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3.4 船長にとっての実務的処理の一例
 船長としては、船舶管理会社及び利害関係者等の連絡体制の中、陸上から適正なアドバイス等を受け、適正に対処することが現実ではあるが、現場においては状況が刻々変化しており、実際の状況と連絡時の状況とには時間的差異があり、船長が独自に臨機応変に、船舶の安全及び人命の保護、並びに秩序の維持等に関して、最適なる対応をしなくてはならない状況もある。
 したがって、船長にとって即座に対応できるようなガイドラインとして、「事件発生後の実務対応の一例」として、以下に纏めた。
 
3.4.1 事件発生後の実務対応の参考
 今回、本研究の成果を通して、便宜置籍船で船内犯罪が発生した場合を想定し、実際に船長が船内で実施すべき事項の例を、以下にまとめることとした。
 
I 事件発生時に船内で処理する事項
i 船内秩序の確保
 
 船長は、船内犯罪の発生を知った時点で、現に犯人が凶器を所持したまま船内の安全を脅かしているような状況ならば、可能な限り船内秩序の確保に努める必要がある。I iii(2)でも述べるように、各国とも船員関係法規において、船長には船内秩序維持のための強い権限を与えているので、犯人の状況に応じては他の乗組員も動員し、物理的強制力の使用を含め必要な限りであらゆる手段を用い、犯人の拘束、凶器・危険物の押収も含め、船内秩序の確保に必要な行動をとるものとする。
 乗組員による犯人の拘束が困難な場合は、船舶管理会社を通じた沿岸の陸上機関への救援要請を含め、他の手段により船内秩序の確保に努めるものとする。
 
ii 被害者の被害状況の把握
 
 船内において、倒れている者等が発見された場合、あるいは傷害等の船内犯罪を現認した場合、船長は被害者の被害状況を確認するものとし、まず被害者が死亡しているか生存しているか確認するものとする。
 死亡しているかどうかの判断基準として、各地方自治体の消防本部における救急業務実施基準等を参考にして考えると、被害者について
 
(1)意識が全くないこと
(2)呼吸が全く感じられないこと
(3)総けい動脈で、脈拍が全く触知できない
(4)瞳孔の散大が認められ、対光反射が全くないこと
(5)体温が感ぜられず、冷感が認められること
(6)死後硬直が認められること
(7)死はんが認められること
 
のすべてが確認された場合、明らかに死亡していると認められることとなる。
 よって船長は、呼びかけや皮膚の刺激に対する反応の確認、総けい動脈での脈拍の確認、瞳孔の大きさ、左右差、変形の有無、懐中電灯の光に対する瞳孔反応の確認等を行い、被害者が死亡しているか生存しているか確認するものとする。
 被害者が生存している場合、船長は救命のために必要なあらゆる措置を行うものとし、死亡している場合は、後述する死体の冷凍保存等のため必要な措置を行うものとする。
 当該事態が犯罪によるものか事故によるものか定かでない場合であっても、被害者の救命措置等に人手が必要であることが予測されるので、船長は航海当直者を除く必要人員を呼集するものとする。
 また、当該事態が犯罪によるものである可能性が高いと思料される場合には、呼集する人員について、特に信頼できる者を選択するよう注意する必要がある。
 
iii 当事者の確認
 
(1)被疑者の特定
 当該事態が現認された犯罪ではないが、犯罪によるものである可能性が高いと思料される場合には、次の港に入港するまでの間の船内秩序維持の観点から、被疑者が特定されることが望ましい。
 よって、そのような場合船長は、一等航海士、機関長他複数人同席のもと、乗組員一人ずつから事情聴取を行い、他の乗組員の証言等から被疑者を特定するよう努めるものとする。
 
(2)被疑者の船長権限による拘束
 当該船舶の船籍国の法律により船長の法的な権限は異なるが、備考)船長の権限でみてきたように、船員関係法規においては各国とも、海上という特殊な環境を考慮して船長には船内秩序維持のための強い権限を与えており、いずれの船籍船の船長であっても、船内犯罪の犯人もしくは相当の理由により犯人と推定される者を拘束する権限を持っていると考えられる。
 よって、船長は、乗組員の証言等から犯人であると思料する者を被疑者として拘束し、監禁部屋に監禁するものとする。
 
a. 多人数による拘束実行
 被疑者の拘束は危険を伴う可能性が高く、安全確保の視点から信頼できる乗組員を集め、多人数により拘束を実行することが望ましい。拘束の際、被疑者に対する物理的強制力の使用に関しては、各国の船員関係法規において、抽象的に表現されている場合、明確に記されている場合等様々であるが、一般的に解して、いずれの船籍船の船長であっても、拘束するときの状況を考慮し、常識的な船内秩序の維持に必要最低限な範囲において用いることが許されているものと考えられる。
 
b. 危険物等の押収
 被疑者を拘束した後、船長は事件に使用されたと考えられる凶器を証拠品として、できれば、押収以前のありのままの写真撮影記録をした後押収するほか、被疑者が所持しているその他の危険物等を船内秩序維持の視点から押収するものとする。
 
c. 監禁部屋の確保
 船長は被疑者を拘束した後、監禁部屋に監禁するため、監禁部屋の設置を指示するものとする。
 監禁部屋の設置の際には、自殺防止、逃走防止の視点から、室内の備品の配備等について注意を払う必要がある。
 
d. 監禁管理方法の計画立案
 監禁においては人道的視点から、船長は被疑者に異常がないか看視するとともに、供食等の世話をする監禁当直者を決定し、基本的な人道的取り扱いの維持方針を確立するものとする。
 
iv 現在の海域等の把握
 
(1)現在位置等の確認
 船長は、事態発生に関する船舶管理会社等への連絡時において、事態の詳細の他、自船の航海の状況等についても連絡するため、現在の船位、本航海における仕出港、仕向港、保有燃料油量等について今一度確認する。
 
(2)被害者の身体状況よる確認事項
 
a. 被害者が死亡していた場合
 被害者がI iiで示した方法により明らかに死亡していると判定された場合、船長は捜査への協力及び裁判における証拠の提出のため、死体近辺の状況及び死体の状況等について、現場の状況が再現できる程度の写真撮影を行い、詳細な記録を残すものとする。
 そして、死体は司法上重要な証拠となること、また、遺族の感情についても考慮して、船長は死体の冷凍等による保存方法を検討するものとする。
 冷凍等の開始については、心臓が停止してから人体のすべての機能が直ちに停止するわけではなく、神経や細胞のすべての組織が完全に停止するには一昼夜を要するという点に注意する必要がある。
 つまり、死亡から一昼夜の間には蘇生の可能性もあり、実際わが国の「墓地、埋葬等に関する法律」第3条でも、死亡から24時間経過した後でなければ埋葬または火葬を行ってはならないと定めているので、冷凍等の開始も死亡から24時間の経過を待って実施するのが適切であると考えられる。
 
b. 被害者の生命に危険が迫っている場合
 被害者が生存しており、かつ生命に危険が迫っている場合、船長は船舶衛生管理者等に船内においてできる限りの救命措置の実施を指示するとともに、無線医療通信により医師の適切な指示を仰ぐものとする。
 無線医療通信は、インマルサットによる船舶電話を用いたもの、国際VHFを用いた無線船舶通話等があり、船舶の航行水域によって通信方法を使い分けることが可能であるが、確実性の点からはインマルサットによる船舶電話を用いるのが適切である。
 さらに、船舶管理会社に被害者の状況を連絡して指示を仰ぎ、会社の指示によっては、最寄りの港へ寄港するための離路計画の立案、目的地までの距離の確認、保有燃料油量等の確認等を行う。
 
v 船舶管理会社への第一報
 
 船長は、事態発生に関する連絡を船舶管理会社へ迅速に行う必要があり、特に管理会社が定める規定のフォームがあるならば、それを用いて必要事項を迅速に連絡する。
 また、船長は船舶管理会社との連絡を密にし、船内の状況を会社に伝えるとともに、会社から本船へ今後の指示等を伝えるため、継続的な連絡方法について相互に確認する必要がある。
 さらに、何月何日の何時、誰とどのような内容の連絡を行ったかの記録を残すこととする。
 
vi 最寄の沿岸国等への援助要請方法等の確認把握
 
(1)管理会社等のアドバイス
 船長は、人命保護のため被害者を迅速に病院に搬送する必要がある場合、最寄りの沿岸国に援助を要請することも考えられる。
 船舶の現在位置から考え、どこの国に援助を要請するのが適切であるかについて、船長は船舶管理会社にインマルサットの無線電話等を用いてアドバイスを求め、内容について再確認するものとする。
 また、沿岸国との連絡がとれた後、その旨を船舶管理会社に連絡するものとする。
 
(2)通信手順
 船長は、船舶管理会社からのアドバイス内容から、必要があるならば沿岸国との通信手段を確認し、インマルサットの無線電話により沿岸国の沿岸警備当局に連絡をとるものとする。
 そして船長は、連絡内容について改めて確認した上で、沿岸警備当局との通信を開始、連絡内容について伝達し、継続的な連絡を維持するための手段について打ち合わせるものとする。
 通信終了後、連絡内容等についての記録を残すものとする。
 
(3)援助要請の内容
 沿岸国の援助要請の内容については、何をしてほしいのか具体的である必要があり、船長は洋上において被害者を収容し、病院に搬送してほしい等、通信開始前に援助要請の内容を明確にしておく必要がある。


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