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1999/05/17 産経新聞朝刊
【正論】皇民か「国民の天皇」か
評論家・作家・麗澤大学教授 松本健一
◆礼式曲が国歌にスライド
 わたしは「国力としてのアイデンティティ」と題した論考を、四月二十日付の本欄に発表した。そのメイン・テーマは、「モノ・カネ・人・情報が容易に国境を越える時代だからこそ、ナショナル・アイデンティティ(民族的一体感)のしっかりとした民族国家のみが国際社会に生き残ることができる」、というところにあった。
 これに対して作家の出雲井晶さんは、四月三十日付の「私にも言わせてほしい」の欄で、そのメイン・テーマを意識的にズラして、「『君が代』は素晴らしい国歌」である、との反論をおこなった。
 たしかに、わたしはその論考のなかで、「君が代は国歌ではなく、天皇礼式(天皇に対する敬礼曲)である。これを(日の丸と)一緒くたに国旗・国歌として法制化するのには、無理がともなう」と書いていた。
 出雲井さんはこの箇所をとりあげ、「この松本氏の主張であれば、わが国には現在にいたるまで国歌がなかったということになる。松本氏は、わが国がどのようにして成り立ってきたか、失礼ながらよくご存じないから、このような発想になられるのではないか」と批判し、加えて「それは、君が代反対を叫んでいる大部分の人々についても言えることだと思う」と、あたかもわたしが君が代反対を叫んでいるかのように主張された。
 しかし、わたしはその論考ではもちろん、どこでも、君が代反対を叫んだりはしていない。ただ、君が代は本来国歌ではなく、天皇礼式の曲であって、これが国歌にスライドしたのであり、日の丸が統一国家日本の国旗として定められた経緯とは、おのずから歴史がちがう。それを一緒くたにすると、「無理がともなう」といっているにすぎない。
 くわしくは、『サピオ』五月十二日号に発表した「法制化を急ぐよりナショナル・アイデンティティの再確立が先だ」にのべておいたので、それを参照してもらいたいが、日の丸のばあい、国旗(日の丸)と天皇旗(菊花紋章)とが、明らかに別のものである。日の丸は統一国家の旗つまり国旗であるが、菊花紋は天皇家の旗じるしにほかならない。
◆法制化はなじまない
 むろん、わが民族はこの二つを、ばあいばあいによって使いわけている。国旗掲揚は日の丸だが、パスポートには菊花紋が刻まれているのだ。そのこと(ダブル・スタンダード)を、だれも不思議におもわない。
 国旗と天皇旗が別であるように、国歌と天皇礼式の曲は本来的に別のものなのである。ただ、国歌が正式につくられなかったために、天皇礼式の君が代が国歌にスライドしたのである。だから、これを一緒くたに国旗・国歌として法制化すると無理がともなう、といっているのだ。
 それに、わたしは日本の国旗・国歌に法制化はなじまない、と考えている。法律で定めたことは、法律で引っくり返される可能性がある、ということだ。かつて元号法制化の問題がおきたとき、社会党(現在の社民党)は大反対をした。そのあと社会党を中心とする革新勢力が参議院で過半数を占めたとき、社会党は元号法の廃止法案をださなかったが・・・。
 ともかく、わたしたちは元号法制化の前も後も、元号と西暦とを二つながら(ダブル・スタンダード)でつかっていて、とくに不自由は感じない。そういう国民的常識を、無理やり法制化する必要はないのである。国旗・国歌についても、国民的常識がおのずから定着するのを待てばよいのだ。
 それよりも、現今の日本における究極のテーマは、来世紀にむけてのナショナル・アイデンティティの再構築でなければならない。
 わたしは「日本神話」に反対などしていない。ただ、戦前の日本はその「日本神話」にもとづいて、「天皇の国民」を国体イデオロギーにした。国民を天皇のもとに政治的に束ね、「皇民」としたのである。これは、天皇制を国民支配の原理とすることであった。わたしたちはこの戦前の、「天皇の国民」というイデオロギー的失敗から学ぶべきである。
◆日本文化としての天皇制
 では、現今の日本におけるナショナル・アイデンティティの再構築のために、天皇制をどう位置づけるべきか。
 わたしが『サピオ』でのべたように、「天皇制とは何かをきちんと考えないような日本のナショナル・アイデンティティはありえない」。これは、皇居をどこに置くかも考えずに首都機能を移転しようと議論することが、いかに空理空論であるか、ということにも通じている。
 わたしは「天皇の国民」という戦前の国体イデオロギーの失敗をふまえたうえで、「国民の天皇」という文化を考えている。
 日本人は漢字に対し「かな」をつくり、漢詩に対し「和歌」をつくったように、中華の皇帝制に対して日本文化としての天皇制をつくった。そして、西洋の近代国家に対抗しつつ、なんとか国民国家もつくった。その日本人の「自立」の気概に、ナショナル・アイデンティティの再構築の期待をつないでいるのである。
(まつもと けんいち)
◇松本 健一(まつもと けんいち)
1946年生まれ。
東京大学経済学部卒業。
京都精華大学教授を経て、現在、麗沢大学教授。
 
 
 
 
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