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2001/03/05 読売新聞朝刊
長野・田中知事の「脱ダム」宣言 渦巻く反響 利水・治水、揺らぐ「神話」
 
 田中康夫・長野県知事が「ダムを造るべきではない」と宣言してから約二週間。地元県議会の各会派からは「宣言を撤回すべきだ」との声が噴出し、ダムを所管する国土交通省も反発を隠さない。国内のダムは二千六百を超え、なお五百近い計画が進行中だ。だが、公共事業の見直しで、かつてのダム神話も揺らぎ始めている。長野発の「脱ダム宣言」の波紋を追った。
(社会部・園部弘毅、徳毛貴文、長野支局・長谷川由紀)
◇長野
◆「英断だ」「独裁」「議会無視」 賛否割れる地元
 「脱ダム宣言を撤回するつもりはないか」。先月二十八日の県議会で、最大会派「県政会」の議員は田中知事をにらんだ。
 「宣言はいささかの変更もありません」。ぶぜんとした表情で答える知事。今月二日までの三日間にわたって行われた各会派の代表質問では同じようなやりとりが繰り返された。
 「脱ダム宣言」が飛び出したのは、先月二十日の記者会見。用地買収を先送りしていた下諏訪ダムは中止、未着工の六つのダムは「視察して判断する」という内容だ。「国から手厚い金銭的補助が保証されているからとの安易な理由でダム建設を選択すべきではない」と、国のダム政策にも疑問を投げかけた。
 実はこの一時間前、知事は県土木部長らを知事室に呼び寄せ、原案を見せた。本体未着工のダムは原則中止と書かれていた。四日前に発表した新年度予算案には、下諏訪を含む本体未着工の七ダムに総額約二十億円を計上している。「予算査定は何だったのか・・・」。慌てて幹部が訂正を求めると、知事は不快そうにパソコンを打ち直した。
 内容は幾分トーンダウンしたが、反響は大きかった。推進派の「下諏訪ダム建設促進期成同盟会」の今井満行会長(68)は「県の方針を受けて二十年やってきた。民主主義にこんなことがあっていいのか」と声を荒らげる。中止を電話で知事から伝えられた下諏訪町の新村益雄町長は「科学的データを示してもらわなければ、OKは出せない」。
 オール野党の県議会で賛成派は共産党だけだ。他会派からは「独裁」「議会無視」「非民主主義」との非難が飛び交う。保守系議員は公共事業全体を見直そうとする知事に警戒感を強める。
 知事は下諏訪ダムの代替案作りを土木部に指示した。しかし、同部は遊水池や堤防のかさ上げなどの案は「現実的に不可能」と判断し、知事答弁では「川幅を拡幅して対応すれば、負担はダムと同額の二百九十八億円」との試算を示しただけ。
 「住民の意見を反映させるべきで、こちらが決めた案を出すのは民主的ではない」と説明した知事だが、「では住民がダムを望めば造るのか」と切り返されると、「コンクリートのダムは地球環境に負荷を与え、できる限り造るべきではない」と宣言の内容を繰り返すのみで、直接、質問には答えなかった。
 それでも知事は「電子メールを寄せた百三十八人の県民の九割は賛成派」と答弁で胸を張り、県民の支持を強調する。下諏訪ダム反対派も「そう明な知事の英断だ」と賛辞を送る。
 「(脱ダムは)田中県政の基本理念。長野モデルとして確立し、全国に発信したい」と宣言した田中知事。賛否が渦巻く中、どこまで理念を押し通せるか。全国の注目が集まっている。
◇国土省
◆波及防止に躍起 永田町もうで「不透明」批判
 田中知事の「脱ダム宣言」に神経をとがらせるのは、年間三千億円のダム予算を握る国土交通省。旧建設省は昨年末に四十六のダム建設中止を決めたが、田中知事の発言を機に、各地で「ダム不要論」が広がりかねないためだ。
 担当の河川局幹部は「公共事業の中でもダムは巨大で目立つ分、攻撃の的になりやすい」と危機感をにじませる。
 「長野県内のダムは、県民が熱望しています」
 一日午後、首相官邸を訪れた竹村公太郎・河川局長は森首相に力説した。同局幹部らは今、「脱ダム宣言」に対抗するための“永田町もうで”に忙しい。「ダムをなくして災害が起きてもいいと言うのなら、長野への災害復旧費を削れ」。同局へは与党議員から、こんな電話も舞い込んでいる。
 竹村局長は「日本の川は欧米に比べ急流で、すぐ海に流れてしまう。水害防止の点でも飲料水確保の点でも、ダムの保水能力は絶対必要」と強調する。
 しかし、国といえども県知事の決定を撤回させることはできない。
 田中知事が中止を明言した下諏訪ダムの計画地は一級河川の天竜川の支流で、国が知事に管理を委託している。かつて知事は国の代理人に過ぎず、同省の了承なしにダム中止を決めることは不可能だった。
 ところが、地方分権の流れで知事の判断による中止も可能になった。同局は「行政の透明性を訴える田中知事にしては、発表に至る過程が不透明」との論法で、「宣言」の波及を何とか食い止めたい考えだ。
◆米国で進む見直し 参院選の争点にも
 日本ダム協会の「ダム年鑑」によると、国内のダムは九八年度末で二千六百七十八か所に上り、さらに四百七十五か所が計画中。しかし、かつての「ダム信奉」は利水、治水の両面で見直されつつある。
 熊本県の川辺川ダム(事業費二千六百五十億円)は、農業用水の受益農家の大半が「もう水はいらない」と裁判まで起こした。昨年末に中止が決まったダムの中にも、水需要が見込めずにとん挫したものが少なくない。
 旧国土庁は一九七五年に約三百億トンだった都市用水(生活、工業用水)が九〇年には五百億トンを超えると予測したが、実際は横ばいで推移、九〇年以降は下降している。
 だが、ダムは水需要の増加を見込んで建設が進み、七六年以降に計画されたダムだけで約六百に上る。
 治水面でも旧建設省の河川審議会は昨年末、ダムや堤防だけに依存せず、「河川のはんらんを前提とした治水」への転換を求めた。
 ダム先進国の米国ではダムの見直しが進んでいる。五十嵐敬喜・法政大教授らの調査では、九三年のミシシッピ川・ミズーリ川の大洪水を機に、ダムの治水機能が再検討され、昨年五月までに約四百七十のダムが取り壊された。高さ二百メートルを超える巨大ダムの撤去も計画されている。
 与党三党の公共事業の見直しに対し、民主党は計画中のダム建設の凍結と、森林保全による「緑のダム」への転換を公約に掲げた。ダムを中心とした公共事業の問題が、夏の参院選の重要争点ともなりそうだ。
 
 
 
 
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