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(1)擁護銀講の木札
明和8年(1771)〜天保2年(1831)
 北前船などとの商いのためには膨大な資金が必要であった。この擁護銀講は、町人が組織し、お金をこの札で集め、大金が必要な時に貸し付けた。[解読]
 
(2)擁譲銀講文書
天明3年(1783)
 ちょうど北前船などが盛んに鞆の津へ入港していたころの文書である。[解読]
 
北前船の絵馬
(57×121.6cm)
江戸時代末期〜明治初期頃
 沼名前神社には絵馬堂があり、数多くの絵馬が奉納されていたが、昭和47年の大洪水で倒壊し流失した。その中から15点が泥の中からよみがえった。しかし残念ながら、ほとんどの絵馬が大きく剥落などをしている。
 この絵馬は鞆の商人6人の連名で奉納されている。この奉納者は、幕末頃の鞆の商人であり、よく分からないが商いに関係した六人衆であり商人同士の繋がりを知ることもできる。奉納者の始めにある大坂屋万右衛門は、かなりの大商人であり、一人でこの絵馬を奉納するには十分な財力をもっていたと思われるが、あえてこの六人で奉納した意味が注目される。
 作者は、落款により幕末から明治初期にかけて活躍した絵馬師の吉本善京と分かる。この善京は、版画等を絵馬に貼る技法を考案し、大量に絵馬を制作したことで知られている。本作は、ほとんどの紙がはがれていてよく分からないが、版画でなく手書きの紙を板に貼り作られている。善京は紙に手書きのものを経て版画の手法に至ったのかもしれない。
 本作は、作者と奉納者から江戸時代末期から明治初期のものと分かる。当時、鞆には多くの北前船等が出入りし、活気を呈していたこともうかがえる。
 
大坂屋万右衛門
村上屋左兵衛
平屋春吉
走屋興八
湊屋□助
浦崎屋万助
 
(4)擁護銀講文書
((3)(5)は写真掲載なし)
文化12年(1815)
 本願寺(鞆)の名前が記され、寺院が商活動に介在していたことが分かり興味深い。[解読]







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