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バラスト水問題への今後の対応
環境省地球環境局環境保全対策課 長崎 孝俊(ながさき たかとし)
はじめに
 世界の海洋環境については、国連環境計画等によりその悪化が指摘されている。海洋汚染の原因は海難等により船舶から流出した油、沿岸域の開発や河川からの流入負荷、陸上起因の汚染等さまざまであるが、生物多様性の保全に加え、有用水産生物への影響、病原菌の侵入等、人の健康への影響の観点からバラスト水による海洋環境の汚染が注目されている。そして、移入生物によって海洋生態系が破壊された場合には、回復が極めて困難なこともあり、地球規模の環境問題として国際的に取り上げられている。
バラスト水問題とは
 海域を航行する貨物船等は、積荷の量にあわせ、船体に設置されているバラストタンクに海水を取り込み、または、排出することにより適度の喫水を保ち、船体の安定を保つようにしている(図1参照)。
 バラスト水の取入・排出は主に積荷を荷役する港湾において行われ、積荷を陸揚げするときには、バラスト水を取り入れ、反対に荷積みするときにはバラスト水が排出されることとなる。この結果、バラスト水に含まれた海洋生物が「望まれざる密航者」として国際的に移動している。バラスト水とともに排出される海洋生物は、その海域に天敵種がおらず、もともと生存していた海域の環境(塩分濃度や海水温度等)が似通っていれば排出された海域で定着する場合がある。
 現在、この定着した海洋生物の増殖により、在来の海洋生物が減少する等海洋環境への影響が世界各国で報告され問題となっている。
 
図1 バラスト水取入、排水プロセス図
 
バラスト水問題への取り組み
 バラスト水問題への対応に関しては、国連海洋法条約や生物多様性条約でも言及されている。なかでも、国際海事機関(IMO)において1973年以降、断続的に検討が行われた。
 さらに、リオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(UNCED)からバラスト水の国際的な規制の検討について要請を受けた1992年以降は、継続的に検討が行われ、持続可能な開発に関する世界サミット(WSSD)のヨハネスブルグ実施計画での要請も受けて、2004年2月には「船舶のバラスト水及び沈殿物の規制及び管理のための国際条約」(以後、「バラスト水管理条約」という。)が採択された。
 また、2000年3月からは、IMOと国連開発計画(UNDP)及び地球環境ファシリティー(GEF)が協力して、条約案の検討や技術開発、途上国支援のため、地球規模のバラスト水管理プログラムを運営している(Globallast: Global Ballast Water Management Programme)。
 本年2月に採択されたバラスト水管理条約では、国際航海に従事する船舶(バラスト水を積載しない船舶、軍艦などを除く)が対象となっている。対象船舶については、船舶の建造日及びバラストタンクの容量に応じ、一定の期間は、外洋において「バラスト水交換基準」または「バラスト水排出基準」(図2参照)のいずれか遵守することが義務付けられ、2017年までには、対象船舶全てが「バラスト水排出基準」を遵守することになっている。
 また、「バラスト水交換基準」では、原則陸岸から200海里以上離れた水深200m以上の海域において、体積ベースで95%以上の海水交換を行うことが定められ、「バラスト水排出基準」では、排出するバラスト水について、動物プランクトン、植物プランクトンが外洋に存在するプランクトンのおよそ1/100程度、細菌については欧州の海水浴場の基準に基づく値となっている。
 
図2 バラスト水排出基準
対象生物 船外排出基準(生存個数)
動物プランクトン(50μm以上の生物) 10個体/m3未満
植物プランクトン
(10μm以上50μm未満の生物)
10細胞/ml未満
病毒性コレラ菌(O-1及びO-139) 1cfu/100ml未満、
又は動物プランクトンサンプル1cfu/g
(湿重量)
大腸菌 250cfu/100ml未満
腸球菌 100cfu/100ml未満
注:cfu: 細菌数(colony forming unit)
 
バラスト水による外来種の移入事例
 世界中で、1日当たり3,000〜7,000種あまりの海洋生物がバラスト水により運ばれていると推定されている。以下に、IMOが報告している土着の海洋生物への影響事例を挙げる。
(1)北米五大湖では、カスピ海及び黒海に生息していたカワヒバリガイが1980年代にバラスト水を通じて侵入したといわれている。発電所・工場の取水パイプの周囲に充満して詰まらせることとなりカワヒバリガイの制御に米国は1989年から2000年の間に10億ドルといわれる多大な費用をかけている。また、食物となるプランクトンが土着魚類と競合し、土着魚類の個体数に影響を与えている。
(2)地中海に、熱帯緑色藻類(イチイズタ)が侵入し、土着の海草類、魚類、無脊椎動物の生息地を減少させた。1984年にモナコ沖で1平方メートルだけが覆われているのが観察されたものが、最近の報告では、フランス、スペイン、イタリア及びクロアチア沿岸に沿って、数千ヘクタールを覆っているとされている。
(3)黒海では、アメリカ大陸東岸原産のアメリカンクシクラゲ類が、1970年代にバラスト水を通じて侵入した。アメリカンクシクラゲ類は、貪欲に動物プランクトンおよび魚の卵・幼生を捕食するため、1990年代の黒海におけるアンチョビー漁業崩壊の主因となっている。現在は、カスピ海で同様に漁業に対し大きな脅威になっている。
 
わが国におけるバラスト水による外来種の移入状況
 わが国への外来種の侵入については、IMOによりチチュウカイミドリガニや赤潮等の原因となる有害藻類が侵入しているといわれている。また、一般に護岸等、人工海岸で認められるムラサキイガイ(いわゆるムール貝の一種)はもともとヨーロッパに生息していた外来種であり、すでにわが国沿岸海域の環境に馴染み生息している。
 しかしながら、これらの外来種がバラスト水を経由して、わが国の沿岸海域にもたらされたかどうかは明確ではなく、また、これらの外来種の顕著な被害事例はあまり知られていない。
 外来種の問題が顕在化しない理由としては、これら移入されてきた外来種が沿岸海域に棲みつき生息しているかどうかについては、外見上に似通っているものも多く、判断するのが非常に難しいことが挙げられる。
 さらに、時間がたつと外来種と在来種が交雑している場合もあるので、このような場合は外見から識別することがますます困難となる可能性もある。
 このように海洋生物の外見上による識別が一般的に困難とされているが、最近ではDNA 分析などの解析ツールが開発実用化されており、生息している海洋生物が外来種であるのか在来種であるのか、または外来種と在来種の交配により生まれたのか、その識別は従来より容易になってきている。
 このため、今後はこれらを利用し、経年的な変化を追跡することにより、従来はわかりにくかった外来種の移入状況を識別することが可能になってくると考えられる。
 わが国については、前述のとおり、バラスト水を経由して侵入した外来種の被害事例はあまり知られていないが、わが国は資源輸入国であるが故、バラスト水の輸出大国であることを考えると、日本への影響だけでなく、日本から運ばれるバラスト水の影響について注目する必要がある。
 
今後の対応
(1)バラスト水管理条約の発効及びガイドラインの策定
 条約は商船船腹量の合計が世界の35%以上となる30カ国以上が批准した日の12カ月後に発効するとされており、IMOでは、2009年に条約の国際発効を目指している。
 また、2004年3月に開催された第51回環境保護委員会(MEPC 51)では、バラスト水管理条約を実施するための具体的な規定を定める13のガイドラインについて、MEPC 53(2005年7月開催予定)までに最終案を作成することが合意された。
 わが国では、これに貢献するため、オランダ、ドイツと協力し、排出基準を満たすことのできるバラスト水処理装置の「型式承認」と処理装置に使用する化学物質などの「活性化物質」のガイドラインの草案について検討、作成し、関係各国と協議を行っていく予定である。
(2)環境省の対応
 環境省では、バラスト水管理条約への対応に向け、基礎情報の収集と体制の整備を早急に進めるため、平成16年度から、以下の調査を行うこととしている。
(1)海域生態系の実態把握
 わが国の海域において、バラスト水に起因する可能性のある外来種の存在状況について調査を行う。
(2)バラスト水の実態調査
 船舶から排出されるバラスト水のサンプリング調査を実施する。
(3)諸外国から報告されているバラスト水に起因する環境影響の調査
 諸外国から報告されているバラスト水に起因する環境影響の調査報告についてとりまとめを行う。
(4)バラスト水処理技術と評価基準の調査
 わが国および諸外国におけるバラスト水処理技術に関する調査を実施する。
 
おわりに
 バラスト水問題については、わが国としてもかねてから海洋環境保全上の重要な問題として、IMOにおける条約交渉等に積極的に貢献してきたところであり、バラスト水管理条約が採択されたことは、国際的な対策の推進のための枠組みが合意されたという点で意義が大きい。
 現時点では、わが国においてバラスト水により運ばれた外来種による生態系の影響については必ずしも明確ではないが、ひとたび生態系への大きな影響が生じたときには、その回復は極めて難しいと考えられる。
 このため、国際的に外来種の移入を未然に防止する措置とともに、仮に外来種が移入した場合、それを早い段階で検知できるような体制を整備しておく必要があると考えられる。そのためには、種の同定技術を現在よりさらに高いレベルに上げること、出現種について経年変化を追跡するような体制を整備することも課題となってくる。
 また、一般にバラスト水による生態系への影響については、海洋生物の国際的な越境移動が取沙汰されることが多い。しかしながら、日本は北海道から沖縄まで南北に長く延びる地形特徴を持っており、離れた地域では生息生物が異なっており、さらには海運業が盛んなことから、国内運送であっても物理的にバラスト水が運ばれる。
 このため、外航船だけではなく、内航船についても、バラスト水による海洋生物の移入に関し念頭に入れておく必要があると考えられる。
 今後、環境省では、まず生物種の移動実態の把握等基礎情報の収集分析について、関係省庁とも協力しながら早急に取り組みを開始する予定である。このため、皆さんのご理解とご協力をお願いしたい。


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