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 出港間際になって、函館駅長が顔を強張らせて暫時の待機を勧めに船橋にやって来た。
 無論。船長は一蹴した。
 第一岸壁だった。
 宗谷丸は既に出港の態勢をとっていた。
 艫(とも)綱が千切れんばかりに艫の喫水線で海水を泡立て、出港の遅れに苛立って(いらだって)いた。
 しかし、駅長は、つい先刻から吹き始めた強風を無視できなかった。強風は構内をかけめぐり、着用した制帽も磯の香も吹き飛ばしてゴーゴーと渦巻いた。
 函館駅長はすぐさま宗谷丸船橋に駆けつけた。
「旋風はあきらかに台風の始まりです。暫時(ざんじ)の待機をお勧めします・・・」
「何を言われる、この季節、突風ぐらいは珍しくもない。数分で収まるはずだ」
 船長は言下に一蹴した。
「それより船客は空腹に耐えてるのですぞ、これ以上待たせる訳にはいかない。さっさと出ていればもう陸奥湾には入れたはずだ」
 船長は懐中時計を見た。出港の遅れは兎も角も、船客はひたすら出港を待っているのだ。昼時が過ぎても食べ物は船内はもちろん、待合所の売店も、駅舎の売店でさえ何ひとつ無い、電気時計だけが時を刻んでいるのだった。
「愚図ってる暇は無い。出港を急ぎます」
「お言葉は尤もですが、いま暫く待機されては?」
「暴風警報でも出てるのですか?」
「気象台は梨の礫(なしのつぶて)です。ラジオだけです」
「ラジオは当てにならない、青函連絡船の壊滅にしたってラジオは伝えましたか?」
「そこまで言わなくても・・・」
 駅長は目をしばたいた。二カ月ばかり前、空爆で壊滅した迷彩色を施した青函連絡船を蘇らせ、血涙が溢れた。
 船長は見て見ぬ振りをした。
「気象台で早急に気象情報を確認願いたい。でないと納得しかねます」
 駅長は苦渋に満ちた表情で下船して行った。
 船長はガラス越しに管理部・桟橋出張所を見下ろした。出張所は岸壁のすぐ其処にある。
 駅長の姿が所内に消えた。気象台に問い合わすのだろう、『寸刻待とう』と船長は思った。
 船長は、海を見遣った。
 埠頭を囲った倉庫の黒塀と、岸壁を覆う天井の合間から僅かに仄めく(ほのめく)海原は奇々怪々に蠢いて(うごめいて)いた。
 駅長は受話器をとった。
「現在の気象速報を願います。台風の影響ではありませんか?」
「波風ともに影響はありません」
 気象台の応答はそれだけで切れた。駅長は再度船橋にやって来た。
「電話は如何がでしたかな?」
「暴風警報は出ておりません。ですが海空は並の時化とは思えません。油断は禁物です」
 駅長は徹底して台風の前兆だと拘り(こだわり)続けた。
 しかし船長は一笑に付した。
「仮に台風にしたって本船なら凌げるでしょう」
「・・・でしょう、ではいけないのです」
「では、凌げます! とでも言えば気が済みますか?」
 船長は渋面で腕組みをし、靴音を立てて歩き廻った。胆大心小の顕われ(あらわれ)だろう。
 事実、海洋気象台は暴風警報など出していないのだ。駅長はラジオの報道をメモ書きしたに過ぎない。船長はメモ用紙に目を遣った。
『九月十七日、十四時過ぎ。鹿児島県枕崎ニ上陸シタ台風ハ、北東進、九州ヲ縦断。広島ヲ経テ日本海ニ抜ケ現在ナオ北東進中。現在位置、能登半島北端。最低気圧九百十六・六ミリバール。勢力維持、ツヨシ』
 船長は憤然として言った。
「枕崎だと一千五百キロの距離はある。こちらに向いても三日はかかるでしょう。土用波の影響は時として数千キロにも及びますからな、取り越し苦労ではありませんか?」
「それもそうだが・・・難儀なことです」
 執拗に、船長は今一枚のメモ用紙を広げた。
『台風ハ東北地方ニ再上陸ノ見込ミアリ』
 船長は苛立った顔を見せた。
「何せ、敗戦直後だから何も彼もお座なりだ。況んや(いわんや)人心の同じからざるはその面の如し」
 船長は独りごつと、乾パンの袋を出した。
「如何がですか? 私はこれだけで済ませているのです。おかげで大好物になった」
 船長は少しでも空腹を補っておこうと思った。陰湿な空気を和らげもしたかった。
 駅長は二つ指先で摘まんだ。
 船長の噛む(かむ)音がした。
「気象台は、誠意がなさ過ぎる・・・」
 駅長は臍(ほぞ)を噛む思いに捕らわれた。
 船長は荒天航海の腕に自信をもっていた。
「今更、どうなるものでもない。稚泊航路は夏季は海霧、冬季は流氷と津軽海峡に比べれば危険度は高かった。避けて通れぬ道だってあるでしょう。危険は常につきものだ」
 函館駅長は、船長が戻したメモ用紙を握り潰した。
 船長はガラス越しに桟橋をみつめていた。
 船長に肚は決まっていた。「出港する!」
 しかし、駅長の目には、助勤就航に就いた頼みの綱の宗谷丸、船長の一挙一動の豪胆さが杞憂(きゆう)の因り(おこり)だった。だから駅長は暫時の待機を執拗に固執し続けたのである。
 それでは、と言うことで、船長は一案を提した。『岸壁を離れて外海を見晴らせる港湾中央付近まで四方を睥睨(へいげい)、入念な巡回観測を行いつつ遅緩航行』出航可能なら一回の汽笛。三回鳴らせば帰港と約したのであった。
 出港の可否を巡って侃々諤々(かんかんがくがく)の議論もやっとけりが付いた。渋々駅長は下船して行った。
 船長がデッキに姿を見せた。駅長を見送ったのである。
 国鉄職員が出張所前に勢揃いした。出航の見送りである。鉄道に於ける『示唆喚呼』同様の規則でもあった。
 青函連絡船は、北海道、本州のみならず日本列島の渡り大橋だと、船長は認識していた。
 だからこそ駅長の勧めも拒絶したのである。
『だが、汽車と船ではチョット違うぞ! 汽車にレールはあっても、海に道は無い。海が割れても函館、青森間百十三キロメートルはとても歩けはしまい』
「連絡船の使命は重いぞ!」
 船長は胸を張って船橋に入った。
『駅長の忠告は有難い。だが時化には一等運転士の活眼と、俺の度胸で萬事は克服できる』
 船長は一等運転士に命じた。
「港湾中央まで緩航する。甲板より外海波高の測定を頼む。船橋だと白一色で不確かだ」
「了解!」
 一等運転士がドアを開けた。
 強風が吹き込んだ。
 紙片と乾パンが飛び散った。
 
 巡回を終えた彼らは、兄弟が身を潜めている頭上の急傾斜の階段を駆け上がって行った。
「今の内だ、荷物を降ろそう」
 朝日が言った。
「船室はよそう。荒くれ連中が多すぎる」
「比処が良い」
 照日は喜んでいる。
 甲板だと海は目前。スリル満点。畳み敷きの曾て(かつて)の青函連絡船三等船室より、好奇心を満たしてくれる。兄弟は船室をあきらめた。
「最高の場所だ」
 朝日は照日のリュックサックにゆわえた麻袋の紐を解いてやり、自分は素早く背を向け降ろすと、二人は膝で挟み込んだ。
「さっきの一人は一等運転士だった。伯父は外国航路の一等運転士だったからな・・・」
 伯父(父の次兄)は輸送船で機銃掃射にやられて戦死した。大東亜戦争の南洋だった。
 
 一等運転士は外海に出るまでの間、船首に立ち、進路誘導の任を担う。二等運転士は船尾に立ち、伝声管からの指示を待つ。
 彼らは雲の状況から風向を知り、波高を見て風力を判断する。干満潮の確認。更に消長変化する津軽海峡特有の【白神】【中の潮】【龍飛】三大潮流の現況を予測、把握しなければならない。
 船長は船橋前面の硝子ごしに、荒れ始めた津軽海峡を見つめた。曾ての宗谷海峡が頭をよぎった。水深三十メートル〜七十メートル。濃霧の中、二丈岸に危うく衝突寸前を避けた時もあった。今、目前にしている津軽海峡は百三十メートル〜二百メートルと可成り深い。だが、海面の波浪は寧ろ与し易い(くみしやすい)だろう。唯、津軽海峡には反流、本流、潮目、と予測できない複雑怪奇な海流がある。其奴と闘わねばならない。『台風の奴、北に去ればいいのだが』船長は呟いた。確かにこれまでに遭遇した台風の大半は、温低となり消滅した。
 しかし東北地方に再上陸するとなれば話は別だ。船長は、姿勢を正すと目を閉じた。神を信じる船長は無事に渡航させ給えと敬虔な祈りを捧げた。ややあって、“カッ”と見開いた船長の目は鋭く輝いていた。
 一等運転士が最終巡回状況報告に来た。
「波高六! 反流方位、西南! 突堤航過に注意!」
「了解! 出航する! 船客のためだ!」
 気合に充ちた声が船橋に響いた。
「機関全開! 出航!」
 船長は伝声管に齧り(かじり)ついて声を張り上げた。
 号令であり、簡潔な訓辞だった。
 出航時の緊張の頂点だ。波高が高い。だが船長は声高に命じた。
「汽笛!一回!」
 汽笛が港湾海原に鳴り渡った。
 顎紐を絞め制帽も凛々しい船長。三等運転士。操舵手二名。四名が揃って前方を睨んでいる。
 一等運転士は既に船首に立っていた。強風に攫われ(さらわれ)まいと制帽の庇(ひさし)を掴んで(つかんで)いる。
 一等運転士が勇敢なゴーサインを発した。
 操舵手は一メートル余の舵輪にしがみつき両拳に力を込めた。船は前進を始めていた。
 宗谷丸は波を切り裂き、スクリューはフル回転、艫の波を蹴散らし赤灯台に近づいて行く。
 二等運転士が戻った。船橋に緊張が漲る。
 船長の右に、二等運転士。左に三等運転士。
 総トン数=三千五百九十三・一六トン。
 全長=百三・三三メートル。
 幅=十四・一七メートル。
 深さ=九・一七メートル。
 主機=三聯成・二。
 汽缶=円缶四。
 推進器=二。
 速力=十七・〇六ノット。
 貨物積載量=二千四百九十二トン。
 旅客定員=七百三十五名。
 几帳面に定員を乗せた宗谷丸は白色の船体だ。船尾がまろやかな曲線を描いて、黒々と【宗谷丸】と黒ペンキの筆字で書いてある。







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