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1989/01/12 読売新聞朝刊
[天皇をみつめる世界](5)韓国 「日帝」に強い旧怨(連載)
◆歴史検証し、共通認識を◆
 昭和天皇崩御の七日、韓国のある通信社は、各界を代表する声を特集した。
 「天皇の死を契機に日本が民主共和国に転換してほしいというのが、個人的願いである。実際にはヒロヒト死後も天皇制は維持されるだろう。なぜなら、天皇制は日本軍国主義を維持する精神的な力となってきたからだ」
(金竜徳ソウル大東洋史学科教授)
 「ヒロヒトの死は、日本の建国以来、最も好戦的で侵略的だった時代の終幕にほかならない。彼の死が新たな好戦的、侵略的時代の開幕とならないよう日本に望みたい」
(文芸評論家、任軒永氏)
 「アジア全域で数百万の罪のない生命を奪った最高戦犯として、また、わが国を植民統治した最高責任者として(天皇は)責任を免れないだろう。彼の死を通じ、日本国民全体が、その罪をつぐなう契機となればと思う」
(林沃・大韓キリスト教長老会総会長)
 韓国を代表する知識層のこうした論評は、現在の日本側の平均的歴史感覚に照らせば、いかにも過激であり、心外と感じられるかもしれない。しかし、日本が朝鮮半島を支配した「日帝三十六年」が、韓国にとって亡国と受難の時代だった事実は、「日韓新時代」を標榜(ひょうぼう)する今日も変わらない。昭和天皇の崩御にあたって示された韓国マスコミの共通の反応−−つまり、天皇もしくは天皇制への憎悪に近い感情と、日本の「右傾化」に対する警戒感は、国民一般の対日観をそのまま代弁したものと受け取るべきだろう。
 反面、旧怨(きゅうえん)は旧怨として、新しい日韓関係を目指す出発点とすべきだとの意見、論調も聞かれた。「英語の実力抜群−−平民と結婚し話題に」「魚類学にうち込み、著書や論文二十余編を発表」・・・新天皇の紹介記事はおしなべて好意的であり、大きなスペースをさいたのが目を引いた。
 「九〇年代の新しい時代を開く、明仁新日皇(日皇は韓国での天皇の呼称)の継承を歓迎する」(京郷新聞)とし、視点を未来に向ける姿勢も印象づけた。
 竹下首相が謹話の中で「お心ならずも勃発(ぼっぱつ)した先の大戦」と語ったことに対し、「東亜日報」など一部有力紙が「天皇の戦争責任を否定したもの」として激しく反発、日韓両国に一瞬緊張が走った。以前の「教科書問題」をめぐる展開から見れば、外交問題にも発展しかねないパターンだったが、外務省を中心とする韓国政府当局は、この問題に関する公式論評をいっさい拒否、「見解の差による解釈論」との態度を貫いた。
 ただ、「昭和」から「平成」への時代の節目を真の日韓新時代のスタート台とするには、これまで以上に相互理解に努めることが不可欠の条件と思われる。
 まず、韓国側が指摘するのは、「日本の国民、とくに若い人たちに(日韓両国の)過去の歴史について知識が乏しい」(金大中・平民党総裁)点だ。外交問題に再三発展した「教科書問題」はともかく、一方が「歴史に対する基本的知識」に欠けていては、過去の清算、反省という観念は生まれず、共通の認識も持ち得ないとの主張である。
 ただ、これに対し、韓国側でしばしば見られるのが「事実を超えた歴史の通念化」だ。最近の一例だけを挙げれば、ある有力新聞が音頭をとって建立した「趙明河義士」の銅像などは、これにあたるだろう。趙明河は、昭和三年、台湾を訪問した現皇太后の父君、久迩宮邦彦王(陸軍大将)に短刀を投げつけて処刑された人物。建国四十周年を記念し昨年十月、銅像の除幕が行われた。その際の顕彰式では、「久迩宮は毒塗りの短刀を受け、半年後に死亡した」とされたが、防衛庁保管などの日本側資料によれば、短刀は宮には届いておらず、歴史の検証という点で疑問を残した。
 両国の政治、外交レベルでは、三月にも予定される盧泰愚大統領の訪日を機に新時代の日韓関係開幕を相互に確認し合うのは間違いない。しかし、「昭和」の二文字に凝縮された両国間の不幸な過去を、それぞれの立場から検証し合い、共通認識を作り出す努力なしには、善隣関係の飛躍的発展は期待できないだろう。
(ソウル・大江特派員)
 
 
 
 
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