられ、島の人達に教えられ、島の人達に助けてもらい、島の人達と少しずつ成長し、ライフワークに出会うことができました。もう一頑張りします。
 
 
丘から診療所を望む
 
診療所にて
 
血圧を測る奥野先生


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