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《第六章》
災害時について
日頃の備え
 
地震が発生した時は
 
水害の時は
 
避難する時は
 
指定避難所情報
 
情報提供:社団法人日本自閉症協会新潟県支部 中越地震リポート
 
社団法人日本自閉症協会愛知県支部 被災して見えてきたこと
 
SHARE 避難所に行けない
 
中越地震 リポート (自閉症協会新潟支部)
現況調査票集計
中越地震被災該当地区会員91家族
回収数85件 内被害有報告51件(全壊1 半壊5 一部損壊6) 回収率93%
 
地区別
地区名 世帯数 回収数 被害有 備考
柏崎地区 21 21 100% 7 半壊1
長岡地区 44 40 91% 30 半壊3 一部損壊5
魚沼地区 26 24 92% 14 全壊1 半壊1 一部損壊1
 
現況調査票から最も多かった意見
『避難所』は、自閉症の専用の部屋、もしくは専用の避難所が欲しい。必要である。
 
神戸の震災も経験された会員さんからの意見
 ライフラインの復旧の遅れとの理由で施設の再開が遅れた。建物に心配がないならば、一時的であっても、避難できる場所として機能できるように、施設に発電機や大量の水の装置などを備えてはどうだろうか。
 
ミニ集会の開催
柏崎地区
・第一回 日時 平成16年12月20日(月)10時〜12時30分
参加者会員9名 柴田顧問(加茂病院)・坂井賢氏(おれんじぽーと)・事務局渡邉
・第二回 日時 平成17年1月16日(日)13時〜15時30分
参加者 会員5名 柴田顧問
 
長岡地区
・第一回 日時 平成16年11月18日(木)10:00から12:00
参加者 会員15名、坂井賢氏
・第二回 日時 平成16年12月14日(火)10:00から12:00
参加者 会員8名(養護学校・特殊学級の保護者)、柴田顧問
 
魚沼地区
 地区幹事による個別連絡による対応。現状の把握などを中心に。現在、被災された方々は、気を張り詰めていた、その箍(たが)がはずれたような状態。
 この度の新潟地震は、過疎の町を襲ったわけで、当然、地域全体が高齢化の問題を抱えている。障害児だけが障害があるという家族ではないという現実。老人介護と障害児の介護、そして、20年ぶりになるという大雪。厳しい条件ばかりが襲いかかる。例えば、会社勤めの男(父)たちは、通勤に3時間もかかって、会社の復興再建に借り出されている。帰宅は夜中。母たちは、養護学校までの送迎に通常、片道30分で着くところ、2時間も見なければならない。いつもと違う時間の流れ、変更に弱い自閉の子たちの生活リズムの乱れ。そこに老齢の親。
 「ただ、今は、春を待っているんですよ。新潟の者は、春が来ることを知っているから、ただ、ただ、春がって来ることだけを待っています。畑や田んぼが大好きな人たちが、ひたすら、春を待ちわびています。それまで、頑張って生きてなくちゃ・・・。」
 
ミニ集会からの報告抜粋
 地震の被害に差があるように地震に対しての反応も子供によって違いがあり、過敏に反応して混乱した子供と特に問題もなくいつも通りに過ごした子供がいて反応が二つに分けられることが分かった。また違う環境を受け入れ親を驚かせる子供もいて、思わぬ成長に気づく親の話を聞き、そういえば・・・と自分の子どもの意外な面に気づく親もいた。みんなで話をすることで、災害の中でもプラス思考で考えようとする気持ちが出たのではないかと思う。苦しい状況の中なので特に溜まった言葉、声、思いを吐き出すことができる集会の必要性を感じた。また、会員だけでなく専門家が同席するということで雰囲気も変わり、ちょっとしたアドバイスが大きな安心に繋がることも分かった。一回目と二回目では親の気持ちも変わっていて、このような集会を定期に開催していくことがカウンセリングになると思う。
 
○地震の際に気づいたこと
☆本人に地震のこと(緊急状態)をどのように説明していいか分からない。
・いつもと違う状況を理解できずに混乱してパニック状態になった。
・揺れに対しての混乱はなかったが、停電になったことで「TVが見られない」「ゲームが出来ない」「パソコンが出来ない」と怒った子供が結構いた。
・地震の報道で不安になり「僕たちは死ぬんですか?」と何度も聞いてきた。
(今後震度5以上の地震が来る確立○○%という報道で世界が破滅すると思う子、家族が報道を見て不安を漏らすと地震を悪の権化と思い親に問う子、逆に「地震の悪口を言うな」と叫ぶ子もいた)
☆避難所について
・避難所は自分たちの行く所では無いと最初からあきらめていた。
・地震当日は、ほとんどの人が避難所を利用せず、車の中に避難したり自宅にいた。
・とりあえず行ったが、混雑していて避難できないと思い諦めた。
・受付の人に「障害があります」「自閉症です」と言える状況ではなかったし、言っても配慮してくれるようには思えなかった。
・安心して避難できる避難所をいざという時準備しておくことは、大切に思う。静かなスペース、安心して入れる建物、ある程度自閉症を理解している担当者がいることなど。
・ざわつく雰囲気、子供の泣き声で本人が不安がった。
・避難しているという状況が分からず他の子供と騒いで周りに怒られた。
・車の中に避難した人など、子どものお気に入りの物、玩具や本・好きな歌のカセットテープなど子どもを落ち着かせるために役立った。
・揺れて周りが怖がっていても本人が楽しそうにしているので顰蹙をかった。
・地震に対してや周りのことについて暴言を吐き、障害の特性と理解してくれず、また説明するのにとても疲れた。その場に居たくなかったが他に行く所がなかった。
・介護の必要な老人が体育館でなく教室に移されていたので、自分たちもお願いをした。
・自分の通っている学校だったので、学区の人たちは特殊学級在籍の子供と分かっていたため特に混乱はなかった。
※5日間〜1週間以上も車中泊であった家族が多い。
※家族が離れ離れになるような避難方法を選択することができない。又は、したくない(施設利用)など。
 
☆生活について
・赤ちゃん返りをした→偏食、食事の仕方や物へのこだわりが戻った。離れなくてトイレも一緒に行った。一人になるのを嫌がった。トイレの失敗が増えた。
・偏食のため食材を探すのに苦労した。
・電気が無いことをはじめは我慢できたが、我慢できなくなり「買って来て」と叫んだ。
・普段は特に関心もないのに「お風呂に入りたい」とお風呂にこだわった。
・開放されているお風呂は時間制限があり、男の子の場合母が連れて行くことが出来なかった。(ほとんどのお風呂が昼間の時間で父が仕事で不在の場合は連れていけない。また初めての場所でまわりに迷惑を掛けずに利用できるか、入浴中に余震が来たらと思うと不安で利用できなかった。小4男子、女風呂は無理なのだが無理やり連れて入った会員に養護の男の先生に入浴介助を頼んだ会員もいた。小千谷では福祉法人が手配しお風呂を貸切りにしてくれて施設の人たちがみんなで入浴をした。)
・濁った水道水を飲もうとした。
・学校や作業所が再開されるまで在宅で体を持て余していたが、親は外出する気になれなかった。
・子供に何かしてあげたくても親にエネルギーがなかった→親もショックを受けていた。
・復興のためのヘリコプター、ダンプカー、ショベルカーの音で不安になり何も出来なくなった。
・学校が再開されてもいつもと違う雰囲気なので登校を嫌がった。
・学校まで歩いて行かなくなった。
・普段は食べないもの(缶詰・生野菜)等を食べた。
・言葉の無い子他との延滞性PTSDについて注意した方がよいと言われたが、今の子供の状態が普段からのものか、地震によるものか区別が付かない。
→柏崎でも心配なことを聞くと地震とは関係ないことをあげている親が多かったように思う。
・赤ちゃん返りの状態になり5月に二番目の子供が生まれるが母と離れられるか不安。
・在宅は言葉の有無、知的レベルの高低に関わらず、地震に対して怖がり混乱した子供と、無頓着で普段どおりに生活できないことに不満を持った、あるいはいつもと違う状況を素直に受け入れた子供と二つに分かれたことが興味深い。
 
☆家族のこと
・当日離れ離れで地震を経験した親は子供と一緒にいられなかったことが時間の経過と共に後悔として心の傷になっている。
※近所の人に助けてと何らかの形で表現できたことを成長と思うように柴田顧問からアドバイスを受ける
・当初はみんな同じと思っていても時間の経過とともに他人との比較(家屋の被害・子供の様子など)で被害者意識が強くなって会のメンバーの中でも摩擦が生じてしまう。
・子供だけでなく親もちょっとした揺れでフラッシュバックしてしまう。
・地震の後、祖父母がちょっとした事で子供たちに怒り子供は不安定になるし母は辛い。
・別居だった祖母が非難して来てしばらく同居となり家の中の様子が変わり、子どもの様子もなんかおかしくなったり、祖母が自閉症がよくわからず不必要な言葉がけが多くなり困っている。
 
☆組織としての活動
・安否確認が思うように出来なかった。見知らぬ人からの連絡より顔見知りの会員からの確認が良いのではと思ったが被災しているものが幹事とはいえそこまでしなくてはいけないのか、被害の無い地区がすべきだとの意見あり。逆にフットワーク良く安否確認してくれる地区もあり。
・県支部としての安否確認の必要性と現地調査の必要性について?
・現地に行って「こんな所まで来てくれて嬉しい」と喜ぶ会員もいたが、「迷惑だ」という会員もいた。
・地震は市町村民全員同じように被害を受けているのでみんな一緒という意識があり、近所同士助け合い、またいろんな支援があるので自閉症と診断された時より落ち込まなかった。診断されたときの方が途方にくれて孤独だった。
・状況を聞かせて欲しいと連絡をもらっても子供がいるため外出も出来ず、状況は報道で流されることぐらいだったために申し訳なかった。
・県支部主催のミニ集会で県支部を身近に感じた会員もいて集会を開いたことはとてもよかったと思う。


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