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造船業における知識伝承システムに関する研究
―情報技術による知識獲得フェーズの支援―
 
正員  稗方和夫*      内藤紀彦**
正員  大和裕幸***  正員 安藤英幸****
学生員 中澤 崇***
 
* 東京大学大学院工学系研究科
** 新日鉄ソリューションズ株式会社
*** 東京大学大学院新領域創成科学研究科
**** 株式会社MTI
原稿受理 平成17年10月5日
 
A Study on Knowledge Transfer System in Shipbuilding
- Knowledge Acquisition Support System -
 
by Kazuo Hiekata, Member
Norihiko Naito
Hiroyuki Yamato, Member
Hideyuki Ando, Member
Takashi Nakazawa, Student Member
 
Summary
 It's getting more important to transfer knowledge from elder experts to young engineers especially in shipbuilding industry in Japan. We developed knowledge transfer system based on UT-ESS (University of Tokyo Educational Software for Shipbuilding) and proposed a method to acquire knowledge of elder experts using the developed system. The system describes design process as workflows and design documents are associated with tasks in workflows. The association between design process and design documents is described by metadata based on semantic web technology. The proposed method is evaluated through a case study of knowledge acquisition in basic design department in four shipbuilding companies.
 
1. 緒言
 日本の造船業は、他の製造業に比べ、高い国内生産比率を維持しつつ、新造船建造量において大きな世界シェアを取り続けている製造業の中でもまれな産業である。1)これまで現在の状態を維持できた要因としては、全自動化が難しい造船の工程で、高度な判断を下し、裁量に対応できる優秀な熟練技術者を確保できていたことが挙げられる。一方で、平成16年度の国土交通白書2)における造船技能者の年齢構成によると、造船業では他の製造業に比べても50歳以上の技術者の割合が最も高く、今後急速な世代交代を余儀なくされる。3)4) このような現状から、熟練技術者の知識やノウハウを如何にして獲得し、次代を担う若手エンジニアに伝えていくべきかという知識伝承の問題に多くの関心が集まっている。知識は、個人や組織の中に存在する外部から見えない「暗黙知」と、明確に文章化、図式化された「形式知」とに分類されるが、熟練者の持つ暗黙知を伝承していく手段としては、従来からOJT(On the Job Training)が盛んに実施されてきた。OJTは、現場で熟練者と若手エンジニアが共同作業を行うことによって、その技能や知識を伝承するといった実地的な訓練であるが、近年では時間的制約から失敗を許容できない現場では、OJTにおいてもミスが許されず、トレーニングとして成立しないといった問題点が認識されてきている。
 これらの問題点を解決するために、熟練技術者の持つ知識やノウハウといった暗黙知を文書などに形式化して若手に伝えていくという方法が考えられる。本研究では、知識のライフサイクル5)のうち知識獲得のフェーズを熟練技術者が持つ暗黙知を形式化することと定義し、造船業における暗黙知を作業プロセスや文書として形式化することが可能かどうかを検証する。
 本研究では、情報技術を効果的に活用することでこうした知識獲得を支援する手法を提案する。具体的には、造船設計における日々の作業プロセスとそこで利用される大量の文書との関係に着目したプロセスベースの文書管理システムを開発し、造船会社において知識獲得に関する有効性の検証実験を行うことで、このシステムを用いた知識獲得のパターンを明らかにする。なお、開発するシステムは造船教育支援システムUT-ESS(University of Tokyo - Educational Software for Shipbuilding)をベースにカスタマイズを行ったものである。6)
 
2. 知識伝承システムの設計・構築
 本研究では、造船業を対象とした知識伝承システムを設計、構築する。
 造船業においては、日々の様々な業務の中で、新しい図面や計算書、仕様書といった文書が大量に発生している。そこで、こうした文書を有効に活用して若手に知識を伝承するための仕組みとして、業務プロセスと文書とを関連付けて共有するという基本コンセプトを持った知識伝承システムを構築した。本システムを用いれば、各文書を一連の作業手順と関連づけて理解することが可能であり、業務内容に関する経験や知識が少ない若手エンジニアでも容易に体系的な知識を得ることができる。
 また、単純な文書管理システムでも既存の設計資源や知識文書などを有効活用するインフラとしては十分であるが、製造業・造船業における知識伝承といった観点からはその有効性に疑問が残るという議論を元に真に伝承すべきものを検討した結果、「熟練技術者が持つ薀蓄」の重要性が明らかとなった。7) つまり、既存の文書を単にデータベース化するのではなく、その裏に潜む背景知識や経緯も同時に伝承する必要があるということがわかった。そこで本システムでは、ベテランと若手のコミュニケーションの場であるQ&A機能や各知識文書に対するコメント付加機能を提供することで、こうした「熟練技術者が持つ薀蓄」の伝承を支援することを考えた。
 その他にも、全文検索エンジンや各種ログの記録などの文書管理システムの基本機能を実装した。
 以下、構築したシステムの軸となるコンセプトとその周辺機能に関する詳細を述べる。
2.1 システムの基本機能
 本研究で構築したシステムの概要をFig. 1に示す。本システムはクライアントサーバシステムであり、クライアント側のソフトウェアとしては、ワークフローの作成とサーバヘのアップロードを実現するWorkflow Editor(Fig. 2)と、アップロードされたワークフローの閲覧やそれへの文書の関連付け、関連付けられた文書の検索、閲覧などを実現するTree Explorer(Fig. 3)から成る。
 本システムの基本コンセプトであるワークフローと文書の関連付けは、Web上での知識共有基盤であるセマンティックWeb技術におけるRDF(Resource Description Framework)と呼ばれるメタデータを利用して行った。8)9) メタデータとは、リソースの中身を読むことなく選択や収集などの処理を効率的に行えるように、リソースのタイトルや作成者、作成日といった情報を提供するための付加的なデータである。計算機は、リソースに付加されたメタデータに基づいてその内容や意味を理解することが可能であり、オントロジーと呼ばれる語彙体系に基づく推論と組み合わせることによって、Web自身が意味を表現するセマンティックWebが実現される。本研究では、各文書に対して作成者・作成日・関連するタスクなどを記述したファイルが作成され、これを利用することでワークフローを構成する各タスクと文書との関連付けを実現している。また、本システムにおいてワークフローは階層構造の中に格納されるが、どの階層に位置するかといった情報はワークフローに付加されるメタデータに記述される。
 以下、本システムの基本的な利用手順を示す。これらの手順により、業務プロセスを構成する各作業と文書とを関連付けて管理することが可能となっている。
 また、システムの実装としては、クライアント側のソフトウェアであるWorkflow EditorとTree ExplorerはVisual C#で構築しており、Webブラウザコンポーネントを内蔵している。サーバ側はJavaサーブレットで構築し、RDFの解析にはJenaライブラリを用いている。10)
2.1.1 設計プロセスのワークフロー化
 Workflow Editorを用いて設計プロセスをワークフロー化し、サーバにアップロードする。サーバ上のワークフローは階層構造の中に配置され、どの階層に属するかは各ワークフローのメタデータに記述される。このようにワークフローを階層構造化して管理することによって、複数のワークフロー間の関係をユーザに示すことが可能となる。
2.1.2 ワークフローの閲覧と文書の関連付け
 サーバ上にアップロードされたワークフローは、Tree Explorerを用いて階層構造の中から選択することによって閲覧可能である。また、閲覧中のワークフローの各タスク上ヘファイルをドラッグ&ドロップすることで、そのタスクヘ文書を関連付けることができる。関連付けの際には、文書に対する最低限のメタデータが自動的に生成され、自身が関連付いているタスクの情報をメタデータ内に保持することになる。こういった容易な文書登録機能やユーザの負荷低減によってコンテンツの充実を促進している。
2.1.3 タスクに関連付けられた文書の検索・閲覧
 閲覧中のワークフローの各タスクをクリックすると、文書のメタデータに基づいて、選択されたタスクに関連づけられた文書を検索、表示することができる。その際、知識文書をカテゴリごとに分類して表示することでユーザビリティの向上を図っている。具体的には、「薀蓄」や「過去の失敗事例」、「各種論文」、「船級規則」、「基礎知識」などといったカテゴリ情報を、各文書のメタデータ内に記述することで文書の分類を実現している。
2.2 Q&A機能
 熟練者の持つ薀蓄をいかにして獲得するかを検討した結果、多忙な熟練者が日常業務の中でまとまった時間をとって長文の文書を作成することは現実的に困難であり、日常業務の中でのベテランと若手のQ&Aや熟練者のアドバイスなどを徐々に蓄積していくことのほうが有効であると考えた。そこで本システムでは、ユーザ間の情報交換の仕組みとして、作業の過程で生じる疑問や質問とそれらに対する議論や回答を記録するためのQ&A機能を備えている。こうした質問と回答はセッションごとに蓄積、管理され、後の作業において参考資料として閲覧することが可能である。本システムが提供するQ&Aは、そのレベルによって以下の3種類に分類される。
■ワークフロー全体に関するQ&A
■ワークフロー中の各タスクに関するQ&A
■その他、一般的なQ&A
2.3 コメント付加機能
 既存文書をその背景知識や作成経緯といった情報と共に伝承しようと考えたとき、その電子化だけでは不十分であり、その文書に対する熟練者からのコメントや経験に基づく付加的な知識といった情報が追記してあれば、若手エンジニアの効率的な学習を支援することが可能であり、知識伝承の視点から見て有効性が増すことがわかった。そこで本システムでは、登録されている各文書に対してコメントを付加、閲覧するための仕組みを導入した。
2.4 全文検索機能
 本システムの基本コンセプトは、文書に対してメタデータを付加し、ワークフロー中のタスクと関連づけて管理することにあるが、管理する全ての文書に対してメタデータを付加するということは現実的には困難である。そこで、自然言語処理を用いた全文検索による類似文書の提示機能を備えることで、メタデータによる検索を補うことを考えた。類似文書検索としては、ユーザが入力した検索文に対する類似文書の提示と、ある文書の本文内容に対する類似文書の提示とがある。類似度計算は、検索文あるいは文書本文を形態素解析し、各単語の出現頻度をもとにTFIDFアルゴリズムを用いている。11)
2.5 ログの記録
 本システムのサーバ側は、いつ、誰が、どの作業を行い、どのような文書を閲覧したか、といった、コンテンツの見直しに必要となる各種データを記録している。これにより、各文書の重要度の定量的な把握やベテランの作業手順などを獲得することができると考えられる。
 
Fig. 1 System Overview.
 
Fig. 2 Workflow Editor
 
Fig. 3 Tree Explorer


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