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'06剣詩舞の研究◎8
一般の部
石川健次郎
 
剣舞「和歌・敷島の」
詩舞「和歌・天の原」
剣舞
「和歌(わか)・敷島(しきしま)の」の研究
本居宣長(もとおりのりなが)作
 
〈詩文解釈〉
 この和歌の作者本居宣長(一七三〇〜一八〇一)は、江戸時代後期の国学者で、特に古典研究の学問に長じ、「古事記伝」を著わしたことは有名であるが、また同時に、復古思想の体系を完成した。復古思想とは、古い歴史の伝えを忠実に信じ、天皇の徳のもとに一つに団結することを理想とした一種の神道説で、この和歌に詠まれた宣長の心には、日本人は古くから君を敬まい、国を愛する精神が強い国民だから、国難(こくなん)に出合ったならば、人々は一致団結して立上り、いさぎよく散る覚悟を持った民族であると云ったところから、間接的に我が国の武士道の道義である忠誠心に通ずるものがあると解釈する向もあった。そこでこの和歌のあらましを考えてみると『日本人の“心”とは一体何であろうかと云う問に対して、それは朝日に照り映えて絢爛(けんらん)と咲き誇り、また吹雪かと見紛う(みまごう)ばかり潔よく(いさぎよく)散っていく山桜の花のようである、と答えた』。と云うのが作者の心情であろう。
 ところで民族の精神性(国民性)というものは、その国の地域性や、時代・環境の変化による生活条件によって異なるものであるから、日本人の国民性には、宣長が主張したような精神性によるものもあり、またこの和歌からも感じるような日本人独特の心である「花・鳥・風・月」を賞でる(めでる)と云った情緒性も見逃すことはできないであろう。
 
本居宣長画像
 
〈構成振付のポイント〉
 この作品の舞踊構成を考えるとき、その内容の配分を和歌に従って、第一のテーマを「日本人の心」、第二のテーマを「桜花」として、それぞれを“剣舞”としての構成振付にふさわしい具体的な事柄で組立てて見たい。
 一見大変身近な問題ではあるが、“日本人の心”を現代の人に如何に問うかは大変むずかしい問題である。周知の如く靖国神社問題にしても、防衛憲法問題にしても、この作品が作られた江戸時代とは隔世の感があり、作者本居宣長の日本人感として、先ず日本人の忠君愛国の精神を剣舞の世界に展開して見たいと思う。
 前奏から和歌の一回目は、礼儀正しく登場した演者は、武士の剣技を弁え(わきまえ)、君に忠誠を誓う武人(もののふ)が、丹精に襟を正して、先ず刀剣を神に捧げ、自分の心としての刀を大切に清めた後に、基本的な剣技の型を前後左右に向かって格調高く展開する。続いて型は急展開して歩調を速め、合戦の一人として周囲に気を配り激しい剣技を見せて前段を終る。
 さて返し歌の二回目は、納刀した演者が、桜花の爛漫(らんまん)と咲きほこる様子と吹雪の様に散る二つのシーンを表現して見よう。先ず扇で満開の花を指し、舞台を大きく一巡したら、扇を開き朝日に見立てて、その光り輝く形容振りを見せ、次に二枚扇で激しく花吹雪を演じたら、途中から扇を盾(たて)にして抜刀して、敵陣に斬り込んで行く剣士の勇壮な姿で退場につなげる。
 
吉野の山桜
 
〈衣装・持ち道具〉
 男女ともに衣装は黒紋付に袴で帯刀する。振付によっては鉢巻の使用もよい。前項に述べた構成例では、後半に詩舞的な扇の活用があるが、扇の図柄は特に桜に因む必要はなく、金無地黒骨と云った端正なものを選んだ方が格張を見せることが出来る。
 
詩舞
「和歌(わか)・天の原(あまのはら)」の研究
阿倍仲麻呂(あべのなかまろ) 作
 
〈詩文解釈〉
 作者の阿倍仲麻呂(六九八〜七七〇)は奈良時代の遣唐留学生として十九歳で唐に渡り、唐の朝廷に仕えた。そして五十六歳の折に日本に帰国しようとしたが、海上で遭難し、再び唐に戻ることになった。仲麻呂はそのまま終に日本には帰らず唐で歿した。
 従ってこの作品は本人が奈良の三笠山で詠んだものではなく、日本に帰国しようとした時に、船立ちを前にして、遥かに澄みわたった月を見上げて、子供の頃に故郷で見た月のことを思い出して詠んだ望郷の歌である。
 歌の意味は『広々とした天界を仰ぎ眺めると月が輝いているが、あの月は故郷春日の三笠山に出た月と同じものだったのであろうか・・・』というものである。
 
〈構成振付のポイント〉
 この和歌は小倉百人一首におさめられた作品だけに多くの人に親しまれていて、また歌のテーマになっている“月”は、百人一首の中に十一首もあることから、古代から日本人の持つ美意識の中に、如何に月に対する関心が高いかがわかる。そこで舞踊表現の場合も、この多くの人に共通した月に対する美意識を十分に発揮する必要がある。即ちこの作品の場合、阿倍仲麻呂が異国の地にあって美しい月を眺めながら、若い頃、故郷で眺めた月の情景を思い出したという事で、そこには複雑なドラマも事件もなく、ただひたすらに月に魅せられたものと考えたい。
 
「天の原」百人一首の絵札
 
中国・興慶公園にある仲麻呂の記念碑
 
 従って舞踊構成も、仲麻呂の望郷の思いを徒らに想像するよりも、月に関する美的表現、即ち月の昇降(山にかかった情景等を含めて)運行、輝き、雲、霞などのからみや、眺め方のポーズ(型)等を、扇を活用して舞踊表現の流れで構成することが大切である。以上はやヽ抽象的な説明だが、他に具体的な構成として、仲麻呂自身を作品の表面に押し出すならば、平安時代の公家をバックにして、演者の演技力で情景描写に徹し、更に想像として故郷の人達への郷愁にドラマを構築することは出来ると思う。いずれの場合も、和歌のくり返しに構成上のコントラストを見せて欲しい。
 
阿倍仲麻呂画像(守屋多々志 画)
 
〈衣装・持ち道具〉
 衣装は淡いブルー、べージュ系のものがよく、扇を選ぶには振付で扇の表現するものを考えて選べばよい。


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