2002/02/05 産経新聞夕刊
お堀の内側で見る女性天皇論 伝統は「柔らかく」継承
社会部 豊川雄之
宮内庁の湯浅利夫長官は、一月の定例記者会見で、いつも以上に慎重に言葉を選んで語った。
「具体的に(皇室典範改正の)ご指示というよりも、皇太子妃殿下にプレッシャーにならないようなお気持ちを素直に出されたものと理解しています」
敬宮愛子さまの誕生にあたって、“大大叔母”にあたる高松宮妃喜久子さまが、女性誌「婦人公論」(中央公論新社)で、男児誕生への期待を述べる一方で、「長い日本の歴史に鑑みて(女性天皇は)決して不自然なことではないと存じます」とつづられた。その感想を問われてのことだった。
敬宮さま誕生に関して皇族方が女性天皇問題に言及したのは初めてのこと。宮内庁には直面する最も大きな懸案の一つである半面、「宮内庁が議論の先頭を切るわけにはいかない」(幹部)微妙な問題でもあった。
敬宮さま誕生直後、女性天皇を容認・待望する声が、国内外のメディアで取り上げられた。多くは「男女平等の時代、女性が天皇でもまったく問題はない」という意見で、テレビ画面からは「女性のほうがかわいくていい」という町の声も紹介されていた。
日々、皇室の間近で取材をしていると、政治体制としての「天皇制」とは別の次元で、皇室が「礼儀」「立ち居振る舞い」といった所作や、「家」「夫婦」といった日本の文化、社会の在り方の「手本」としての役割を期待されていることを痛感させられる。
確かに、日本には過去八人の女性天皇がいた。しかし、どのケースでもその後の皇位は男系の男子が継承しており「男系男子による継承」が守られてきた。仮に女性天皇を認めるように皇室典範改正が行われたとしても、最大の問題は今後、皇室の「男系による継承」を守るのか、「女系」に切り替えるのか。もしくはそれを「混在させるのか」ということになる。
男系の継承を見直すことは、崩れかけているとはいえ「家」や「夫婦」といった日本の社会の根幹を考え直すことにつながる。女性天皇論議は、単純な男女平等論を超えた「覚悟」のいる議論でもある。
大上段に歴史を振り返ってみれば、中世以降、天皇家は、幕藩体制、近代の明治憲法、戦後の現行憲法の下で、時代に沿いつつ歩んできた。
敬宮さまの誕生された後、皇居・宮内庁病院でお子さまの成長を願う儀式「読書鳴弦」が行われた。平安時代の装束で床に向けて弓を引く儀式を行ったのは、幕藩体制を担ってきた徳川家の十八代当主、恒孝氏と前田家十八代当主、利祐氏だった。日本の社会の「柔らかさ」を象徴しているかのような光景だった。
しかし、平成十四年の現実に目を向けると、皇太子、秋篠宮両ご夫妻に男児が誕生する可能性は十分にあるものの、天皇家をとりまく環境は楽観できる状況ではない。
「本音で言えば、男系の伝統を守りたい」という宮内庁幹部も、男系を守るための旧皇族の皇籍復帰や養子縁組には「世の中に受け入れられるのは難しい。仮にこのままならば(女系による継承の)他に選択肢はない」と打ち明ける。
皇位継承は政治問題であると同時に、天皇家の私的な問題でもある。
天皇陛下は、外国訪問や王室来日の際に、同じ悩みを抱えている各王室の話に耳を傾けられていると聞く。
印象的だったのは敬宮さまが誕生した翌日の昨年十二月二日、記者団が病院前で天皇陛下に初対面の感想を尋ねたときのことだった。
天皇陛下は、こちらが拍子抜けするほどてらいのない笑顔で「とってもよかったね」と皇后さまに笑いかけられた。継承問題について、誰よりも深く考えられているはずの天皇陛下が見せた笑顔からは、男児でなかったことについて一点のわだかまりも感じられなかった。
残念ながら直接、気持ちを確かめる機会はないが、長く子供に恵まれなかった皇太子ご夫妻を純粋に祝う気持ちとともに、陛下は継承問題について、自身のなかで、何か“柔らかく”整理をつけられているのではないだろうか。
皇室にとって難しい時代、仮に「男系継承」の伝統が失われ、社会の在り方が変わったとしても、こうした「柔らかさ」が、皇室に受け継がれてきた、ひいては私たちの社会の伝統なのかもしれない。お堀の内側で、そう考えている。
(とよかわ・たけし)
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