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1993/03/28 毎日新聞朝刊
[社説]社会 死刑存廃論議を深める時期
 
 気がめいるニュースを突然、聞いた。一九八九年十一月以来、途絶えていた死刑の執行が二十六日に再開されたというニュースである。
 死刑執行の空白期間は、三年四カ月にも及んだ。執行がゼロの年もあったが、これだけ長い間、全く執行されなかったのは、明治以来初めてのことだという。
 死刑制度については、国際的にも廃止の潮流が強まりつつある。八九年十二月には国連で死刑廃止条約が可決され、九一年七月には発効している。先進国で死刑制度を存続させているのは、わが国と米国の三十六州だけといわれる。国内でも、死刑制度の存続に反対する声があちこちで上がりつつあった。
 そうした中で続いた空白だっただけに一部には、わが国も廃止の方向へ向かう兆しではないかと受け止める人たちもいたほどだ。だが、今回の執行再開によって、そうではないことがはっきりした。
 しかし、考えてみれば、この空白期間には少なくとも私たちに問題を提起してくれた意味があるのではないか。つまり、死刑存廃をめぐる論議に私たちも真剣に取り組むべき時期にきているのではないかということである。
 後藤田正晴法相は昨年十二月の就任記者会見で「法務大臣は死刑執行を命令する義務があり、これを大事にしないと法秩序そのものがおかしくなる」と発言した。今年二月の衆院法務委員会でも「執行の命令は法相の職責として守っていかなければ、国の秩序は守られない」と答弁している。
 確かに現行法に死刑制度の規定がある以上、行政官庁としては執行する義務がある、との意見を無視するわけにはいかない。
 だが、第二次海部改造内閣の法相だった左藤恵衆院議員は、浄土真宗の住職であるという宗教的な信念から執行命令書に署名しなかった。
 公平な法の運用をする義務のある法相が、一人は署名を断り、もう一人は署名をする。このようなことで法の下の平等が確保できるのか、という疑問もある。
 死刑はいったん執行されてしまったら取り返しがつかない刑であることはいうまでもない。戦後、再審によって無罪になった元死刑囚が現実に四人もいる。
 死刑制度があることで凶悪犯罪の発生を抑止する効果があるとの指摘や被害者の感情を重視する見方も存続論者の間では有力だ。
 これに対して、廃止論者からはどんな重罪を犯したとしても国家が生命を奪うことはできず、犯罪の抑止効果は科学的に証明されたものではないなどとの反論がある。
 八九年に総理府が実施した世論調査では、廃止賛成は一五・七%だったのに対し、廃止反対は六六・五%あった。この時点ではまだ、世論は死刑制度存続派が多数だった。
 だからといって、この問題にこれまで本格的な論議が行われたとはいえない。その後の国際的な潮流なども考え合わせ、死刑廃止条約をわが国も批准するかどうか、実りのある論議をする時期にきているのではないかと思う。
 法の名の下に人を殺す死刑制度を今後も存続させるべきかどうか。私たちにとっては、極めて重いテーマである。
 しかし、国民も政治家も無関心でいることは許されなくなっている。国会などの場でも幅広い論議をする必要がある。
 
 
 
 
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