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COLUMN
外国人女性による角島一日灯台長
 山口県の北西端に位置する角島灯台。海上交通の安全を確保する上での灯台の重要性を認識し、明治政府が建設した洋式灯台(レンズを用いて光を出す灯台)です。関門海峡から日本海へと航行する船舶は、角島を目指し航行することが多いのですが、角島周辺は暗礁が多く、危険な海域であったために最優先に建設されました。明治九年に初点灯し、今日まで船舶交通の安全に貢献しています。
 英国人技師R.H.ブラントン氏により設計された角島灯台は、荒磨きされた花崗岩で造られており、上部には切り込み装飾が施され、とても美しい灯台です。また、灯台の心臓部であるレンズは英国のエジンバラで造られたもので、建設当時、はるばる日本へ渡ってきたものです。
 例年、「角島一日灯台長」を囲んで催し物を行っていますが、昨年は少し趣向を凝らしたものになりました。平成十四年は日英同盟締結一〇〇周年を迎えた年で、英国大使館が「日英グリーン同盟」と銘打って全国各地で植樹祭が行われました。角島灯台のある山口県豊北町もこの「日英グリーン同盟」に参加して平成14年4月植樹祭が行われました。
 
角島一日灯台長のルーシーさん
 
 考えてみれば、角島灯台も英国とのつながりが深い由緒ある建物。豊北町で植樹祭が行われるため、是非とも英国の方に一日灯台長を勤めてもらおうと地元の学校で英語の指導助手として活躍する英国出身のルーシー・ポーティアスさんにお願いすることにしました。豊北町が英国一色に染まった一日、ルーシーさんは一日灯台長として、われらが「うみまる」とともに注目の的となりました。
 当日は、千人を超える参観者が訪れ、雄大な景色と白亜の灯台の美しさを堪能していました。灯台を管理する海上保安庁の職員も参観者の誘導や安全確保、説明などで大忙しでしたが、いつもは縁の下の力持ちである角島灯台が主役を張った一日でした。実はルーシー・ポーティアスさんは、角島灯台のレンズと同じ、エンジバラ出身。きっとレンズも故郷のエジンバラを懐かしんでいたに違いありません。
 
 
熊野水軍の根拠地
断崖上に映える白い灯台
 この灯台は、三重県志摩半島の南東端に位置し、海食台地の断崖上に立っている。高さ約23mの灯台からは太平洋を一望することができ、風光明媚な地である。
 波切の地名は、遠州灘と熊野灘の荒波を切り分けるように突き出ていることに由来し、昔から海の難所である。大王崎付近の海域は険礁、暗岩が多く、特に大王岩(大王島;高さ8.4m)は、「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」とうたわれ、また、船頭達の間にも「大王沖で難破しても船主に、船頭の責任は問われない」と言われたほどであった。
 
 
 大王岩には「だんだら法師」という鬼が住みつき、沖合を通る船を誘い寄せ沈めたという巨人伝説があり、この鬼を驚かせ鎮めるために、長さ3mの大ワラジを作って海に流す波切の奇祭「わらじ引き」がある。
 白亜の灯台の立つ一角は城山といい、戦国時代には現在の灯台一帯に波切城が築かれ、海上に雄飛した九鬼水軍の城塞があったところである。
 大正二年にはサンマ漁船の海難で五一名が死亡、同六年には三千トンの巡洋鑑「音羽」が大王岩に衝突して沈没する等の事故がきっかけとなって、大正十五年六月灯台の建設に着工、昭和二年十月五日に完成して「魔の海」に光がともった。
 灯台は戦時下、米軍艦載機の機銃掃射を受け、灯ろう、レンズ、灯器に甚大な被害を被ったが、灯塔はわずかに弾痕をとどめる程度で破壊を免れた。
 (社)燈光会が参観業務を行っており、灯台の見学ができる。
 
所在地 三重県志摩郡大王町
波切54-1番地
設置点灯 昭和2年10月5日
灯質
(光り方)
単閃白赤互光
毎30秒に白1閃光
赤1閃光
高さ 23m (海面から灯火まで46m)
光達距離 18.5海里 (約34km)
 
【アクセス】
■鉄道・バス等
●近鉄名古屋駅〜近鉄鵜方駅(電車)約二時間
●近鉄大阪・上本町駅〜近鉄鵜方駅(電車)約二時間十五分
近鉄鵜方駅〜大王埼灯台(バス)三十分 徒歩七分
■自動車
●伊勢自動車道伊勢西IC〜伊勢
磯部線〜国道一六七号〜国道二六〇号で約一時間
 







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