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第一章 船絵馬の成立と展開
 船を描いた絵馬の奉納は近世初期にさかのぼり、寛永四年(一六二七)から同一一年までの絵馬七面が現存する。なかでも寛永一一年に長崎市の清水寺に奉納された末次船の絵馬は、朱印船の絵のみならず日本の船舶画としても屈指の名品であるが、残念なことに現在では画面全体がくすぶってしまって当初の面影がない(図3・4)。一方、同じ朱印船でも大阪市の杭全(くまた)神社と京都市の清水寺に奉納された末吉船と角倉船の絵馬五面は、風俗画的表現に重点がおかれ、船の描写は二の次ぎであるため、船舶画というにはほど遠いものでしかない。とすれば、当時、畿内ではまだ厳密な意味での船絵馬は成立していなかったとみるべきであろう。というのも、近江八幡市(滋賀県)の日牟礼八幡神社(ひむれやはたじんじゃ)に正保四年(一六四七)に西村太郎右衛門が奉納した船絵馬にも同様の表現が認められるからである。
 寛永一〇年(一六三三)に敦賀の津軽藩蔵屋敷留守居役(るすいやく)庄司太郎左衛門が、深浦町(青森県西津軽郡)の円覚寺に北国船の絵馬(図5)を奉納している。北国船は弁才船とは技術の系譜を異にする日本海特有の面木造り(おもきづくり)の廻船で、一八世紀前期に衰退したために満足な造船関係の資料を今に伝えておらず、この絵馬は珍品の名に背かないが、畿内の朱印船の絵馬よりも風俗画的要素は控え目で、船の描写にも力を入れており、近世初期としては一応、船舶画といえる作品となっている。
 
図3 寛永11年(1634)の末次船の絵馬の写し 
長崎市立博物館蔵
 
図4 寛永11年(1634)の末次船の絵馬の現状 
長崎市の清水寺蔵
 
 末次船の絵馬よりすぐれた船舶画としては、承応二年(一六五三)に厳島神社に奉納されたオランダ船の絵馬(図6)がある。この絵馬は、剥落が甚しく細部のわからない寛永期と目される長崎市の清水寺奉納のガレオン船の絵馬と同じ構図であり、絵師は長崎の河野盛信なので、長崎で描かれたに相違あるまい。また貞享二年(一六八五)には、当時、長崎に来航していた唐船の絵馬も描かれているから、長崎では海外貿易に関わる商人や外国人貿易家などがこうしたリアルな絵馬を描かせていたのであろう。それは西洋画の影響をうけた長崎の絵師たちによってはじめてできたことであり、日本における船舶画の源流は長崎ということになる。
 ところが、延享(えんきょう)二年(一七四五)に土佐神社に奉納された弁才船の絵馬を皮切りに、以後、側面から見た帆走する弁才船を画面一杯に描く従来にはない形式の船絵馬が主流の位置を占め、明治時代に至るまで船絵馬の典型となる。こうしたパターン化は実際にはもう少し前から始まっていたに違いないが、現在までの調査では延享二年より前の例を見出せないので、目下のところ延享二年をもって上限とするよりほかはない。
 このパターン化した船絵馬を購入して、郷土の社寺や日頃信仰する神仏に奉納したのはごく一般の船主や船頭・水主(かこ)たちで、中小の船絵馬が主である。つまり庶民信仰の象徴のようなものであるが、中には多数の廻船をもつ大船主とか豪商あるいは大名などによる特注品もないではない。しかし、それは全体の一パーセントにもみたない少数であって、ほとんどは出来合いの船絵馬なのである。
 パターン化した弁才船の絵馬の奉納は年を追って盛んになり、とくに天保期(一八三〇〜一八四四)から明治三〇年(一八九七)頃までの約七〇年間の船絵馬が数多く現存している。もちろん、古い絵馬ほど残りにくく、新しい絵馬ほど残りやすい。それだけに現存数だけで奉納の度合いを判断してはならないが、そうした事情を考慮したうえでもなお船絵馬奉納の隆盛期は天保期以後とみて大きな誤りはないと思う。それというのも、本来、船絵馬の奉納の主役は船主だったのが、やがて船頭が加わり、そしてついには水主まで奉納するようになるのがこの時代以降だからである。
 ために船絵馬の需要は増大し、全国の廻船が集まる日本最大の商港大坂には、船絵馬を専門とする絵馬屋まで出現した。今日、北は北海道から南は九州まで全国各地に残る数千点の船絵馬のほとんどが大坂出来なのをみても、その繁昌ぶりがわかるというものであろう。と同時に、これは当時の海運の発展ぶりを示す証拠でもある。たとえば、最果てともいうべき網走市(北海道)の網走神社に天保一一年(一八四〇)を筆頭に明治時代以前の大坂出来の船絵馬が十数面も残っている。これらは主として大坂と往来した廻船の船頭によって奉納されたものである。北海道周辺の海運が始まってから、半世紀もたっていない時期に早くも大坂出来の船絵馬が網走まで運ばれて奉納されている事実、これこそ当時の海運の活況を示す生きた証拠ではなかろうか。
 これからこうした庶民的な船絵馬の成立とその後の変遷をたどってゆこうと思うが、便宜上、現存する絵馬をつぎのような五期に分けて述べることにしたい。
第一期 延享期〜安永期(一七四四〜一七八〇)
第二期 天明期〜享和期(一七八一〜一八〇三)
第三期 文化期〜天保期(一八〇四〜一八四三)
第四期 弘化期〜慶応期(一八四四〜一八六七)
第五期 明治時代〜大正期時代(一八六八〜一九二五)
もとより、この時代区分は船舶画としての船絵馬の正確さと絵画の表現様式を基準として試みたものだけに、筆者の主観的な要素が強い。それに、この種の時代区分が常にそうであるように、それぞれの時期を画して船絵馬の形式なり様式なりが一挙に変るものでないことは改めて断るまでもなかろう。
 
図5 寛永10年(1633)の北国船の絵馬 
深浦町の円覚寺蔵
 
図6 承応2年(1653)のオランダ船の絵馬 
厳島神社蔵







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