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「津波防災情報図」の活用を
海上保安庁 海洋情報部技術・国際課 地震調査官
渡辺 一樹(わたなべ かずき)
津波防災情報図とは
 津波の伝播する速さが水深の平方根に比例することは以前から知られていました。つまり、海域における水深のメッシュデータが整備されれば、津波の動きを再現することができます。しかしながら、そのためには、膨大な量の水深メッシュデータの整備と、数値計算を行えるだけの計算機の能力向上を待たなければなりませんでした。近年になって、水深メッシュデータも整備され、計算機の能力が向上して、港湾周辺などの狭い海域での津波のシミュレーションが可能になりました。
 今回は、東海地震、東南海地震、南海地震を想定して、神奈川県から高知県にかけて襲来が予想される津波の数値シミュレーションを行いました。津波防災情報図は、この数値シミュレーションをもとに主要港湾周辺の津波の動きを図示したものです。各港ごとにA2版ほどの図面「進入図」「引潮図」と、津波アニメーションファイル(GIFファイル)を作製しました。
これまでの経緯
 近年の日本での津波による大きな被害としては、1993年の北海道南西沖地震津波による被害が挙げられます。津波は地震発生直後に奥尻島の青苗地区を襲い、大きな被害を与えました。
 この時の津波のように、地震発生後にテレビやラジオから津波警報が放送されてからでは、避難が間に合わない場合もあります。あらかじめ津波の動きを計算して理解していれば、警報などを待たずに避難行動を起こして、人身や財産が救われるケースも生まれてくるでしょう。
 現在では、海域で地震が発生し津波の危険性が生じた場合、気象庁から津波注意報、津波警報が発せられます。これは海域を適当な広さで区分し、ある海域である大きさ・深さの地震が発生した場合を想定して、津波の動きを数値シミュレーションにより予測することによって可能になっています。この数値シミュレーションは全国的に適用できるような大きなスケールで実施しているものでしょう。
 海上や港湾内の安全に携わる者にとっては、このような全国的なシミュレーションに加えて、さらに細かい沿岸域や港湾内での津波の動きを知ることができれば、具体的な避難行動計画を検討することができます。
 
(財)日本水路協会による「港湾域における津波の挙動の調査研究」のモデル港
年度(平成) 8 9 10
想定地震 1983
日本海中部地震
1933年
三陸地震
1944年
昭和東南海地震
1946年
昭和南海地震
モデル港 能代港
秋田港
酒田港
宮古港
釜石港
大船渡港
尾鷲港 須崎港
 
「津波防災情報図」の作製海域
年度(平成) 14 15
想定地震 中央防災会議公表の想定東海地震 中央防災会議公表の想定東南海地震、想定南海地震
作製海域
(図名)
江ノ島付近、新島、下田港、松崎港、宇久須港、沼津港、田子の浦港、清水港、焼津港、御前崎港、浜名港 豊橋、蒲郡、衣浦港、名古屋港南部、名古屋港北部、四日市港、鳥羽港付近、尾鷲港、串本港付近、田辺港、下津付近、堺泉北、大阪、神戸、徳島小松島港、高知港、土佐清水港
 
 平成7年の阪神淡路大震災を機に地震に対する防災意識が高まるなか、平成8年度から(財)日本水路協会が日本財団から事業補助金を受けて、港湾域における津波の動きに関する基礎的な調査研究を始めました。当時、過去の津波に対する経験的な知識と数値シミュレーションに対応できるだけの水深データベースが整備されつつありました。
 平成10年度まで続いたこの事業のなかで、過去の津波被害の事例研究、計算手法の検討、津波シミュレーションと実際の津波との比較を行っています。この3年間にモデル港を設定し、各港における数値シミュレーションの結果を評価・検証しています。この時期に港湾域での津波の数値シミュレーションの基礎が築かれています。
 引き続き海洋情報部では、平成13年度に津波防災情報図の試作版を作製・検討し、14年度に東海地震を想定した津波防災情報図、15年度に東南海地震・南海地震を想定した津波防災情報図を作製しました。図の作製にあたっては、「津波防災情報図検討会」を開催し、津波の研究者の方々からも助言を受けております。
津波防災情報図の内容
 津波を引き起こす地震による海底の変位モデルには、中央防災会議から公表されている東海地震、東南海地震、南海地震の震源モデルを使用しました。
 まず、震源域を含む広い海域の水深メッシュデータ(1次メッシュ、4,050mメッシュ)を作製し、津波のシミュレーションを行います。ここから作図対象とする港湾に至るまで、順次小さいメッシュでの計算にシミュレーション結果を引き継いでいきます。最終的に作図する港湾周辺では50mメッシュ(5次メッシュ)で数値シミュレーションを実施しました。
 主要な港湾を中心に2万から3万分の1の縮尺でA2版程度の大きさに地域を区切ってシミュレーションを行いましたが、時々刻々と変化する津波を2次元の図面に表現することはたいへん難しいものでした。津波の動きを表現するためには、位置(経緯度)と津波の高さ、さらにそれに時間軸が加わり、4次元で起きている事象を2次元の図面に表現しなければなりません。
 今回は、陸から見た津波の押波と引波の影響が最も大きくなる時に着眼し、「進入図」と「引潮図」を作製しました。進入図は、満潮時に押波が押し寄せる場合の最大水位上昇量、最大流速・流向を図示したものです。引潮図は、干潮時から引波が引いていく場合の最大水位低下量、最大流速・流向を図示したものです。進入図、引潮図を読む時には、それぞれの地点で最大水位上昇量、最大水位低下量、最大流速・流向が表されていますが、最大となる時間はそれぞれの点で異なることに注意してください。
 
清水港の進入図(満潮時を想定した図)
 
 津波による水位の時間変化を表現するため、代表的な地点における水位変化のグラフを図の左に掲載しました。図は、最終的にはPDFファイル形式で保存し、ファイルサイズも数メガバイト以内の大きさに納まっています。
 さらに平面図では十分に表現できない津波の動きをパソコンの画面で表示するように、津波アニメーションをGIFファイルで作製しました。このGIFファイルを画面上で表示すれば、時々刻々と変化する水位変化を色合いで、流れの流向流速を矢印の向きと長さで読み取ることができます。このGIFファイルのサイズも数メガバイト以内の大きさに納め、事務用のパソコンレベルのマシンでも十分動作するように配慮しました。
課題と問題点
 一方、今回の津波防災情報図の作製にあたり、多くの課題と問題点に直面したのも事実です。津波防災情報図は、港湾内などの狭い地域の詳細な津波の動きを把握できるという長所があります。しかし、想定している地震の震源モデルが大幅に異なる場合や、別の場所で異なる規模で発生する地震による津波まで、すべて津波の動きを共通して表現しているものではありません。
 港湾内などの狭い地域で詳細な津波の動きを再現するためには、正確な震源モデルが必要であり、別の大地震による津波をシミュレーションするためには、別の震源モデルを用いて再計算しなければなりません。それぞれの大地震による津波を再現するためには、個々の震源モデルごとに再計算をしなければならないという欠点があります。
 また、この方法では、1つの震源モデルから港湾までのシミュレーションを完成させるのに、かなりの時間を要してしまいます。例えば、異なる多くの地震津波に対して、特定の港での津波の到達時間だけを必要とするような場合には、その港から見た多くの想定地震による津波の到達時間線図のような他の簡便な手法を開発した方がよいでしょう。
 さらに、「津波防災情報」という語を聞くと、一般には例えば、浸水域や避難施設の所在場所などの「陸域での防災情報」が記述されているのではないかと思われるでしょう。しかし、海上保安庁には、陸域の防波堤、防潮堤、堤防、陸こう(陸上に設置された水門)、港湾施設などの位置・形態・強度のデータがないため、陸上の浸水域などの情報を描くことができませんでした。
活用方法
 今回作製した津波防災情報図は、中央防災会議から公表された東海、東南海、南海地震の震源モデルを使用しています。この中央防災会議の震源モデルから被害想定がなされ、法律に基づく地震災害対策強化地域の指定がなされています。
 将来、東海、東南海、南海地震がこのように想定されている震源モデルに近い形で発生した場合には、津波防災情報図は各港湾における津波の動きをかなりの確度で再現しているでしょう。
 地方の港湾の防災担当者が中央防災会議公表の想定、東海、東南海、南海地震の発生を仮定し、港湾内とその周辺の沿岸海域における防災避難計画を検討する際に、この津波防災情報図で示した津波の詳細な動きが大いに役立つと期待されます。
 また、地方の港湾の防災担当者が臨海地域の津波による被害などを検討する際、この津波防災情報図を参考資料として活用できるのではないかと期待しています。


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