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『無題』
筑波大学医学専門学群 齋藤 彩子
 
 納棺が終わり最後の黙祷の時、無音の中に不思議な共鳴音が響くのを感じた。それは生と死を越えたヒトの輪の中にできる、人生の喜びの響きだった気がする。私は心の中で繰り返した。―あなたから学んだことは一生忘れません。生きる喜びもヒトの素晴らしさもそして私がこんなにもヒトに魅了されていることにも気付かせて頂きました。私は常に人生を深く味い生きて自分を高めていくことに努めます。ヒトが求める医療を考えていきます。ありがとうございました。
・体の真ん中から温かいものが溢れ出てきた。
・私は寛容な心に包まれていた事に気付いた。
・解剖の二ヶ月間の色々の場面を思い出す。
・今でも鮮明にその感動を蘇らせることのできる場面がある。解剖させて頂いた方の子宮に手を触れた時のことだ。
 形容し難い気持ちになった。今まで見てきからだたような「身体(からだ)」がこの中でまた作られる。どうしてこんな、すばらしいことが起こり得るのだろう。
 そこに生じるのは物理的にすばらしいことだけではない。心を大きく振動させる奇跡が起きるのだ。小さな細胞が、喜びにはちきれながらどんどん大きくなっていき、やがて一続きの命の身体を作り、大勢の人の心に包まれてこの世界に降り立つ。「生」が何なのか少しつかんだ感じがした。
 細分化して見た時、身体の各部では確かに驚くほど素晴らしいことが行われている。それら個々について知識を深めていくことはもちろん大切だ。だが、それら個々の働きは全て、最終的にはヒトを生かすために行われていること、つまり身体の各部は一続きとなっていること、身体全体として一つの機能を持つことも忘れてはならないとも思った。ヒトの体は機械ではない。心との相互作用も強い。身体と心が健康な状態になるような医療を提供できる医者になっていきたい。
・未来にゆるがない夢を見つけた。
 御遺体を提供して下さった方々、御遺族の方々に心から感謝致します。ありがとうございました。
 
北海道医療大学 坂本 理恵
 
 初めて解剖体のおばあさんの顔を見た時、私は一目で感動し、尊敬の念を抱いた。そして、私は、何故だか、この方が素晴らしい人生を歩んできたのだと思った。そして、その気持ちは解剖学実習の期間中に何度も私の胸に湧き起こり確信へと変わっていった。あなたの脂肪の少ない体にはよく鍛えられた筋肉がつき、年老いたその口には、ほとんどの歯が残っていた。そして、その顔つきは凛としたものを感じさせた。そんな気持ちのためであろうか、皆がしんどいと言う解剖学実習が私には楽しくて仕方がなかった。授業や実習のために使う教科書の図では理解し得ない実際の構造に強くひきつけられ、剖出した筋や神経が教科書と同じ位置にあった時、それは大きな感動に変わり、忘れられない知識となることを確信した。しかしその一方で、教科書とは違った位置にある血管や筋のつき方はそれが私達の班の解剖体特有のものであり、その個体差が何故か私は嬉しかった。
 ただ、夜、蒲団に入ってからのぼんやりとした時間に、神経を剖出するために結合組織を取り除いたりする映像が脳裏に浮かび、「ドキッ」として閉じかけていた瞼が開くこともしばしばあった。解剖学実習が歯学部、医学部生だけのものであることを思い出し、少し恐ろしかった。しかし、それ以上に、この経験はあなたが私にかけてくれた期待がどれだけ大きいものなのか、医療人になり、人の体にメスを入れることがどれだけ重たいことなのかを教えてくれた。
 もう少しで解剖学実習は終わるが、人体の不思議さの虜になった私は、その欲求を満たすために勉強を続け、それをあなたが導いてくれるであろうと、何故か漠然と思っている。残りの実習でもあなたからの大きな贈り物を余すことなく吸収し、その御意志と期待を裏切ることなく、良医となることを約束したい。あなたには、本当に感謝しています、そしてこれからもお願いしますと心から思っている。
 
北海道医療大学 佐藤 博昭
 
 私は、人体解剖学実習で、講義や教科書だけでは学べない実に多くのことを学ばせていただいた。献体された方の崇高な精神に感謝しながら、私は毎回真剣に実習に取り組んだ。この貴重な体験を粗末にしてはいけない。私が可能な限り多くのことを学ばせていただくことが献体された方の御意志に報いることなのだと自分に言い聞かせた。途中、くじけそうになったとき、解剖体のおばあさんの優しい笑顔に、「頑張って。たくさん学び取ってね」と、何度となく励まされたような気がした。この心に伝わる励ましに、どれだけ助けられたことかわからない。
 毎回、一生懸命に予習をして、結合組織を除去し筋肉、神経、動・静脈を剖出、同定し、それら一つ一つが全体として有機的に連動して働き、人間の体が生命を紡ぐ神秘さを実感できたことは、これまでの人生で経験したことのない充実感であった。また、解剖体の一体一体が、教科書どおりではなく、それぞれが個性を持った構造をしていた。このことは、将来、私が歯科医師として患者さんと接する時には、個人の体の個性に個別に対応することがいかに重要であるかということを教えてくれた。
 また、医療現場において、いかに協調性が大切かを学ぶことができた。私の班は、班員6人全員で助け合い励まし合いながら実習をひじょうにスムーズに進めることができた。最初はぎこちなかったが、次第に息がぴったりと合っていく様に、言い知れぬ一体感と仲間への信頼感を覚えた。
 私は、解剖学実習で学んだことを、将来、歯科医療を通じて社会に還元していくことが、献体された方々への最高の恩返しであるということを肝に銘じて、今後も真剣に歯科医学を学んでいこうと思う。最後に、献体された方々に改めて感謝の意を表したいと思います。本当にありがとうございました。
 
山形大学医学部 清野 学
 
 期待よりも不安のほうが強い精神状態の中で始まった解剖実習ですが、もう数回で実習も終わり、納棺を迎える時期となりました。振り返ると解剖学という一つの学問を通じて医学への志や仲間の大切さを再度認識できたような気がします。唯一、勉強不足だったのが悔やまれますが、それ以上に得るものが多い実習でした。
 献体してくださった故人とご遺族の方々のことを思うと、細い脈管、神経なども疎かにできない気がして、思うように実習を進められないときもありました。しかし、その一つ一つを確認できたときは、改めて人体の素晴らしさに感動させられるとともに、人体の精密さ、複雑さを痛感させられました。また、実際に目の前にある立体的な臓器の配置、各個体により微妙に異なる脈管、神経の走行、筋肉、腱などの厚さなどは、どんなにきれいに描かれた図譜よりも本物であり、主張があったように思います。そういった、教科書的な勉強姿勢から逸脱し、実感を伴った理解を経験したことも解剖学実習で得た財産の一つではないでしょうか。そして、この実習で得たものが、自分のこれからの医学に対する行為を根底から支えるものとなることでしょう。
 解剖実習は別の意味でも、私の心に影響を及ぼしました。解剖により、自分が医学部に入り医者としての一歩を踏み出したのだという認識を強く持ったのです。初めてご遺体と対面したとき以来、実習中に生と死を意識しない事はなく、おじいさんがどのような人生を送り、どのような思いで亡くなっていったのかと思うと、生命の尊さを感じざるを得ませんでした。そして、将来私はさまざまな人生を歩んでいる命を相手にするのだということを実感しました。こうした積み重ねが今日の医学を築き、多くの貴いご遺志が、その基礎になっていることを決して忘れることはできません。
 故人が何のためにご自身の体を提供して下さったのかを忘れずに、そのご遺志に報いるためにも、私たちは立派な医者となる努力を惜しんではいられないと思います。
 最後に、知識の浅い私たちに解剖学という学問を示してくださった先生方、また長い間お互いに支えあってきた班員に感謝したいと思います。そして、私たちにこのような素晴らしい機会を与えてくださった多くの方々、献体してくださったおじいさんとそのご遺族の方々に深く感謝の意を表し、おじいさんのご冥福をお祈りしたいと思います。ありがとうございました。
 
聖マリアンナ医科大学 副島 香織
 
 解剖学実習を通して、私達は自らが医学を学ぶ者であるという自覚を確固なものにする事ができたのではないかと思います。今までの机上の学問では、命の尊さ、人の命を任せられる事の重大さや責任の重さがどこかあやふやで、現実味の薄いものでしかありませんでした。実際に初めてご遺体を目の前にした時は、正直な気持ち、ショックを隠しきれませんでした。動揺の中、どのように敬意を払えばよいのか、そしてどのように接すればよいのか見当がつかず、ただただ心中を模索していたのを覚えています。その最中、ただ一つ確かであった事は、ご遺体のご提供者は生前、一人の人格として人生を歩んでこられたという事実です。私達と同じように青春時代を過ごし、そして家族を持ち、色々な人との関わりの中で私達の何倍もの人生を送ってこられたという事実なのです。当たり前の事ではありますが、ご遺体を任せられた者が常に心に留めておくべき最も基本的で重要な精神であると思います。また、この事実を心に留める事で、ご遺体を慈しむべき、とても掛け替えのない存在であると痛感致しました。そして、ご遺体にどの様に接するべきか戸惑う必要もないということもです。つまり、ご遺体は一人の人格であり、生前であっても、天に召された後であっても変わらないという事なのです。私達は生きている人間に接するようにご遺体に接するべきだと思い、時には話しかけながら、ただ、最高の敬意を払うことは絶対として接するように心がけました。
 実習が終わった今となっては、大切なお身体を拙い私達に任せようと思って下さったご提供者の方々、そしてご遺族の方々への感謝の気持ちで溢れております。ご提供者の方は自らのお身体を献体されることに対し、私達の想像を超える葛藤があったのではないかと思われます。また、ご遺族の方々も掛け替えのない大切な肉親を献体されるという事で、やはり辛い思いをされた方、思い悩まれた方もいらっしゃると思います。様々な交錯する思いを私達はしっかりと受けとめなければならないと思いますし、また、その責任を果たすべく日々勉学に励み、ご遺体のご提供者の方々、ご遺族の方々に納得していただけるような医師にならなければならないと痛感致しております。







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