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3. 秦理絵子
NPO法人東京シュタイナーシューレ教員代表/理事
 
(2003年2月6日研究会実施)
 
□講師のお話
◎シュタイナー教育とは 命は段階を追って成長していく
 
 私がドイツに留学したのは、専門が「運動芸術」でして、オイリュトミー(音声言語や音楽を目に見える形に身体表現する運動芸術)が、シュタイナーによって基礎づけられたからです。これは人間らしい芸術性の動きということで始まった新しい舞踏で、舞台と教育と治療が一つに結びついているような芸術です。そこでオイリュトミストとなって日本に帰ってから自然に教育に関わるようになりました。
 教育や子供に関わるとやめられなくて、シュタイナー学校の芽として始まったものが、いままで16年間活動する間に何とか育ってきて、いまはまた新しく飛躍したいと、いろいろ壁にぶつかりながら、新しく乗り越えようとしている段階です。
 ですから、私はもともと教育者という範疇に入れていただくような者ではなく、ただ芸術を通して教育に関わって実践している者です。
 最初に、シュタイナー教育の基本的なことについてお話しします。シュタイナー教育の基礎をつくったシュタイナーという人は、既存の価値観からではなく、本当に子供の本質、人の本質から、新しい人間学、新しい教育をつくろうと考えた人です。
 例えば感覚についても、実際によく観察してみると、人の感覚で五感というのは非常に大雑把な分け方であって、少なくとも12あるといっています。その中に、私たちが普通「感覚」と呼ばないようなものもあります。
 人が朝起きて、家庭で用意を整えて働きに行くという段階を追って考えるとわかりやすいと思います。まず目が覚めると、今日は元気だとか、昨日の疲れがどこか残っているなど感じます。そうした感覚を、シュタイナーは「生命感覚」といっています。
 それから朝起きて最初に目覚めるのは「触覚」です。次いで動きを感じ取る「運動感覚」。さらに立ち上がってフラついても一回バランスをとる「平衡感覚」。まずこの「生命感覚」と「触覚」と「運動感覚」と「平衡感覚」の4つです。
 それから、目覚めてきて、暑い、寒いと感じる感覚があります。これは「温度感覚」で、さらに朝ご飯を食べて「味覚」です。その頃には、目も冴えてきて「視覚」。それから「嗅覚」です。第二段階の4つは「温度感覚」と「味覚」と「視覚」と「嗅覚」です。
 それから働きに行って、現代の場合だと、頭脳をたくさん働かせるわけですが、次の4つの感覚としては「聴覚」ですが、シュタイナーはその他にもう一つ「言語感覚」といういい方をしています。音楽的な響きやいろんな響きを感じ取る感覚と、言葉を感知して深く読み取る、あるいは自分が言葉をつくっていく感覚とを分けるのです。それから、普通、私たちは感覚とはいわないのですが、「思考感覚」です。これは、自分で考えるというよりは、人の考えをしっかりと感じ取り把握する力です。さらに、これもあまり耳慣れない感覚ですが、シュタイナーは自我を感じ取る「自我感覚」といっています。「自分が自分が」という普通いわれる自我ではなく、人としてかけがえのない一人一人がいるという感覚です。
 このように4つ、4つ、4つで12に分けています。
 いま、朝起きてからの例でいいましたが、人の成長に当てはめると、「生命感覚」、「触覚」、「運動感覚」「平衡感覚」は赤ん坊から幼児にかけて目覚める感覚です。次に挙げた4つの「温度感覚」「味覚」「視覚」「嗅覚」は感情に結びついています。なぜかといえば、味覚や視覚などは共感、反感とすぐに結びつきます。このように感情と結びついた感覚は、幼児期の次の段階、少年期くらいのところで発達していきます。
 最後に「聴覚」「言語感覚」「思考感覚」「自我感覚」です。
 この3つの段階は、第一の4つの感覚は、生まれてから7歳ぐらいまで、日本では小学校1年までぐらいの段階で、第二の4つの感覚は、思春期に達する中学2年ぐらいまで。第三の感覚は、成人に達する頃の年代で発達していくものです。だいたい3×7=21歳で成人に達します。
 このように、命とは決して一つのところにとどまることなく、段階を追って成長していく。だから、人となっていくための教育も、この順番にというのがシュタイナーの基本的な考え方です。
 つまり、赤ん坊から幼児期には、思考を育成する段階ではなくて、まず生きていこうとする力、感覚を育みましょうと。次の段階では、思うままに自由な感情、何が美しいかを感じ取る感情を、この時期に十分に育てておく。さらにその土台の上に立って、次の7年は、知的な思考、教育を始めていく。もちろんその前に全然知育をしないわけではないのですが、感情の育成を媒体にして知育をするということです。「知情意」のバランスといわれますが、それが実るためには、21年はかかるということです。
 シュタイナーがこう考えたのは、シュタイナーが生きていた時代にも、「知情意」のバランスの、ある部分が非常に肥大していて、将来はそれがもっと肥大していくだろうと感じていたからです。
 
◎子供の成長過程に合わせる授業
 
 いま述べた流れや理念がある教育を、方法としてはどうやっていくか。全体から個へ、普遍的なものから特殊なものへということが、どの教科にも含まれています。
 例えば小学校1年生の教育は、いきなり字ではなくて、その字の基のまっすぐな線とか丸い線、その動き、そこからどんな形が生まれ、どんな字が出てくるかということから学びます。字そのものからは入りません。「合成」していくのではなくて「分析」していくというのが基本です。「合成」とは、機械のこの部品と部品を機械的につなぐ、という考え方にもなります。
 しかし「分析」とは、例えば人の体の臓器を研究するときに、心臓だけをわかっていてもしょうがない、あらゆる臓器とそのつながりがわからなくてはいけないという考えです。一言でいったら、無機的なものと、命あるもの、世界をどう捉えて、世界とどう出会っていくかという方法をとっていきます。
 それは一般的な教育方法だけでなく、授業の構成すべてにもいえます。例えば、私のオイリュトミーの授業で、小さなボールを輪の中で受け渡していく練習をよくやります。右で渡して左で受ける。受けるのと渡すのはどう違うか。手を広げるのは呼吸の一番基本的な動きで、リズムもそういう動きです。それがなかなかできないで、掴み取ったり、受けるのを忘れたりという子供がいます。それを通うようにしていくのが、一つの動きの授業でもあるわけです。要は呼吸が通うということです。
 だから一つの授業も、緊張するところと緩むところ、聞くところと活発になるところ、手足を動かすところと考えるところ、そのバランスを教師は常に意識して授業を形作らないといけないのです。1日の流れもそうです。それから1年から6年、7年、8年と一貫教育ですので、そこも一つの心の通った生きたカリキュラムとなっていなくてはいけない。
 教育の方法としてはそういう考えに基づいてはいます。教科書を使わないとか、最初にエポック授業というのがあって、3〜4週間、国語なら国語をやったあと、次に行くといった、表面的な方法が目立ちがちなのですが、その根底にあるのは、世界を生きたものとして有機的に捉えて、子供の成長に合う過程を、その時々に与えていくことなのです。
 このことは、学校作りにも関わってきて、学校という組織も人の体のように、有機的につながっていなくてはいけないと考えます。社会には、法的な分野と経済的な分野、文化創造というところがありますが、シュタイナーは、その3つの分野を、例えば経済組織を神経感覚や頭脳的なところと結びつけたり、法的なところは、呼吸組織と結びつけ、文化創造的なところは、手足、新陳代謝と結びつけて考えます。そこで、人の体と同じように、頭脳だけが肥大していては健全な社会ではない。そこをどうやって、バランスのとれた社会にしていけばいいのだろうかと考えるわけです。
 小さな規模では、例えば法的な分野は人と人とのつながり、経済的な分野は人とモノ、あるいはモノとモノとの関わり。文化創造は、一人一人の素質に関わるところといったように捉えます。その3つに分けて、文化創造的なところは一人一人が違う。法的なつながりでは、誰でも平等で、一人一人が全部の運営に責任を持つという意識で関わることが要求されています。その考え方に基づいているので、シュタイナーシューレ学校には本来校長も教頭もいません。
 
◎東京シュタイナーシューレの実情
 
 私たちの東京シュタイナーシューレは、大きな資本を投資する人もなく、確固とした組織もなく、教育の原点といわれる教員と子供がいて、支える親と大人がいて、というところから、たった一クラスで新宿のビルで始まりました。
 子供が育つのと同じように、次の年には2クラスになり、それまでの所では収まらなくなり、次のビルを借りようと近くに移り、さらに次の年には3クラスになりというように、広がってきました。
 シュタイナー学校の教員になる者たちも、先ほど述べた教育方針の基で、命あるものは段階を追って変容していかなくてはならないということで、子供たちに向かうために、教員は、自分も絶えず変わっていかなくてはいけないわけです。
 大人になって絶えず自分を変えていくのはかなり大変なことのようです。それが楽しいと思うことができ、頭だけではなく教養部分も訓練されないといけないので、日本の教員養成だけではやはり足りません。シュタイナー教育の教員になるための教員養成機関は、日本はまだ不完全なものですが、ゼミナールがあるので、そこを修了して資格を取った者ではなければいけません。
 ですから、はじめのうちは教員の数もそんなにいませんでした。担任もいるかいないかで、何度も「もう来年は危ないんじゃないか」というときもあったのですが、なんとか育ちまして、10年ぐらい経った頃から、海外の養成機関を修了してきた人たちがだんだん増えてきて、少しずつ安定をしてきました。
 また、10年の間に日本の教育事情も少しずつ状況も変わってきて、教育委員会や地元の学校等とのつながりが持てるようになって来ました。東京シュタイナーシューレは、公教育に反対しているわけではなく、むしろ連携して補完していく施設にもなり得るということで、子供たちの学籍は公立に置いてもらい連絡を取りあって、東京シュタイナーシューレに通うことができるようになりました。
 十数年、法人格なしで活動してきて、経済的なハードルなどが高くもう限界かというところで、NPO法ができて、市民の中から生まれてきた一つの教育運動ということで、1年ほど前に東京都に申請して、NPO法人の認証は受けることができました。
 いまは子供の数が約125人で、1年生から6年生までの教育がだいたい充実してきました。中等部をという希望が本当に強くあって、2年前からようやく始めたばかりで、いま8年生までいます。そこで規模が大きくなってきて、子供の体も当然大きくなりますし、求める環境も違ってくるので、いまはもう校舎が満杯状態です。
 新しい場所を1、2年前から探しているのですが、私たちの規模の運動では非常に大変な状況です。しかも、これからもう少し増えて150人、200人の多年齢層の子供たちの建物というと、見つけるのはほんとに難しいのです。
 日本では、東京シュタイナーシューレが十数年の間、たった一つのシュタイナー教育の小学校以上の教育施設でした。それが2年前に京都にやはりNPO法人形式のシュタイナー学校がだいたい同じぐらいの規模で始まりました。やはり同じ時期に、北海道の室蘭近くの伊達紋別という所で、50人くらいの小さな学校が生まれています。現状では、たった3校ですが、長い間一校でやってきたので、その点では少し心強く思っています。
 どの国のシュタイナー学校も状況が厳しいことは変わりません。ただし、学校として公的に認められていないのは、先進国といわれている所では、ほとんど日本だけなのです。補助金については、スイスは出るけれど、イギリスは出ないというように、国によって事情は違います。学校である以上は、法的に学校として認知を受けることが必要なのですが、そこに行くまでには必要な過程があります。
 現在の東京シュタイナーシューレは、いままでなんとか自力でやってこられたところと、学校法人化するというところのちょうど狭間にいます。自分たちの姿勢は失わずに、社会にもっと開いていく――社会からの流れの教育もないといけない。年数が少し積み重なって、私たちの学校が学校法人として認められる時代がくるかなというのがいまの状況です。
 
□質疑応答
◎バランス感覚の育成
 
 國田 生命感覚とか運動感覚、平衡感覚などは、人間が生まれて小学校2年生ぐらいまでの時期に、本来は家庭で養われてくるわけですよね。しかし、実際はそれが養われていない。それは、学校へ入ってから、一種「矯正する」というように考えるんですか。
  矯正ではなくて、治療というかバランスをとるのです。子供は幼児期に、動いていろいろなものに触れて、そういう感覚を育てようとするわけです。それでバランスをとることが、その後の心と体の力の根源になる。
 にもかかわらず、いまは子供が小さいときからテレビやビデオなどがあふれていて、それ自体が悪いわけではないのですが、小さい子供には、運動感覚の点でまったく有害です。自分が動かなくても画面は動いて、「海ってなあに?」といったら、「ほら、これだよ」と、何もしないでわかってしまう。すると、本当に海の中に入るという感覚というのが養われない。
 それから、このぐらいの所だとこのぐらい近いという距離感が養われない。それが、ひいては人との関係をうまく結べないことに繋がることも明らかになっています。さらに、足の力や手先の器用さが弱まっています。
 東京シュタイナーシューレのようなところに来ると、子供はそういう感覚に働きかけられるので、いろんな面を出すこともあります。落ち着かず教室にいられなかったり、ほかの子に、手を出してみたりと。そういう場合も、問題だと抑えるのではなく、その子がいま自分を出してくれていると考えます。そこを直すために、どういう方法を見つけ出せるのか、周りの大人が考えて、親とも協力してやっていきます。だから、「この子の場合、ご家庭のリズムもこういうふうに整えて下さい」というお願いをしていきます。小学校1〜2年というのは、耕すような段階です。
 國田 すると、例えばテレビは見せてはいけないということですか。
  禁止ではないのです。シュタイナーシューレに入学をお考えになる親御さんには、なぜ私たちがテレビやビデオを子供が小さいうちに使わないほうがいいのかをわかっていただき、ご家庭でも協力していただくようにしています。
 シュタイナー学校をつくっていくときの一つの危険性は、自分たちだけで通用する価値観をつくってしまうことです。逆に、どこの社会でもやっているのだから同じだと、全部受け入れてしまう危険性もあります。その間を行くのがバランスがとれることだと思います。3年生を過ぎた頃から、子供は自分から少しずつアンテナを大きくして、いろんなものを求めていきます。大人もその成長段階に合わせて、環境を変えていかなくてはなりません。いつまでも1年生の段階でやっていくわけではありません。
 
◎シュタイナーシューレの卒業生は老年になっても健康
 
 大島 例えばこれまでのドイツのシュタイナーシューレの歴史では、どういう人が育ってきていますか。ほかの学校を出た人たちとシュタイナーシューレ出身者と、例えば、60〜70歳になったときの明らかな違いというのは、何かありますか。
  ええ。今年の夏に、スイスから、70歳近い方で、シュタイナー学校を出て、大学で教授をされた後でシュタイナー学校の担任教師になり、その後、教員養成の仕事に就いて、教育部門の代表をずっとやっていた方が来日しました。日本でシュタイナー教育に関心ある者にゼミナールをしてくださったのですが、「その中で、シュタイナー学校の卒業生の弱点は何ですか」という質問が出たら、長所もあるよと(笑)。
 それはシュタイナー学校の出身者の特徴は、老年になってからまず健康だそうです。それから思考のポジティブさ。それが一つの特徴だということです。シュタイナーは、「幼児期のいろんなひずみが老年期の病気のもと」といっていますが、ひずみが少ないということかもしれません。
 職業は多様なようです。結果として大学入学資格試験の合格率は高く、大学へ行ってからも非常に光る子が多い。また自分で独自の職業や芸術の道に行く子もいる。だから、自分で新しい仕事を創るような子供も同じぐらいの比率でいるのではないでしょうか。
 東京シュタイナーシューレの卒業生はまだわずかで、いま最初の子が22歳くらいです。卒業生の調査ができる段階ではないのですが、知っている範囲では、公立へ行っても成績も非常によく、高校も大学もいわゆる有名な所へ行く子もいれば、美術系や運動などで、高校ぐらいから身を立ててしまう子もいて、いろいろです。
 これまでは6年生までしかやっていなかったのですが、6年生まで試験は一切行っていません。多くの子が公立に行きましたが、やはり最初の試験は、すごく悪い成績をとってくる子もいるそうです。次に、それなりに勉強して、それなりの点をとってくる。「それなら、今度全然勉強しないで受けてみよう」とか、中間試験が終わってから机に向かい出して、「試験して、やっとわからないところがわかった」とか(笑)。試験は結構楽しんでいるようです。
 比較的ゆっくり成長するようです。いま、恐ろしいほど子供が子供でいられなくなる環境というのがあります。幼児が幼児でいられないような環境です。子供が子供時代を過ごせないというのは、実は一番未来にとって恐ろしいことです。
 この前も、あるお母さん方の講習会でお話しさせていただいたとき、何人かのお母さん方と昼食をご一緒しました。講習の間は保育室にいた2歳の子供が、お母さんのところに来て、「絵本を読んでほしい」というのを、「ねえ、忙しい?」とまず聞くのです。お母さんは「私、いつも『お母さんは忙しいから』といってしまっているんです」と説明していました。こんなふうに子供の要求を忙しくて受け止めてくれないから、子供も早く成長しなくちゃと無意識に努力してしまうのでしょうか。
 小さい子供は、自分を受け止めて温かく包んでくれる大人を必要としています。家庭でも、それに応えられている大人が、いまどれだけ日本でいるのでしょうか。子供はやはりどの時代になっても、大人に温かく受けとめられて育っていくのです。できる形で、それを現代のやり方で育んでいこうというのが、シュタイナー教育だと私は考えています。







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