日本財団 図書館


2003年6月号 東亜
中国外交の「変化」と日中台関係の新思考
東京外国語大学教授 井尻秀憲
はじめに
 最近の中国外交とりわけ対米、対日、対台湾政策に「変化」が生じ始めているとの声が聞かれる。対米政策では、昨年三月のフロリダでの「米台防衛サミット」にたいする中国側の批判の弱さ、同年十月の江沢民訪米の際の江沢民主席(当時)による台湾向けミサイルの一部撤去発言、本年二月の米台ビジネス・カウンシルでのアメリカの台湾向けパトリオット供与問題での中国側の批判の自制などを、そうした中国外交の「変化」の例証とする声もある。
 対日政策での「変化」は、後述する『人民日報』の馬立誠評論員が書いた「対日外交の新思考」に見られるもので、「歴史問題」などでの「過度の対日批判」が中国の国益にそぐわないといった論調に代表されるという。同様のことは、中国人民大学の時殷弘教授が「日中接近論」を主張した最近の論文にも見て取れるとされる。
 対台湾政策においては、昨年十一月の中国共産党第十六回党大会での江沢民「政治報告」が「政治的争点の棚上げ」による中台対話の呼びかけを行っていることに、中国の姿勢の「変化」を見て取る声もある。ただし、こうした中国外交の「変化」は、その要因が中国内部にあるのか、日中、日台関係やアメリカの対中、東アジア政策との関連で捉えるべきものなのか、吟味すべき点が多い。
 中国外交の「変化」が単に論調面での戦術的なものであるのか、あるいは本質的な外交路線の「変化」を意味するのか、慎重な検討を要する。本稿では、そういった問題を念頭に置きながら、最近の日中台関係の動向を論じてみたい。とりわけ、(1)アメリカの東アジア政策、(2)第十六回党大会を経た中国新指導部の対外政策の「変化」、(3)日中関係、(4)日台・中台関係などについて、その現状をふまえながら、中国外交の「変化」のありようについても、若干の検討を試みたい。
一、アメリカのアジア政策
――「米中グローバル衝突・摩擦と協調」
 周知のように、ブッシュ大統領は、二〇〇〇年にホワイトハウス入りして以来、クリントン前政権とは大きく異なるアジア政策のプランを次々に打ち出した。日本、欧州といった同盟国重視、経済より安全保障重視などがそれであり、とりわけ政権発足当初は、ミサイル防衛(MD)政策で、かつてのレーガン時代の対ソ強硬政策、SDI構想などを想起させるものがあった。それは、アメリカの保守派の意見を代弁し、「中国を潜在的ライバル」と見なすものとされた。
 ブッシュ政権はまた、MD計画との関連で、中国よりロシアとの関係を重視し、米・露・日・欧州による「対中包囲網」に走っているのではないかとの印象を内外に与えた。また、対台湾政策では、米中「三つのコミュニケ」の存在にも拘わらず、台湾への武器供与に積極姿勢を示し、台湾擁護を鮮明化した。
 ところが二〇〇一年九月十一日の米同時多発テロの発生によって、ブッシュ政権は国際的な反テロ闘争を進める上で、中国の協力を必要とすることとなった。ブッシュ大統領は同年十月、上海APEC(アジア太平洋経済協力会議)の非公式首脳会談に出席するために訪中した。ブッシュ大統領はまた、翌二〇〇二年二月二十一、二十二日に北京を訪問し、中国との「建設的な協力関係」で合意した。加えて、両国首脳による共同記者会見では、江沢民国家主席(当時)が米中「三つのコミュニケ」遵守の確認を公表したが、ブッシュ大統領は「一つの中国」に言及しただけで、米中両国の争点となっている「台湾関係法を堅持する」と明言した(1)
 こうした発言はブッシュ大統領が反テロ闘争での対中協力を謳いながらも、台湾支援政策を変えていないことを示していた。ちなみに、それから間もない二〇〇二年三月六日、米国が台湾の湯曜明国防部長の訪米のためのビザを発給したことが明らかとなった。中国は強く抗議したが、三月十一日、台湾の湯曜明国防部長は予定通りフロリダでの「米台防衛サミット」に出席した。
 興味深いのは、中国がこれにたいして厳重抗議以上のアクションをとらず、「米国とことを構えたくない」中国側の慎重な姿勢がにじみ出た点であろう。同様に、本年二月にテキサス州サンアントニオで開かれた米台ビジネス・カウンシルに台湾から装備担当の国防部副部長が参加し、パトリオットPAC-3の台湾への供与が話題となったが、中国はこれにたいしても強い批判を行っていない。
 ブッシュ政権の中国にたいするタフな外交は、既述のように九・一一事件で表面的には後退しているものの、そうしたタフな発想は、ワシントン周辺の保守派層のなかに根強く存在し、ブッシュ政権の対中政策の基層を形成している。アメリカは、潜在的かつ長期的には、最大のライバルとしての中国の脅威を想定し続けているのである(九月二十日に発表された「国家安全保障戦略」)。また、ブッシュ大統領のイラク攻撃は、彼がウォルフォウィッツ国防副長官らの声に押されて米国保守派のレーガン主義とイラクに民主主義を植え付けるというウイルソン的な理想主義に取りつかれた結果との見方もある。
 ちなみにアメリカは、九・一一事件以後のアフガンのタリバン政権との戦いで、中国の裏庭とされる中央アジアに軍事基地を置き、中国の上海協力機構に対抗して、中国、パキスタンとのライバルであるインドとの接近によって、同国との合同軍事演習や海上共同パトロールを行い、ロシアもインドとの関係を強めている。石油、天然ガス資源の獲得が絡む中央アジアは、米中を軸としながら、ロシア、インドを加えた大国のグレート・ゲームと小国の対応が交錯する国際政治の「場」となっている。
 しかしながら、眼を東アジアに転じると、米中を軸とするグレートゲームと小国の対応があぶり出される地域的な「場」は当面、イラク戦争後の北朝鮮問題に収斂していくかに見えるが、東アジアにおけるもう一つの「場」としての台湾海峡問題の存在も忘れてはならない。
 台湾問題については昨年八月三日、東京で開かれた「世界台湾同郷連合会」の年次総会で、台湾の陳水扁総統がインターネット演説において、中台関係を「一辺一国(中国・台湾それぞれ一つの国)」と定義したうえで、台湾の進路にかんする住民投票の必要性に初めて言及した。この演説は、陳総統がそののち「中台平等主権論で、国名は中華民国」と話を少し戻したことで、中台関係のさらなる悪化には至らなかったが、米国、日本への事前の根回しのない発言であったため、イラク問題に勢力を注ぐ米国の大きな怒りをかった。アメリカのブッシュ大統領はこののち、「台湾独立に反対する」と公言し、米国のアジア政策遂行に足かせとなるような台湾の動きを抑制しているのである。
二、「慎重さ」が目立つ中国新指導部の対外政策
 いっぽう中国は最近、その高度経済成長を意識しながら、自らを「大国」と認識し、アメリカを含めたロシア、日本、EUとの「多極世界」での協力関係を主張するとともに、日本にたいしては、アメリカ一辺倒の外交・安全保障政策を取り続けることにたいして批判的である。アメリカから「自立した」日本は、中国が東アジアにおける域内関係の強化を進める上で望ましい対象なのである。
 そうしたなかで中国国内では、昨年十一月の第十六回党大会で党人事が一新され、本年三月の全国人民代表大会において国家レベルの人事にも大きな若返りが生じた。ここではとりあえず胡・温体制の発足と呼んでおこう。ただし、中国新指導部の当面の対外政策は、党と国家の中央軍事委員会主席に留任した江沢民「院政」が存在するため、江沢民路線から大きく逸脱することは難しい。
 昨年の党大会での江沢民国家主席(当時)の「政治報告」は、対外政策では、以下の六点を主なものとしている。
(1)「平和と発展」がメインテーマであるが、覇権主義と強権政治の新しい現れ方としてのテロリズム、民族、宗教矛盾、国境・領土紛争による局地紛争による不安定が生じやすい。中国のこうした現状認識は、われわれの理解と大きく異なるものではない。
(2)「独立自主の平和外交政策を実行」する。これは、胡耀邦の第十二回党大会での政治報告で強調され、当時は、対米・対ソのバランスと自主路線が内実であったが、現状では米、露、日、ASEAN、インド、EUとの全方位バランス外交と解釈できる。
(3)「公正で合理的な国際政治経済の新秩序の確立を主張」する。ここでの「合理的」とは、自国の「国益に不利な言動を慎み」、「がむしゃらなナショナリズム」から「合理的な国益追求主義」への転換の必要性を示唆しているかに見える。
(4)「国際関係の民主化と発展様式の多様化を提唱する」。
(5)「反テロ」と国際協力の強化を重視する。
(6)先進諸国との関係改善、周辺国との善隣友好、第三世界との連帯と協力強化、国連の役割重視を主張する(2)
 他方、江沢民「政治報告」は、前記のような「合理的国益主義」を主張しながらも、「中華民族」の強調、中国の「脱社会主義」と「ナショナリズム」重視の側面をも混在させている。だが、「政治報告」でいう「国際政治経済新秩序」の構築は、世界の「多極化」、国際社会での「民主化」、世界平和の「維持と共同発展」を目指すものとされる。唐家旋・外交部長(当時)によれば、それが「公正で合理的な国際政治経済新秩序の確立」ということになる(3)。とはいえ、中国新指導部の当面の対外政策の特徴は、アメリカのイラク攻撃にいたる強硬姿勢を批判するが、アメリカとの決定的対立は避けたいという「慎重さ」を顕著なものとしている。
 そうしたなかで、中国の対外政策とりわけ、対米、対日、対台湾政策に「変化」が見られるとの意見については、冒頭で触れておいた。その理由として、既述のように、対米政策においては、昨年三月のフロリダでの「米台防衛サミット」にたいする中国の批判の弱さがあげられる。また、昨年十月の江沢民訪米の際に、江沢民主席が、「アメリカの台湾向け武器供与の抑制を条件に、中国側が福建省沿岸の短距離弾道ミサイルの一部を撤去する」と述べた点も「変化」の理由としてしばしば言及される。加えて中国外交の「変化」の例証は、前記の本年二月の米台ビジネス・カウンシルでのアメリカのパトリオットPAC-13の対台湾売却の議論にたいする中国側の批判の抑制、中国の大量破壊兵器不拡散問題への本格的な取り組み――などにも見て取れる(4)
 対日政策の面では、冒頭で触れた『人民日報』の馬立誠評論員が書いた「対日関係の新しい思考」と題する論文に見られるもので、「歴史問題」などでの「過度の対日批判」が「非合理的」で中国の「国益」に沿わないといった彼の主張は、日本の側からするとやはり注目すべきものである。こうした論調面での「変化」は、「日中接近と『外交革命』」と題する論文で日中関係者のあいだで話題となっている中国人民大学の時殷弘教授の「日中提携論」にも見て取れる。
 また、対台湾画策の面でも、中国の「柔軟」姿勢は、台湾側でもある程度の「注目」を引いている。ただ、問題は、中国のこうした政策が、一時的な「戦術」に過ぎないのか、より本質的な「意義」を持つのかについては、現時点で結論を出すことは時期尚早である(5)。とくに胡錦濤新指導部の対外政策の路線と陣容は、現時点ではまだ、江沢民時代と異なる独自性を主張できるほどに固まったものがあるとは言えないようである。
三、日中関係―首脳対話なき外交
 ところで、昨年(二〇〇二年)は、日中国交三十周年で、小泉総理の訪中を含む幾つかの行事が予定されていた。小泉総理は四月十二日、そのことの是非はともかくとして、中国の海南島・ボアオでの「ボアオ・アジア・フォーラム」に出席し、朱鎔基総理(当時)は小泉総理との会談で、国交三十周年を記念する小泉訪中を要請した。ところが小泉総理は四月二十一日、突如として靖国参拝を行った。前年(二〇〇一年)八月十三日の参拝に次ぐものであったが、中国はこれに強く反発し、国交三十年に合わせた総理の訪中は困難となった。
 日中間ではその後の五月八日、瀋陽事件も発生した。北朝鮮住民五人が亡命を求めて日本の瀋陽領事館に駆け込もうとした際、中国の武装警察官に進入を阻止され、これがテレビ放映されたこともあって、日本でも大きな反響を呼び、深刻な外交問題となったものである。
 また、これに先立つ二〇〇一年十二月二十二日、北朝鮮の工作船と見られる不審船が、海上保安庁の巡視船に追跡され、銃撃戦となって最後は沈没した。ところが、沈没海域が中国の排他的経済水域内であったため、その引き上げに中国の同意が必要となり、協議の結果、中国は昨年六月十八日、「意義を唱えない」ことで合意し、日本は、九月十一日に現場水域で海底から引き上げ回収を行った。
 いっぽう日中国交三十周年に向けた日本側の動きとしては、森前総理が七月上旬、小泉総理の意向を受けて訪中した。しかしながら江沢民国家主席(当時)は森前総理と会談せず、朱鎔基総理が森氏にたいして小泉訪中の意向を打診したが、森前総理ははっきりとした回答を差し控えた(6)
 こうして日中国交三十周年の記念行事としては、総理の訪中がないなかで、九月二十二日に北京で「友好交流大会」が開かれ、日本からは一万三千人以上が参加した。橋本元総理、野中元幹事長ら六十数名の国会議員もそれに参加した。中国側からは、江沢民国家主席、胡錦濤副主席(当時)も出席し、江沢民主席は、アジアの「平和と発展」に寄与する日中両国の「協調と協力」を訴えた(7)。だが、この行事は、実行委員会が期待したほどの盛り上がりを見せなかったという。
 そうしたなかで小泉総理は八月三十日、北朝鮮の平壌を九月十七日に訪問するという電撃発表を行い、これにともなって川口外相が、九月八日に訪中し、江沢民主席らに事情説明を行って中国側の支持を得た。
 既述のように、中国国内では、昨年十一月の第十六回党大会で党人事が一新され、本年三月の全国人民代表大会において国家レベルの人事にも大幅な若返りが実現した。いわゆる胡錦濤・温家宝・曾慶紅の三者を中心とした新指導部の発足である。そうしたなかで、九人の新任・政治局常務委員のなかで最初に外国賓客と会見したのは曾慶紅(現国家副主席)であり、会見相手は日中友好協会の平山郁夫会長であった。曾慶紅は党大会以前に、大分で野中元幹事長との会談を行っており、中国新指導部のなかでの日中関係に関わるキー・パーソンになるとの見方が強い。
 いっぽう小泉総理は本年一月十四日、再び靖国参拝を行った。中国側はこれにたいして強い抗議を行ったがただしその後の両国関係に強い影響のでるような行動を取ってはいない。例えば中国は、尖閣列島の土地所有権を日本政府が借り上げたとの報道にたいし、一応の抗議は行ったものの、それ以上の強硬な批判は控えている(8)
 また、総理の靖国参拝以後も、外務省の藪中アジア大洋州局長の訪中、松永元駐米大使の訪中と銭其副総理(当時)との会談が実現し、事務レベル、民間レベルの日中の相互交流は通常通り進んでいる。ただし、前記のように昨年から今年にかけて、中国の第十六回党大会、全国人民代表大会が開催され、胡錦濤新指導部が発足したものの、日中首脳対話は実現しておらず、現時点の日中関係は、かならずしも良好とは言えない。
 他方、すでに触れたように、中国の対日姿勢の「変化」を示す論文として、『人民日報』の馬立誠評論員による『戦略と管理』誌掲載論文、「対日関係の新思考」が日中両国で話題を呼んだ。日本ではこの論文を『中央公論』『文藝春秋』『世界週報』が邦訳し、日本での関心の強さを示すこととなった。
 馬立誠評論員は、昨年の「中国共産党第十六回大会では、新局面の開拓が強調された。対日関係についてもこうあるべきだと思う」と述べ、日中関係を「合理的国益に基づき捉え直す新思考」が必要であるとしている。彼はまた、第二次大戦からすでに六十年が経過し「(中国は)日本にたいして過酷すぎてはならない」、日本の指導者は「侵略戦争にたいする反省を表明し」、重要なことは、「過去より前向き」であるとした。
 もとよりこの論文については、中国内部で批判も多く、インターネットなどで彼を「売国奴」とする非難もあり、その主張に賛同する声が「少数派」であることも理解しておかねばならない(9)。しかしながら、この論文が中国の歴史認識などでの「日本たたき」の「常套手段からの脱却」を意図し、「過度の対日批判」は「非合理的」であり中国自身の「国益」にとっても「マイナス」だと主張していることは、やはり注目に値する。
 中国の唐家外交部長(当時)は本年三月の外国人記者との記者会見で次のように述べている。「私は、靖国神社への公式参拝問題は、普通の問題ではないとこれまで何度も述べてきた。日本の為政者が過去にアジアの隣国を侵略し、中国を侵略した歴史にたいしどのような態度をとるかという問題を少なくとも反映している」(10)
 これにたいして小泉総理の私的諮問機関である「対外関係タスクフォース」の提言「二十一世紀日本外交の基本戦略」では、「中国」にかんする部分で、「日中間において、折々波風が立つ問題として歴史問題と日台関係がある。歴史問題は両国が歴史を教訓としつつ、そろそろ『歴史の呪縛』から抜け出し未来志向の関係を目ざすべきだ」としている(11)。唐家の主張は、中国政府の公的な意見を代弁しているが、こうした発言に触れると、日中間ではまだ、現状認識の点で乖離があると言わざるを得ない。
 首脳対話なき日中関係では、四月六日に川口外相が北京で李外相と会見し、中国の温家宝総理の訪日を要請したように、ハイレベル協議の重要性を日中双方が認識し始めている(12)。こうした現状と展望は、中国の対日政策の「変化」の流れのなかに位置づけることが可能であろう。ただし、そうした「変化」の要因がどこにあるかを確定することは、現時点では難しい。だとすれば、小泉訪中は、慌てる必要はない。
四、日台・中台関係
―日台関係から日中台関係へ
 いっぽう、日台関係に眼を転じると、日中国交三十年は、とりもなおさず日台断交三十年であった。それは「日本と台湾がバラバラに外交を展開した三十年」(李登輝)であり、これまで国交なき実務レベルの関係を引き上げようとする試みがなされてきたが、具体的成果となって結実したものは以外に少ない三十年でもあった。
 また、李登輝政権時代の日台関係は、「国交なき交流」が深化したものの、陳水扁政権下の現在は、日台間のチャネルの多元化が特徴的である。加えて、陳政権が希望する日本とのFTA(自由貿易協定)交渉は、経団連主導の民間レベルのものであって、日本政府は、中国との関係を考慮していかなる条約を調印することもないとの姿勢を崩していない。
 日本と台湾双方の対中「自立」という「主体性とアイデンティティ」を求める声は強まっているが、何か事が起こると「中国」の存在を過度に意識する日本側の「自粛」に陥り、日台関係を改善するブレークスルー(突破)には至らない。何か事が起こるとしても、李登輝訪日問題といったマス・メディアが取り上げる李登輝周辺の物事などに事態が収斂する傾向が強く、その李登輝訪日ですら、日本側の過度の「自粛」ゆえに実現は容易ではない。
 李登輝前総統関連の問題としては、昨年九月二十四日付の『沖縄タイムス』が、李前総統とのインタビューで、彼が「尖閣列島の領有権が日本にある」と述べたことを伝えた。日本側はこの発言を好意的に受け止めたが、李前総統は筆者にたいして、「この問題は、台湾総督府の資料に基づき、そうした過去の歴史的事実に鑑みて発言したまでだ」と語ってくれた(13)
 李登輝訪日問題については、昨年十月二日の『産経新聞』が、李前総統の慶應大学学園祭での講演予定を伝え、李前総統は、代理人を通じて交流協会台北事務所にビザの発給を申請した。しかしながら、学園祭を主催する実行委員会は、大学側からの要請で、李前総統の講演を学園祭の行事から外してしまった。講演を企画した「経済新人会」という学生サークルは、場所を切り替えてでも講演実現を主張したが、日本政府は十一月十四日、そうした「一連の混乱を考慮し」、ビザの発給を認めない方針を打ち出し、李前総統の代理人は、ビザ申請断念を表明した(14)
 他方、十一月十日から十四日まで、王金平・立法院長が日本を訪問、綿貫、倉田衆参両議長の議長公邸を訪問した。これは断交後はじめてのことであった(15)。中国は訪日阻止を要請したが、日本側は、「行政府が立法府をコントロールできない」と説明した。これは、日本側の常識的かつ理性的説明であり、いわば当然のことである。
 そうしたなかで日本の外務省は、国家公務員の台湾出張にかんする内規を「課長級未満」から「課長級以下」へと改定し、「課長級以上」でも、日台双方が正式メンバーとして加盟する国際機関に関る場合は柔軟に対応するとした(16)。これは、課長級の台湾訪問に加え、台湾での国際会議開催の場合での閣僚級の訪台に道を開くものである。
 小泉総理の靖国参拝にたいして台湾の外交部は、抑制された表現で一応の批判を行うにとどめた。また、交流協会台北事務所に陸上自衛隊の退職幹部が、主任の肩書きで着任し、事実上の「防衛武官」の役割を果たすこととなった(17)。加えて、新型肺炎SARS騒動が深刻化しているが、日本はすでに台湾の世界保健機関(WHO)のオブザーバー参加を支持するとしている。
 いっぽう新指導部成立時点での中国の台湾政策については、第十六回党大会において江沢民主席(当時)がその政治報告のなかで語った「『一国二制度』と祖国の完全統一の実現」と題する部分に見て取れる。そしてそこでは、以下の三つの点が注目される。
(1)江沢民主席は、台湾問題にかんして、「一つの中国という原則をふまえ、あれこれの政治的争点をひとまず棚上げして、海峡両岸の対話と交渉をできるだけ早く回復するよう重ねて呼びかける」とした。ただし問題は、こうした「政治的争点棚上げ論」で、台湾が両岸対話のテーブルにつくのかどうかであるが、来年三月の総統選挙の以前では、その可能性は高くない。
(2)江沢民主席はさらに、「台湾問題は無期限に引ぎ延ばすことはできない」と述べたが、「台湾統一」に期限をつけたのは、以前の党大会の政治報告にはなく、今回が初めてであった。また、昨年四月の全国人民代表大会の軍関連の分科会で、「台湾は、放って置けば離れていくばかりであり、統一への期限をつけるべきだ(例えば、辛亥革命百周年の二〇一一年まで)という意見があったといわれる。これらは、「台湾統一」に向けた中国側の「緊迫感」の表れといえよう。
(3)中国の台湾政策では、党の非公式最高決定機関である「対台湾工作指導小組」の存在が知られる。そして、その新メンバーとしては、胡錦濤総書記が「組長」を兼務し、「副組長」に曾慶紅・国家副主席、民間から汪道涵・海峡両岸関係協会会長、軍を代表する熊光櫂・副参謀長らに加え、劉延東・統戦部長、許永躍・国家安全部長、陳雲林・国務院台湾事務弁公室主任らが想定されるが、これはまだ固まっていない。しかも、胡錦濤総書記は中国の台湾政策でこれまで目立った関与をしておらず、その点では、曾慶紅・国家副主席の方が経験豊かであり、対台湾政策では、彼が実質的な舵取りを行うものと考えられる。また、中国の台湾政策で長期的戦略のもとに政策に関ってきた銭其の役割を新指導部の誰が担うのかについては定かではない。
 これにたいして、台湾では、「三通」が時間の問題といわれ、本年春節期間中の両岸チャーター便が話題を呼んだ。だが、台湾の大陸政策決定機関である大陸委員会の蔡英文主任は、「チャーター便と直航との分離」を主張し、台湾では、「三通」の実現は、来年三月の次期総統選挙以後という見方も根強く存在する。加えて、両岸対話の機関である台湾の海峡交流基金会以外の新しいチャネルが必要ではないかとの意見も聞かれるが、辜振甫理事長がその地位から離れることは当面ないとも言われる。
 中国の第十六回党大会開催に際して、陳水扁総統は十一月八日、前記の江沢民「政治報告」にある「政治的争点の棚上げ」表明に着目したが、ただしそれが「一つの中国」を原則とするのであれば、「台湾は主権独立国家であり、一国二制度の統一提案を受け入れることはできない」と主張した。
 聞くところによれば、最近の中台関係でアメリカが最も懸念しているのは、安全保障の面よりむしろ台湾経済の大陸への過度の依存による「台湾経済空洞化」だと言われる。台湾は現在、そうした問題の深刻さゆえに、シンガポール、日米とのFTA(自由貿易協定)交渉へと政策を切り替えてきているが、その前途は楽観できない。
 FTA外交については、台湾より中国のほうが素早い。すなわち中国は、昨年十一月四日のASEAN首脳会議で、FTA実現を軸とするASEANとの枠組み協定を締結し、台湾を牽制しつつ日・韓・ASEANに迫る外交攻勢をかけている。
 ASEANとのFTA協定は、FTAが相手を「対等な国家」と見なす自由貿易協定であるだけに、中国がASEANをはじめてイークオール・パートナーとして認知したことを意味する。しかもASEANと中国とのFTAは、中国側の利益のほうが大きい。ただしこれが、中国の経済利益優先主義だけではなく、中国を中心とする「華夷秩序」という従来の国際秩序観に変更を迫る「アジア秩序観の変化」と解釈できるのか、注目される。
 筆者はかつて、台湾問題や日台関係を日中関係のなかの枠組みに封じ込めるという思考の惰性を指摘し、「日中関係」と「日台関係」の相対的「自立」と、「日中関係のなかの台湾」から「日中台関係へ」という思考の転換の必要性を説いてきた(18)。「日台関係で日中関係を刺激し悪化させないこと」――こうした発想は、日本政府のなかで依然として根強く存在する。すなわち、日本は「中華の呪縛」からまだまだ精神的に解放されていないのである(19)。だが、国交なき「日台関係」の交流とその進展が「日中関係」を悪化させるケースはそう多くはなく、日台関係の進展やレベルアップを拘束しているのは、中国にたいする日本側の過度の「自粛」によるものである。
 その意味で日本は、「日中、日台関係」をある程度「自立」させ、そのうえに立って「日中台関係」を語ることの重要性を認識すべきであろう。ましてや、重要なことは、最近のアメリカの対中、対台湾政策において、双方の「自立性」を尊重しつつ両者のバランスが維持されようとしていることに、日本外交は無自覚である。台湾の対日政策を担当してきた陳師孟・前総統府秘書長は、台湾の働きかけもあってか、「この数年で台米関係が著しく緊密化したこと、台米関係の大きさに日本は気づいていない」という(20)
 前記の日本の「対外関係タスクフォース」の「提言」は、「日中正常化以来、台湾は大きく変化した。日台関係にも一定の変化が生じるのは自然なことだ」と述べている。だとすれば日本は、日台関係の相対的「自立性」を考慮しつつ、今度は「日中台関係から日中台米関係へ」という複合的枠組みで日台関係を考えていく「新思考」が必要であろう。台湾問題は、米中といった大国関係のみならず、東アジア、ASEANなどの影響力が重層的に交錯する国際政治の「場」であり、「中国問題の核心」(ドゴール)なのである。
おわりに
 既述の小泉総理の「対外関係タスクフォース」の「提言」は、「中国といかにつきあうか」という「別添報告書」を含み、そこでは、「二十一世紀の東アジアの行方を決める大きな要素は、域内諸国(地域)の動向とともに、日米中の三国がこの地域の平和と発展のために如何にプラスサムの関係を築きうるかにかかっている」としている。
 そこではまた、日米関係においては、「日本は米国と同じ目的を持ちつつも、自らの座標を持って米国とは補完的な外交」が必要であり、「中国との関係は、二十一世紀初頭の日本の外交政策の中で最も重要なテーマ。日中両国は『協調と共存』と『競争と摩擦』がおりなす関係」だとされている(21)
 これにたいして中国では、前記の馬立誠論文が「対日関係の新思考」を主張し、「アジアの枢軸、中国と日本」が、「自己の民族主義を反省し、狭隘な観念を克服して・・・邁進すべき」というある種の「日中提携論」を提起している。既述の中国人民大学の時殷弘教授は「日中接近と『外交革命』」と題する論文で注目されているが、彼の時事通信とのインタビューは、以下のような内容を含んでいる。
 すなわち時殷弘教授は、日本は、自国にとっての日米関係の重要性を理解するがゆえに、「日中両国が協力して米国を牽制するという『外交革命』を受け入れず、警戒感さえ抱くだろう」としている。しかしながら彼は、「中国との接近を望むように日本を変わらせる重要な要素もある」と述べ、こうした「日中接近」を、中国の対日「外交革命」と位置づけている(22)
 こうした主張は、米中の狭間にある日本の地政学的位置や今日のアメリカ「一極主義」のなかでの「日中提携」と「日米離問」戦略を想起させるものであり、それは日米関係や日本とASEANとの関係を悪化させる危うさを有している。また、こうした意見は中国の対日論調面での「変化」の兆しかもしれないが、それが政策上の「変化」につながるものかどうかについては、疑問視する向きも多い。ましてや中国の「日中接近・日中提携論」と「日米離間」戦略は、これまでしばしば指摘されてきたものであり、それを中国の「外交革命」という本質的な意味での「路線変化」と捉えることにはまだ無理がありそうである。
 これにたいして米中関係はいまや、グローバルな「摩擦と協調」を繰り返し、そうした「摩擦と協調」の「場」は、「台湾をめぐる国際関係」としても表れている。日中、日台関係のそれぞれの相対的「自立性」を意識しながら日中台関係を考え、さらには日中台米関係を考える「新思考」の必要性は、今後も増大するものと思われる。
井尻秀憲(いじり ひでのり)
1951年生まれ。
東京外国語大学中国語科卒業。米カリフォルニア大バークレー校大学院修了。政治学博士。
筑波大学助教授を経て現在、東京外国語大学教授。
 

(1)江沢民・ブッシュ共同記者会見(二〇〇二年二月二十一日)。
(2)以上の記述は、江沢民・政治報告『人民日報』(二〇〇二年十一月八日)、参照。
(3)『人民日報』(二〇〇二年十二月十六日)。
(4)Thomas Christensen, "The Party Transition: Will It Bring a New Maturity in Chinese Security Policy?," China Leadership Monitor, No.5., 阿部純一「北朝鮮問題に収斂する中国外交の『変化』」『世界週報』(二〇〇三年四月二十九日号)、五十―五十一頁。
(5)David G. Brown, "Is China's Flexibility Tactical or Significant?", Comparative Connections (Pacific Forum CSIS, 4th Quarter 2002)
(6)『産経新聞』(二〇〇二年七月五日)。
(7)『人民日報』(二〇〇二年九月二十三日)。
(8)『人民日報』(二〇〇三年、一月五日)。
(9)馬立誠「対日関係新思惟」『戦略と管理』、邦訳「対日関係の新思考」『世界週報』(二〇〇三年二月十八日号、三十二頁)。高橋博「転機を迎える中国外交と政治の民主化」『東亜』(二〇〇三年三月号)、八十三―八十八頁。
(10)『人民日報』(二〇〇三年三月七日)。
(11)対外関係タスクフォース「二十一世紀日本外交の基本戦略」(平成十四年十一月二十八日)。
(12)『産経新聞』(二〇〇三年四月七日)。
(13)李登輝前総統とのインタビューによる。
(14)『産経新聞』『朝日新聞』『読売新聞』(二〇〇二年十一月十三日)。
(15)『産経新聞』(二〇〇二年十一月十六日)。
(16)『産経新聞』(二〇〇二年十一月二十六日)。
(17)『産経新聞』(二〇〇三年一月二十一日)。
(18)拙稿「日中台関係への新視角」『中国21』(二〇〇一年一月号)、六十一―七十四頁。
(19)筆者の李登輝前総統とのインタビュー『諸君』(二〇〇二年十二月号)、百七十二―百七十九頁。
(20)『産経新聞』(二〇〇三年三月二十八日)。
(21)以上、対外関係タスクフォース『二十一世紀日本外交の基本戦略―新たな時代、新たなビジョン、新たな外交―』、平成十四年、十一月二十八日)。
(22)時殷弘「『日中接近』は中国外交の新任務」『世界週報』(二〇〇三年五月六―十三日号)、四十六―四十九頁。
 
 
 
 
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