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光と音に包まれた『野間邸』の4日間
山下里加(美術ライター)
 
 ボーダレスギャラリー「NOMA」のプレ・オープニングイベント『記憶の測量計−近江、町屋の月あそび−』は、この“場”行方を予感させる刺激的な展覧会であった。
 案内チラシを片手に、駅から近江八幡の町を歩いてみた。現地に近づくにつれ、昔ながらの町屋が増えていく。その中にヴォーリス設計の洋館もなじんでいる。「でっち羊羹」や「近江牛」の看板も気になる。おばあちゃん達が立ち話をしている横で、猫がひなたぼっこをしている。今どき珍しい、個性と生活が一体となった町だ。
 
 
 
 
 
 展覧会場の『野間邸』は、昭和5年に建てられた町屋らしい町屋だ。特徴的な木塀をくぐり、庭を抜け、土間で靴をぬぐ。祖父母の家を訪ねたような懐かしい感じだ。
 ところが、1階は真っ暗。時折、サーチライトのような光りが闇を横切っていく。3室のうち真ん中の1室は完全に閉ざされ、そこのふすまや欄間の隙間から隣室や廊下に緑色の光が漏れ出ているのだ。光はぐるりぐるりと回転しながら、部屋と観客である私たちを照らしては、闇へ還していく。まるで巨大な「回り灯籠」だ。ふと気づくと、不思議な和音も聞こえる。家の中を歩き回るにつれ、複数の和音が重なり、別の音階へと移行する。ごく普通の日本家屋なのに、未知の世界を探検しているよう。それでいて、欄間の細工や柱のわずかな傾きから漏れる光も、畳やふすまにやわらかに反響する音も、この家ならではのものだ。
 裏の縁側から中庭に下り、土壁づくりの蔵に行く。重い扉を開けて入ると、またもや中は真っ暗。母屋よりさらに完全な闇だ。ところが、闇に目が慣れてくると、床に同心円状の美しい光が見えてきた。人間の視覚の不思議さに驚きながら、湧き水のような光に見とれていた。
 母屋に戻り、2階へ上がる。ここは、明るい日差しに満ちていた。客間だったという部屋の中央には、高さ10センチほどの台の上に妖精のような陶器人形がきっちりと並んでいる。座って目線を低くして眺めると、より可愛らしい。立派な床の間には、素焼きの陶器作品とクレヨン画が設えられている。
 隣の部屋の押入だった場所には、真っ青な板の上に渦巻き状のオブジェがずらり。蟻塚のようなノッポのオブジェもある。積み木のようなカラフルな箱は、オルゴールになっており、自由にネジを回して鳴らすことが出来る。部屋の片隅や広い縁側には、モダンな椅子が置かれている。座り心地がよく、腰をおろすとなかなか立ち上がれない。忘れていたゆるやかな時間が流れていく。
 畳の上に座り込み、企画者のはたよしこと話し込む。母屋の1階と蔵の“光”は、現代アーティストの笹岡敬の作品。音はサウンドアーティストの藤本由起夫が、2001年のベネチア・ビエンナーレ出品作品と同じ音源、音程で設置した作品だそう。2階の陶器や絵画は伊藤喜彦や木村茜、小野真理子ら滋賀県の知的障害者施設で制作する11人の作品、オルゴールは藤本の新作であり、椅子をふくめて藤本が2階全体の空間構成をしたとのこと。
 
 
 
 
 近年、福祉施設で制作された作品による展覧会は増えてきているが、本展のように現代アートの文脈で活躍するアーティストと共に展示される機会は少ない。今回は特に、藤本が展示を手がけることによって、それぞれの作品が空間の中で、実に新鮮かつ魅力的な姿を見せていた。
 同ギャラリーは、障害のある人の表現活動を核に多様なジャンルの、様々な人と境界を越えて関わっていく場を目指している。また、改装前のプレイベントとしては、近江八幡という美しい町並みの中で歳月を重ねた『野間邸』のままで家屋に染みこんだ“記憶”を多くの人と共有し、さらに改装後のギャラリーとしての活動にも興味を持って見守ってほしいという目的もある。『記憶の測量計』展は、その2つの目的を見事に果たしていた。チラシなどの広報やスタッフの応対もふくめて展覧会としての完成度の高い展覧会であり、訪れた人達には、障害のある人の表現活動を素直に楽しむ機会にもなっただろう。
 だが少しだけ疑問もある。福祉施設で作られた作品は、2人の現代アーティストの意識にどんな影響を与えたのだろうか。彼らのいつもの通りの仕事を高いレベルで見せてくれた展覧会だっただけに、より新鮮な出会いをも期待してしまう。
 「NO-MA」は、これまでなかった“アートの現場”だ。現代アートや現代アーティストを呼び込んで福祉の世界に新陳代謝をうながすと同時に、現代アートおよび広く社会へ波及していく場となることを願う。







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