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2001 No.3 RIM
対中ODAについて考える
顧問 渡辺利夫
 
 「聖域なき改革」というが、削減する予算項目には軽重があってもしかるべきであろう。ODA(政府開発援助)予算の大幅削減は愚策である。ODAこそは、軍事力の行使に強い制約を課す日本にとって、国際秩序形成に寄与する最も重要な行動である。
 日本のODA予算は平成10年度に10%をこえる削減がなされ、同予算の伸び率はその後連続して一般会計予算のそれを下回ってきた。平成14年度のODA予算は一段と厳しいものになろう。日本のODAはかつてない逆風にさらされている。
 日本は1990年代を通じて世界最大のODA供与規模を誇ってきた。しかし国民1人当たりの負担額でいえば、先進22カ国中まだ7位である。供与負担の最も重いグラントのODA総額に占める比率では、21位と最低に近い。「平和国家日本」を自認するにしてはまだまだなのである。ODAは「平和国家日本」を象徴する最大の事業である。象徴が国際政治における重要な「力の源泉」であることを忘れてはならない。
 ODAの中核は、いうまでもなく国民が納付する税金である。日本が厳たる民主主義国家であってみれば、ODAのありようは結局のところ国民がODAをいかに考えるかによって左右される。
 ここに一つの大きな問題がある。対中ODAへの国民的支持がこのところ急速に減じているという事実である。中国の軍事費増大、核実験、武器輸出、さらには近年の日本の排他的経済水域内での海洋調査船や海軍艦艇の活動といった軍事的プレゼンスの拡大が、日本人に隠然たる圧力を与えている。小泉首相の靖国神社参拝、中学校歴史教科書に対する中国の政府やジャーナリズムの容喙への不快感がこれに加わる。対中ODAへのいつにない風当たりの強さは、これらの要因に由来する日本人の嫌中感情の高まりのゆえなのであろう。
 対中ODAは確かに突出して大きい。日本人の心理が嫌中に傾いている以上、そして日本が民主主義国である以上、対中ODAの削減はやむをえない選択なのであろう。しかし、そうであってみれば、それに相応しい理論武装(といっては少々強過ぎるが)、少なくとも日中双方を納得させる論理的説明が必要であろう。
 財政が苦しいがゆえのODA削減では「金の切れ目が縁の切れ目」となってしまい、これまでのODA努力が水泡に帰してしまう。嫌中感情が強いがゆえのODA削減では日本のODA理念が崩壊してしまいかねない。以下、日本の対中ODAについて考慮すべき問題を二つに絞って説いてみたい。
 一つは、対中ODAの供与方式の転換についてである。日本の対中ODAは、中国の経済計画に合わせて数年にわたる供与額を事前に約束するという「多年度供与方式」を採用してきた。日本の対中ODAが一方的に拡大してきたのは、この供与方式に原因がある。多年度供与方式により対中ODAはとかく「どんぶり勘定」的な予算編成となりがちであった。また中国側がODAを一括供与される既得権益として受け取る傾きがある。既得権益として受け取られるならば、ODAの減額には強い抵抗が生まれざるをえない。
 多年度供与方式は、実は、日本政府の中国政府との粘り強い交渉によって今年度以降「単年度供与方式」に移行することになった。このことは日本の対中ODA方式の改善として大いに評価されよう。多年度供与方式から単年度供与方式への変更によって、対中ODA予算の一方的な拡大に歯止めをかける制度上の変更はすでになされたとみていい。中国側から要請される案件を個別に審査し、個々の案件の供与額を積み上げて事後的に集計されたものが対中ODA供与額として計上されるべきである。「案件積み上げ方式」である。
 二つ目は、供与対象分野についてである。対中ODAの供与対象分野は、産業インフラ関連プロジェクトから環境・貧困関連プロジェクトヘと大きくシフトしていかねばならない。日本のこれまでの対中ODAは、運輸・エネルギー関連の巨大な構造物の建設に対する資金供与が中心であった。
 しかし中国は、現在ではこれらの産業インフラ建設の技術的能力と国内資金を擁するにいたった。それゆえ日本の対中ODAは、中国みずからの努力で建設可能なそうした分野から次第に身を引き、中国の自助努力によってはいかんともしがたい、しかし開発上さらには福祉面からみて不可欠な分野での協力に重点を移していく必要がある。中心的分野は環境保全対策と最貧住民対策の二つ、とりわけ前者であろう。
 これにともない、日本のODAのこれまでの重要な供与原則であった要請主義の変更が必要であろう。日本がみずからのイニシアティブで中国の環境保全対策や最貧住民対策を優先的なODAの供与対象分野とするというのであれば、要請主義ではなく日中共同してこれら分野の案件を発掘・形成していくという「共同案件形成主義」が新しい原則とならねばならない。
 環境ODAは、日本の対中ODAにおけるフロンティアである。中国の環境問題は、大気汚染・水質汚濁・固形廃棄物のいずれをみても今日きわめて深刻化している。相当の政策的努力を傾注しなければ取り返しのつかない悲劇的な事態が中国の全土で発生することが避けられない。エネルギー消費の増大に伴い硫黄酸化物・窒素酸化物・二酸化炭素などの排出量が劇的に増加している。硫黄酸化物は酸性雨の原因となって国内はもとより周辺諸国にも厄介な問題を引き起こす。日本の酸性雨の4割以上が中国に淵源をもつという。
 中国は建国期以来、重工業化路線を踏襲し、重工業化率は長きにわたり開発途上国のスタンダードを大きく凌駕してきた。重工業部門は毛沢東の時代において国防上の配慮から沿海部ではなく内陸部に集中的に建設され、そうした立地構造は現在にまで引き継がれている。重工業の一次エネルギーはその豊富な産出量を反映し圧倒的に石炭である。
 石炭エネルギーの利用効率は旧式機械設備のゆえにきわだって低く、それゆえ単位生産に要する石炭消費量はおのずと大量たらざるを得ない。中国の大型鉄鋼工場におけるトン当たり粗鋼生産に要する石炭消費量は1.6トン、日本の0.8トンに倍する。加えて中国炭の硫黄含有率は一般に高い。硫黄酸化物の排出量はすでに許容量を超え、酸性雨・健康被害が続出している。
 大気汚染は内陸部を中心に広大な中国全土に及んでおり、日本のODAがそのすべてに対応できるはずもない。限られたODA資源を分散的に用いれば、効果は雲散霧消してしまう。ODAを供与すべき地域を限定して資源を集中的に投入し、そこで実現される環境保全の仕組みを周辺諸都市に波及させるメカニズムを創出するより他に方途はない。日中環境開発モデル都市形成の構想がそれである。日中環境開発モデル都市構想のめざすところは、個々の環境汚染源への対応ではない。モデル都市の環境保全の仕組みを周辺に波及させるメカニズムの創出である。日本の対中環境協力は、このメカニズム創出努力を要件としなければなるまい。
 この構想はすでに動き出している。構想実現のために日中環境開発モデル都市構想日中専門家委員会が設置され、何度かの会合を経てモデル都市としては重慶直幡市・貴陽・大速の三つ、対象分野としてはまずは大気汚染が合意された。私はこの構想を実現するための日中専門家委員会の日本側の代表をつとめ応分の努力を重ねてきた。しかし、モデル都市への協力はスタートしたばかりであり、モデル都市の環境保全の仕組みを周辺に波及させるメカニズムの創出はこれからの課題である。
渡辺利夫(わたなべ としお)
1939年生まれ。
慶応義塾大学大学院修了。
筑波大学教授、東京工業大学教授を歴任。現在、拓殖大学学長。
 
 
 
 
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