日本財団 図書館


 
響きあう場
井上 正隆(もみじ寮寮長)
 
 日々障害をもつ人たちと接していて、ある日突然すごい作品が誕生する場面に出会うことがある。一人で見ているのがもったいない。そんな時、至福の時間を共有できる場があったらいいと思う。
 プロの作家の個展に障害者の作品を一個ほうり込んでみる。その逆もあり。世界中の障害をもつ人たちのジョイント展もある。様々な可能性をもった波天荒な試みがこのギャラリーにあったらいい。
 「歌う・踊る・描く」この三つは、人間が誕生して以来あったもの、人間の生の欲求本能のようなものではなかったかと考えている。障害をもつ人たちに、より美の世界が身近なものになることで、この人たちの秘めている表現の世界が爆発するかもしれない。そんな期待をもっている。
 障害をもつ人の表現は、一つの文化だとおもう。生の目線の違いは大きい。表現の回路が違うから面白い。
 ボーダレス・アートギャラリーNO-MAが、違いを認め合い、響きあう空間として在る。そんな場に育ってほしいと願っている。
 
フシギなアート体験
(企画展を鑑賞した大学生の感想)
 
 近江八幡の町屋周辺は、どことなく母方の祖母の家の近所を連想させた。昔からずっと貼りつけっぱなしのようなポスターや看板などが時々見える場所、アートギャラリーNO-MAの中に入る前から私自身はあの町屋の中ですでにアートの世界に入っていたように思う。
 NO-MAでの催し物、「記憶の測量計」は、授業の為に美術館に行くというのとは感覚が少々違っていた。どちらかというと、遠縁のおばちゃんの家に友達を連れて久々に訪ねていくといった感じだった。だからワクワクしていた。本当にワクワクして、自分が10才前後くらいの頃に戻ったような感じをうけていた。美術作品を見に行くのに中に入る時に「おじゃまします」なんて言ったのは初めての体験だ・・・。
 私の中で、NO-MAの中に入った後でも、やっぱりそこは遠縁のおばちゃんの家という感覚だった。子どもが田舎へ行って、普段は身の回りにない建築の中に好奇心を抱いて、友達と家の中を走り回る−そんな感覚だった。
 だからか、二階へ上りイスに座り眺め、本を読む20代の男性、夫婦で仲良く外を見る中年カップル、イスで寝ているおじいちゃんが全て、自分の本当の家族や親戚のような、無言で流れる懐かしい空を共有していた。受付の主催者側の女性たちとごく自然に談笑していたのも、全てはこのギャラリーNO-MAが野間邸としての独特の時間や空気を持っていた力だろう。作品を見ていても「障害者の作品」、「健常者の作品」などとは、いちいち思っていなかった。ボーダレスというよりもfamilyなんだゾ、という感覚を持ったことは異様に覚えている。私と友達は帰り支度をしながら主催者の方々と話をして、NO-MAが改修されることを知った。
 バリアフリー化するのだから大賛成なのだが、「あの奥の井戸は残してほしい」等、まるで我が家のよう注文をつけていた。今回初めて行ったくせに、それだけ、人々の間に流れる“空間的感覚”を共有させた野間邸の雰囲気こそこの催し物のメインだと思った。
 
服部 正(兵庫県立美術館学芸員)
 
 日本の美術館を取り巻く状況は、暗い。新しい門出をめざす本誌の冒頭から縁起でもないが、やはり暗い。予算の大幅な削減、作品購入費の凍結、有能なベテラン学芸員の左遷といったニュースにも驚かなくなった。ついには、美術館の将来的な閉館を公言する自治体も現れた。
 当然といえば当然のことだった。日本の美術館が明るかったのは好景気の時だ。そこにあったのは、景気も良いし、やはりこれからの町づくりは文化でしょ、という安易なお題目だけだ。そこで何が行われ、社会的にどのような役割を担っていくのかというヴィジョンは何もなかった。何もないままに美術館だけが作られ、景気の後退とともに厄介者扱いされるようになった。
 そもそも、日本に初めて「美術館」と呼ばれる建物ができたのは1877(明治10)年のことだ。大政奉還後わずか10年というのは、西洋文化が急速に押し寄せた時代を考えても、早いほうだと思う。だが美術とは名ばかりのその建物は、内国勧業博覧会の会場内に建てられたパビリオンに過ぎなかった。博覧会が閉幕すればぶち壊される仮設的なもので、コレクションもなければ学芸員もいない、展示スペースだけの「美術館」だった。このあたり、とても日本的ではある。西洋の表層だけを真似たのだ。
 とはいえ、日本人に美術を鑑賞する習慣がなかったわけではない。美術館という作品鑑賞の箱モノがなかっただけだ。江戸時代には、書画会なるものがあった。料亭などの座敷に画家や愛好家が集い、酒席を共にしながら書画の鑑賞を行った。興が乗れば、客の求めに応じて画家が即興で描くパフォーマンスも行われた。
 草創期の油絵の普及に努めた洋画家高橋由一は、この書画会のような鑑賞態度に批判的で、「螺旋展画閣」という独自の美術館を構想して政府に建白書まで提出した。そのことの意義はともかく、個人的には上っ面だけの西洋的な美術館建造物よりも書画会のほうが好ましいと思う。
 私は、そのような意味でNO-MAに期待している。人々が普通に生活する町の中で、お茶を飲みながら、そして時には酒を飲みながら新しいアートを提案できるなんて、とても素敵なことではないか。
 アートとは、それが作られた瞬間にアートとなるのではなく、社会に居場所を見つけた時にはじめてアートとなる。バリアフリーを標榜するNO-MAが、アウトサイダー・アートにとって心地よい居場所になってくれれば良い。
 障害がある人や占い師、民間の宗教者や独居老人などの作品を指すアウトサイダー・アートは、19世紀末にヨーロッパの精神科医たちが収集を始め、1920年代に前衛的な芸術家たちが注目した頃からアートとして認知されるようになってきた。有史以来、常に障害をもつ人はいたはずだ。それなのに、作品は残っていない。私たちが目にするのは、すべて19世紀後半以降のものだ。それ以前のものは、アートと認識されることなく捨てられてしまった。何がアートかは社会の中で決められるというのはそういう意味である。
 日本の場合、アウトサイダー・アートが社会的に認知されたのはさらに遅かった。おそらく、1990年代に入ってからだろう。それは、好景気を謳歌した美術館が斜陽を迎えた時期と重なっている。この一致は偶然とは言い切れないだろう。
 アウトサイダー・アートには、王道に対するアンチテーゼという側面がある。アウトサイダー・アートの作り手たちは、正規の美術教育を受けていない人がほとんどであり、その点で美術の本流とは対極にあるからだ。ヨーロッパの場合、そのアンチテーゼとしてのパワーは、前衛芸術家たちとタッグを組むことによって炸裂した。
 美術の王道に背を向けた前衛的な芸術家たちは、アウトサイドの作り手たちを自分たちの同志と考えて賞賛したのである。
 日本の場合は、前衛芸術家たちの戦いの場にアウトサイダー・アートが顔を出すことはなかった。西洋の前衛芸術家たちを先駆者として、闘争の同志とすることができたからだ。日本の社会がアウトサイダー・アートに目を向けたのは、西洋近代の価値観への疑いからだった。
 江戸末期の開国からこのかた、日本は西洋文明を貪欲に、そして多くは無反省に取り込んできた。機能と効率を優先するその合理主義的な価値観が見直されるためには、社会の経済的な破綻が必要だった。
 好景気に乗じて作られた日本の美術館は、銀行の破綻と同じ道をたどりつつある。だからこそアウトサイダー・アートなのだ。西洋的な美術館の表層を真似るよりは、書画会を思い出せばよい。西洋美術の伝統へのアンチテーゼとしてのアウトサイダー・アートは、そこでの切り札となるだろう。
 私が書画会を持ち出すのは、陳腐な古趣味ではない。進歩思想の屍の上に、新しい価値が芽吹きそうな予感があるからだ。
 アート・スペースとは、新しいアートの価値を社会に認知させていく場所でもある。新たに出発するNO-MAから、新しいアートのあり方が示されるとすれば、それに立ち会える私たちは幸福だ。日本の美術館の将来は暗いかもしれないが、NO-MAの未来は明るいと思う。
 
 
 
 
右脳バンザイ体験講座
2004年3月20日(土・春分の日)京都大学総合博物館
●ワークショップ(2階第2企画展示室)障害のあるなしに関わらず、表現活動を共同し合うワークショップ。
みんなこぞって自由になろう。
ワークショップA 午前10時30分〜午後12時(受付:午前10時〜)
「即興、笑える絵画」ナビゲーター:はたよしこ(絵本作家・アートコーディネーター)
ワークショップB 午後1時〜午後2時30分(受付:午後12時30分〜)
「私のダンスみんなのダンス」ナビゲーター:山下残(ダンサー・振り付け家)
●トークショー(2階セミナー室)人の表現エネルギーはどこからくるのだろう。遍的な問題として、多様な観点から語り合う。
「表現活動の源とは」午後2時45分〜午後4時30分
山中康裕(臨床心理医・京都大学大学院教授)、今井祝雄(成安造形大学教授)、山下残(ダンサー・振り付け家)
コーディネーター:はたよしこ
参加費=一般400円、大高生300円、小中生200円、障害者無料(料金は博物館の入館観覧料です。)
※参加者は事前申し込みが必要です。
※定員・ワークショップA、Bともに、各25名(障害のある方10名、それ以外の方15名、ただし見学者に定員はありませんので自由にご参加下さい。)
・トークショー60名
※申し訳ございませんが、先着順にて定員になり次第締め切らせていただきますのでご了承下さい。当日、ワークショップご参加の方は、動きやすく汚れてもよい服装でお越し下さい。
□主催=ボーダレス・アートギャラリー運営委員会
□お問い合わせ・お申し込み先=社会福祉法人社会福祉事業団企画事業部 TEL(0748)75-8615 FAX(0748)75-8868
 
予告
オープン記念企画展「私あるいは私」 −静かなる燃焼系− 2004年7月中旬〜9月中旬
 ボーダレス・アートギャラリーNO-MAがこれから目指していく形を斬新な切り口で見ていただく企画展です。アウトサイダーやインサイダーという既存の枠にとらわれず、あなたの生の感性でこの展覧会を体験してみて下さい。6人の表現者が織りなす熱い表現世界をぜひご期待下さい。
 
イベントのご案内
「コラボレートする!〜伊賀高史と工絵」
栃木県馬頭町
NPO法人もうひとつの美術館
TEL 0287-92-8088
2月21日(土)〜5月23日(日)
月・火休館(祝日は開館)
 
「刺し子と陶芸展」
滋賀県栗東市歴史民族博物館
栗東なかよし作業所
TEL 077-552-5413
2月19日(木)〜22日(日)
 
「湖北会作品展」
滋賀県長浜市長浜アルプラザ平和堂
湖北会
TEL 0749-79-1150
2月20日(金)〜2月23日(日)
 
みずのきの絵画展
−内なる声を描いた画家たち−
京都市・思文閣美術館
TEL 075-751-1777
3月1日(月)〜3月31日(水)
月休館(3月1日除く)
 
「アートリンク2004」
神戸市・元町みなせ画廊
ひと・アート・まち兵庫
たんぽぽの家
TEL 0742-43-7055
3月4日(木)〜15日(日)
 
「アートリンク2004(展示2)」
神戸市立こうべまちづくり会館
ひと・アート・まち兵庫
たんぽぽの家
TEL 0742-43-7055
3月19日(金)〜23日(火)
 
「アートリンク2004フォーラム」
神戸市立こうべまちづくり会館
ひと・アート・まち兵庫
たんぽぽの家
TEL 0742-43-7055
3月7日(日)
 
「KALEIDOSCOPE−6人の個性と表現」展
そごう神戸店・新館8階
ひと・アート・まち兵庫
たんぽぽの家
TEL 0742-43-7055
3月9日(火)〜3月14日(日)
 
エイブル・アート舞台人養成講座東京公演
報告フォーラム
国立オリンピック記念青少年総合センター
エイブル・アート・ジャパン
TEL 03-3364-2140
3月13日(土)・1日(日)
 
「障害のある人のパフォーマンス」
神戸市・風月堂ホール
ひと・アート・まち兵庫
たんぽぽの家
TEL 0742-43-7055
3月5日(金)
 
「アートとソーシャル・インクルージョン」
フォーラム
奈良県新公会堂
たんぽぽの家
TEL 0742-43-7055
3月20日(土)・1日(日)
 
「泣き虫桃太郎」
滋賀県野洲文化ホール
TEL 077-587-1905
デフ・パペットシアター・ひとみ
3月23日(火)
 
「湖北寮作品展」
滋賀県東浅井群湖北寮
湖北寮
TEL 0749-79-1150
3月28日(日)
 
「まほろば・楽市・楽座」
奈良市奈良町界隈
たんぽぽの家
TEL 0742-43-7055
4月3日(土)〜11日(日)
 
美と用のあいだコンクール2004
入選作品展
奈良市美術館
たんぽぽの家
TEL 0742-43-7055
4月7日(水)〜11日(日)
 
「夢をかたちに」展
滋賀県彦根市ビバティー彦根
彦根学園
TEL 0749-22-2266
4月24日(土)・25日(日)
 
ボーダレス・アートギャラリーNO-MA: 滋賀県近江八幡市永原町上16
発行者・お問い合わせ先:〒520-3216 滋賀県甲賀郡甲西町若竹町25-13 サングリエール甲西1階
社会福祉法人滋賀県社会福祉事業団企画事業部 TEL: 0748-75-8615 FAX: 0748-75-8868







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