日本財団 図書館


2003/03/13 日本工業倶楽部木曜講演会要旨
中国の世界戦略と日本
国際社会学者、前東京外国語大学学長 中嶋嶺雄氏述
 
(本稿は平成十五年三月十三日に開催された日本工業倶楽部第一一九四回木曜講演会における前東京外国語大学学長中嶋嶺雄氏の講演要旨である。)
胡錦濤・温家宝新体制がスタートしたが・・・
 中国では現在全国人民代表大会が開かれております。昨年の十一月の党大会で中国共産党のトップ(総書記)に胡錦濤が就任しましたけれども、今回の全人代で新しい首相(国務院総理)には温家宝が就任することがほぼ既定の方針になっています(三月十五日正式決定)。従ってこれまでの江沢民・朱鎔基体制に替って胡錦濤・温家宝体制が新しくスタートするわけですが、この新体制が今後うまくやって行けるのかということが先ずもって大きな注目点になるわけであります。
 一番大きな問題は、依然として江沢民さんが最高指導者の地位を譲ろうとしないということです。昨年十一月の党大会時には、日本の新聞の中には、「中国は大きく世代交代、江沢民さんは引退」と書いたところもありましたが、引退どころか党中央軍事委員会の主席を結局譲らなかったわけです。
 ご承知のように中国の権力構造は党と国家及び軍事委員会の三本立てになっております。共産党のトップが総書記、国が国家主席、そして軍事委員会が主席となります。また現在開かれている全国人民代表大会は一院制の国会にあたり、予算をはじめ、政府の閣僚や役員の決定が行われます。
 三本立ての権力構造ですけれども、普通の国家であれば国が党より上ですから、やはり国のトップが最高権力を持たなければいけない。今回の全人代でその国家主席に胡錦濤が就任しますので、形式的には彼がトップということになります。しかし中国の場合、最も権力が強いのは軍で、それを束ねる党と国家の中央軍事委員会主席が一番の実権を持っています。その軍事委員会主席に江沢民さんが留任しているわけですから、依然として中国におけるナンバーワンは江沢民さんということになります。平の党員になって、本当は序列からも外されなければいけないにもかかわらず、トップが江沢民さん、ナンバー2が胡錦濤さんということになっていますが、これは政治のルールとしても非常に問題が多いと思います。
「自分の統治した時代は偉大であって、歴史に残る」
 もう一つ問題なのは、江沢民さんは他の同僚達を全部引退させて、自分だけが残っているということです。例えば、朱鎔基首相は未だに内外で評価も高く期待もされています。しかし、今回で引退したわけです。またその前の李鵬さんも、今回の全人代で最後の演説をして常務委員会からも去って行くことになりました。その他にも昨年の党大会でも多数のライバルが引退させられていまして、自分だけはうまく残っているのです。
 中国の指導者はもちろん選挙で選ばれるわけではありませんし、江沢民さんも例外ではありません。とは言え江沢民さんは天安門事件の後、緊急事態の中で小平さんの鶴の一声でトップの座についた人です。その意味では権力の正統性の根拠に疑わしいものがあります。現に中国国民は江沢民さんを本当に偉いと思っているわけではありません。そのために江沢民さんは、この間自分で自分をプレイアップすることを再三やってきました。例えば去年の秋の党大会では自分の報告の中で、「自分の統治した時代は偉大であって、歴史に残る」と自ら語っています。これは、彼がみんなから如何に信用されてないかということの裏返しではないかと思うわけです。
 中国の歴史観ですけれども、かつて司馬遷がそうであったように、自分の生きた歴史の評価は後世に委ねるを旨としてきました。司馬遷は前漢の武帝に仕えて、大変歴史的な功績を残した人ですが、彼のみならず誰もが自己の評価は後世に委ねるというのが、中国の歴史認識であります。ところが江沢民さんは自分の時代は「歴史書に残るであろう」ということを自ら語っています。これは中国の歴史認識からして大変おかしいことです。それにもかかわらず、そう言わざるを得ないということであれば、それだけ江沢民さんは、歴史から忘れ去られていく政治家ということになるかも知れません。
今後も続く江沢民の影響力
 江沢民さんが盛んに言ったのは「共産党は三つの代表」だというスローガンです。「中国共産党は人民の利益を代表する」とか、「先進的な文化を代表する」、「先進的な生産力を代表する」の三つです。この空疎なスローガンを政治報告の中では二十七回も繰り返しています。私はこれを聞いて如何に異常な状態が中国の政治の中枢にあるかということを感じ取ったわけです。その異常な状態に胡錦濤さんだって気づいていないはずはないと思います。ですから本音では面白くないと思うのです。自分が国家主席にもなったにもかかわらず、引退すべき筈の江沢民さんが上にいて軍を握っているからです。
 今回江沢民さんは曽慶紅(政治局常務委員)という上海の時からの自分のカバン持ちであった人物を国家副主席に引き上げました。これに対して胡錦濤さんは本来は胡耀邦さんの子飼いの弟子でした。胡耀邦さんはエリート集団である共産主義青年団のトップでして、かつては小平さんにも近かった人で、小柄な見かけにも拘らず、豪放磊落な性格でした。これが災いしてか、「中国をもう少し民主化しなければいけない」と、党中央の会議で当時の小平さんの路線を批判する発言をしたために、結局は失脚しました。“噴死”という不幸な死を遂げたと言われますが、恐らくこれは真実だと思います。
 胡錦濤さんはその胡耀邦さんの遺骨を最後まで拾った人です。その意味では彼は元々江沢民さんとは違ってかなりいろいろの政治感覚を持っている人だと思います。ですから彼が存分に手腕を発揮できれば、恐らく、“中国のゴルバチョフ”になる可能性を秘めているわけです。つまり「思い切って共産党の独裁体制をやめよう」ということにまでなるかも知れない。しかしそういう彼自身も、江沢民さんを一生懸命持ち上げないといけなかった。そうでないと今のポジションは得られなかったと思います。それだけ江沢民さんの力は強いし、今後もそれが続くということだろうと思います。
日本のマスコミは真実の中国を伝えていない
 日本では今、中国ブームの再来と言ってもいい状況にあります。多くの企業が中国に出資し、事業を活発に展開しております。しかし中国をそんなバラ色のビジョンだけで見ていてよいのでしょうか。私自身はそこには大きな危険性が潜んでいるように思えてならないのです。
 北京とか上海では確かに都市開発が急速に進んでいます。大変な発展を遂げていることは間違いありません。日本の援助でできた上海の浦東の新空港や高速道路の建設など、かつてと見違えるような景観があちこちに出現しています。しかしこれはいわば玄関先だけピカピカ飾ったにすぎないのです。きれいに磨いてあるその玄関を見て、「中国は変わった、変わった」と言っているのが、今の大方の日本の中国観だと思います。
 これには日本のマスコミの責任もあると思います。日本では実質的に中国についての報道の自由が十分ではありません。それが日中国交三十年の大きなツケです。「ワシントン・ポスト」や「ニューヨーク・タイムス」、あるいはフランスの「リベラシオン」なんかの中国のニュースを見ればよく分かります。これらが報じる中国像と日本の新聞の中国像とは大きく違っております。海外の報道は常識のレンズで中国を見ています。ですから日本のマスコミもそういう常識が必要ではないかと私はいつも申し上げております。世界的不況の中で中国はひとり七%の成長を今後も続ける、と言っています。しかし現実を見ると、実はもう成長の限界にさしかかっていると言えます。それだけ多くの問題が起こってきているわけです。
 外国の識者の中には、この七%成長に疑問を持っている人がいますし、ピッツバーグ大学のロウスキー教授のように、「中国の統計そのものが疑わしい」という論調も出て来ているのです。実際に中国の統計に関しては、信頼性がありません。例えば人口問題ですけれども、かつて華国鋒さんが出て来て「一人っ子政策」を始め、人口の伸びは抑制できるとして数値をあげたことがあります。当時の中国の人口は九億でしたけれども、これらの数値が正確であったら今は人口は減っていかなくてはいけないわけです。ところが実際は十三億人を超えています。一人っ子政策を続けてきたにもかかわらず増え続けてきているということは、元々の前提が誤りであったということだと思います。
「七%台の成長」を続けざるを得ない事情
 そういう状況の中で中国の急速な経済発展が注目されるのは、それまでがあまりにも低い水準にあったからです。現在、中国の一人当りGDPは八百ドルぐらいです。かつて小平さんが改革開放を鼓吹した八〇年代初頭、「二〇〇〇年までに中国のGNPを千ドルにする」という目標が立てられましたが、未だにその水準に達していないわけです。日本の所得の四十分の一です。そういう常識的な事実に注目する必要があります。
 今回の全人代では、二〇二〇年までに中国の一人当りGNPを三千ドルにするという目標が打ち出されました。しかしこれがいかに過大な目標であるかは、述べたような過去の実績が示しています。しかも益々人口は増えていますから、一人当りのGNPを高めることは、これまで以上に至難のことであります。
 しかし、中国政府としては「七%台の成長を続ける」と言わざるを得ない事情があります。〇・一%成長率が落ちると約三百万人位の失業者が出ると推定されるからです。そして現在中国にはどの位の失業者がいるのかというと、統計上の失業率は五・五%位ですが、私は二〇%近いと見ております。従って純粋の失業者だけでも一億数千万人いるわけです。しかも農村の潜在的な貧困層(絶対貧困層)の問題もあります。この人たちの年収は米ドル換算にして、五百ドルも無いのではないかと言われています。ですから上海とか北京のニューリッチの成り金だけを見て、今の中国を考えるのは大きな間違いだということです。
 朱鎔基さんはこれまで国有企業の改革、金融改革、それから行政改革の三つのスローガンを掲げて一生懸命やってきました。しかし、このうち国有企業の改革についてはとても成功したとは言えません。確かに大きな優良国有企業は改革され、民営化されて、中には株式を香港市場などに上場しているところもありますが、膨大な数の中小の国有企業は手を付けることができませんでした。これに手を付けるということはリストラすることになり、失業が増えてしまうからです。
経済は自転車操業、金融行政にも不備
 今中国各地では「下崗(シアカン)」反対のデモがあっちこっちで起こっています。これは要するにレイオフに反対するデモなのです。この「崗」という字は元々は軍隊用語で「見張り台」を意味し、「下崗」で「見張りに出される」ということになるわけですが、ひとたび「見張り台」に出されたら、もう本隊には絶対に戻れない。
 中国では下崗された人たちはその日から収入がなくなります。我が国の失業者の中には、優雅に「失業保険を貰って少しのんびりしよう」とか、「フリーターになって稼げばいい」とかで、失業することに危機感を持たない人も多いと思います。しかし中国はそういう日本の状況とは全く違います。
 そういうふうに考えますと、これからも中国は七%台の成長を続けなければいけない。従ってこれを対外的にアピールして、外国から投資を呼び寄せようとしているわけです。これはある意味では自転車操業と言ってもよい状態だと思います。中国は汗水垂らして産業構造の転換をやろうとしてきたのではありません。「これからは中国だ」と幻想を売って外国からお金を引き付け、それによって国を支えているにすぎません。その化けの皮がはがれた時は、大変なことになるのではないかと思います。
 しかも金融行政も非常に大きな問題があります。銀行の抱える不良債権は、日本と比較になりません。たとえば、三、四年前に広東省のGITIC(広東国際信託投資公司)が倒産しましたが、債務返済のための保障は全くしませんでした。私の推定では、邦銀の香港の支店を中心に十数億米ドルがこげついています。そういうことが、今後もっと大規模に起こるかも知れないわけです。
 またヤオハンの例もあります。ヤオハンは結局、世界一と言われるネックステージ21というデパートを乗っ取られてしまったわけです。ヤオハンの看板から建物まで何もかもです。こんなひどいことが現に行われているのは金融行政に問題があるからです。その辺のところが日中友好とか中国の時代ということで、みんなぼかされてしまっているのは大変憂慮されるべき状態ではないかと思います。
成長の限界――事業拡大路線を阻む諸問題
 先程中国ではもう成長の限界が来ていると言いましたが、それには理由があります。経済を支える基本的な資源にいろいろと問題が表面化しているのです。
 たとえば水不足です。それから国土の砂漠化も非常に深刻です。日本で黄砂がだんだん酷くなっているのはその影響です。黄河は干上がっていますし、長江(揚子江)は年々泥とゴミで一杯です。三峡ダムを作っていますけれども(完成予定は二〇〇九年)、泥がたまったら大変なことになるというので、アメリカ政府は国内企業の三峡ダムへの参入を一切禁止しました。これにはあの地域の渓谷の環境破壊も凄く進んでいるという判断があったからだと思います。
 加えて石油も無くなっています。中国は現在トルクメニスタンあたりに戦略的な食指を伸ばしていますが、その背景には、石油をなんとかして確保しようという狙いがあります。しかも人口はどんどん増え、貧富の差はますます拡大しています。
 そういうことを考えますと、私は中国の将来はむしろ絶望的に思われるのです。その絶望的な中国をいかにバラ色であるかのように装っていかなくてはいけないのが、今の中国の現実だと私は見ています。
 中国、北京では、二〇〇八年オリンピックが開催されます。二〇〇九年には三峡ダムが完成予定ですし、その翌年には万博も開催されます。ですからそれまではなんとか一生懸命突っ走って行くと思います。そしてそれまでの躍進の柱として打ち出されている計画が、いわゆる西部大開発です。例えば上海から重慶までのスーパーハイウェイ計画もその一つですが、そうした事業拡大路線がその間続いていくのは明らかです。
 西部大開発の大きな柱の一つは新疆ウイグル地区の開発です。この新疆の「疆」の字は元々は境で区切られた土地という意味で、弓を引く遊牧民のウイグル族の土地だったのです。そこに漢民族が入っていって田を作るように境を作って区切ったところです。そういう経緯がありますから、ここではウイグル族の独立運動が綿々と続いています。これは中国政府にとって頭の痛い問題の一つになっています。
 そこで中国は一昨年九・一一以降の世界的にテロに対する批判が広がる中で、そうした独立運動に対してここ幸いとばかりに、「彼らはテロリストである」と、「アル・カーイダ、タリバンと同じだ」と主張して徹底的な抑圧をやっています。かつて六世紀半ばにモンゴル高原から中央アジアに「突厥」という帝国が出現しました。これはトルコ系遊牧民がつくった国ですが、これになぞらえて中国はウイグル族の反政府運動を「東突恐怖」と称しています。そういう意味では中国は、自分の裏庭に非常に脆弱な部分をかかえていると言えます。
米中新冷戦時代の兆し
 次に中国の対外関係について少し触れますと、当面のイラク問題については安保理常任理事国でありながら、どうも煮え切れない態度に終始しています。ほんとにアメリカを支持するのかよくわからないのですが、私は基本的には米中新冷戦時代が始まりそうだと見ています。中国は今着々と軍備の増大を続けています。とにかく強い中国になろうというのが国家目標です。「大国外交」ということを今回の全人代で朱鎔基さんでさえも言っています。ですから全人代でもイラク情勢についてはほとんど触れませんでした。この問題で今、旗幟鮮明にするのは中国としてはあんまり得策ではない、と考えているからだと思います。
 米中新冷戦と申しましたが、中国は今アメリカのBMD(弾道ミサイル防衛)構想に対して着々と準備しているわけです。その一方でアラブ世界、イスラム世界に対しても食指を動かしていますし、影響力を行使しようとしています。今回の全人代の報告を見て一番感じたことは、結局中国は世界の中でいかに大きな存在になるかということだけを考えている国だ、ということです。
 北朝鮮問題ですけれども、日本の外務省は何か中国に頼めばこの問題は打開する、そのために北朝鮮という困った存在の頭をなでてくれるように期待しているように見えます。しかしこれは根本的に間違っています。北朝鮮が崩れることは、結局は中国の共産党体制が崩れることです。ですから、両国は裏では抱き合っているわけです。さらに私は中国、北朝鮮、それにロシアを加えた新しい国際協力の体制が、中央アジア諸国との間にできているという気がしてなりません。ですから日本としてはその辺の事情をよく見ていく必要があるのではないかと思っています。
台湾統一か独立か――中国最大のジレンマ
 最後に中台関係ですが、中国にとって大きな問題は、やはり台湾問題だと思います。中国は今年も一〇%前後、国防費を増強し、その大部分は台湾海峡のミサイル配備に当てられています。これは私の推測ですが、二〇〇八、九年頃に中台関係はクリティカルな状況になるのではないかと思います。現総統の陳水扁さんは民進党の党首です。その民進党は本来台湾独立を綱領に謳っています。それだけで大陸中国にとっては刺激的だったのですが、そこへ前総統の李登輝さんが自ら国民党と決別して、台湾人のアイデンティティーを強めようとして、「国家認同」ということを言い始めています。
 「認同」とは台湾人というアイデンティティーを国家的に作っていくべきだという考えです。つまりこれは従来の中華民国ではなく、ましてや中国に統一されることでもなく、台湾は一個の独立した主権国家であるという主張です。李登輝さんが台湾のそういう立場を明白にするのは、自分たちの世代が最後のチャンスになるのではないかと考えているからです。
 そういう台湾は中国にとって全く容認できるものではありません。また台湾にとっても、江沢民さんが今なお権力の座にある限り、中国との話し合いによる統一ということは土台無理です。だとすれば中国にとっては軍事力を行使する以外方法は無いわけです。但しそれが国際社会で通用するかどうか大変疑わしいのは確かです。
 一方、台湾の方は可能であれば、徹底的な民主的な選挙、或いは国民投票によって、台湾共和国もしくはただ単に台湾へと国名の変更をやるかもしれません。仮にそうなれば名実ともに主権国家になるわけですから、日本や国際社会が認めないわけにはいかないと思います。そういう時代が間もなく来る、あるいは日程表に上って来るかもしれない。それだけに大陸中国としては非常に苛立たしい。台湾を一つの中国に統一すると言えば言うほど、台湾は離れた存在になっていってしまう。これは現在の中国がかかえる大きなジレンマであることは間違いありません。
(文責在調査部)(終)
中嶋嶺雄(なかじま みねお)
1936年生まれ。
東京大学大学院修了。
東京外国語大学助教授、教授、同大学学長を歴任。現在、国際教養大学学長。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION