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(2)書く
 書くことは、思考を収斂させることであり人は書くことによって考える力を身につけることができる。ところが、日本の教育システムでは、書くこと=作文にまったく重点をおいてこなかった。
 私自身の体験を振り返って見ても、小学校のときにほんの数回その機会があっただけだ。それも、感想文であり、思ったまま、見たまま、感じたまま書きなさいというものであったから、とても、考える力に結びつくようなものではなかったといえる。
 これでは、感性や情緒を鍛える右脳のトレーニングにもならないが、その領域は「読み」において徹底すべきであり、「書き」においては、論理を伝達する左脳のトレーニングが重要である。
 その方法として、同志社大学教授の三木光範氏は、子供たちにモノゴトの原理を説明させたり、仕事や作業のマニュアルを書かせることを推奨している。国語以外の科目である社会や理科や家庭科などで重視すべき方法だと考えられる。
 基本は、国語の時間における作文である。例えば、小学校1年生から2年生は200字、3年生から4年生は400字、5年生800字、6年生1200字と徐々に長い作文を書かせるのである。テーマは与え、できるかぎり筋道正しく表現することを教えていく。
 毎週書かせて提出させ、それを赤ペンで修正し、生徒の書いた元の文章と比較させ、どう表現すれば、同じ中身でも分かりやすく、伝わりやすくなるかを体得させるのである。
 この役割は、引退した元新聞記者や編集者などがもっとも相応しい人々であり、現在の小学校の教師の全てが、この役割を果たせるとは限らない。このプロセスに参加する先生の考える力を養うプロジェクトにもなる。
 そこで、彼らを赤ペン先生として雇って添削指導してもらう仕組みを導入することが考えられる。これは、シニアアルカディア社会におけるシニアの社会との係わり方の理想的なケースになるだろう。経済的な余裕のある人はボランティアでいいし、年金の少ない人は小遣い稼ぎの感覚で参加して貰えばいいだろう。
 もっとも、この役割を家庭で引き受けることも大いに推奨すべきである。一家で取り組むことによって、家庭内のコミュニケーションが格段向上するとともに、父親が尊敬されるプロジェクトとしても、適切なものだからである。そうなれば、これはまるごと日本人を論理的にするプロジェクトに生まれ変わることになる。
 書くことに関してもう一つ大きな検討課題がある。それは縦書きによって日本語を表記することの重要性である。産経新聞の校閲部長の塩原経央氏は、同紙の「四たび国語断想」の連載で、次のように指摘している。
 すなわち、「国語文のように、右から左へ書き継いでいく縦書きは、書き上げた所産が筆記具を持つ手のへりに隠れてしまうので、思考を継続させるためには常にコトとして脳内に活性化したまま記憶装置を作動させておかなくてはならない。これは、脳内でより深く、より複雑な観念行為を要求する書式であってそれこそが言葉をモノのごとく扱わないわが日本の思考様式であろう」といっている。
 現在は、キーボード入力でディスプレー画面を見ながら書く人が増えているから、一概にこの指摘は当たらないが、幼児期から小学校低学年児の作文においては、どの段階からパソコンで書かせるかも含め、早急に検討する必要があるだろう。
 
(3)話す
 前段の読み、書きの基礎の上にたって、話すことも重視する三位一体の国語教育が21世紀の基礎教育の特徴である。
 口頭で自分の意見を正しく、相手に伝えることを話すことだと定義すると、ちゃんと話すためには、先ず、話相手のこと(対象)を良く理解し、相手の事情や能力に合わせて話す内容を組み立てることが必要となる。的確に内容を構成する能力は、前述した書く力からもたらされる。
 相手を理解するためには、とにかく相手の立場にたって、相手のいうことを徹底的に聴く訓練が必要である。その上で、正しい日本語で分かりやすく構成された内容を、はっきり聞こえるように話すという行為=パフォーマンスができなければならない。人前であがらないで喋るというのもこの範疇に入る能力である。
 そう考えると、「話す」ということで特に重視すべきなのは、徹底的に相手の話を聴く訓練と、声を出して人前で喋る訓練の二つになる。
 「書く」ところで提案したように、ここでも1年生、2年生は1分間スピーチ、3年生、4年生は3分間スピーチ、5年生、6年生は5分間スピーチというように、週一度テーマを決めてクラスの皆の前で喋らせたらどうだろうか。それをビデオにとって後でチェックするシステムを導入するのである。内容の添削は、教員中心で良いが、話すパフォーマンスに関しては、元アナウンサーや俳優、声優の力を借りる必要がある。
 聴く訓練に関しては、あらゆる授業が該当するが、このスピーチでは、1人の発表の後に別の1人を指名し、いま、彼(彼女)が何を喋ったのか要約させたり、解説させると効果的だろう。
 これまで述べてきた「読み」、「書き」、「話す」という領域で、触れてこなかった大事な取り組みがある。それは、子供とテレビの付き合い方である。原則、テレビはつけっぱなしで子供も幼児も見放題というのでは、圧倒的な量の言葉の刺激はテレビから受け取ることになる。しかも迫力ある映像つきだから、そのインパクトたるやすさまじい。
 幼児から初等教育の期間中は、原則、テレビは親の許可したときにしか見せないものだというルールを家庭内で作り上げ、学校と協同作戦で死守していく覚悟がなければ、新しい時代の「読み」、「書き」、「話す」能力の向上は、達成できないことになるだろう。
 
(4)そろばん
 計算能力を身につける授業では、文字どおり「そろばん」を使った教育からスタートしたらどうだろうか。算数ができない原因の一つに、数のイメージが湧かないことがあげられているからだ。そろばんなら、手元にある玉を数えれば一目瞭然で数を理解できるからである。
 学校によっては、10個の玉が10列並ぶ特殊な100玉そろばんを使って効果を上げており、できれば、幼稚園から導入すべきだろう。最終的には、頭の中に普通のそろばんが配置され、社会生活で必要となる範囲の桁の四則演算は、暗算で自由自在という境地をめざすべきだろう。幼いうちから取り組めば、わりと簡単に到達できるのではないだろうか。
 もう一つ大事な取り組みは、算数の九九である。この「算数九九の日本語としての語呂の良さは、基本技として莫大な効果を上げてきた。(斉藤孝氏)」ものであるだけに、これをインド式の九九(29×29まで暗記させる)にまで拡大し、暗記しやすい語呂を開発して、導入していくことも考えられる。
 いずれにせよ、大事なのは、平井雷太氏(セルフラーニング研究所)が指摘するように、計算だけができるようになることを目的とせず、計算が身につくプロセスで培われる力も重視することである。彼は、そのような力として、集中力、継続する力、根気、自己決定力、壁を超える力などを挙げており、生きる上でも大切な力が育っていくことが何よりも大事なポイントであるとしている。
 その意味では、いま、流行の「影山メソッド=100マス計算」も限界を理解して利用すべきである。数学者のピーター・フランクル氏が指摘しているように、この方法はヒラメキや思考力とは別次元のもので、これで学力がつくものではないからである。
 むしろ、大事なのは、この「100マス計算」を小道具に使って、家庭内で、親子が触れ合いながら数と親しむことだろう。学校や塾任せにしないで、両親が、子供と一緒に算数の問題に取り組むことが何よりも大事なのである。うまくいけば、バラバラだった家族に一体感が生まれるきっかけになるかもしれない。
 
(5)身体の鍛錬
 最近の幼稚園児には、ころぶと顔から地面についてしまう子や真っ直ぐに走れない子が多いらしい。子供の体力が急速に低下しているのである。人間は心身相関的な存在であるから、知育にばかりかまけ、体力をつけることを疎かにしてきたことも、「キレる」子を生み出している原因かもしれない。
 そこで、初等教育においては、呼吸法と四股とジョギング(ゆっくりのんびり走る持久走)をマスターさせ、腰を据え、肚を決める動作を習得させるとともに、自らの体に問いかけ、自分の体調を自己診断する術を身につけさせるべきであろう。
 四股について、前述の斉藤孝教授は、四股を踏めない子ほど言い訳が多く、姿勢がくずれ、集中力に欠けていると指摘し、四股などで腰を中心に芯のとおった身体を作る重要性を説いている。
 いま一つ大事な取り組みは、スポーツの場となる校庭の芝生化の取り組みである。日本サッカー協会の川淵キャプテンは、校庭を芝生化した学校からは、不登校やキレる子どもが1人もでていないと、熱心に校庭の芝生化を説いている。
 芝生の上で、だれでも参加できるタグラグビー(腰の両端にカラーの布きれをつけてやる簡易ラグビー。布きれをとられたら、3秒以内に味方にパスを渡すのがルール)をやれば、運動が不得意な子もボールに触れることができ、頭を使ったプレーも求められるので、基本的な体力を鍛える恰好の種目になる。
 小学校の芝生は、コミュニティにとって地域スポーツを根づかせる絶好の基地になる。Jリーグアカデミーのリーダー山下則之氏は地域に愛着をもち、塾通いや習い事とも両立させるには、自分の生活圏にスポーツをする場がないとだめだと指摘し、5歳からの一貫教育を謳い文句に子供の遊び場の再生に取り組んでいる。
 こうして、半世紀もたったころ、ようやく日本のサッカーやラグビーが世界の一流レベルに到達するのであろう。全ての学校や公園の芝生化を進めるグリーン・ストラテジーの展開が求められる。
 
(6)生活の科学
 エコスクェア社会の担い手としての子供たちには、シンプルライフの実践能力を身につけさせる必要がある。数年前、大ベストセラーになった山崎えり子氏の『節約生活のススメ』は、単なるケチの方法を説いたノウハウ本だと誤解されているが、実は、科学的、合理的な生活のあり方を例示したシンプルライフのバイブルである。
 この本の児童版を作り、理科や家庭科の時間で自然にやさしくて、身体にも良く、合理的なコストで生活を科学する実践的なテクニックを教えるべきである。
 いま一つ、生活の科学の中で強調すべきなのは、お金との合理的な付き合い方である。『金持ち父さん、貧乏父さん』の著者ロバート・キヨサキ氏は、日本人は頭はいいのに、日本の学校制度と教育はまったくお粗末と指摘し、「21世紀に移行して、世界のルールは変わっています。新しいルールで生きる子供たちに資本主義のこと、企業のこと、つまりお金について色々教える必要があるのに、いまだにサラリーマンになる教育をしているようではダメなのです」と痛烈に批判している。
 何も、キヨサキ氏のように金持になる方法を教える必要はないが、経済の仕組みを身をもって体験する授業は必要だと思われる。校舎内に店や銀行、役所などが並ぶ街を作り、子供が売り手や買い手、住民など様々な立場になり、モノやサービスや金の流れを学ぶ経済教育プログラム(米国のスチューデントシティ)などの導入が考えられる。







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