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1995/03/25 産経新聞夕刊
【打鐘が鳴る】競輪再発見(6)スポーツとして
 
 「競輪のスポーツとしての魅力をファンにアピールしたい」。昨年の賞金王で、人気・実力ナンバーワンの吉岡稔真選手(二四)が事あるごとに口にするせりふだ。
 「スポーツとしての競輪」が脚光を浴びるようになったのは、一九七七年から八六年まで世界選手権プロ・スプリントで前人未到の十連覇を果たした中野浩一さん(三九)の国際舞台での活躍によるところが大きい。吉岡選手に限らず、ポスト中野を目指す若手選手の間でも意識変革が進んでいる。単にギャンブルとしてしか見られなかった競輪がスポーツとしての地位を築きつつある。
 それは、毎日の厳しい練習を見ても分かる。競輪選手にはプロ野球のようにオフシーズンはなく、練習量も格段に多い。一昨年の賞金王、神山雄一郎選手(二七)の一日の練習メニューを紹介しよう。
 毎朝五時に起床し、軽い体操で体をほぐす。五十−六十キロを一時間半ほど自転車で走行。栃木県小山市の自宅に戻って朝食を済ませると、今度は筑波山まで遠出し、そこで茨城県登録の選手と一緒に汗を流すこともある。午後からは地元の宇都宮競輪場などで約二時間の練習。週に三、四回はジムに通ってウエートトレーニング、水泳でからだを鍛える。気が遠くなるような厳しい練習だ。
 地元の先輩選手を“師匠”とし、コーチもいない個人競技だけに、最後は自分との闘いだ。また、人一倍練習をしなければ一流にとどまることも難しい。
 大学に進学して体育の教師になろうと思っていた神山選手に、競輪への道を選択させたのが、やはりスポーツとしての魅力だった。高校生の時に父親に連れられて初めて競輪を見に行った際、「華やかさがすばらしかった。国民的スポーツに思えた」。
 神山選手が目標にしているのが中野さん。その中野さんの引退の弁は、「競輪の一般への理解度はまだまだだから、広く社会に認められるような選手が出てきてほしい」。神山選手には、その期待がかかる。実際、中野さんから精神面や試合運びについてのアドバイスを受けている。
 神山選手が当面の目標としているのが五輪の自転車競技。来年夏に開かれる米・アトランタ五輪からはプロ選手の参加が解禁となる。神山さんは千メートルタイムトライアルに出場したいという。
 「日本が世界で通用するスポーツは限られている。もし僕がオリンピックでメダルを取れば、世間から競輪選手が注目を集め、日本国内でも“スポーツとしての競輪”が認知されるでしょう」
 「競輪入門」「選手を知れば競輪は勝てる」の著者、川上信定さん(四八)は「(五輪出場のため競輪レースを欠場すると)年間の収入が二千−三千万円減るぞと言ったら、神山選手は『構いません』と答えた。お金より名誉を取る若者に感銘を受けた」とエールを送っている。
(鈴木正行)
 
 
 
 
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