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私はこう考える【中国について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2000年1月号 国際問題
座談会 中華人民共和国:その五〇年と二一世紀
國廣道彦
(元中国大使)
田中明彦
(東京大学教授)
〔司会〕
岡部達味
(専修大学教授)
問題提起=五〇周年の中華人民共和国 岡部 達味
●中国の国家目的
 中華人民共和国五〇周年の意味は、一九九九年の国慶節の記念式典に象徴的に現われていました。一九世紀半ば以来の「国家的屈辱」を晴らそうという中国人の政治意識のなかにおいて中核的存在であった目標を、かなり達成したようにみられるからです。「毛主席はわれわれを立ち上がらせてくれた、小平同志はわれわれを豊かにしてくれた、江沢民主席はわれわれを強大にしてくれた」という言葉が流通しているようですが、これが実感でしょう。中国人のこの一五〇年に及ぶ「怨念」を最もよく晴らしたのが、歴代中国諸政権のなかで、中華人民共和国であった。そこにこの五〇年の意味が凝縮されています。
 問題は、中国がどこまでいけば、屈辱が完全に晴らされたという状況になるかということです。中国は「基本的」には屈辱を晴らしつつあります。しかし、世界貿易機関(WTO)加盟までにみられたような一連の動きは、中国の屈辱感を付け加え、中国が「国恥」を晴らしたと感ずる敷居を上げたことは間違いないと思います。メンツの国である中国にとって、外部のこのような政策は、賢明ではありません。ここから、昔日の朝貢体系の下における「中華思想」をもって、中国の行動原則であり、目標であると考える見方が出てきますが、むしろそれは「国恥」の発生し、進行した近代初・中期の「ナショナリズム」に置き換えられていると考えるほうが自然です。中国が追求しているのは、主権であり、独立であり、領土の保持であり、内政不干渉であり、国家としての団結と威信の獲得です。
 「富強」はそのための手段です。これらは中華世界にはなかった概念ばかりで、中国が屈辱を味わった時代の国際的常識ないし国際法であったのです。中国は、自己を屈服させた近代国際社会の論理をもって自己の屈辱を晴らそうとしているのです。このときに依拠する国際的常識なり国際法なりが、現在の発展した世界諸国からみれば、やや古典的にすぎることはやむをえないでしょう。しかし、「帝国主義」の時代の国際法や国際政治観が中国指導部の思考のなかに残っていることにわれわれは関心を寄せる必要があります。
 中華人民共和国はその前の中華民国と同じく、清朝の版図に国民国家を形成しようとしています。これはソ連を除いては前人未踏で、かつソ連では成功しなかった試みですし、巨大な人口を考えれば、ソ連の経験すら参考になりません。ナショナリズム(愛国主義)の不自然なまでの昂揚や、中央と地方の対立解消への努力、台湾をはじめとする辺境地区の遠心化傾向への歯止めかけ、「富強」の達成にかける熱意、などはこれらの試みの一部分をなしています。特にナショナリズムは、一九九五年の終戦五〇周年記念を契機に行なわれた宣伝教育キャンペーンが抗日戦争を主たる題材としていただけあって、一部の青年層に反日感情を植え付ける作用をしました。反米感情も悪化しました。これが、中国にとって初めての、大衆の下からの突き上げが対外政策に影響するという現象を生んでおります。外交部系統と軍部系統とのぎくしゃくした関係と相まって、これが多元外交的特徴を中国にもたらしております。
●二一世紀の中国と東アジアの安全保障・経済秩序
 そのようななかで二一世紀における中国をどうみるかということが大きな課題になってきます。「超大国」化という予想がありますが、中国経済が直面している国有企業改革、中央と地方の調整、資源と環境の限界、WTO加盟に伴う大変革というような問題点を考えれば、高度成長がこのまま二一世紀半ばまで続くというシナリオは成立困難だと思います。
 しかも楽観的な予測の上に立てられた中国の目標は「中程度に発展した国」というのにとどまっております。しかし、それでも巨大な中国が「中程度に発展」すれば、グロスでは米国をしのぐかもしれません。そのとき中国が覇権主義的にならないという保障はありません。中国の指導者が「永遠に覇権を唱えない」と言っているだけです。「可能性」が「意図」を左右する現象がありうることを考えると、中国の指導者の現在の約束を信ずるとしても、問題が残ります。また、逆に混乱が生ずることによる「弱い中国の脅威」があることも見逃せません。これはグローバル化する世界の経済秩序の形成という経済的課題にも密接に関連します。
 そこで考えなければならないのが、今後の中国の行方を左右するのは、外部の対応の仕方、特に日米のそれにかかっているということです。その場合まず問題にしたいのが、少なくとも二一世紀前半において、東アジアにおいて存在すべき安全保障体系はいかなるものであるか、またあるべきかということです。指摘しておくべきことは、大国間の戦争はほとんど可能性がなくなったということです。米国が圧倒的な軍事力、経済力、文化力(留学生吸引など)をもっている状況下で、米国以外の国が、米国ないしそれと利害関係の強い国(必ずしも同盟国でなくてもいい)を攻撃することは合理的には考えられません。他方、米国からの攻撃は理論上ありうるし、かつ湾岸戦争、ユーゴ爆撃などで現実に存在しますが、賛否は別にして、それぞれそれなりの理由があります。アジアでは、台湾問題を除いては可能性はきわめて低いでしょう。
 核については、インド、パキスタン間のありうべき軍事衝突で偶発的にエスカレーションが起こるような事態を除けば、それが使われる可能性はさらに低いと言わざるをえません。中国が米国からの核攻撃を予想して最小限核抑止力の獲得に努力し、ほぼ達成したと思われますが、その大部分は無駄な努力であったと思います。今日核を使うことは、世界中から強いネガティブな反応を長期にわたって受けることを覚悟せざるをえない選択であり、世界最強国といえども使えないし、また、米国の場合通常兵力で十分ですから、使用する必要もないということになるでしょう。その意味で、世界は核兵器が存在すること自体による核の傘に覆われていると言えると思います。
 そうであるならば、今日の特に東アジアの問題は、不特定のアクターによる低烈度紛争だということになるでしょう。国家の場合、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)すら米国依存型体質になってきている現在、北朝鮮指導部が合理的に考える限りは脅威になりません。非合理性が疑われるところに、この国の問題があるのです。中国は破壊に弱い体質(経済発展)が進んでいる以上、下手な行動はとりえませんし、とらないと思います。日本がその意味では最も平和を求めなければならない体質の国です。
 そういう国際関係下では、ASEAN地域フォーラム(ARF)を萌芽とする「協調的安全保障」(予防外交、信頼醸成措置、紛争の平和解決など)と、それが機能しなかったときの最後の保険としての日米同盟との組み合わせが最適ということになるでしょう。ここでの最大の問題は「中国が肯定的かつ建設的な役割を果たすことが極めて重要」(日米安保共同宣言)であることです。この関係をどう構築するかが今後のこの地域の最重要課題になっていくでしょう。中国がその古典的すぎる戦略思考を改めて、中国流の「新しい安全保障観」をここに適用してくれることが望まれるとともに、各レベルにおける日米中三国間の軍事交流が重要になります。他方日本としては、日米関係をイエスもノーも言える関係にしておくことが大事です。米国の意のままに自動的に台湾をめぐる武力紛争に巻き込まれていくようなことは、避けなくてはなりません。
 経済については、中国のWTO加盟が実現し、新しいグローバルな秩序の形成が問題になることはすでに随所で指摘されていますし、日本自身も大きな課題を抱えています。よほどの構想力がなければ、日中を含むアジア太平洋、ないし世界のグローバル化と各国経済の健全な持続的発展とを両立させることは困難でしょう。
●台湾問題
 最後に台湾問題について触れたいと思います。米国は「三つのノー」(一中一台・二つの中国、台湾独立、台湾の国際連合など国際組織への参加、に反対)を確認しています。日本も明言はしていませんが、日中共同声明で、ほぼそれに等しい約束をしています。
 ただ、日米両国は台湾における武力行使に強く反対しています。武力不行使を中国に約束させろという意見がありますが、それは無理でしょう。中国が台湾の現状維持に甘んじているのは、最後の保険として「武力行使の可能性を言明している」ということがあるからです。われわれは武力が行使されれば、重要なシーレーンである台湾海峡が危険にさらされること、中国自身が出した「江沢民八点意見」に違反すること、武力行使の結果が長期にわたって心理的・現実的(難民流出など)難問を大陸台湾双方、さらには隣接国にも残すこと、などから、平和解決を希望しているのです。中国は、台湾の人心を得なければ、台湾との統一は平和的、武力的を問わず無理でしょう。武力による「解放」を大声で言っているようでは、統一は遠のくばかりであることを中国にわかってもらうことが肝要です。日本にできることがあるとすれば、民間の声を通じてそれを中国に説得することしかありません。
 また、一九九九年夏に国防大学の先生が、中国が台湾武力統一を目指したとき、米国はたぶん介入しないが、日本は主導的に介入するかもしれないなどということを言っていますが、このような大きな誤解を解消する努力も、同時に不可欠です。
討論
「国辱」が「富強」を求める
國廣 重要な点を適確にご指摘いただいてありがとうございます。「問題提起」の前半の部分について一つ申し上げたいと思います。
 「中国がどこまでいけば、屈辱が完全に晴らされたという状況になるか」というご指摘は、たいへん大きな意味をもつものです。私は、これには二つの側面があると思います。一つは、台湾の統一が実現するまで屈辱が晴らされたと考えない、と中国は言うのだと思うのです。しかし台湾の統一は、そう簡単には実現できないだろうと思います。現実にはそう容易なことではない。そこで中国が焦って武力を行使するということにはならないとは思いますが、万一そういうことになったら、中国は甚大な損害を自分で招くことになるし、アジアの平和が損なわれることになります。ですから、中国としては台湾の住民の心をいかに引きつけるか、という方向にもっていくべきです。さもなくば、岡部先生が言われるように、中国はその間、ずっと怨念の虜になっていなくてはならないわけでしょう。これは中国自身のためにも残念なことだと思います。
 もう一つの側面は、中国としては、大国が武力で脅してきたとき、つまり阿片戦争のようなケースが万一起きたときにそれをはねつけるだけの武力を持っていたいのだ、と思います。それだけの力を持たなければ国家的屈辱感はぬぐいされない、ということになるのだろうと思います。中国以外の国からみたら、現実には中国はそれに近い力をもう持っているという見方もある。しかし中国は、まず南シナ海まで展開能力を持つ。それからいざというときのために、米国本土まで届く核ミサイル能力を持つ。そこまでいかないと、阿片戦争の再来に対する十分な対処にならないと考えているのではないかと思うのです。それを外国が押さえつける手だてはないし、寄ってたかって押さえつけようとすればますます軍事的能力を強める方向に動くと思います。
 しかし、中国に考えて欲しいのは、それは巨大な軍事的コストを要することであって、そういうことに中国は金を費やしていくべきなのか、ということです。それから、そういう姿勢でいったとき、米国との軍事的対立はますます激化・先鋭化するわけです。いま予想されている以上の問題が生じる。そういう負担にも耐えなければならない。つまり戦略的に対立することになれば、米国との交流から期待できる経済的な利益、それからグローバリゼーションによって得られるはずの利益も期待できなくなるでしょう。
 中国はそういうことも考えて、発想の転換をし、過去の呪縛から自らをどう解き放つかを考えたほうが、中国自身のためになるのではないかと思います。
田中 中国の国際社会のなかでの立場を考えると、先ほど岡部先生がおっしゃったように、中華思想に基づくかつてと同じような行動様式をとっていると考えるよりは、一九世紀以来の帝国主義時代をくぐり抜けてきた大きな発展途上国の人々が共通に持つ様式で国家運営を中国の指導者が行なっている、とみるのが現実に合っていると思います。ただ、やや中華思想的に見えないこともないのは、屈辱感があまりに大きかったためもあると思うのですが、国際社会の出来事をなんでも中国を中心に考えないと気がすまない、という傾向がままみられることです。
 例えば北大西洋条約機構(NATO)軍がユーゴスラビアを爆撃をしたとき、NATOの爆撃が生む国際的な影響のメリットとデメリットを考えるというよりは、基本的には「こ、れが中国に対して起こったらどうするか」とまず考えてしまう。そのような自国中心的な基準だけでいろいろな国際問題を判断する傾向が見られる。それから、中国にとってどの国がいい国か悪いかを判断するときに、台湾問題でどういう態度をとるかだけで決めるというところもある。そういった点で、中国はやや自己中心的すぎる。中華思想に近い、と見えないこともないと思います。
中国「囲い込み」は危険を生む
田中 ただ、中国に同情すべき点がないわけでもない。やはり地政学的に言って、中国ほど隣接国の多い国はないわけです。世界中全部の問題が中国に関係していると言ったらおおげさですが、アジアのほとんどの問題に中国は関係している。
 ですから、中国がそういう発想をするのは、中国が対外的にやや多大な脅威認識を持ちすぎているからです。いまの時代ほど、どこの国も中国を攻めようとは思っていない時代はないわけで、中国はむしろ安心感を持っていいのではないかという感じがします。が、中国はそうは思えない。これだけ多くの隣接国があって、場合によるとどこの国も米国に外交的に追従して、中国に対して何か要求や批判をしてきたり、攻勢に出てくるのではないか、という意識が強いですね。それが一九世紀的な国際政治観と結びつくと、周辺諸国と不必要な国際紛争を生み出す可能性がある。その点については、おそらく周辺諸国の指導者、あるいは民間が中国と交流する際に、できるだけ配慮しつつ交流を行なうべきであると思います。
 ただ、改革・開放後のこの二〇年ぐらいの中国の外交行動を見てみますと、そんなに覇権主義的とか対外的に威圧的ということはない。一九七九年の中越戦争を最後に、中国は全面的に武力で何かを達成しようということにはかなり慎重になっている。改革・開放という路線では、「富強」は長期的には手段ですが、短期的には目標です。すると「富強のためには平和な国際環境が必要である」と中国が言うのは文字どおりに受け取っていいと思います。
 ですから、ときに周りからはややアグレッシブに見えるような反応は、多くは受け身でリアクティブであって、ただそれが「屈辱感」とかのレトリックとまざって出てくるので、周りにはアグレッシブに聞こえる。しかし実際にやっていることを考えると、かなり受動的で反応的なことが多いのではないかと思います。
 またやや楽観的なことを付け加れえば、安全保障面において、最近の中国では新しい考え方を言う人もいる。ひと頃は安全保障というと「多極化」を声高に言っていましたが、この頃は「相互依存」を強調する人も出てきている。ということからすると、周辺諸国がそれなりに気をつけて中国と付き合っていけば、日米安保共同宣言に言うような「肯定的かつ建設的な役割を果たす」という方向に中国がいくのも、そんなに希望が絶無だというわけではないという気がします。
岡部 私が先ほど申し上げた覇権主義というのは、例えば二〇五〇年にグロスで米国を超えて世界最大の超大国になったときにどうなるかという話です。現在の中国が覇権主義的であるとか、あるいは中国脅威論みたいな議論をしているつもりではないんです。
 現在の状態で言えば、いま田中さんがおっしゃったとおりに、中国の言うことにはときどき刺がありますが、行動からすれば慎重であることは相当程度認められると思います。したがって、今後中国が覇権主義的な方向にいくかどうかは外部の中国に対する対応いかんにかかわる、と私は問題提起をしたのです。外部の国が中国に対して屈辱を与え続けるような強硬政策をとるべきだといった空気が一部にありますが、それは必ずしも望ましくない。それでは、屈辱が晴れたという敷居はどんどん高くなる。したがって、そういう接触の仕方はしないほうがいい。
中国にとってのグローバリゼーション
國廣 中国自身と中国を囲む国との力学について、こういうふうに思います。中国は経済的に大きくなっていますね。武力・軍事力も増強されている。そうした動向は周りの国から言えば、いまある秩序とかバランスを壊すことですね。だから、中国は現状打破的に見えるわけです。他方、中国からして見ると、周りは「これからの潮流はグローバリズムだ」と言い、「国境はなくなる」と言い、「市場経済だ」と言う。これは中国にとって、現状破壊的なんですね。このように両方が互いに現状破壊的だと思っているところに危険があるように思われます。しかし、実際はそうではないんですね。中国も高い犠牲を払ってWTOに入りたいというのは、相互依存の国際経済との協調性が自分たちの将来にとって重要だということが分かっているからなんです。
 グローバリズムを言っている人も、中国経済をコントロールしようなどと思っているわけではなくて、中国もそれに乗ったほうが経済が発展しますよ、ということを言っているだけです。民主化の努力も、クリントン大統領が「アメリカの外交政策の目標は市場経済と民主化である」と言ったことに対して、中国は、米国の狙いは和平演変ではないかと受けとったかもしれませんが、そんなことまで米国がたくらんでいるわけではないと思います。その辺、まさに中国と交流する人たちは中国も周りの国も相手が現状破壊的という考えを持たずに話し合うのがいいと思います。
岡部 中国から見た外部が、中国に対して脅威的であり、現状破壊的であるという見方を中国が持たざるをえない状況があることは確かなんですね。先ほどのユーゴ爆撃の例にしても、ロシアのチェチェン共和国もそうですが、チェチェンでロシアの立場は正しい、ユーゴでは米国の立場あるいはNATOの立場は正しくないと中国は言う。それは、いずれも内政に干渉するかしないかという、そこで決まっているわけですね。そういう中国の考え方からすると、外部は中国の内政にも干渉してくるだろう、現状破壊的であろう、ということになる。
 それからグローバリゼーションについて申しますと、私は一九九九年一〇月に中国に行ったときに改革派の学者とかなり話をしたのですが、そのときに九〇年代最初においては、彼らの用語を使えば「全球化(グローバリゼーション)」について楽観的な考え方が多かった。ところがいまはそれを批判的に見る見方が出はじめていると、しきりに強調していました。まさにアジアの通貨危機から始まって、あの一連の動きを見たら、中国だってぼんやりしていられないということになるわけですからね。中国にとって外部が脅威的に見えるということを、中国以外の国は理解すべきだと思います。WTO関連で田中さん、いかがですか。
田中 複雑な感情を持ち、やや古典的な国際政治観を持つ中国と国際社会のなかで共存して、できれば共栄の道に向かうためには、中国をWTOという重要な国際レジームのなかに迎え入れるのは必要なことです。中国の国内でそのために相当の犠牲を払ったという意識が出ているけれども、WTO加盟の道をつけることができたのは望ましいことだと思います。
 ただ、グローバリゼーションに対する悲観論がやや高まっているなかで、WTOに加盟して、それで目論見どおり二〇〇〇年から二〇〇一年にかけてアジア経済の復活とともに中国もまた繁栄の道をたどっていければ、それはいいことだと思うんです。が、いまたぶんアジア経済のなかでいちばん懸念されるのは中国経済の動向です。アジア経済がそれなりに回復したなかで中国経済だけ回復軌道に乗るのが遅れて混沌とした状況になるようなことがあると、WTO加盟について急ぎすぎたという意見が出てくるかもしれない。そういう面で言うと、WTO加盟は懸念材料ではない、とは言いにくい。
外圧として働くWTO
田中 ではWTOに入らなければよいか、と言われると、そうではない。周辺諸国にとってみれば、入らなければ中国経済が悪くならないかと言ったらそれもない。アジアや米国の役割は重要です。WTOに中国に入ってもらう。そのあと中国経済がこれからもかなりの難題をくぐり抜けていくなかで、日本やそれ以外の国々が中国経済が変調しないようなかたちの協調的な態勢を経済面でも積極的に作っていく。そういうかたちでしか、中国国内でもWTO加盟を評価する話は出てこないでしょう。全般的にも、日本のような国の利益からすればグローバリゼーションのいい面が出てくるのがいいわけですから、中国の人々が「グローバリゼーションというのは悪い面もあったけれども、結局は中国にとってもよかった」という認識で推移していくようにしていかないといけない。
 そういう面で言うと、いま直ちに断定できないのですが、周辺諸国、とりわけ日本などは今後のアジア経済の運営などについてかなりの責任があるのではないかという気がします。
國廣 中国がかつての日本だったら考えられなかったような大きな譲歩をしてWTOに入ろうとするいちばん大きな理由は、国の権威だと思うんですね。世界でいちばん重要な貿易機構に自分たちが入っていないということは「あるべき姿」の中国ではないということ、それがいちばん大きかった。
 経済的にも、日本の経験から言って、WTOのルールによって国のなかを変えていくと経済は発展しますね。中国もきっとそうです。朱鎔基首相はそういうことが分かっている。むしろ国内はいろいろなしがらみがあって動かないから、WTOのルールに従って中国経済を変えていかなくてはいけないということを国内に働きかけ、それによって中国の経済の体質をよくしようとしているのではないかとも思われます。
 米中合意ができたとたんに出た英字紙の論調は、WTOに入ることと入ってルールを守ることは別だということでした。だからWTOのメンバーになったらWTOのルールをいかにして守らせるかが重要なのであって、中国がなかに入って居座り、WTOを逆に変質させるということになったら駄目だという解説ですね。
 しかし、ここで注意を要することがあります。確かにそういう心配はありますが、米国は一〇年ぐらい前に日本に貿易摩擦を仕掛けてきましたね。当時、日本は米国の要求に耐えざるをえない状態にあったし、米国の言っていることのほうが本当は正しいと言う人も多かった。一部の人は頑固に反対していましたが、日本は世論は成熟していた。しかし、中国の世論は未成熟で、いろいろな反応の仕方があると思うんです。また当時の日本と比べて経済力も弱いと思うんです。だからWTOのルールをそのまますぐに引っ張りだして、中国に圧力をかけるというようなことをすると、逆効果のほうが大きいと思います。
 したがってこれから一〇年か二〇年の期間で考え、中国経済の発展レベルなども考慮しつつ、少しずつ時間をかけて中国をWTOのルールに合った国に誘導していくようにしていくべきです。「この業界がこれを問題にしているから、その解決を要求する」といった、一時の米国のシングルイシュー的な突っ込み方をすると、悪い結果になると私は思います。
岡部 そうですね。本当に中国の置かれた状況をよく考えたうえで、中国にとってもわれわれにとってもいいという政策を見つけていかないといけないわけです。中国はメンツの国ですから、強圧的な態度は非常に悪い影響を及ぼしますね。そうでなくて、改革を促進したい朱鎔基という人がいるわけですから、彼が改革を促進できるような環境と状況をわれわれもつくっていくことが大事です。
國廣 彼と同じ考えの人たちもいますよ、若い人で。
岡部 そうですね。そういう人たちを勇気づけるようなかたちの対応をしていくことが重要だろうと思います。
短期的成果を求める米国
田中 ただ、これが結構むずかしいかもしれないのは、一方に米国という国があって、米国ほど現在世界のどこにでも影響力がありながら、短期的に見て予測不可能な国もめったにないわけです。特に米国の国内政治がどう動くかによって、世界に与える米国の影響が非常に大きく変わる。米国という国は長期的に見ると、変なことをすることはあまりないと思います。しかし短期的に見ると、米国内の政治動向の組み合わせによっては、あとから考えていかがかと思うようなことをするわけですね。
國廣 それを米国自身は吸収できるんですよね。
田中 ええ。それで米国自身はそんなに困らないんです。対外関係が変なことになっても。
國廣 そうなっても二―三年のうちに、またバランスをもとにもどすことができます。
田中 いまのところ短期的に見ると、WTOの件に関連して、貿易摩擦をめぐって中国に圧力をかけてやれ、という人たちが米国の国内にそんなに多くはいないように感じます。ただ、台湾問題とか国内の政争の絡みがある。クリントンの対中政策に批判的な人たちがいて、それに核開発技術を中国が盗んだという問題などいろいろ絡まりあって、一九九八年に比べれば九九年は反中国的ムードが米国で強いわけですね。そうすると、二〇〇〇年の段階でこれと貿易問題が絡まりあってくると、かなり問題になるかもしれないですね。
岡部 米国は選挙の前はいろいろな意見が出て、クリントンを批判する。クリントンの中国政策は恰好の攻撃材料になるわけですから、いろいろなことを言うだろう。それをわれわれさえもが全部本気に受け取って、米国は自分中心で、米国が反中国的になったという印象を中国に与えるのはいちばんまずいことになると思いますね。
田中 中国の識者は米国の情報にもこの頃は詳しい。アメリカ人が選挙の年に言っていることを全部真に受ける必要はないと分かっていると思うんですよ。ですがコソボ事件以来、中国社会の多元化の影響で、中国国内のマスコミが米国の動きをやや過大にあおって報道しているところがありますね。そうした点には注意していないと危ないという気がします。
岡部 日本のマスコミもそういう役割を果たした。日米安保共同宣言以降の新しい日米防衛協力の指針(ガイドライン)をめぐる報道は、そういう問題に関して中国を硬化させてしまったわけですね、中国の当初の反応は硬くなかったわけですから。いまの中国の新聞にしても出版される本にしても、見ますと、中国の言論はかなり多様化している。ですから、そのなかで主流派がどこにあるかを見なくてはならない。
 そうしますと、そこで米国と日本との間に決定的に差がついてくるのは、中国の主流にはアメリカ留学帰りがたくさんいるわけです。彼らは米国のことは分かっている。どこまで発言権があるかどうかは別として。日本留学帰りという人もいますが、日本に対して好意的なことを言うと批判されるという心配が先に立って、故意に日本に対して硬いことを言うという現象があるんですね。これをなんとかしないことにはいけない。一つの方法は、アメリカ帰りの人たちに日本をもっと知ってもらうということではないかと、日中関係の人々の間でも言っています。
 そういうことになると、本当に日本のことを知っている人は中国国内で一体どうなるのかという問題も出てくるわけで、この辺、日本にとっては非常にむずかしいところだと思います。
國廣 問題提起のなかで、「今後の中国の行方を左右するのは、外部の対応の仕方、特に日米のそれにかかっている」という部分についてですが、岡部先生がおっしゃろうとしていることは賛成です。私自身もたびたびこういうことを言ってきましたが、強調されなくてはいけない点だと思います。
内因としての中国社会の多元化
國廣 ただ基本的には、中国の行方は中国国内のダイナミクスによって決まるのだと思うんです。それを前提として、しかし、中国の国内のダイナミクスに外部の中国に対する扱い方が重要な影響を及ぼす。当面、中国では共産党一党独裁が続くでしょう。急には変わらないと思います。が、世代の交代がありますし、情報・経済のグローバル化で、中国は徐々に民意を吸収する体制に変わっていかざるをえないのではないでしょうか。現在でも、村のレベルでは選挙をやっていますし、全国人民代表者大会(全人代)のなかでも前よりはいろいろな議論が行なわれています。これからも少しずつ変わっていくだろうと思います。このまま徐々に変わっていったときに、より民意を考える政権、願わくば反対政党もあるのがいいでしょうが、そう変わっていったら、中国の政権は国際協調により重点をおくようになるのではないか。
 国民大衆はいまは国威発揚に熱心ですが、いずれ国民生活にもっと気を配るようにという要求が出てくるでしょう。社会福祉をどうしてくれるのか、われわれの老後はどうなのか、ということのほうが重要でしょうから。米国と競って軍需品にばかりお金を使っているのはよくない、もう少し考え方を変えるべきだという意見が強くなってくるのではないかと思うんです。
 私はこういう計算をしてみたんです。中国の軍事費は国家予算のなかの一〇%ぐらいで、国内総生産(GDP)の一%ぐらいだというのがよく言われていることです。それに対して、それは表に出ているお金であって、実際はその二―三倍、多く見る人は四―五倍も軍備にお金を使っているという議論もありますが、それは別にして、中国の国家予算を見ますと、中央政府の予算約七四〇〇億元から国債の償還と地方政府に渡すお金を引いたら、残りは二八〇〇億元です。そのなかで国防費が一〇〇五億元です。日本の予算でもそうでしょう。八〇兆円の予算があっても、実際に使えるお金は四〇兆だと。中国も同じような状態にあって、中央政府が自分で使える予算のうち軍事費の占める割合が三七%にもなっているわけです。
 ここまできたら国民一般も「もっと自分たちのためになることに使ってくれよ」ということになるのではないか。われわれとしてはそういう方に民意が進むことを促し、逆に「そんなことを言ったって国威発揚や国の主権をどうして守るかが問題だ」という議論が収まるようなアプローチの仕方をするべきだと思います。
岡部 それはおっしゃるとおりで、中国的に言えば「内因が主か、外因が主か」ということになるのですが、もちろん内因が主であるということはおっしゃるとおりです。ただ内因をどういう方向に動かすかという面で、われわれ外部ができることは何か、できる範囲のことを考えるべきだと思います。
田中 中国人の自由があるわけだから、中国国民が自由意思で「われわれはアメリカと競う超覇権大国になるのだ」と決めるのだったら、周りの国はそれで対応するしかないです。
 ただ、そうならないほうがたぶん中国にとっても周りの国にとっても、お互いにとっていいということを、常々われわれは言うしかない。
岡部 中国の内因に関して言えば、国慶節の閲兵式の中継をテレビで見ていたのですが、参観した人にインタビューしているわけです。するとみんな上気していて、「ここまでわが国も強くなったか」といった発言がありました。ただ、実際に中国に行って情報を聞きますと、壮大な浪費だという議論も結構ある。だから、中国が多元化していくことは当面、日本の戦前の二元外交みたいなものを思い出して嫌な気がしないでもないのですが、終極的にはいいことであると私は思います。
田中 周辺諸国にとって困るのは、中国が富強を達成した暁には冷戦の最中の米国のような国になれるんじゃないか、と上気した人たちが錯覚することですね。やはり米国のような強大な国でも、冷戦があったからいまの米国ができたと思うんです。しかし、中国のGDPが米国と同じになっても、米国と同じような軍事力を短期間で持つのは不可能です。過去五〇年にわたって世界最大のGDPを維持してきたそのストックから出てきたものがいまの米国の軍事力ですから、中国がこれほどの軍事力をもつことは不可能です。そこのところを中国が錯覚しないで欲しい、ということだと思います。
地域安全保障―ARFと日米安保のセット
田中 いま、アメリカ人と同じような生活水準を得るために米国と同じような軍事力を持つ必要はありません。世界中のほとんどの人はアメリカ人の軍事力にただ乗りしているわけですから、中国人もただ乗りしていればいちばんいい。そのあたりの損得勘定を考えていけば、二一世紀中葉に富強になったからといって中国が覇権主義になる必然性はまったくない。
岡部 実際にはアメリカ帰りの、主流になりつつある若手の人たちのなかには、よく分かっている人がいるわけです。こういう人たちが表に出てくれば、軍事大国化などということは考えない。中国は、国民生活の向上、経済的な困難など、大変な問題を抱えています。それを中国人に言うと、中国人はあまりたくさん問題があって、それでいままでなんとかやってきたからそんなに気にならないんだ、と言うんですが、結局、あまり無理はできないと言えるだろうと思います。
國廣 中国人に「自分は軍事力を十分に持っていないから、こんな屈辱を強いられるんだ」と思わせないような時期が続けば、変わってくると思います。私はもう二〇年ぐらい続けば、変わってくると思います。
岡部 安全保障の問題については、私はARFがやがては協調的安全保障の担い手になる可能性を持っていると思います。しかし、協調的安全保障ですべてが解決できるわけではありません。ですから、日米同盟というものが重要になって、そこに中国が協力してくれないと困る。簡単に言えばそういう議論を出しました。
田中 日米安保共同宣言が一九九六年に出て以降、中国の方から日米安保に対する批判の声がやや多く出た。もちろんそれは中国の人から見て当然持つであろう懸念をそのなかに含むということはあります。が、日本のマスコミなり日本の側で、日米安保共同宣言が含意するところについて、あまりにも不安をあおるような意見がみられた。もし、日本政府が最終的に言ったようなかたちで、「日米安保は不安定性とか不確定性に対処するためにあるのであって、そのためにはいろいろなことを準備しておかないといけない」という常識的な論調であればよかった。しかしそうではなかったため、中国側の不信感が不必要に大きくなってしまった面があります。
 中国人は、自国の国防力は重要だということを否定しない。同様に、日本も最低限度の自衛力と日米安保で対応していきます、ということを冷静に言っていればそれでお互いに合意できたのではないかと思うんです。現にいろいろあった結果、一九九九年ぐらいになって、日本の側で議論が成熟してきた。いま、中国の方はこれについて極端に批判的なことを言っているわけではありません。ですから、日米安保のフレームワークは、中国が持っている国防力と同じような機能を果たしているのだということで、中国に了解してもらえればいい。あとは、信頼醸成なり予防外交なりの枠組みを作っていくことは建設的に行なっていけるのではないかと思います。
國廣 そうですが、中国が常に質問するのは、台湾のためにこれが使われるのではないかということですね。
 岡部先生が言われた「日米関係をイエスもノーも言える関係にしておくことが大事」だという点は、もう少し解説が必要ではないかと思います。つまり、そうした関係に日米関係をおくためには、日本が米国から十分な信頼を得ないと駄目なんですね。いままで日本がしてきていること、しえないでいることを考えれば、例えば沖縄の基地について日本の政治家が強くノーと言っても、米国が「なるほど、そういうことでノーなのか。ではアメリカの方でも考え直そう」とはならない。日本側の発言がそれだけの迫力を持つような十分な信頼関係にはないのではないでしょうか。そういう関係になるためには、まず米国との間でしっかりした協力関係を作っておかないとならない。それが第一点です。
 第二点は、日米安保条約には事前協議の条項があるということです。本当に日本にとって切実に困ることはノーと言いますよ、ということは安保条約の仕組みとして存在するわけです。しかし、この点を強調しすぎると、中国は、そこを揺さぶったら日米離間が可能なんだと思ってしまうかもしれない。いまの安保体制は、中国がソ連と対立していたときに中国が「日米安保条約も結構です」と言っていた時代とは違う。だから、事前協議条項をめぐって、中国が日本を揺さぶれると思わせても日本の国益にもならないし、アジアの平和のためにもならない。この二点、私はこの部分で解説が必要だという気がしました。
民主化が台湾問題を質的に変えた
岡部 私が日米同盟についていちばん懸念するのは、台湾です。万が一台湾問題で中国が武力侵攻してくる。それに対して米国が、出るか出ないか分からないわけですが、仮に出るとする。その後方支援を日本がするというと、中国から見れば自動的に日本は敵国となりますから、日本に対して攻撃してくる可能性がある、ということになってしまいます。そういうことは避けなければならない。そのためにはもちろん、日米間の信頼関係が重要であるし、日米と中国との間のコミュニケーションも十分になければならないということだろうと思います。
 それから日本がノーと言えるということを、それだけ取り出してみますと石原慎太郎さんみたいな話になってしまいます。その場合、中国はおそらく、まだいわゆる「ビンの蓋」論に固執している。日本独自の重武装のほうが恐いという感じが中国側にあるように思います。
 ですから、先ほど田中さんも言われたのですが、中国側でも日米同盟のあり方、役割について、論調が常識的な線に落ちついてきたと私も思っています。それは中国側に、やはり日米安保条約があったほうが日本が台頭しなくていいという考え方があるのと、日米同盟でいちばん重要な問題はやはり台湾だという見方が強くなってきているからではないだろうかと感じます。ですから、日米安保条約は日米離間を誘発するということは、私は考えていないんですね。ただ、そういう論調が中国で出てきていることは事実です。
田中 日米安保体制のもとで地域的協調的安全保障システムを作るのは望ましいし、現在の中国の動向もそれに向けては悪い状況ではないと思います。が、やはり唯一懸念があるとすると台湾問題ですね。台湾問題がやっかいなのは、いま起こっている台湾問題は一九八〇年代末までの台湾問題とは違うということなんです。基本的には、台湾で民主化が起こった、民主化した台湾を中国がどう扱うのかというところが、中国にも難問を突きつけているし、周辺諸国にも難問を突きつけている。これに対して容易な解答がないということだと思います。
 安全保障面で言うと、かつて実態は、台湾海峡両岸が独裁政権であった。ここで武力紛争が起きるか起きないかは、ひとえに軍事バランスによる。お互いが何と言おうと、軍事バランスが安定していれば武力紛争は起きないし、どちらかが勝てると思えば攻めていく、ということだったと思います。ところが民主化した台湾のなかでは、台湾の人々の一言ふた言が大きな意味を持ってきて、その処理を誤ると、軍事バランスと関係なしに武力行使が行なわれるかもしれない。
 ただ、いまの中国軍に台湾への全面侵攻能力はないですから、軍事合理的に考えるとそんなことをするはずはない。ですが、ある種の発言に対して「これは許しておけない」ということで、なんらかの手段を出さないことには中国国内の共産党政権の正統性が維持できないということになったときに、限定的な軍事力行使をしないという確信を周りは持てないわけです。そのときにどうしたらいいか、難問です。唯一いま思えるのは、中国と台湾の間でお互いにできるだけコミュニケーションを密にしてもらって、不規則発言なり――ひょっとすると意図する発言かもしれませんが――によって不必要な武力対立にならないようにしてもらいたいということでしょう。周辺諸国、日本や米国でも、どちらかをアジテートするということもできるだけ避けなければいけない。
國廣 まったく仮定の話ですが、台湾が現実に独立する行動をとらないのに中国が一方的に武力行使した、というような事態になったとすれば、一億二〇〇〇万人の日本人の中国観はものすごく変わると思います。それは日本のなかに大きな亀裂を起こすでしょう。これに対して日本政府がどうしたらいいか、見当のつかないような大きな波がおそってくるのだと思います。また、国際世論はおそらく天安門事件だとか東ティモールの問題とはまったく違う次元の反応をするでしょう。そのときに、国際社会との関係で日本がその埒外に自分を置けるかという問題が生じると思います。これが私はいちばん深刻な問題だろうと思います。シーレーンは回ればいいんですから、よけいにコストがかかるだけの問題です。が、この政治的反応は非常に大きな問題です。さらに米国が武力で対応しようとすると、具体的に日本の基地がどう使われるかという考えたくない問題もあります。
 他方、民主化された台湾がどういう行動に出るかもよく分からない。したがってわれわれはそういう事態に向わないように努力するしかありません。
台湾のジレンマ―中国との「平和的」対話・関係
國廣 それではどういう努力の仕方があるかということです。あるとき台湾の人に、「日本は平和的話し合いを中国に強調している」と言ったら、その人は「それがわれわれにとっては問題なんだ」と言うんです。つまり中国が武力統一の意志を捨てていないにもかかわらず、米国の教授たちがやって来て平和的話し合いをせよと言う。「そういう圧力はわれわれをものすごく不安にした」と言うんです。
 私は、「平和的話し合い」というのは非常にポジティブな意味でとらえていたんですが、いまの台湾の人たちの心理から言うと、「話し合い」による妥協にわれわれは追い込まれている、と言うわけです。中国側の状況と事情にかかわらず、中国と是が非でも対話をしなければいけないというのか、と。こういう複雑な心境なのかと考えさせられました。
 日本は中国と国交正常化したときの(中国は一つで、台湾はその不可分の一部であるという中華人民共和国の立場を理解し尊重するという)立場があります。それは守らなければなりません。しかし、中国と台湾の関係を具体的にどうするかは、中国人同士の問題として自分のぺースで話し合ってください、と言い続けるしかありません。
岡部 シーレーンの問題についても、台湾問題は中国の内政問題だと中国は言うけれども、あそこに公海(EEZ)があることを忘れないでもらいたい。実際にそこが航行できなくなれば迂回すればいい。ですが、そうした現実問題よりもむしろ、中国の人に、武力行使すると台湾問題が国際化します、だから武力行使は決していいことになりませんよ、と言っている。
 それから台湾の独立運動をしている人に対しては、台湾が独立したとして、それが永続できるためには、中国と友好・平和の関係になければできませんよと言っています。その友好・平和的な関係をどうやって築きますか。その対策があって独立を主張していますかと聞くと、だいたい返事ができないんです。それを台湾の人には言い続けるということ、これが重要なのではなかろうかと思います。
國廣 台湾の人も、中国が実際にミサイルを撃ち込んでくるかもしれないという危険を冒してまで独立を主張するということはないと思うんです。
田中 民主化された台湾社会で、いまの台湾のほとんどの人はわりとマイホーム主義だから、中台危機と言ったって、周りが心配するほど台湾のなかにいる人は心配していないかもしれません。しかし、民主化した国際社会のなかで、いまの台湾の指導者が受けている扱いに対して、他の民主主義諸国に住む人間は答える術がないですね。「あなたたちは運が悪い」ぐらいしか言えないですね。どうして自分たちの指導者が、隣の国にも行けないのか、国際会議にも出られないのか。そういうことに対して、普通の民主主義原理からすると答えはない。台湾人が好きなようにやったら、中国が武力行使をするかもしれない。そのときの事態は予測不可能になるのだから、台湾が自由に独自に行動するのは止めたほうがいい、としか言えない。
 もちろん、中国の側が発想を転換して、例えば武力行使を放棄すれば、事態は相当変わるかもしれませんが、短期的に見てそういうことは考えられない。そうなると先ほど岡部先生がおっしゃったようなかたちで、中台双方に損得勘定で考えていただくことしかないですね。
国廣 それと米国ですね。アメリカ議会で中国に批判的なことを言う人たちが、やはりもう少し考えを致して欲しいですね。批判論ばかりではなくて、国益の損得勘定をして欲しいと思います。
岡部 中国内部で考え方を変えてもらうとすれば、とりあえずは連邦制とか、そういう方向で考えてもらうしかないと思いますが、考えが変わるまでには何十年もかかるでしょうね。
田中 それに連邦制というと、連邦制というのは日本人が考え出して李登輝に売り込んでいるんじゃないかなどと、すぐ言われるわけですよ。
國廣 それとやはり、中国の経済水準が上がるということでしょうね。経済水準が上がって、中国のなかでも法秩序が保たれ、中国社会もより信頼しうるということになれば、台湾の人々も今みたいに「鬼の家に養子に行く」ようなふうに考えなくてすむわけです。そうなったときはだいぶ考えも変わっていくのではないかと思います。
 さらに政治的には、連邦制のような新しい発想が出てくればまた変わってくるでしょう。が、とりあえずは時間がたつことは中台双方ともに有利だ、という環境が続くことが必要だと思います。一部のアメリカ人は、「暫定的措置により解決しよう」と言っていますが、暫定的措置なんて容易にできるはずないと思います。早く決めないといけないという感じではなくて、時間をかければ物事は決してお互いに不利になってはいかないという話の仕方をすべきではないでしょうか。
岡部 それはアメリカ人にとっては不得意なものの考え方ですね。
田中 大統領選挙ごとに物事が決着していかないと困りますからね。
國廣 その政権ごとに雇われている人たちですから、雇われている間に成果を上げないといけないという心理が働く。米通商代表部(USTR)は一つのイシューで突っ込み、特定案件だけ集中的に処理しようとする。そして、その結果と成果を重視する。そういうUSTR的な突っ込み方を台湾問題についてしてはいけないですね。
田中 やはり中国にしても米国にしても、中台双方の指導者同士が接触する機会をなんとか増やすようにすべきだと思います。台湾は民主主義国になりつつあるわけだから、台湾の指導者に会わないとか、台湾の指導者をよその国の指導者に会わせないということをしていると、悪い影響が出ると思うんですね。先ほど國廣大使がおっしゃったことで言うと、李登輝の「特殊な国と国の関係」論発言にしても、アメリカ人が台湾に対して中国と「話し合え」とプレッシャーばかりかけて、それでいて台湾の指導者はアメリカ人の指導者とはほとんど会えないわけだから、アメリカ人と李登輝との間の不信感も高まっているんですね。
 まさに、この辺こそ信頼醸成が必要なんで、その辺は日本とか外国人が言うと内政干渉になるから言えないのかもしれませんが、中国の指導者はそういうところをできるだけ考えて欲しいような感じがしますね。
岡部達味(おかべ たつみ)
1932年生まれ。
東京大学大学院修了。
東京都立大学助教授、教授を歴任。現在、東京都立大学名誉教授。
国広道彦(くにひろ みちひこ)
1932年生まれ。
東京大学法学部卒業。
外務省入省。外務審議官、インドネシア大使、中国大使を歴任。
現在、JR東日本顧問。
田中明彦(たなか あきひこ)
1954年生まれ。
東京大学教養学部卒業。米マサチューセッツ工科大学大学院修了。
東京大学助教授を経て、東京大学教授。東京大学東洋文化研究所所長。
 
 
 
 
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