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東京財団研究報告書2004-6 日本の近未来ビジョンと初等教育改革

 事業名 相互交流による国際ネットワークの形成及び政策課題研究等
 団体名 東京財団政策研究所 注目度注目度5


II. ヒアリングの要約
1. 高木幹夫
株式会社日能研代表
 
(2003年1月8日研究会実施)
 
□講師のお話
◎いまの社会と教育の問題は効率性の重視
 
 まず教育と社会ということで、日本の問題点を考えると、教育が戦後ずっと作ってきた問題点がそのまま社会に出ていると思います。だから社会の問題点を見て教育を見ると、同じように問題点をつくり続けているのかもしれないと思っています。たとえばどんなことかいえば、いまの教育も社会も、簡単なものを達成するという達成感が楽しいというモデルに毒されている気がします。
 ポスト・バブルのなかで、日本の社会、会社がもっとも苦しんでいるのは、「どんなに頑張っても前年対比プラスにならない、評価ができない。まさにここが会社の根幹を揺らした」という話になります。まさにそれが「やってできた、それを評価をする」こととつながっています。
 ゴールが見えていなければ目的ではない。だから仕事をする中で「ノルマ」という形で目標を決める。達成可能と思える数字でなければやる気を削ぐということが、ビジネスでいわれています。
 教育のなかでも、40点しかとれないのにいきなり100点とれといわれても、それではやる気が起きない。まず40点とっている子には、「まず50点をとろう」というところから始めなければダメだといわれる。そうなると、達成ということにのみ目がいってしまう。
 一方、「大事にするものは何か」と人に聞けば、必ず「プロセスだ」と答えます。どのようにやったかが大事だと。ところが、本当にプロセスを大事にしているのかというと、現実はそうではない。
 学校教育の中で、易しいものを達成することで、一つ一つステップを作っていくという形でものを考えるようになる。そのプロセスをやるときに一番効率がいいはずのプロセスが1個あって、それだけが正しいプロセスで、「それを覚えましょう」ということになっていくわけです。
 ここで発生する問題は、「考える」ことではなくて、「獲得をすること、覚えること」が目的になってしまうこと。「考える」という行為とは何かといえば、当然ですが、トライ&エラーをすることです。つまり、たくさんのプロセスをやってみて、ぶつかってみる、触ってみることが大切だと思うのです。
 効率が悪くても、そこにたどり着けるプロセスがあれば、それはそれでいいはずです。しかし、易しいものを達成するというモデルでいくと、当然そこにスピードが要求される。誰でもができるとなったら、どれだけ早くできたか、どれだけ正確にできたかを測る以外にないからです。となれば、寄り道をするよりは、一番効率のいい道を覚えてそこを歩くことになります。
 そうなると、間違えるのは悪いことだということに、全部が集約されていく。
 社会に出ても、自分で何かを考えるよりは、まずどんなやり方があるのか、そこからやっていく癖がついているから、問題に対して自分で何かをやってみるよりは、まず人に聞いてからやる。そこで獲得したやり方に疑いを持たない。結局、学校教育のなかで培われた手法、学ぶ態度から出られていない。
 そのほかにも問題点はたくさんあると思いますが、「考える」ということでいくと、まず大きな問題はこの点だと思うのです。
 
◎考えるよりも方法論に固執する
 
 実際には、子供たちは今もクイズが大好きで、とんちが大好きで、考えることが大好きです。大人もそうです。実害のない、面白いものに関しては考える癖があります。しかし、効率性の中で評価が絡んだとたんに、考えることよりは、できるやり方、道筋、それを優先してしまう。
 子供たちが育っていく中で一番獲得しなければいけないのは、「難しい、やってみた、できない」、「だから別のやり方を探して、もう一回やってみる」を繰り返すことを学ぶことだと思います。これを獲得することが、ものすごく大事です。なぜかというと、「やってみた、できない。もう一回やる」ことは、できなかったのは方法が悪いからで、だから別の方法をやればいいと考えてトライすることです。
 ところが、一つの答えに一番効率のいい方法が1個あるという形で学んできてしまうと、「トライをした、やってみた、できない」となると、やり方を疑うのでなく、「自分だからできないんじゃないか」と自分を疑ってしまう。こうなると手がつかなくなる。
 実際に人と話をしていて、難しい問題にぶつかったときに、まず、自分でできるかどうかで測ってしまう。それは、解き方が1個あるという考え方が原点にあるような気がします。難しい問題にぶつかったときに、「僕でできるかな」と考えるのではなくて、「どういう方法でできるのだろうか」と考えることができれば、アプローチが変わります。ここのところが、まさに学習指導要領の中でがんじがらめにされていくなかで、一番大きくいびつになってしまった部分だろうと思います。
 「できない」ということを「方法が悪いから」ではなく「自分だから」と考えたときに、自分の価値を下げる以外に方法がなくなってしまう。すると難しいものにぶつかることを避けるようになる。そこで子供たちは、「やらなかったから、できなかったんだ」という言い訳を学ぶ。この関係をずっと作り続けていくことになります。
 なぜかといえば、「やったんだけど、できなかった」となると、それは自分自身の力がないことを証明することになってしまう。だから、やらないことを今度は選択する。頑張らないことを選択する。頑張らないことが自分を守ることになってしまっています。
 例えば、子供たちといま付き合っていて、算数を解きます。すると、解き終わったとき、消しゴムでプロセスを消してしまう。そのプロセスが合っているとか間違えているとか言われるのが、絶対いやなのです。プロセスを自分で消して答えだけを書いて持ってきます。学校でやっていることでもありますが、それで「マルだけを付けてくれ」「バツは付けるな」と。さらにマルだけ付いたものをもらって、間違ったところを全部消して、なかったことにして、もう一回やる。それで持ってきて、それでマルが付いたら、全部マルだったと。
 これは、達成モデルであっても傷がつかないようにバツを付けない。学校はうまいこと考えるなあと思います。逆にいえば、達成モデルの強化をしている。いまの子供たちはこういう達成モデルで育っています。
 学校の先生は、どうやったら子供たちが傷つかないで、やる気になってできるのかを、一生懸命工夫はしているのでしょうが、実際はこんな「う〜ん」と唸ってしまうような工夫をしているのが現状なのだと思います。
 
◎ゆとり教育の弊害
 
 これには「ゆとり教育」の弊害が大きいと思います。「落ちこぼれ」ということがいわれて、20年程前に「ゆとりカリキュラム」が出てきて以来ずっと強化されてきました。
 その前は、まさに知識量偏重の時代だった。知識量重視だから、量の獲得ができない子供たちが落ちこぼれていった。ゆとり教育だ、できない子をなくすのだという、知識量偏重の当時は「七五三」だとよく言われた。小学校で7割、中学校で5割、高校では3割の子しかわからないと。では実際、指導要領が改訂になって、「七五三」という状況が変わったかといえば、変わらなかったわけです。
 なぜかというと、一つのやり方だけで推し進めようと思ったら、やはりこうなってしまう。結局この道しか歩いてはいけないということだから、脱落していくしかない。脱落して、高校までいくと3割しか残っていないという話になる。そして、いままでずっと同じことを続けてきています。
 現実に、学校に行ってみると、面倒見をよくしようと、公立の学校は一所懸命やっています。補習をします、学力別にクラスを分けます、と色々なことをやっている。しかし、どうやっても教え方は一緒です。
 「このやり方が正しいやり方です」となると、子供たちは、そのやり方でわからなかったら、何度でもそのやり方を押し付けられる。結局学校では、まだそういうモデルで動いている。
 今回の学習指導要領改訂のなかでいろんなことがいわれて、前の町村さんのときの「レインボー・プラン」も、今度の遠山さんの「学びのすすめ」も、同じラインで、私が読むと、この辺を変えたいと書いてあるように読めます。つまり、「最低基準を決めたから、あとは多様にいろんなことをやりなさい」と。「同じことをやらないでいい」と書いてあるのですが、いま現場の力が欠落している気がします。
 
◎「カリキュラムを作る力」が不足している
 
 これまで教科書をどうやって教えるかという教員養成をずっとやってきていますから、教員は自分たちでカリキュラムを組むことができない。コースウェア(教育用ソフトウェア)でどうやっていくかという工夫ができない。
 コースウェアを考えたとき、この時間のなかでこれをどうしようかと考えるとき、学年制という壁があるわけです。すると、学年のなかでやはり完結しなければいけない。「最低基準」と言って、だから、「この学年に縛られなくてもいいよ」と言っても、当然、その後どうすればいいかという問題になる。先へ進んでしまったら、管理的に困るという話で、先に進むわけにいかない。
 自分たちでコースウェアをつくっていないから、広げようといっても、将来にどうつながっていくかを考えて広げることができない。一方で「自由にやれ」と制度が変わっていったのですが、ここでいま、現場がものすごく大きな壁にぶつかっています。
 それで、当然飛び級という話もOKになっているけれども、それを使いこなす術がない。なぜかというと、教員がまさにカリキュラムを、コースウェアを作ることを学んできてないからです。管理職の校長、教頭、教育委員会の人たちも当然学んでいない。戦略的なものを考える力、教育の力を培ってきていないから、どうしようもない。
 私がなんで生意気にもこんなことがいえるかというと、塾なので、ここを縛られていないからです。塾では、コースウェアを自分たちで考えるのは当たり前の話です。
 私たちの塾は、中学受験なのでゴールは中学入試になっています。中学入試問題が実際何を見ているかといえば、例えば社会科といっても、中・高で使っている社会ではなくて、大学へつながっていくなかでやる。私立中学は、「社会学」という頭でものを見ている。その視点で問題を作ってくるので、当然私たちもそこを見て、自分たちでどういう問題を子供に渡したらいいのかと作っていかなくてはならない。どういう脹らませ方をし、どういう順番でやっていけば、子供たちが少しは運用できるようになるのだろうと考えて工夫してやる。それをやり続けてきたので、いまの学校の先生が何に苦しんでいるのか、逆にとてもよくわかります。
 もう一つ、私たちも学年制の中にいないわけではない。4年生は4年生の教科書を作ってやっています。ただし「満点をとらなければならない」という概念がない。やった結果、平均点は62点で、子供たちにはできないものがあるのは当然のこととして、授業の構成をしていきます。だから脹らますことに関しては、いくらでもあります。子供たちも、「やろうね」といえば、どこまでもやってくる。そういう要素があれば、何回でも同じことを、また大項目でやるというカリキュラムを組んで、できなければ、また次にやったときにというように、連続性の中で見直していけばいいという形ができます。そういうことをやっているので、学年制であってもどうということはない。
 その代わり、「できない」という事とどう付き合うかを、子供たちと一緒にやらなければならない。学校で95点以下をとったことがない子が、うちに来ると、テストで50点をとったりする。当然ショックが大きい。すると、そこで、なんだろう、自分自身はどうしていくかということを再構築しなければいけない。
 そこにどう対応するかを、私たちがやらなければいけないこととして、いまクローズアップしてやっています。
 95点とらせておけば、それはケアする必要がなく、教えるほうも楽なのです。問題も起きない。しかし、それでは高等教育につなげる担保ができない。55点程度を平均点でやってくと、そこをケアして、それをやっていくことで、学ぶことへの循環がうまくつくれればいいと思っています。
 
◎学年制から単位制へ
 
 いままでやってきたことは、カリキュラムがあると、戦略的にものを考えるのは、なかなかうまくいかないと、私は思っています。では、どうしたらいいのか。
 いますぐできることは、「学年制」から「単位制」に変えることだと思います。それも、できれば通年制単位ではなくて、もっと小さい単位に変えていく。
 その単位の組み合わせだったり、単位を獲得する量であったりということで、コースウェアを組めるようにすれば、子供たちも、いま自分には何が足りなくて、何をやらなければいけないのかがわかりやすい。そして子供たちができないところにぶつかったときに、それを大人と一緒にやっていく。
 単位制にするもう一つのいいことが、先生と生徒の関係を変えることができることです。生徒が単位を獲得したい。先生も単位を獲得させたい。同じことを見ていくことができる。
 いまの学年制では、先生は評価しなくてはいけないので、子供の側に一緒に立てない。すると、状況的に子供の仲間になれない。一緒に悩むことができないのです。
 単位制にすれば、自分が例えば30人の生徒を預かる。この単位を獲得するぞとやっていくと、10人単位がとれないとなったら、子供たちだけの責任というわけにいかない。教え方がどうだったのか、先生も一緒に試されるわけです。だから、先生自身が子供全員が単位を獲得できるためにはどうするか、子供と同じように悩まなければいけなくなる。単位制にすることでかなりのことが解決すると思います。
 何回か文部科学省の人たちと、最低基準の先行きのなかで、絶対に避けて通れなくなるのが単位制だという話をしました。単位制にしないかぎり、最低基準といっても、結局、実効性がなくなってしまうのではないかと。
 そういう話をしていると、「まず学力別のクラス分けもできない状況の中で、単位制は論理的にはあるけども、現状じや無理だろう」というのが、何人かの人が答えてくれたことでした。しかし、どうせここまで大きく変えたなら、ここも変えてしまわないと変え切れないのではないかというのが、いま私の思っていることです。
 それによって、「易しい、達成、嬉しい」というモデルも変えられるのです。ここは政策として考えなければいけないことです。まさに最終的に文部科学省が考えて動かなければいけないとすれば、そこなのです。
 いかに現場で工夫するかについては、文部科学省は、総合的学習の時間をつくって、学際的なことや考えること、体験的なことなど、いわゆる系統学習のなかでやってこなかったもの、専門の中で切り捨ててしまったものは全部そこでやりなさいと、「いろいろあると思うけど、作ったからあとは工夫してよ」と逃げてしまったわけです。
 
□質疑応答
 日下 子供を御三家や早慶に入れたいから、そのための指導をやってほしいという要望に対しては、どうするのですか?
 高木 そういう親御さんは、いま、私どもには多くはいません。教育が、投資対象から消費に変わってきた感じがします。教育が投資対象の時代には、例えば開成に受かるためには、いまは我慢して、知識量が勝負だからと、とにかく勉強一筋でした。ところが、いまは、いまを我慢するのではなく、いまきちんとどういう学びができているか、それがどこにつながるかという要求をされます。つまり、いまも大事にしてくれというのがあります。
 いい学校からいい会社へ行って出世するという、いわゆる成功モデルが崩れたと、よくいわれます。成功モデルが崩れたならば、どんな人生がいいかという話だと思うのです。成功モデルがないのですから、「準備モデル」になるしかないだろうということです。
 何があっても、そのときに自分に何ができるかという準備モデルになるしかない。としたら、そのために、いまやっていることにどういう価値があるかという視点が移って行かざるを得ないのです。
 大島 教育投資のリスクは以前に比べると高まったということですか。
 高木 リターンが見えないというほうが正しいと思います。だから、いまは子供たちの教育でも、教養への回帰になっているように見えます。大学では、早くから専門教育をという流れで、教養部が廃止されたのですが、またいまは教養教育をきちんとしておかないと、結局専門教育ができないという方向になっています。このように、高等教育のモデルとしてのリベラルアーツ(教養)がまさに大学のテーマになっています。これがいままでと大きく変わったことだと思います。
 國田 いままでの教育のパターンで、自尊心を傷つけないようにしている状態から、いろいろトライすること自体が非常に意味があって、それをやってみようとなったときに、ショックがあるわけですね。それに対応して何か特別のことをやられるんですか。それとも教育の中身を工夫されるんですか。
 高木 それは両方だと思いますね。言葉でいうと、自尊心から自尊感情へ移行する。自尊心とは、できるということで自分を認めるということですね。自尊感情とは、自分自身を認めることになる。だからできるところだけ取り上げて「いいだろう」ではなくて、できないところも含めて、「いまはこうだよね」と認めていく。
 だから、できないということをどうやって認めて、その後どうするかを、子供と一緒にやらざるを得ない。日能研でいうと、教えている人がテストをしない。テストは、日能研という塾がするわけです。すると、子供がとった点数は先生の評価なのです。子供がそれにどう取り組むか、何点とるかが先生の評価になるので、さっきいった単位制の考え方と似たような、先生と子供の共同歩調がとれるのです。「とれないと、先生、困るんだよ」ということになります。
 もう一つは、先生ではなく、教えない大人、子供の面倒を見る大人がいる。教科教育をしない教員です。
 国語、算数、社会、理科などの先生は、テストの点数を子供と一緒に受け止めて、一生懸命教えるわけです。そのほかに、クラスにもう一人担当者がいて、この人は、「どうしたの?」と先生との間を取りもつ。子供がいまなぜうまくいかないのかを、子供と一緒に考えてあげることも必要だし、どんなやり方をしているかなど、一緒に考えながらやっていくという役目を持つ人を置いてあります。







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