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1995/03/27 産経新聞夕刊
【打鐘が鳴る】競輪再発見(7)夢の五輪 国際化で不動の人気を
 
 競輪関係者の間に一つの夢がある。競輪競技を五輪の正式種目にすることだ。決して実現不可能ではない。「自転車競技の世界選手権では、一九八〇年から競輪が正式種目に加えられていて、柔道と同様、『KEIRIN』の名前で国際的にも知られている」。日本自転車振興会の花岡宗助会長は競輪の国際的認知度の高さを強調する。
 五輪の話は九二年夏にさかのぼる。スペイン・バルセロナ五輪の最中、大薗英夫・日本自転車振興会会長(当時)が国際自転車競技連合(UCI)のハイン・ベルブルッゲン会長と会食し、競輪を九六年の米・アトランタ五輪で正式種目に加えてもらうよう協力を要請したのが始まりだった。ところが、この時、競輪は五輪どころか、世界選手権の種目からはずすことが検討されていたところだった。
 「中野(浩一選手)ら日本の選手は世界選手権で活躍し、国際的にも人気があるが、海外に来てくれるのは世界選手権の時だけ。それ以外はいくら招待しても来てくれない。UCIの中にもこうした不満がある」。ベルブルッゲン会長は競輪はずしの理由をこう説明したという。
 ここで日本側は巻き返しを図った。日本自転車振興会は、世界選手権のほかにワールドカップを創設することに日本側が全面的に協力することなどをUCIに提案。ベルブルッゲン会長もこれを了承した。世界選手権での競輪は存続することとなり、翌九三年、九四年の大会では、最終日の最終競技として行われる、トラック競技の華に格上げされた。
 が、肝心の五輪の話はこの騒ぎで一時棚上げ。九三、九四年と日本自転車振興会、日本オリンピック委員会(JOC)などが国際オリンピック委員会(IOC)、UCIに正式に要請したが、時すでに遅し。アトランタ五輪には間に合わず、ねらいは二〇〇〇年の豪・シドニー五輪となった。
 五輪の正式種目に加えるには、世界五十カ国以上で行われているという条件があるが、韓国で昨年十月に公営ギャンブルとして競輪がスタートするなど、条件をクリアしている。また、今年一月には花岡会長がベルブルッゲン会長とともにスイスを訪問、サマランチIOC会長と直談判した。
 関係者がこれほどまでに五輪にこだわるのは、国際化を通して国内での競輪人気を高めるため。「競輪がスポーツの祭典である五輪で実施されることは、海外ではすでに定着したスポーツとしての競輪が国内でも認知されることにつながる。これは競馬など他の公営競技にはまねできないことだ」(花岡会長)
 車番制の導入、ナイター競輪の検討など、競輪関係者が考えている人気回復策はすべてが競馬の二番せんじ。競馬にはまねできない、五輪での競輪実施で初めて競馬を追い抜ける。
 二〇〇〇年×月×日、シドニーの五輪スタジアム。「君が代」が演奏されるなか、メーンポールに日の丸旗が翻る。今大会から正式種目となったKEIRINの記念すべき金メダル第一号は日本の××選手・・・。こんなシーンを夢に見ながら競輪関係者の努力が続く。
(原口和久)
=おわり
 
 
 
 
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