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私はこう考える【中国について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2004年10月号 東亜
江沢民は中央軍委主席を辞任
慶應義塾大学教授
小島朋之
 
 中国共産党の第十六期四中全会(第四回中央委員会全体会議)が、九月十六日から十九日まで開かれた。会議は胡錦濤総書記が政治局の工作報告を行い、「党の執政能力建設の強化にかんする党中央の決定(草案)」を審議・採択するとともに、党中央軍事委員会の江沢民主席による辞任願いを承認し、後任に副主席の胡錦濤国家主席兼党総書記を選任した。本稿では以下において、江沢民主席の辞任を中心に四中全会について検討する。
江沢民主席の辞任は秘密厳守
 四中全会は党中央軍事委員会の江沢民主席による辞任願いを承認し、後任に副主席の胡錦濤国家主席兼党総書記を選任した。会議の開催前に、海外の一部メディアは江主席の辞任説をしきりに報じていた1。しかし、中国側の事前の公式報道は四中全会にかんして繰り返し言及していたが、この人事問題については完全に沈黙を守っていた。
 今回の四中全会は七月下旬には、開催時期と議事日程が公表されていた。七月二十三日の政治局会議は四中全会を九月に開催し、中央政治局による中央委員会への工作報告、「党の執政能力建設の強化」問題と当面の経済情勢や経済工作にかんする議論と研究を議題とすることを決定するとともに、公表したのである2。そして九月七日に開かれた政治局会議は、四中全会の議題である「政治局工作」を討議し、「党の執政能力建設の強化などの問題を研究した」3。これが公表されるとともに、四中全会が九月十六日から十九日に招集されることも報じられた。
 ところが、江沢民主席の辞任問題は事前の報道が規制され、四中全会閉幕後に公表されたのである。九月七日の政治局会議では「政治局工作」や「党の執政能力建設の強化」以外に「その他の事項も研究した」と報じられたが、江沢民辞任問題は「その他の事項」に含まれていたのであろう。
 胡錦濤政権は公開性や透明性を重視する報道改革を指向してきたが、江沢民辞任については事前の公表を回避した。回避した理由はこれが公表を避けるほどに微妙で、政局に大きな影響を及ぼしかねない問題とみられたからであろう。
 

1 たとえば“China Ex-President May Be Set to Yield Last Powerful Post,” The New York Times, September 7, 2004.
2 「中共中央政治局召開会議、決定召開十六届四中全会」『人民日報』二〇〇四年七月二十四日。
3 「中共中央政治局召開会議、討論擬提請十六届四中全会審議的文件」『人民日報』二〇〇四年九月八日。
辞任は江主席の自発的決断?
 辞任はかたちのうえでは、江沢民主席の自主的決断と報じられた。江主席の面子を尊重し、江沢民支持勢力による巻き返しを極力抑えて、政局の混乱を避けるためであろう。
 公式報道によれば、江沢民主席は九月一日に辞意表明の書簡を党中央政治局に送った。書簡の中で、江主席は「党と国家の高級指導層の新旧交替の制度化、規範化と秩序化の実現を考慮して」、「一貫して指導ポストから完全に引退することを希望し」、二〇〇二年十一月の十六全大会前に「中央の指導職務を再度担当せず、中央委員会から退く」意向を党中央に提出したというのである。しかし、この意向は認められたが、党中央は同時に党と国家の中央軍事委員会主席への留任を決定したと説明するのである1
 しかし、十六全大会以来の「実践」は「胡錦濤同志を総書記とする中央指導集団」が「素晴らしい業績をあげ、改革・開放と複雑な局面を耐え抜くことができることを証明した」。それゆえに江沢民主席は「慎重に考慮した結果、現在の職務から退きたいと希望し」、「それが党、国家と軍隊の事業の発展に有利である」として辞任を中央が受諾することを希望した。そして、中央軍事委員会主席の後任として胡錦濤副主席を推薦し、彼がこの職務担当として「完全に合格し」、「党による軍隊に対する絶対的指導の堅持という根本的な原則と制度に有利である」と表明するのである。
 四中全会は江沢民主席の辞任願いに同意し、「江沢民同志が党のため、国家のため、人民のために尽くした傑出した貢献を高く評価した」。そして胡錦濤を後任の主席とすることを決定し、この決定が「党による軍隊に対する絶対的指導の根本的な原則と制度の堅持に有利である」とみなした。
 四中全会は江沢民に対して最大級の賞賛を表明し、一九八九年六月の総書記就任から辞任の二〇〇二年十一月までの十三年間にわたる党と国家の「巨大な成果」について、「江沢民同志のマルクス主義政治家の雄大な戦略、カギとなる役割と卓越した政治的指導芸術と切り離すことはできない」と指摘した。もちろん「とくに彼が全党の知恵を集中して創立した“三個代表”重要思想」も賞賛するとともに、今回の主席辞任を「党と国家の事業の発展に対する深慮遠謀」と「真の共産党人の広い心」を体現していると高く評価するのである2
 四中全会の閉幕後、会議出席者たちと会見し、江沢民は「まことにうれしい」と語った3。そして辞任願いの承認や長年にわたる彼の工作に対する支持と援助に感謝するとともに、「胡錦濤同志を総書記とする党中央の指導の下で、工作に努力し、ひきつづき前進することを願っている」と表明した。胡錦濤総書記も江沢民の挨拶に対して、「本日はわれわれみながまことにうれしい」と応じた。江沢民が「われわれ新しい世代の中央指導集団の工作に対して与えた支持と援助に衷心から感謝する」とともに、「崇高な敬意」を表明するのである。
 

1 「江沢民同志請求辞去中共中央軍事委員会主席職務的信」『人民日報』二〇〇四年九月二十日。
2 「中共十六届四中全会在京挙行」『人民日報』二〇〇四年九月二十日および「中国共産党第十六届中央委員会第四次全体会議関於同意江沢民同志辞去中共中央軍事委員会主席職務的決定」『人民日報』二〇〇四年九月二十日。
3 「胡錦濤江沢民会見参加党的十六届四中全会的全体同志」『人民日報』二〇〇四年九月二十日。
胡錦濤主席は「班長」程度?
 江沢民、胡錦濤いずれも「まことにうれしい」と喜びを表明したように、まことに円満な自発的辞任であるということになる。しかしながら、それにしては、江沢民は後任の胡錦濤に対して、小平が後任の江沢民に賦与したほどのお墨付きは与えないままである。
 小平の場合、天安門事件後の一九八九年六月二十三日から二十四日に開かれた四中全会で江沢民を総書記に抜擢する前に、「いかなる指導集団にも一人の核心が必要であり」、「第三世代の指導集団にも一人の核心が必要であり、いまみなが同意した江沢民同志がそれだ」と語っていた。そして同年十一月六日から九日に招集された五中全会に向けて政治局宛に書簡を送り、中央軍事委員会主席を退き、後任に江沢民を推薦した。その書簡のなかで、「江沢民同志を頭とする指導核心は、すでに卓越した成果をあげて工作を展開している」と称賛していたのである1
 しかし江沢民は辞任願いの書簡でも、従来からの「胡錦濤同志を総書記とした中央指導集団」という位置付けを踏襲したままである。四中全会閉幕の翌日に招集された中央軍事委員会拡大会議では、「党の総書記、国家主席、軍事委員会主席の三位一体というこの指導体制と指導形式は、われわれのような大きな党、大きな国にとっては、必要なだけではなく、最適な方法だ」とのべて、胡錦濤による党・国家・軍の三権独占を肯定した。それにもかかわらず、“胡錦濤同志を核心とした中央指導集団”とはいわない。「錦濤同志は中央指導集団の領頭人(フロントランナー)であり、班長であり、また軍委指導集団の領頭人であり、班長である」というのである。「核心」に代わる新しい呼称であるが、「領頭人」はまだしも、「班長」のニュアンスには議論の余地がありそうだ2
 やはり、自発的な辞任の形式をとってはいるが、江沢民に主席の自発的辞任を決断させたのは辞任圧力を含めた四中全会前後の状況であろう。
 党中央委員クラスの年齢制限が七十歳であり、その厳格な適用を貫いて二〇〇二年当時の朱鎔基総理をはじめとして七十歳前後の指導者たちほとんどが引退したにもかかわらず、七十歳をすでに超えていた江主席だけが中央軍事委員会主席に留任した。辞任圧力とは、一介の平党員でいまや七十八歳にもなっているにもかかわらず、主席に居座り、院政を敷く構えを崩していないことへの違和感の深まりがそれだ。
 圧力はたとえば、江沢民主席に主席の座を譲った小平の自発的な引退を事例に辞任を促すのである。小平は、一九八七年九月の十三全大会で中央軍事委員会主席以外の指導ポストから退き、この主席の座についてもほぼ二年後の八九年十一月には退いた。小平が八九年六月の天安門事件直後に上海市党委書記の江沢民を党中央総書記に抜擢し、それから五カ月後の同年十一月の第十三期五中全会で党中央軍事委員会主席を引退して江沢民を後継者にし、さらに翌年三月の全人代で国家中央軍事委主席も江沢民に譲ったのである。
 

1 中共中央文献研究室編『小平年譜一九七五−一九九七(下)』中央文献出版社二〇〇四年一千二百八十一頁および一千二百八十八頁。
2 「江沢民胡錦濤出席中央軍委拡大会議」『人民日報』二〇〇四年九月二十一日。
辞任への圧力は高まっていた
 八月二十二日の小平生誕百周年の記念大会での演説において、胡錦濤総書記は「小平同志は早くから幹部指導職務の終身制の廃止を主張し、自ら率先垂範実践して、党の第二世代の指導集団が党の第三世代の中央指導集団に順調に移行する上で決定的な役割を発揮した」と指摘し、小平の決断を賞賛したのである1小平の事例を踏襲するならば、四中全会は中央軍事委主席から引退する二年の期限とほぼ合致するということである。
 軍内でも、江沢民引退への圧力が強まっていた。昨年八月一日の建軍節を祝うレセプションでは曹剛川国防部長は「党による軍隊に対する絶対的指導」とともに、軍隊が党中央と中央軍事委員会だけでなく「江主席の指揮に従う」ことも明言した。しかし、今年の建軍節レセプションでは「党による軍隊に対する絶対的指導の根本原則と根本制度の堅持」を強調するだけで「江主席の指揮」には言及しなかった2
 九月十二日に中央軍委の郭伯雄副主席が西北を視察した際に、インターネットのサイトである『新華網』の見出しは「軍隊は断固として党中央、中央軍委および江主席の指揮に従おう」であった。しかし『解放軍報』は記事では「江主席の指揮に従おう」との発言を掲載したが、見出しは変更してしまった3。九月六日には、『ニューヨーク・タイムズ』紙が江沢民の辞任意向を報じたが、いまとなっては辞任を迫る意図的なリークといえなくもない。
 四中全会前日の九月十五日に開かれた全国人民代表大会創立五十周年大会には胡錦濤総書記を含めて政治局常務委員の九名全員が出席した。引退した長老指導者の喬石や李鵬たちも姿をみせたが、江沢民は欠席していたのである4
 しかし、江沢民を辞任に追い込んだ最大の圧力は、十六全大会から二年近くの間に胡錦濤政権が独自色を打ち出して、権力の掌握を図ってきたことであろう。江沢民が提起した「“三個代表”重要思想」の「偉大な旗幟を高く掲げる」ことで、江沢民の権威を神棚にあげて、代わって胡錦濤自身が提唱するバランス重視の「科学的発展観」の新たな行動指針への格上げを目指してきた。さらに目覚しい経済発展を実現したが、同時に格差拡大や環境破壊などの歪みをもたらした江沢民政権の成長最優先路線を軌道修正して、「以人為本(人本主義)」を重視する「親民」路線を標榜した。格差拡大の犠牲となった農民や労働者など「弱勢群体」の生活確保、「人間と自然の睦ましい調和」による環境保全などが強調されてきたのである。胡錦濤は十六全大会直後の一中全会で総書記に選ばれた際に、「江沢民同志の委嘱をしっかり受けとめる」と誓ったが、今回はそうした誓いは表明せず、「委嘱」の呪縛から解き放たれることになる。
 今回の辞任で江沢民の影響力が一挙に希薄化する、とみるのは早計であろう。なお中国政治の中枢である政治局常務委員会には江沢民グループが居座り、軍内中枢でも江沢民主席によって抜擢された将軍がほとんどである。胡錦濤主席だけが中央軍事委員会において文民であり、後はすべて軍人である。軍内に胡錦濤の影響力を確立するまでにはなお時間が必要であろう。しかし、最側近の曾慶紅国家副主席が中央軍事委副主席に入れなかったことに象徴されるように、江沢民の影響力は今後後退していかざるをえない。よほどの失敗や権力闘争の深刻化がないぎり、時代は胡錦濤・温家宝政権に寄添うことになる。
 

1 胡錦濤「在小平同志誕辰一〇〇周年紀念大会上的講話」『人民日報』二〇〇四年八月二十二日。
2 「国防部挙行盛大招待会 熱烈慶祝中国人民解放軍建軍七十六周年」『解放軍報』二〇〇三年八月一日および「国防部挙行盛大招待会熱烈慶祝我軍建軍七十七周年」『解放軍報』二〇〇四年八月一日。
3 「郭伯雄強調牢固確立“三個代表”重要思想指導地位」『解放軍報』二〇〇四年九月十三日。
4 「首都各界隆重紀念全国人民代表大会成立五十周年」『人民日報』二〇〇四年九月十五日。
党の執政能力建設の強化問題
 四中全会は江沢民の中央軍事委員会主席の辞任と胡錦濤の主席就任を決定しただけではない。会議は、胡錦濤総書記による第十六期三中全会以降の中央政治局の工作報告を聴取・審議するとともに、「党の執政能力建設の強化にかんする党中央の決定」を審議して採択した。「決定」草案の説明は、政治局常務委員の曾慶紅国家副主席が行った1
 「党の執政能力建設の強化」について、会議は「時代の要求、人民の要求」といい、「新世紀の新たな段階に入り、チャンスと挑戦が併存する中国内外の条件下で、党が全国各民族の人民を率いて小康社会を全面的に建設し、ひきつづき現代化建設の推進、祖国統一の完成、世界平和の擁護共同発展促進という三つの歴史的な任務を達成する」ために必要で、「中国社会主義事業の興廃と成否、中華民族の前途と運命、党の生死存亡と国家の長期的な安定に関わる重大な戦略課題である」と指摘した。
 「党の執政能力建設の強化」における「総体目標」として強調したのは、第一に「全党の共同の努力を通して、終始一貫、立党は公のため、執政は国民のための政党となり、科学的な執政、民主的な執政、法による執政をする執政党となり、真実を求め、実務的な態度で、開拓創新に努め、執政に努めて効率を高め、清廉公正な執政党となる」こと、第二に「終始一貫、“三個代表”を徹底し、永遠に先進性を保ち、さまざまな波乱・試練に耐えうるマルクス主義執政党となることをめざし、全国各民族人民を率いて国家富強、民族振興、社会調和、人民の幸福を実現する」ことである。
 そして「いまおよび今後一定の期間」の「主要任務と各項目の配置」について、会議は五点を定めた。第一に、「党の執政と国家振興のための第一任務として発展を堅持し、社会主義市場経済を制御する能力を不断に向上させ、科学的発展観を堅持し、社会主義市場経済の改革方向を堅持し、対外開放の水準を全面的に引き上げ、経済工作を指導する党の体制メカニズムと方式を整備しなければならない」。
 第二に、「党の指導、人民の主人公としての政治参加(人民当家作主)と法による国家統治(依法治国)との有機的な統一を堅持し、社会主義的な民主政治の発展能力を常に引き上げ、社会主義的民主の制度化・規範化・秩序化を推進し、法による国家統治という基本方略を徹底し、政策決定の科学化、民主化を推進し、権力の運用に対する制約と監督を強化し、党の指導方式を改革、改善しなければならない」。
 第三に、「イデオロギー領域におけるマルクス主義の指導的地位を堅持し、社会主義の先進的文化を建設する能力を不断に高め、マルクス主義理論の研究と建設を強化し、文化体制の改革を深化させ、世論の方向性をしっかりと把握し、思想政治工作を強化・改善し、教育と科学の発展にかんする事業を優先的に進めていかなければならない」。
 第四に、「すべての積極的な要素をもっとも広く、もっとも十分に引き出すことを堅持し、社会主義的な調和の取れた社会建設の能力を不断に高め、全社会の創造的活力を不断に増強し、各方面の利益関係を適切に調整し、社会管理体制の創新を推進し、新たな状況における大衆工作を強化・改善し、社会の安定を維持しなければならない」。
 そして第五に、「独立自主の平和外交政策を堅持し、国際情勢への対応や国際問題処理の能力を不断に向上させ、国際情勢の科学的な判断と戦略構想の水準を向上させ、国際問題処理における主導権を掌握し、国際社会との交流を強化し、国家の安全を断固として維持しなければならない」。
 

1 「中共十六届四中全会在京挙行」『人民日報』二〇〇四年九月二十日。
ソ連共産党解体は深刻な教訓
 なぜ、いま「党の執政能力建設の強化」問題なのであろうか。
 この問題は十六全大会直後の一中全会で、胡錦濤総書記が提起していた。今年に入ってからも、六月二十九日に開かれた政治局の第十四回集団学習で取り上げられた。七月二十三日に開かれた政治局会議は四中全会の議題としてこの問題を討議することを決定し、「社会主義事業の興衰成敗に関係し、中華民族の将来の命運に関係し、党と国家の長治久安に関係する重大な戦略的課題である」と指摘した1。胡錦濤総書記は七月二十六日から二十九日に上海を視察した際に、「党の建設の中でも最重要な任務(重中之重)」と強調した2
 「重中之重」であるのは、中国共産党の一九二一年の創設から数えた「党齢」が八十三歳、一九四九年の政権掌握から数えた「執政」が五十五歳に達してしまったからである。『瞭望』誌はこう数えて、「十六全大会がわれわれに憂慮意識を強めることを要求していた」ことを確認し、「憂慮の念をもってみてみれば、ソ連共産党は成立から解体まで、“党齢”は九十三年、執政は七十四年であった。われわれについては、この時間までにそれぞれ十年と十九年である」と指摘した。長期間にわたって「執政党」の座に甘んじることで時代の変化に対応できず、「共産党が大多数の人民大衆の支持を獲得できなくなった」ことを、ソ連や東欧の激変の「痛苦の事実としてみておかなければならない」と強調し、共産党の「執政党」としての「使命は恩賜でない」と警告するのである3
 四中全会の開催を報じた新華社通信の「新華視点」は「もっとも広範な人民の利益をすべての工作の出発点、着地点とする中国共産党は、“その興隆は素早く”、“その滅亡もたちまち”という執政の周期率を飛び越えることができる」という4。そうでなければ、「滅亡もたちまち」という「憂慮意識」が、胡錦濤総書記に「党の執政能力建設の強化」を「重中之重」として取り組む決意をさせたのであろう。ただし、いまの段階では共産党が「執政党」の座を堅持することが最優先で、それ自体の是非を対象とする政治体制改革には踏み込まないのである。
 それでも「憂慮意識」は、胡錦濤政権に共有されている。温家宝総理は八月上旬に四川省を視察した際に、「大衆の切実な利益にかかわる突出した問題を解決し、社会安定の維持に努力しなければならない」と強調した5
 北京大学の丁元竹教授は「わが国の社会情勢は全体として安定している」が、「しかし改革が深まるについて、その措置がすでにさまざまな階層の根本的利益にふれ、また一部の改革と発展の政策が適当でなく、一部の官僚が中央政府の政策を実行する際に真剣に理解せず、全面的に貫徹せず、そのゆえにいまわが国にも不安定な要素が確実に存在している」と指摘する6
 丁教授を含めた一部の専門家は「不安定な要素」による「経済危機、社会危機、国際危機、生態環境」などの「突発的な事件に対して即時対応できる」ような「国家緊急事件管理委員会」の設置を提言するのである7
 丁元竹教授は中国がいま「転型期」に入っていると規定し、二〇一〇年前後の「風険期」について国内外の専門家九十八名から意見を聴取した8。その結論として、丁教授が提起するのが第一に専門家の七〇%弱が二〇一〇年前後の中国を「危機多発期」と予想しており、第二にもっとも出現可能な危機の領域は社会、金融、経済と就業であり、第三に腐敗問題は危機の「導火線」になりうるということであり、そして第四に追加して「国民の政府の問題解決に対する信頼の欠如、企業の信用と個人の信用に対する信頼の欠如、政府の信用、政府の政策決定の効率と透明度に対する信頼の欠如」などが「潜在的な社会危機」である。
 

1 「中共中央政治局召開会議」『人民日報』二〇〇四年七月二十四日。
2 「胡錦濤在上海考察工作時強調」『人民日報』二〇〇四年七月三十日。
3 李忠傑「一項緊迫的任務」『瞭望』二〇〇四年第三十四期十一−十五頁。
4 「執政能力是重中之重」『新華網』二〇〇四年九月十六日。
5 「温家宝在四川考察時張調、鞏固宏観調控成果、全面実現今年各項預期目標」『人民日報』二〇〇四年八月九日。
6 丁元竹「解決突出問題、維擁社会穏定」『瞭望』二〇〇四年第三十三期一頁。
7 「専家建議設立“国家緊急事件管理委員会”」『中国青年報』二〇〇四年九月三日。
8 「聚焦転型期中国与社会安全」『中国青年報』二〇〇四年九月三目および丁元竹「二〇一〇年:中国的三種可能前景」『戦略与管理』二〇〇四年第四期一−十五頁。
●8月の動向日誌
8月1日
*人民解放軍建軍七十七周年。駐香港部隊が閲兵式を市民に公開。
2日
*広州新白雲空港落成式典開催。5日、正式開業。
3日
*中国の二〇〇四年上半期原油輸入量、六千百二万トン、前年同期比三九%増。香港・経済通が伝える。
4日
*北京大学第一医院付属幼稚園で守衛の男が包丁で園児たちに切り付ける。園児十五人、教師二人が負傷。うち園児一人が死亡。
5日
*「高句麗問題」で、中国外交部HPから大韓民国建国前に関する記述を削除。韓国が強く反発。6日、朴俊雨・韓国外交通商省アジア太平洋局長が急きょ訪中。中国に対し「歴史わい曲の是正」を要求。中国側、要求を拒否。
6日
*人民解放軍、パキスタン軍との「反テロ合同演習」を新疆ウイグル自治区で実施。
7日
*北京でサッカー・アジア杯決勝。中国が敗れ、日本優勝。試合後、日本公使の乗った大使館公用車が襲撃を受け、窓ガラスが割られる。9日、外交部・孔泉報道官が会見。「ごく少数の者による過激な行為は我々も見たくなかった」と遺憾の意示す。
10日
*「世紀の偉人、小平−小平同志生誕百周年展」が国家博物館で開幕。
*朝鮮半島核問題に関する非公式会合、ニューヨークで開催。中、米、韓、朝、日の五カ国が参加。
12日
*台風十四号、浙江省に上陸。死者・行方不明者百三十人以上。
*小平の郷里・四川省広安市で生誕百周年の銅像除幕式。
15日
*孔泉・外交部報道官、日本の一部閣僚と国会議員有志の靖国参拝に、「深い遺憾の意」を表明。
*「外国人の中国永久居留の審査批准管理規則」(中国版グリーンカード)、正式施行。
22日
*小平生誕記念百周年。北京人民大会堂で記念大会開催。胡錦濤が演説。
23日
*武大偉・中国外交部副部長、ソウルの外交通商省を訪問。潘基文・韓国外交通商部長官と会談。高句麗問題をめぐる中韓摩擦について対応を議論。
25日
*国際通貨基金(IMF)、中国経済に対する年次審査報告書を発表。二〇〇四年GDP実質成長率を九・〇%と見積もる。
26日
*東京都教育委員会が「新しい歴史教科書をつくる会」編集の歴史教科書を一部学校で採択。中韓、強く反発。27日、孔泉・外交部報道官、「強い不満と憤慨」を表明。
*中国銀行が株式会社化。社名は「中国銀行股有限公司」。来年下半期を目処に、株式上場を目指す。
27日
*賈慶林・人民政治協商会議主席が訪韓。廬武鉉大統領と会談。
28日
*第六次鉄道高速化事業における新型車両導入の公開入札で川崎重工系など三社が落札。
*三峡ダム地区の移民事業が完了。計十六万六千人が移転。
29日
*マカオ行政長官に何厚長官が再選。任期は〇九年までの五年間。
小島朋之(こじま ともゆき)
1943年生まれ。
慶応大学法学部卒業。慶應義塾大学大学院修了。
京都産業大学教授を経て現在、慶應大学教授。同大学総合政策学部長。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








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