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はじめに
 2003年度は英国およびアイルランドについての医療事情調査を実施した。その目的の一つは、英国・エジンバラ市で開催された第33回アメリカオスラー協会の年次総会と併せて行われた日本、米国、英国の三国合同オスラー総会への参加であり、他の一つは、近代ホスピスの嚆矢として日本に紹介されているアイルランドのOur Lady's Hospice の視察である。なお、日時に余裕がとれたので、英国・ノリッジ市において、Priscilla Bacon Lodge(ホスピス)とNorfolk and Norwich University Hospital を、またオックスフォード市においてウィリアム・オスラー博士の記念館(オープンアームズ)とオックスフォード大学グリーンカレッジを訪問した。今回の視察には、日本オスラー協会会員16名が同行した。視察期間は2003年5月21日から6月3日までの13日間であった。
I. 日・米・英合同オスラー総会
期日 2003年5月21〜24日
会場 エジンバラ市、The Royal College of Physicians of Edinburgh
 私は日本人としてただ一人1983年にアメリカオスラー協会、1984年に英国ロンドンオスラークラブの名誉会員として選出されているが、それ以後、日程に余裕がとれる限り毎年、米国で開催されるアメリカオスラー協会の年次総会に出席し、「オスラー博士の習慣論について」(1986年)、「ウィリアム・オスラー博士の死に関する哲学と死の研究」(1990年)などの発表を行ってきた。それが契機となって、1990年のアメリカオスラー協会20周年記念大会以後、4年に1回ずつ開催される記念大会は、日・米・英三国のジョイント総会として、オスラー博士のゆかりの場所で開催することになり、日本オスラー協会会員も参加することになった。1990年はジョンズ・ホプキンズ大学(米国・ボルチモア市)、1994年はロンドン市とオックスフォード市、1999年はマギル大学(カナダ・モントリオール市)と、いずれもオスラー博士がその生涯のある時期において活動を展開したところで催されている。そして今回は英国・スコットランドのエジンバラ市での開催であった。
 エジンバラ市とオスラー博士の関わりは、医学的な立場からは、オスラーがマギル大学卒業直後の1872年に英国留学の際と、1898年にエジンバラ大学からLL.D. の学位を授与されたとき、また、1990年に同大学の内科主任教授に応募書類を送付したことなどいくつも指摘することができる。しかし、そればかりでなく1905年にオスラーが活動の場をオックスフォード大学に移してからは、スコットランドは彼の一人息子のリビアと一緒にヨット、雷鳥狩り、魚釣りなどを楽しむところとなった。そこで今回も、アメリカオスラー協会の企画では、学会終了後に学会参加者がスコットランド旅行を楽しみつつ、会員同士の交流を深める機会が設定された。これには参加人数に限りがあることから、今回の日本オスラー協会参加者を2グループに分け、私と4名の学会発表者、そして同伴の夫人を含め7名をAグループとして米・英のオスレリアンと一緒にスコットランドを旅することにした。
1. 学会と日本人会員の発表
 さて、総会は21日午後の役員会から始まったが、私たちは当日夜遅くエジンバラ市に到着したため、翌22日午前7時45分からのGeneral Sessionから出席することになった。
 米国や英国では、日本と違い、オスラー協会会員は資格審査が厳しいクローズドシステムをとっており、誰もが会員になれるというわけではない。したがって会員数も限定されており、参加者の人数も決して多いというわけではない。しかも、英国・スコットランドでの開催である。それにもかかわらず、日本からの17名を含め、総勢178名の参加者が伝統あるThe Royal College of Physicians of Edinburgh の階段講堂において、49題に及ぶ講演を2日半にわたって聞き、そしてディスカッションに参加した。
 今回画期的なことは、日本から4名が日本オスラー協会を通して発表の希望を提示していたが、全員にそれが許されたということである。







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