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2004年7月号 文藝春秋
異例の皇太子発言 私はこう考える
よくぞおっしゃった
米原万里(よねはら まり)(作家・元ロシア語通訳)
 
 皇太子の愛の深さと優しさに心の底から感動いたしました。これほど妻をいたわり思い遣る夫が今の日本にどれだけいるでしょうか。よくぞおっしゃった。ご発言に踏み切るのにどれほどの勇気が必要だったことかと慮ります。
 かつて、幾度か皇后さまはじめ皇室の方々の通訳を仰せつかったことがあります。その乏しい観察から得た感想に過ぎませんが、誰もが羨むような世界的VIPや、綺羅星のごとき芸術家や作家に会う機会に恵まれても、お話しになる内容は、政治的発言はおろか、決して核心に踏み込んではならない、永遠にただただ挨拶するだけのことを求められるお立場のようにお見受けいたしました。まずあれは駄目、これは駄目と拝謁する側の言動は事前にいちいち制限されます。さらに、常にお目付役のお役人たちが見張っていて、踏み込みそうになると、割って入ってくる。あれは職権乱用ではないか。結局深く踏み込むと、政治に全く無関係な言動は不可能になるからかもしれませんが、これは、知識、教養ともに驚くほど豊かな今の皇室の方々にとって、大変酷なことだと思います。
 ましてや外務省キャリアであられた雅子妃にとっては、息の詰まるような生活なのではないか。ご成婚前の生き生きした知的な表情が時が経つほどに萎縮していくご様子は胸を締め付けられます。そこへ持って来て、お世継ぎの男子を産むよう陰に陽にプレッシャーをかけられ、外交官の夢を何とか皇室外交で果たそうとご自分を納得させておられたその外遊まで制限されてしまう。「男子を産む以外の役割は期待していない」と突きつけられたのも同然で、「キャリアや、そのことに基づいた人格」の否定とは、このことでしょう。民主主義を空気のように吸って成長された雅子妃にとっては耐え難いものだったと拝察します。
 でも学歴、家庭環境、頭脳、美貌に恵まれた彼女はありあまるほどあったであろう人生の選択肢の中からわざわざ皇太子妃という不自由な身分を自らの自由意志に基づいて選択されたのです。もし雅子妃が自己実現の充足感を満喫されるために、膨大な予算を喰う外遊をわざわざ宮内庁がセットするとしたら、本末転倒ではないでしょうか。それに、皇室は、もともとキャリアや能力ではなく、天皇にどれだけ血統的に近いかによってランク付けされる世界。その意味で、「だから女帝を認めよ」と言うのは、偽善的ではないでしょうか。そもそも天皇制や君主制そのものが民主主義とは異質なものなのです。万人の機会均等と法の前の平等を前提とする民主主義の精神からすると、天皇制は成立しなくなるのです。
 しかし、国全体を律する原理とは異なる原理に基づいているからこそ、一種の神聖さ、有り難さがあるのではないでしょうか。お世継ぎを産むという役割を最優先する宮内庁の立場も、能力や競争の結果ではなく血統によって次の天皇が決定するという、民主主義からすると理不尽な価値観から自然に導き出されてくる論理で、長官を責めても何にもなりません。
 未だに女人禁制の大相撲とか、世襲制を敷く伝統芸能に似て、現時点の常識からすると理不尽なことがままあります。でもだからこそ続いているという面があるのです。ここに民主主義を導入していくと、結局、世襲はおかしい、選挙で天皇を選ぼう、ということになってしまいます。まっ、そのような経過をたどって大統領制は生まれたのですが。
 しかし、世俗の政治権力を相対化させる契機として、権力を持たない君主制は優れた人類の叡智です。選挙で選ぶ君主=大統領制を維持するには、皇室を維持するより膨大な費用がかかるだけではありません。支持率アップのためには戦争をも辞さないブッシュを思うと、権力を持つ大統領よりも、代々一つの家系が国の象徴の役割を果たしていくという、日本の行き方のほうが、相対的に穏やかでいいのではないか、と愚考するのです。
◇米原万里(よねはら まり)
1950年生まれ。
東京外国語大学卒業、東京大学大学院修了。
現在、ロシア語同時通訳者、エッセイスト、日本ペンクラブ常務理事。
 
 
 
 
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