日本財団 図書館


被災して、見えてきたこと
東海豪雨・加藤桂子さんの体験記
 

 9月11日、愛知県などを襲った東海豪雨は、各地で堤防決壊、床上浸水などの大きな被害をもたらしました。つぼみの会(日本自閉症協会愛知県支部)副支部長の加藤桂子さん(名古屋市天白区在住)は、天白川のポンプ場の溢水により、鉄骨2階建て住宅の1階が水没する被害を受け、24歳になる重度自閉症の長男寛章さんと2人で、不安な一夜を過ごしました。その体験には、同じ立場の私たちへの教訓が多く含まれています。加藤さんの手記をお届けします。

 
 11日の夕方、バケツをひっくり返したような大雨が降っていました。大学生の娘が出かけるので駅まで車で送り、帰り道にユニーに寄って、食料をたくさん買い込みました。何となく予感があったです。帰宅すると役所勤めの夫から電話があり「災害待機で、今夜は帰れない」とのこと。息子と二人で夕食を摂りました。
 
 雨戸を閉めていたので外の様子がよく分からなかったのですが、午後7時30分ごろ、ふと勝手口を開けてみると、道路の上はすでに40センチ以上の冠水でした。家の敷地は道路より1・2メートル高くなっているのですが、ガレージを見に行くと水が入っていました。
 
 このままでは床上浸水しかねないと思い、1階の床の上のもの、押入の下段のもの、布団などを2階に運びました。息子にも手伝わせようと思ったのですが、様子がいつもと違うので、顔がひきつっていました。それで、2階の自分の部屋でテレビを見ているように言って、その間に私が一人で荷物を運びました。
 
 8時30分ごろ、玄関前まで水が来ました。息子に必要なものを最優先して運ぼうと思い、キーボード、好きな本、食料、電子レンジなどを2階に運びました。
 
突然の暗やみ
 
 浸水が始まったのは9時ごろ。玄関のドア下のわずかな隙間から、じわじわと入ってきました。私は一瞬、頭の中が真っ白になり座り込みましたが、気を取り直して、大事なものを考えては荷物運びを続けました。夫から私のPHSに連絡が入り、ポンプ場が溢水したことなどを聞きました。その間にも、水は玄関の框を越えて、どんどん勢いを増し、リビングに荷物を取りに行くと、四方から見る間に水が入ってきました。目の前で冷蔵庫、畳、仏壇、茶箪笥などが浮き上がりました。
 
 水の勢いで、リビングのドアが閉まったら、もう私の力では開けられなくなると思い、荷物運びを断念しました。
 
 2階の部屋でテレビをつけ、息子と一緒に静かにしていました。2階のトイレからも水が逆流し、廊下を水が走りました。
 
 うちのような重度の自閉症の子は、避難所で長時間過ごすことはできないので、避難はまったく考えませんでした。まさか2階まで水は来ないだろうし、このまま朝までがんばれば何とかなると思っていました。
 
 そのとき突然、すべての電気が消え、家の中は暗闇に包まれました。用意しておいた懐中電灯を付けたのですが、電池を長く入れ替えてなかったため、弱々しい光でした。光がなくなることがこれほど心細いものかと初めて知りました。
 
 息子を安心させたい一心で、1階に下り、仏壇のろうそくを取りに行きました。階段の手すり、廊下、チェスト、パソコン台など、7、8カ所にろうそくを置き、火をつけました。気が動転していて、ろうそくの下にお皿を置くことも気が回りませんでした。息子はバースデーケーキのように思って喜んでいました。
 
 私が下に降りている間に、ふと2階の息子のいる部屋が妙に明るいことに気づきました。あれっと思い、2階に戻ると、チェストの上に置いたろうそくの火がティッシュペーパーに燃え移り、娘の化粧品やチェストの天板などに燃え広がっていたのです。息子は声も上げずに、じっと見ているだけでした。あわてて2階の洗面所から洗面器で水を運び、消し止めました。
 
心強い音
 
 その後は、携帯ラジオをかけ、息子と一緒に歌を歌って気を紛らわせたり、息子を安心させるために、何かと話しかけたりしました。CDラジカセを会の講演会の録音などに使うため、電池を入れてあったことが幸いでした。薄暗がりの中で聞こえてくるラジオの音は、とても心強い響きでした。
 
 息子は、時々「電気をつけて」と言うので、その都度、停電したことを分からせるように努力しました。また避難が長引き、食料がなくなることが心配で、お菓子や飲み物を少しずつ息子に与えていたのですが、息子はなぜ少ししかもらえないのか意味が伝わりませんでした。
 
 つぼみの会の仲間たちから、安否を気遣う電話が何度も入りました。とても心強かったのですが、PHSの電池切れが怖くて長くは話せませんでした。娘からは、帰れないので友達の家に泊まると連絡がありました。午前0時ごろ、息子は寝てしまいました。窓の外を見ると、水かさはどんどん上がってきて、胸まで水につかりながら避難する人もいました。雨は強弱を繰り返しながら降り続き、雷が鳴りました。階下で、浮かんだ家具類が壁にぶつかる音が聞こえていました。
 
 水は朝までに階段の5段目まで達しました。
 
ボートで避難
 
 眠れぬまま朝を迎えました。雨は上がったものの水は引く様子もありません。2階の窓から隣の方と「大丈夫?」と言葉をかわしました。息子は9時ごろ目を覚まし、窓の外を見てひとこと「海」と言いました。
 
 朝食は、携帯コンロで温めたみそ汁に、ごはんとふりかけ。息子はピクニック気分で、食べているときはニコニコ顔。その後も、いつも通り本を見たり、ベッドに横になったりしていました。窓の外はあえて見ないようにしている様子でした。
 
 10時ごろ、つぼみの会の仲間からPHSに連絡があり、今、家の前の天白川の土手にいるとのこと。心配して様子をみにきてくれたのです。
 2階から手を振り、大声で話しました。車に浮き袋を積んできたけれど、ボートなしではとても動けないと分かった、と後で話していました。
 
 そして、仲間たちが奔走して、息子を緊急一時で預かってもらえる段取りを整えてくれました。「今すぐ、ヒロ君が行っても生活を始められるように、準備をしていただいたから、大丈夫だから、すぐに避難して」と電話がありました。
 私は、息子がボートに乗るかどうか不安なため、もうしばらく考えさせて、と返事しました。
 
 お昼は、カセットコンロでうどんを作りました。午後2時ごろ、夫が土手に来て、どうするか声をかけてきたので、避難したいと伝えました。夫は息子にも手を振りましたが、息子は状況が分からず、またベッドに戻っていきました。息子に「ボート乗る?」と聞くと「ボートに乗る」と言ってくれました。
 
 午後4時ごろ、夫の手配した市消防局のボートが家の前に来ました。息子にリュックを背負わせて1階に降り、ひざ上まで水につかりながら玄関を出て、ボートに乗り込みました。消防の方に「障害があるので」と説明し、落ち着かせながら乗せましたが、本人は緊張している様子でした。ボートの着いた場所では、夫やつぼみの会の仲間が待っていてくれました。私たちは市内の実家に避難して荷物をまとめ、息子は施設へ行きました。
 
今、思うこと
 
 それから3ヵ月たつ今も、水害は終わっていません。めちゃくちゃになった家の修繕工事が、まだしばらく続きます。
 
 あの夜を振り返って今、私は「もう少し準備できていれば、もう少しうまく乗り切れた」と思っています。
 
 まずは、明かりの確保。懐中電灯にはいつもしっかりした電池を入れておくことが必要です。暗がりの中で、あの弱々しい光は本当に情けなかったです。
 
 それから、情報の確保。ラジオの電池、携帯電話の充電は怠らないことが大事だと思いました。食料は、たくさん買い込んであって助かりました。やはり非常食の備蓄は大切です。また、急に緊急一時保護をお願いすることになって、うまく準備ができず、息子を着の身者のままで送り出したことを、かわいそうに思いました。
 
 そして何より、自閉症の大変さを理解し、緊急時の自閉症の子に何が必要かを分かってくれる仲間たちがいたことに、心から感謝しています。
 

SHARE --- AICHI ASSOCIATION OF AUTISTIC PERSONS' PARENTS
避難所には行けない!
災害時の備えを考える
 
 今回の東海豪雨で、自閉症の子を持つ私たちは、災害時にどれだけ「弱者」になりやすいかをかみしめました。もし避難勧告が出たとしても「子どもを連れて、避難所にいられない」という会話があちこちで交わされました。災害はどんな形で降りかかるか分かりませんが、少しの心がけが冷静に対応する助けになるかもしれません。今回、簡単なアンケートを実施し、災害時の心配、備えなど会員の思いをお聞きしました。

 
 寄せられた回答の中で、圧倒的に多かったのは「避難所に行けない」という不安の声でした。
 
・指定された小学校などの避難所には連れていけない。養護学校や福祉施設などを二次避難所として開放してほしい。
・迷惑をかけるので、どんなに暑くても寒くてもテントを用意しようと思っている。
・避難所で別の部屋を設けてほしい。
・障害者向けの避難所を事前に決めておいてほしい。大声を出しても走り回ってもOKのところだとありがたい。
・避難所で子どもがどこかに行かないように見張っていたら、親は寝ることもできない。障害を理解しているボランティアを準備してほしい。
・初めての場所には入れない子なので、ふだん通い慣れた学校を避難所に使わせてもらいたい。周囲に気兼ねせずに避難できる場所を。
・保健所、児童相談所、療育センターなどを長期間の避難場所として許可してもらいたい。
 
などの意見をいただきました。
 
 このほか「私たちの子どものように理解されづらい子の場合は、災害が起きる前に行政に対して、このような子どもがいることを伝えておく必要がある。だから、各会員が自分の住んでいる地区の福祉課にSHAREを持っていくなどして理解を求める努力が必要だ」という声もありました。家族間の連絡の取り方、お父さんの役割(職場、家庭双方)などを話し合った家庭もありました。
 
 また、今回、実際に被災された会員の方からは、次のような体験が寄せられました。
 
・避難したが、避難所に行く勇気がなく、車の中で一晩過ごした。最寄りの駅が水没し、市バスも動かなかった。子どもはそれなりに状況が分かった様子だった。
・通所の施設で宿泊訓練中に被災し、近くの避難所へ避難しました。子どもが腰まで水につかりながら、職員と一緒に行動できたことにびっくりしました。私の場合は家の方が安全なため、避難所へ子どもを迎えに行きましたが、水の中なので自由に動けず、大変でした。水害に弱い地区であり、個々の事情に合わせて臨機応変に対応してほしい。
・実家に避難したので、長期(一カ月)にわたる避難生活も特に支障はありませんでした。ただ、テレビで避難所生活の様子をみて、もう少し避難所の数を増やして、個人スペースを広げればいいのに、と思いました。
・私の住む地域も2メートル近く冠水しました。わが家はマンションの5階で、外に出られず缶詰状態になりました。少し目を離した隙に子どもがいなくなり、探し回ったら、水の中で泳いていました。
・ふろの着火装置が壊れたため、3日間、シャワーで済ませました。初体験でしたが、本人は特に問題はありませんでした。
 
 防災袋に入れるものは通常、貴重品、衣類、非常食、飲料水、医薬品、懐中電灯、ラジオ、タオル、トイレットペーパー、保険証のコピー、マッチ、筆記用具、親族・知人の連絡先、携帯コンロ、電池、缶切り、スプーンなどがありますが、こうした一般的な非常用品以外に「自閉症のわが子のために必要な備え」について多くのアイデアをいただきました。みなさんのお子さんにもあてはまるものがあるかもしれません。
 
ひも(はぐれる恐れがある時に使う)
耳栓、ゴーグル、サングラス、帽子(刺激に弱いため)
紙、ペン、はさみ(本人に視覚的に情報を伝えるため)
自閉症の手引き(避難所の人たちに障害を理解してもらうため)
使い慣れた枕(本人が落ちつくので)
ぬいぐるみ、ゲームボーイ、ウオークマン、絵本、マンガ、お絵かきの道具(長い時間過ごすための遊び道具)
カップ麺、好きなお菓子(とりあえず食べるものを)
簡易ガスコンロ、レトルト食品(さめたものは食べられないため)
時計、カレンダー、シャンプー、電話帳、新聞のテレビ欄(こだわりグッズ)
いつも座っている椅子または座布団(自分の居切所を教えるため)
名札(本人が話せないため、保護者や連絡先が分かるように)
テント(避難所に行けないから、可能であれば野営する)
下着を多めに(少しでも濡れると嫌がって脱ぐので)
水着(水害の時に泳ぎそうなので)
 
地域の避難場所一覧
 
 
 


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION