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私はこう考える【天皇制について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1995/11/05 産経新聞朝刊
【時評】論壇 戦後民主主義の主体をめぐって
松本健一
 
 戦後五十年熱が吹きあれた今年の九月、岩波書店が『丸山真男集』全十六巻別巻一の刊行をはじめた。丸山真男が「戦後民主主義」を象徴する人物であってみれば、これは、岩波書店が丸山の「戦後民主主義」とともに戦後五十年を歩んできたのだ、という自己認識の行為にほかならないだろう。
 事実、「戦後思想と批判精神」を特集に組んだ『世界』の今月号は、丸山真男へのインタヴュー「サンフランシスコ講和・朝鮮戦争・六〇年安保」のほかに、三つの丸山論(佐和隆光・酒井直樹・陳平原)を掲載したうえで、編集後記に次のように記している。
 「九月から刊行が始まった『丸山真男集』の第一回配本には敗戦直後の二一論文がおさめられている。その三番目に所収されているのが、小誌(「世界」)に寄稿された『超国家主義の論理と心理』(一九四六年五月号)である。大日本帝国は、なぜ超国家主義として存立したのか−−天皇制国家の精神構造を究明しようとしたこの論文は、当時の言論界に大きな衝撃を与えた」
 丸山はこの衝撃的論文で、日本の超国家主義=ファシズムを明治以来の天皇制国家原理そのものの特質ととらえた。そして、その解体こそが「戦後民主主義」革命の目的だと考えたわけである。かくて、『超国家主義の論理と心理』という論文は、次のように結ばれた。
 「日本帝国主義に終止符が打たれた八・一五の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである」
 この結語の一節は、戦時=超国家主義に引導を渡す断固たる名調子とともに、戦後民主主義を宣言したものとして名高い。この一節に関して、高澤秀次は「丸山真男と近代の超克」(『諸君!』)で、次のようにのべている。
 「戦後啓蒙の出発点となったこの論文を、冷静に読み返した読者は、おそらくこの『自由なる主体』のくだりに、当惑を禁じえまい。丸山の論旨は、誤読の余地がないほど明快である。日本の敗戦によって、国体がその絶対性を喪失したと同時に、日本の国民は無条件に『自由なる主体』となった、と丸山は語るのである」
 だが、敗戦によって「日本の国民は無条件に『自由なる主体』となった」、というくだりは、あまりにも不用意な発言なのではないか。なぜなら、戦時の超国家主義のもとにあって「自由なる主体意識が欠如していたこと」は、丸山にとって自明だったはずだからだ。そうだとすれば、高澤は次のようにいう。
 「『自由なる主体』は、まさに天からの恵みのように、敗戦にうち拉がれた(ひしがれた)日本国民にもたらされたことになるのだ。それは、丸山的に言うと、『作為』によってではなく、『自然』に授かった恵みだったのである」
 高澤がここで用いている「作為」と「自然」のキーワードは、丸山がヨーロッパ近代の独立した主体と日本の思想の対比として概念化したものである。高澤はその概念を用いて、敗戦後の「自由なる主体」は天からの恵みのように、外から「自然」に授かったものなのではないか、と批判しているわけだ。外から授かる「自由なる主体」なんてあるのか、と。
 この高澤の批判は、「戦後民主主義」が日本における前近代と超国家主義の否定のうえにもたらされたものではないこと、そうして「戦後民主主義」革命の主体たるべき丸山真男の思想的な弱さを、なかなか鋭く探り当てている。
 だが、丸山が知識人としてみずからの手本にした福沢諭吉について次のようにのべていることを、高澤はどのように考えるだろうか。丸山の一九七一年の講義「福沢諭吉の人と思想」(『みすず』一九九五年七月号)に、こうある。
 「日本で比較的に多い考え方というのは、主体性という場合にも、内発性の意味であります。状況認識とは関係ない、むしろ、ある場合には状況認識を軽蔑して、純粋に内なるものを外に発露させる。これを主体性という場合が多い。・・・つまり、酒が好きで、やむにやまれぬ気持ちで、断固として酒を売る、それが主体的ということ、あるいはそれだけが主体的であるというふうに受け取られます」
 ところが、福沢のばあい、「主体性」とはそのようなものでない。内発的なエネルギーを自然に発露させる、それだけのものではない。
 「むしろ(自然に)逆らうということに自分の思想的な生産の意味を見出していたのではないかと思います。自分の思想的な生産の意味は、そういう思考法ではない思考法を主張することです。酒屋の主人、必ずしも酒が好きではないんだぞ、という思考法を、自分の場合に適用するだけではなくて、そういうものの考え方を世の中に一般化すること。それが、『文明論之概略』で縷々述べている知と徳との問題へと発展します。・・・精神的惑溺からの解放と関連しているのです」
 つまり、福沢はその思想の内発的なエネルギーを自然に発露して、近代化もしくは「文明開化」のイデオローグとなっていたのではない。それは福沢の「演技」だった、というのである。当時「もっとも恐るべき敵」は西洋諸国であり、それゆえこの強敵から学ぶべきだ、というのが、かれの文明開化の主張だ、というのである。
 この丸山の福沢論を応用するとしたら、敗戦後の日本にとって「もっとも恐るべき敵」がアメリカ民主主義であり、この強敵から学べ、というのが、「戦後民主主義者」としての丸山真男の主体性だった、ということになる。要するに、知識人にとっての主体性とは、内発的な思想によるものばかりではなく、外的世界との関係性において、ある役割を「演技」することでもある、というわけだ。
 「大日本帝国の『実在』よりも戦後民主主義の『虚妄』の方に賭ける」(一九六四年)という丸山の言葉を理解するばあい、この主体性論はなかなか意味深長といってよいだろう。
(評論家)
◇松本 健一(まつもと けんいち)
1946年生まれ。
東京大学経済学部卒業。
京都精華大学教授を経て、現在、麗沢大学教授。
 
 
 
 
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