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◇大陸との交流は縄文時代から!
〜伊万里港〜
 伊万里港は、佐賀県北西部にある伊万里湾の湾奥部に位置し、水深も深く波静かな天然の良港として知られ、古くから玄海漁業の基地として、また、大陸との海上交通の要衝として重要な役割を果たしてきました。
 
伊万里港全景
 
 伊万里が大陸との交流を始めたのは何と約3千年前の縄文時代です。当時黒曜石は石槍や石斧の材料として使われており、伊万里腰岳産の黒曜石が西日本や朝鮮半島で発見されたことから、縄文時代には伊万里から船で運ばれていたと言われています。
 17世紀初頭には、伊万里港の背後圏である有田において白磁鉱が発見されて以来、日本における磁器発祥の地となり、近世陶磁器を代表する有田焼が生まれました。この地で発展した肥前陶磁器は伊万里港から積み出され、国内では関西、関東、北海道など多方面に渡り、また、遠くはヨーロッパまで輸出されるようになり、積出港の伊万里の名をとり「伊万里焼」として親しまれてきました。
 
伊万里焼のヨーロッパ航路(セラミックロード)
 
 明治以降は石炭積出港として栄えましたが、昭和30年代以降は石炭産業の衰退とともに港勢も低下、以後、工業開発の拠点として工業用地の造成、公共埠頭の整備が進められ造船業や木材関連産業などが立地し発展してきました。
 
◇交通に観光に活躍する伊万里湾のシンボル「伊万里湾大橋」
〜伊万里港臨港道路(久原〜瀬戸線)〜
 伊万里湾のシンボル的存在になっている橋、それが伊万里湾大橋です。伊万里湾大橋は鋼3径間連続中路ローゼ橋で全長651mの九州最大級のアーチ橋です。
 
伊万里港のシンボル「伊万里大橋」
 
伊万里港臨港道路(久原〜瀬戸線)の整備効果
(拡大画面:193KB)
 
 この橋は、伊万里湾によって東西に港湾機能が分断され、地区間の貨物などの交通は市街地を通る国道を迂回するしかなく、多くの時間・コストを費やしていた伊万里港の一体化を図るため伊万里港臨港道路(久原〜瀬戸線、延長約3km)が計画され、平成15年3月に暫定2車線で供用を開始しました。その結果、距離にして約10km、時間にして約30分の短縮が実現し、東西地区間の物流が円滑化されました。また、港湾貨物車両以外の通勤車両、緊急車両及び観光などにも利用されることにより、従来のルートであった市街地の交通渋滞も緩和されています。
 
◇国際物流拠点としてのさらなる発展を目指して〜七ツ島地区〜
 伊万里港は平成9年4月に韓国・釜山の間にコンテナ定期航路が開設されました。当初は週2便で取扱量は年間約7千本でしたが、平成15年大連航路、平成16年には華南航路、上海航路が開設され、平成16年末現在週4便、取扱量は年間約4万7千本に達し(九州第4位:平成15年)、現在も順調に取扱量を伸ばしています。
 コンテナは七ツ島地区で取り扱われそのほとんどが輸入品で、主に中国、韓国、東南アジアから運ばれてきており、主に家具、魚粉、日用雑貨などを取り扱っており、西九州における物流の拠点として重要な役割を果たしています。
 また、コンテナの増大を始めとして伊万里港周辺の企業の進出や拡張により港湾活動が活発化しているとともに、船舶の大型化により既存施設での水深不足が顕在化しており、これらに対応するための大型岸壁(−13m)の早期整備が望まれています。
 
伊万里港のコンテナ船
 
伊万里港コンテナ航路図(週4便)







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