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1996/10/12 読売新聞朝刊
[社説]江沢民氏の権力基盤強化の手法
 
 どこの国でも、腐敗や汚職、犯罪の増加が悩みのたねである。お隣の中国も例外ではない。中国がちょっと違うのは、上からのキャンペーンで対処しようとする、その手法だろう。それに、指導部の政治的主導権争いにつながりかねないことだろう。
 中国共産党の第十四期中央委員会第六回総会(六中総会)が「社会主義精神文明の建設強化に関する若干の重要問題についての決議」なるものを採択した。
 「社会主義精神文明」とは、経済などの「物質文明」に対置されるもので、社会主義下で培われる精神的財産や人々の意識を指し、思想、教育、道徳、科学など幅広い分野に及ぶという。
 決議は、精神文明軽視の問題があることを指摘し、精神文明建設への党の指導強化などをうたっている。同時に、四つの原則(社会主義の道、共産党の指導など)と改革・開放政策の堅持が強調されている。
 中国では、市場経済化の進展や高度成長のかげで、貧富の格差や地域的開発格差が拡大し、「拝金主義」の横行、腐敗・汚職や犯罪の増加が目立っている。
 こうした現象が社会不安や政治不信、ひいては社会主義不信につながり、いわゆる社会主義市場経済や共産党の一党独裁体制を揺るがしかねないとの危機感を指導部が持っても不思議でない。
 一方で、すでに、「ブルジョア階級が形成され、プロレタリア独裁に対する潜在的脅威となっている」として、改革・開放路線を批判する文書が出回るような状況もある。その勢力がどれほどのものかは別として、いわゆる保守派からの攻撃である。
 加えて、江沢民総書記を中心とする指導集団が第二世代からの権力後継を宣言して二年になるが、来年は五年に一度の党大会の年だ。江総書記にとっては、その政治基盤の強化と権威の確立が課題だ。李鵬首相の処遇など重要人事も残されている。
 こうしたもろもろの要素が今回の決議の背景にあると言ってよい。江総書記が昨年来、「政治の重視」を繰り返し語り、党幹部のさまざまな欠陥の原因が「頭のなかにマルクス主義と社会主義の政治がないことだ」と学習と規律の強化を強調してきたのも、同じ文脈にある。
 精神文明建設キャンペーンに拍車がかかることは必至だ。だが、社会主義思想の学習で、社会不安や治安悪化の要因が除去できるのか、率直に言ってピンとこない。一党独裁や社会主義政治に対する不満、閉そく感が無視されてもいる。
 もっとも、「政治の重視」は「左」の階級闘争への復帰でないと江総書記が言い、決議が改革・開放の堅持をうたっているのは、当然だろう。逆行させるには、膨大なエネルギーを必要とするし、それこそ、社会不安を引き起こすことになろう。
 江総書記が改革・開放積極派、慎重派のいずれにも配慮をみせて、党大会を安定的に乗り切るための布石を打ちつつあるのは確かだが、この精神文明建設キャンペーンがどれだけ総書記の基盤固めにつながるか、なお、不透明としか言えない。
 
 
 
 
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