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2. 学会1日目―松岡、渡辺両会員の発表
 5月22日午前、日本人のトップを切って、まず松岡順之介会員が「British Influence on Japanese Medicine: Dr. Kanehiro Takaki and Dr. William Willis」という演題で発表した。
 ドクター・ウィリスは、エジンバラ大学外科の出身で、1862年、在日公使官付医官として来日。日本人に麻酔下の手術を教えたり、また戊辰戦争時に薩摩において大勢の戦傷者の治療にあたるなど、日本に英国の医学を紹介した貢献者でもある。一方、東京慈恵会医科大学の開設者でもある高木兼寛は、ウィリス医師の名声を知り、ウィリスに師事して英語、ラテン語、そして医学を学び、のちにドイツ医学一辺倒となる日本の医学に英国医学のルートを確保した人物である。また、高木兼寛医師はオスラーから2カ月の後に生まれ、没年もまたオスラーの3カ月後というまさにオスラーと同時代を生きた医師であり、オスラーと同様、看護師の役割を重視し、看護教育にも多大な情熱を注いでいる。
 松岡会員によると、日本の陸軍主体に進められたドイツ医学への傾注は、その後東京大学をはじめとする官立大学に引き継がれ、日本の医学を偏った方向にリードしていったということ、そしてそれはまたオスラーの主唱する「医学は科学に基礎づけられたアートである」という思想からも乖離した医療を形成することになったと指摘する。当地の参加者は、ウィリスがエジンバラ大学の出身であることから松岡会員の発表に大きな関心を寄せていた。
 
オスラー総会プログラム
 
 さて、同日午後は2人目の発表者、渡辺昭彦会員の登場であった。渡辺会員は、オスラーが米国・ペンシルベニア大学で教鞭をとっていた当時の日本人としては唯一の教え子である佐伯理一郎医師についての発表である。演題名は「Dr. Riichiro Saiki, the Only Japanese Doctor to Have Been Taught by Dr. William Osler: What did he do After Returning Home to Kyoto, Japan」。ペンシルベニア大学在学中の佐伯医師の成績表から、その後の活躍、そして京都にある佐伯医師88歳誕生を記念して建立された石碑には「受くるよりも与ふるは福なり」と聖書の使徒行伝20章35節が刻まれている。これは佐伯医師が運営に参加した新島襄設立の京都看護婦学校のモットーとして掲げたものでもあった。これはまさにオスラーが『Aequanimitas』第3版第2章の「医師と看護婦」の中の一節「--that happiness lies in the absorption in some vocation which satisfies the soul: that we are here to add what we can to, not to get what we can from, life.」と合致するものであると、オスラーの精神が東アジアの日本でも生きていることを語られた。
 
学会の模様
 
学会の模様(松岡会員の発表)
3. 第2日目―小松会員の発表
 5月23日午後は小松としえ会員が「How I Came Across the Books of Dr. Shigeaki Hinohara and Sir William Osler that Chaged my Life」というテーマで発表した。小松会員の発表の骨子は、米、英のオスラー協会がクローズドシステムをとっていることに一石を投ずるもので、一般の人たちの間にもオスラーは知られるべき存在であるということを、日本語に訳された私の著書から学んだという体験談であった。
 日本では確かに「医師ウィリアム・オスラー」の知名度は高いとはいえない。その意味でも私は日本オスラー協会には医療職者と一般の方との区別なく会員として勧めてきた。オスラーの思想や行動を現代に生かすためには、小松会員の提言も傾聴すべき提言かもしれない。
4. 最終日―守山会員の発表
 5月24日の最終日は、私がチェアマンを務めた。この日、4人目の守山会員の「Osler and Oriental Medicine」と題する発表が行われた。守山会員は、かねてよりRichard L. Golden前アメリカオスラー協会会長の「オスラーと東洋」の研究に関心をもちオスラーと孔子、あるいはオスラーの東洋医学との研究を進めておられたが、今回はオスラーが息子リビアを喪ったときの様子と、孔子が愛する弟子顔回に先立たれたときを比較考察し、またオスラーが試みた東洋医学、とくにはり治療について紹介した。総会に出席しておられたGolden先生に私が意見を求めたところ、たいへんよい発表であるとのコメントをいただいた。
5. その他の発表と2度の盛大なレセプション
 今回の会長を務めたのはLawrence D. Longo先生。カリフォルニアの彼のもとに留学する日本人学生には常に私の訳書『平静の心』を読むように勧めておられるという方である。今回、会長講演として22日に1時間に及ぶ講演「“Lessons” from the History of Medicine? An Oslerian Perspective」をされた。その要旨は、「オスレリアンとしてのわれわれに与えられた課題は、オスラーを偉大な人物として崇めることではなく、オスレリアンにふさわしい学徒として、自分を前進させることである。その際に大切なことは、過去の歴史と社会的・文化的環境を広く理解し、そこから学びとることである」という格調の高いものであった。
 また、22日はThe Royal College of Physicians において、そして翌23日はThe Royal College of Surgeons において、4時間にも及ぶ伝統あるスコットランド式の正餐会でもてなされた。これはオスラー博士がこの地スコツトランドでも大きな尊敬を勝ち得ていることを表していることとあわせ、オスラリアンに対する敬意のしるしであると深い感慨を覚えた。
 学会を無事に終え、米・英のオスレリアンと私たち日本からの参加者のうち私と発表者は2台のバスでオスラーも訪ねたであろうスコットランドのハイランドに向けて3日間の親睦旅行を楽しんだ。







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