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近世の烽火制度と古宇利島(遠見台)
 古宇利島の標高107mのところにある「遠見番所」周辺が平成18年整備される。整備のため周辺見通しがきくようになっているというので訪ねてみた。現在のうるま市(与那城上原)にある「川田崎針崎丑寅間」(以下の画像:沖縄県歴史の道調査報告書V)と彫られた石碑が報告されている。古宇利島の遠見所付近で、同様な石碑が見つかるのではないかと期待しているのだが(石に文字が彫られた石があったという)。
 『沖縄旧慣地方制度』(明治26年)の今帰仁間切に地頭代以下の間切役人が記されている。その中に6名の「遠見番」がいる。任期は無期、俸給は米三斗、金五円七十六銭とある。一人当たり米0.5斗、金九十六銭づつである。今帰仁間切に6名の遠見番を配置している。
 北大嶺原(本部町具志堅)のピータティファーイは本部間切の管轄のようだ。本部間切の遠見番は12名である。具志堅の他に瀬底島にも遠見番があるので12名は二ヶ所の人員であろう。
 宮城真治は古宇利島の「火立て屋」について「古宇利の人より番人は六人、功によって筑登之より親雲上の位まで授けられる。終身職で頭(地割?)を免ぜられる」と記してある。
 『元禄国絵図』(1702年?)の古宇利島に「異国船遠見番所」と記載されている。遠見番所の設置は1644年に遡る。烽火をあげて首里王府への通報網である。沖縄本島では御冠船や帰唐船の場合、一隻時は一炬、二隻時は二炬、その他の異国船の場合は三炬が焚かれたという。先島は沖縄本島とは異なる。
 
古宇利島の「遠見番所」跡
 
島から北大嶺原の遠見番所跡をみる
 
現うるま市(与那城上原)の遠見番所の碑?
 
「遠見番所」跡の遠景
 
 
米軍が設置した指標の一部か?


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