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2001年3月号 軍事研究
21世紀日本の空母建造計画か!?
朝日新聞編集委員 田岡 俊次
論議不足の新中期防
 昨年十二月十五日に閣議決定された二〇〇一年から二〇〇五年度の中期防衛力整備計画は軽空母を目指すと考えられる基準排水量一万三千五百トンの「DDH」(ヘリコプター搭載護衛艦)二隻や、ヘリコプター二機を搭載するはずの基準七千七百トンの「DDG」(対空ミサイル護衛艦)二隻、また四発ターボファンの洋上哨戒機の開発など、特に海上自衛隊の能力を大幅に向上させ、将来艦隊編成や戦略構想を変えそうな新装備を含んでいる。
 これらは経費からしても、また国際政治上の意味からしても、四機の空中給油機とは比較にならないほど大きいが、意外に政治的論議の対象とならず、従って、単に「客観的に」論議を報じることが多いマスメディアの注目度も空中給油機に比し低いように思われる。
 私個人は、これらの計画に必ずしも反対ではなく、賛否両論が次々と頭に浮ぶ実に複雑な心境で「アンビバレンス」(両面価値観)とはまさにこのこと、と実感するのだが、それだけに政治の論議が無いのは不思議に思える。政治家の知識、関心の不足によるとすれば、シビリアン・コントロール(政治主導)の見地から考え軽視できない問題だろう。
 この本題に入る前にまず新中期防の概容を述べれば、その経費は二十三兆一千六百億円で、九六〜二〇〇〇年度の中期防は当初二十五兆一千五百億円だったから、それとほぼ同額だが、九七年の見直しで財政事情を反映し二十四兆二千三百億円に減額したから、それと比較して九千三百億円の増額となる。このうち人件費増が七千二百億円、大規模なPKOや災害での活動、あるいは弾道ミサイル防衛の開発に着手した場合などに充てる予備費が一千五百億円、物件費は六百億円の増となる。
 新中期防も基幹部隊の見直しを継続し、陸上自衛隊では計画期間末の編成定数を十六万六千人(六千人減)、そのうち常備自衛官の定員を十五万六千人(一万一千人減)、その充足を十四万六千人(千人減)、とすることにしている。定員上はかなりの減員のように見えるが、実は充足率を高めて、実員の減は一千人だ。過去にも九三年度末や九八年度末には実員は十四万六千人前後だったから、陸自はまず「本領安堵」された形だ。
 海上自衛隊では地方隊の一個護衛隊を廃止(多分、大湊か)、航空自衛隊は一部のレーダーサイトを警戒群から警戒隊にし、削減計画はこの中期防末で完了となる。
ITと特殊部隊対処
 計画の方針の中で「特に留意する点」として、次のようなものがあげられている。
 (1)情報・通信技術(IT)の積極的取り込みを進める一方、電子的攻撃(サイバー攻撃)に対抗するため、「防衛情報通信基盤(DII)」を整備し「コンピューターシステム共通運用基盤(COE)」の整備などを行う、とする。DIIは現在、三自衛隊など多くの機関ごとに、外部につながらない「秘匿システム」と外の商用インターネットにつながる「無秘匿システム」があるなど、複雑な構成になっている。これを三自衛隊など全機関を統合した一つの秘匿システムと、外部につながる無秘匿システムの二つに集約するものだ。情報・通信の統合は、従来必要性が叫ばれながら一向進まなかった三自衛隊の統合運用を、物的基盤を造ることにより推進する効果を生みそうだ。
 (2)ゲリラ・特殊部隊による攻撃に対処。このために専門の部隊を新編し、また島嶼への侵略や災害に対する初動展開能力の高い部隊を新編し、核・生物・化学兵器攻撃に対する人員、警備の充実、生物兵器対処の研究、教育の充実を図る、とする。
 ここで気になるのは「ゲリラ」という言葉の粗雑な用法だ。ゲリラは侵略を受けた側や圧制政府に反抗する側が民衆の支持をえて対抗する戦闘形態であって、外国から潜入するプロ中のプロの戦闘集団である特殊部隊と外形的には似ていても、本質的には逆のものであり、自衛隊はもし侵略を受ければ、ゲリラの支援、協力を得て戦うことになろう。自衛隊が日本人ゲリラと戦うような事態は、国民の意向がおおむね選挙で政治に反映される民主制の下ではまず考えられない。
 ただし単に「特殊部隊」とすると、これは明らかに外国正規軍に属し、外国の反政府グループが日本にあるその国の大使館を占拠したような場合には適合しないから、「特殊部隊・テロリスト」とでもすべきだろう。「ゲリラ対処」と言うと、南ベトナム軍やアフガニスタンの政府軍が自国民と戦うような印象がある。これは「言葉とがめ」のように聞こえるかもしれないが「ゲリラ」は敵か味方か、は自衛隊にとって根本的なアイデンティティ(自己認識)の問題である。日本の民衆と共に日本を外国軍から守る自衛隊であろうとするなら、軽率に「ゲリラ」という言葉を敵のように使うべきではあるまい。
 特殊部隊への警戒、防御は一般の部隊が行うものであり、攻撃部隊である特殊部隊を創っても、それで特殊部隊を防げるものではない。だが相手がどこかに立て篭ったような場合には役立つこともなくはないし、少なくとも特殊部隊対処の訓練用の仮設敵としては価値があるから、警察の同種の部隊と若干重複のきらいはあるとはいえ、新編する意味はあるだろう。
NBC対処と島嶼防衛
 また放射性物質とか化学・生物兵器に対しては防護、除染、治療は極めて有効だ。毒ガスが大量使用された第一次大戦では防護手段を欠いたロシア軍が死者五万六千人を出したのに対し、化学兵器の使用でも対策でも一歩先んじていたドイツ軍は、英、仏等連合軍が五万八千トンもの毒ガスを使ったのに二千二百八十人の死者しか出さなかった。
 九五年三月の東京地下鉄サリン事件では、密閉空間の地下鉄五列車で十一袋のサリンが放出され五千人以上の患者が出たが、死者は十二人ですんだ。これは前年六月の松本サリン事件(死者七人、患者六百人)で神経ガスに関する知識が日本で普及し、治療が早かったためだ。生物兵器は効果が不確実、即効性に欠ける、自軍にも危険で、管理がやっかい、などの弱点があり、実用兵器として配備されたものはないが、対策の研究をしておくに越したことはない。
 これに対し、島嶼侵略に対する部隊、の必要性は疑問だ。これは西部方面隊直轄の軽普通科連隊のことらしい。元々は尖閣列島の中国・台湾の領有権主張や香港の「民主派」、台湾の「新党」(旧蒋介石派)らが売名行為のため上陸した事件が契機で発想されたことは承知しているが、海上デモの類は海上保安庁にまかせてすむ話だし、中国には尖閣列島付近の制空、制海権を取って軍隊を揚陸する能力はない。大陸から十kmほどの金門島すら取る力はないのだ。もし尖閣列島のような無人島に敵が上陸すれば、海上を封鎖しておけばいずれ降参する。
 日本人が住む島だと兵糧攻めはやりにくいが、外国と係争中で日本人が住む島はなく、外国が何の目的で係争地点でもない日本の島を侵略するのか、ピンと来ない話だ。北朝鮮の工作船が韓国海軍や海上自衛隊、海上保安庁に追われて対馬などに逃げ込み、乗組員が上陸して山に隠れる、というシナリオは一応考えうるが、それならまず空挺部隊を板付へ輸送機で運んでヘリで島へ送り、その後各地から普通科部隊を派遣するのが合理的だ。むしろ人員削減、改編で小型の軽歩兵連隊を作らざるをえず、その説明としてこんな話が生れたのでは、とも考えられる。
 (3)災害派遣能力の充実、強化を図る。これは誰しもさほど異存のないところだ。二〇〇一年度に全国の部隊で常時二千七百人の要員・部隊を指定し、二十四時間態勢を確立し、初動対処を行うほか、艦艇も従来は五地方隊に各一隻の応急出動艦を指定し、二時間以内の出動態勢を採っていたが、それに加えて、各定係港に所在する全艦艇に四時間以内に出動し得る態勢を確立する、という。
 また海自は同年度に「機動施設隊」(百十人)を八戸に新編し、輸送艦でブルドーザー、パワーシャベルなどの土木機械を各地に運べるようにする。空自は、「機動衛生班」五班(各医官二人など六人)を三沢、入間、岐阜、春日、那覇に配置、有事や大規模災害時にヘリや輸送機で重傷患者を空輸する。これらの部隊は災害派遣と同時に、日米防衛協力の指針(ガイドラインズ)で示された米軍の日本国内での輸送や、負傷兵の受け入れなどの後方支援を視野に入れているようだ。
知性、品性、常識の欠如
 (4)精強で質の高い人材の確保・育成、秘密保全を含む服務規律の徹底と福利厚生を含む処遇改善、が特に留意する点にあげられている。従来の防衛力整備計画はもっぱら装備導入計画で防衛庁内で「買い物計画」のアダ名があったが、今回のように人事政策を入れたのは珍しい。
 「秘密保全」を強調するのは、三等海佐がロシア大使館の海軍武官に修士論文の資料提供を求め、しばしば一方的にご馳走になったり、現金まで貰い一部に秘指定のある文書を渡すなど、取りこまれかけていた事件の影響だ。この際には文部省に依頼されて修士論文の審査に当った教授たちが「論旨は乱れ、データが少なく、繰返しが多い。こんな出来の悪い論文は見たことがない」と呆れたが、温情的に書きなおして再提出するよう求めたことが事件の背景となった。
 三等海佐の行為は本物の「スパイ事件」とは少々違うとはいえ、かくも知性、品性、常識に欠ける幹部が防衛大を卒業して任官し、同期の幹部のうち上半分にいたことは、防衛庁首脳部にも衝撃を与えた。
 それ以前にも、制服幹部たちの社会的地位が高まり、外国との交渉の席に出たり、総理大臣と会食するなどの機会が増えるにつれ、歴史知識、語学力、海外軍事情勢の理解、読書量など知的水準への疑問が聞こえるようになり、また制服の上級幹部からも「幕僚がどれも同じことしか言わない。そんなことは私一人でも考えつく。幕僚の価値がない」と画一性のひどさを嘆く声が出ていた。
 自衛隊は「訓練」では他国にひけを取らないが、将校の「教育」には疑問が多い。この問題は従来自衛官の地位が低く、一部を除いて優秀な人材が防衛大に入らないし、一般大卒の幹部も同様であること、世間から疎外されているという感覚が実態以上に強いため発想が内向きになり、視野、教養の幅を拡げようという動機付けに欠けること、先輩がそうだから後輩は一層ひどくなること、などが考えられる。
弱い純血、逞しい雑種
 人の知性を英語力だけで計るわけには行かないが、九八年のTOEIC(国際コミュニケーション英語能力テスト)の結果には驚かされた。幹部学校の指揮幕僚課程、幹部上級課程、幹部初級課程の三自衛隊の幹部たち六千四百人余に集団受験させたところ九百九十点満点で陸自が三百四十六点、海自が三百五十四点、空自が三百八十七点だった。一般受験者の平均は五百七十一点で、自衛隊幹部の成績は短大生(平均三百七十五点)なみだった。これに対し防衛庁事務官(上級)の受験者百十九人の平均は七百二十二点だ。「意思疎通が可能」とされる七百三十点以上は陸八十四人、海六十一人、空四十九人、事務官八十一人、そのうち「米英の大学に行ける」八百六十点以上は陸九人、海十二人、空ゼロ、事務官二十人だった。
 「質の高い人材の確保・育成」を「防衛力整備計画」の主要事項にするのは、従来の感覚からは、まるで「人材」を装備の一種のように見るようで苦笑を誘われるが、将校の教養水準や品性、それに支えられる判断能力はたしかに「防衛力」の重要な一部で「整備」の要がある。事態の深刻さがそれだけ認識されたことを示し、改善が進むことが期待される。
 自衛隊の上層部を防衛大出身者がほぼ独占している「血族結婚」は画一性を助長し、沈滞を招くし、部内の幹部学校などでの教育は視野を一層狭くする方向に働きがちだろう。例えば防衛大の定員を半減し米国などと同様、一般大学の優秀な学生が、自衛隊幹部になってみよう、と思わせる人事施策や勧誘も必要だろう。一般大学の学生も画一化しているがすこし違う画一性だけに二つの画一化した品種を混ぜれば少しはましだろう。また防衛大卒の幹部たちを多くの一般大学院に進学させ、修士号を取らせ、それを「指揮・幕僚課程」より重視するなどの方法で交流をはかることが、自衛隊の知的活性化につながるだろう。「指揮・幕僚課程」を出ないと作戦計画は立てられない、と思うのは迷信の類だ。日露戦争中の将軍、提督たちのほとんどは幸いまだそうした画一的教育を受けていなかった。例外は陸大一期の優等生、東条英教(英機の父)で、彼は日露戦争当時少将で旅団長だったが、官僚臭が強く、「行動不活発」のため更迭されている。
軽空母か護衛艦か
 さて、在来型の中期防、「買い物リスト」の面では、新中期防の最大の“目玉”は「DDH」だ。これは現在の対潜ヘリコプター三機搭載の護衛艦「はるな」が二〇〇八年、同型の「ひえい」が二〇〇九年に艦齢三十五年で退役するため、その後継だ。
 防衛庁はその「イメージ図」を公表したが、前後に飛行甲板があり、中央部に幅の広い上部構造物が載っている。こんな珍妙な艦型は英海軍が第一次大戦末期の一九一八年、巡洋戦艦「フューリアス」(二万二千九百トン)の前後の砲塔を取り払って急造した空母以来だ。よく見ると煙突二本は右舷一杯に寄っているし、マストなども右寄りだ。左舷寄りには大きなシャッター付きの構造物があるが、聞くと「これはヘリコプター整備用格納庫です」という。飛行甲板下には十分な格納庫のスペースがあり「エレベーターも付く」と言うのだから、なぜ整備用ハンガーを甲板に設ける必要があるのか、と詳しくたずねると説明がつかなくなる。当面、空母の形を見せたくなくて、変なものを付け加えたのは見え見えだ。「これはあくまでイメージです。予算要求は二〇〇三、四年頃だから、それまでに合理的艦形を詰める」という。運用の効率、発着艦の安全性から全通甲板がすぐれているのは当然で「検討の結果」そのようになる、と考えるのが自然だ。「完成予想図」だと、できたものがあまり異なると責められるが「イメージ図」では後で追及しにくい。また仮に甲板上にダミーのような「格納庫」をのせて一応完成したとしても、後日V/STOLの戦闘攻撃機などを積む際には簡単に取り払える。「衣の下からヨロイがのぞく」どころか、ヨロイの上に斜めにケサだけ掛けて出てきたような形だ。
 また防衛庁は「搭載するのは対潜ヘリ三機と掃海・輸送ヘリ一機」という。「満載排水量は一万六千五百トン」と説明するが、これは上記のヘリ四機を搭載した場合で、通常推進の空母は満載時に基準より三十五%ほど重くなるから、軽空母にした場合には一万八千トン以上になるはずだ。これは一九四二年六月、ミッドウェー沖で戦没した中型空母「蒼龍」(公試時一八、八〇〇トン)とほぼ等しい。これを「DDH」(ヘリコプター搭載駆逐艦)と称するのは虎を指さし「これは猫です」と説明するようなこっけいさがある。またこんな大きな艦が本当にヘリ四機しか積めないとすれば、世界の海軍、造船界に顔向けができないほどの非効率な設計となる。
 輸送艦「おおすみ」級(基準排水量八、九〇〇トン)は全通甲板を持つ一見空母風の外見から、特に欧米で「空母では」と騒がれたが、航空機用のエレベーターも格納庫もなかったから、空母に改装は困難だった。だが「はるな」後継の“DDH”は明らかに軽空母をめざしている。
 現在海自が十機持つ掃海・輸送ヘリMH-53Eは全長三〇・一九m、全高八・九七m、総重量一三・六四トン、乗員三人、乗客五十五人という大型で、これを積めるような飛行甲板の強度、エレベーターの能力、格納庫の天井高などを確保しておけば、どんな艦載機でも積めるだろう。V-22は総重量約二十五トン、全高六・九m(ナセル垂直時)だ。また現在の「八八艦隊」(護衛艦八隻に対潜ヘリ八機を積んだ一個護衛隊群)を四個持つという「防衛計画の大綱」の建前は変えないまま「はるな」「ひえい」の代艦、との建て前でこの“DDH”を造ろうとするから、対潜用の大型ソナーも対空、対艦ミサイルなどもつけざるをえず、その分多分二百億円ではきかない余分な経費と人員を要する。
 新“DDH”は一隻約九百五十億円だ。正直に軽空母と言い切り、ロシア潜水艦隊の衰退で意味の薄れた「八八艦隊」もやめて新たな編成にすれば建造コストは安く、人件費も節約できる。防空、対潜には護衛艦が十分あり、それと共に行動するのだから、固有の兵装は「ファランクス」(二〇mm機銃)だけでもよいはずだ。論議を避けたい姑息な発想から、飛行甲板上の「格納庫」やソナーなどをつけるならとんだ税金の無駄、国民を馬鹿にしている。
 このように自国の建艦計画について、かつてソ連のキエフ級「大型対潜艦」計画に関して論じたと全く同様の手法で「合理的推測」を重ねて論評せざるをえないのは奇妙な感じだ。海上自衛隊は創成期には「魚雷艇」という語すら禁句にし「丙型警備船」と称したが、いまや空母を隠すのだから「成長の跡著しい」と感心、苦笑せざるをえない。
海自悲願の自己完結
 ロシア海軍衰退の後、海上自衛隊はすでに世界第二の海軍であり、護衛艦五十五隻(昨年三月末)は米太平洋艦隊の水上戦闘艦五十八隻(うち空母五隻)に近く、英海軍の三十四隻(うち軽空母三隻)をはるかにしのぐ。P-3C百機は米海軍の約四割、英空軍所属の洋上哨戒機ニムロッドMR2二十三機の四倍余だ。だが、空母がない海上自衛隊は米海軍の「有能な助手」でしかなく、軽空母を持って自己完結的な艦隊としたい、というのは、三十年余の悲願だった。八三年頃には英のインヴィンシブル級(満載二万六百トン)と同様の二万トン級軽空母を造り「シーハリアー」を搭載して、太平洋上に進出するソ連のTu-22Mなどに対する洋上防空に使う案がほぼ煮詰まり、八四年から五年の防衛力整備計画「五九中期業務見積り」に入れるよう求める寸前となった。
 これに対し米海軍は「軽空母よりイージス艦など護衛艦を優先すべきだ」と強く主張し、軽空母は後回しとされた。米海軍にしてみれば、空母はソ連海軍に対して十二分にある一方、護衛艦は不足していた。日本が空母を持てば優秀な助手が自立する方向になりかねないし、イージス艦の方が米国にとって商売になる、という事情もあったのだろう。
 米海軍に叱られて見送ったものの海上自衛隊は軽空母をあきらめたわけではない。八八年四月六日の参議院予算委員会の答弁でも瓦力防衛庁長官が、自衛隊が保有することを許されない兵器として「ICBM、戦略爆撃機、攻撃型空母」をあげたのは対潜用、防空用の軽空母保有への含みを持たせたものだった。「攻撃型空母」はベトナム戦争中まで米海軍が空母を大型の「攻撃空母」とやや小型の「対潜空母」に分類していた時代の言い方だ。対潜空母には第二次大戦に建造したエセックス級が使われたが、これが退役し、大型空母に対潜機を混載するようになって「攻撃空母」の名称は消えた。その古い表現を八八年に使ったのは、まるで「重爆撃機はもてない」と言い、軽爆撃機は持つつもりだ、と示唆したような答弁だった。
 八三年当時、私も海幕首脳から詳しい説明を受けて協力を求められ、自己完結的艦隊にしたい、との希望には賛成したものの、シーハリアーは最大速度がマッハ〇・九だし、搭載するAIM9L(サイドワインダー)は射程十八kmで、赤外線追尾のため雨や霧の中では役立たない。E-2CのようなAEW(空中早期警戒機)が運用できず、対潜ヘリ「シーキング」(SH-3)を改造し小型対空見張りレーダー「サーチ・ウォーター」を取りつけたものも「無いよりまし」程度のものにすぎない。また地上基地のAEWの覆域内で行動するというのなら(そんな話もあった)地上基地戦闘機に空中給油して洋上防空に当たらせる方が有効ではないか、などの疑問を呈したものだった。海幕がコンピユーターでシミュレーションをしてみたら「田岡さんの言った通りの結果になった。やっぱりハリアーではだめか」という話も後に聞いた。
 その一年前、八二年五月のフォークランド紛争では英海軍の「インヴィンシブル」と「ハーミーズ」(二万八千七百トン)が搭載した海軍用のシーハリアー、空軍用ハリァー計二十九機がアルゼンチン機二十機を撃墜し、損害ゼロ、の記録を残したが、この当時はAEW型の「シーキング」すらなかったから水平線や島の陰から超低空で接近する敵機を発見できず、英艦船六隻が撃沈され、一隻が大破、五隻が中破という大損害を被った。アルゼンチンのパイロット達はドイツの急降下爆撃機Ju-87(スツーカ)のエース、ハンス・ルデル大佐が戦後同国空軍の顧問となって育てただけに低空攻撃は得意だったが、余りに大胆に接近して投弾したため、爆弾の風車式の安全装置が解除に至らず不発となる場合があり、英艦五隻は命中弾を受けながら中破で沈没を免れる、という危いところだった。軽空母とシーハリアーの組み合わせは対地・対艦攻撃には有効でも、艦隊・船団防空に使うには力不足だった。
 だがインヴィンシブル就役から約二十年間の技術進歩は軽空母を十分意味のあるものとした。今日のハリアーIIは米国のマクダネル・ダグラス(現在ボーイングに吸収)の技術協力で主翼の翼形の変更、複合材料の使用など手直しをしただけで、元の英国製とくらべて航続距離がほぼ倍になり、スペイン、イタリア海軍用の「ハリアーIIプラス」はF/A-18と同じAPG65レーダーを持って、射程七十km以上のAIM120(AMRAAM)を搭載できる。遠距離で交戦するなら速度差は大きな問題ではなくなる。
不明確な空母運用構想
 また二〇〇八年頃に実用型が完成するはずのJSF(米海、空軍、海兵隊共用の統合攻撃戦闘機)のうち海兵隊・英海軍用となるV/STOL型は最大速力マッハ一・六、戦闘行動半径一千百km以上、兵器搭載量五・九トンを目標としているから、在来型の戦闘攻撃機と能力的に大差がない。F-22ほどではなくても相当のステルス性を持ち、運動性もF/A-18を上回るものとなる、と言う。
 ティルト・ローター輸送機V-22は事故が続いているが、米海兵隊の部隊配備は続行される見通しだ。武装兵員二十四人と機銃手二人を乗せる同機は、AEW機E-2Aを元に造られた艦上輸送機C-2(輸送人員二十八人)と同等程度の容積を持ち、軽空母用のAEW機への改装は容易と考えられる。
 新中期防には“新DDH”搭載用に「新掃海・輸送ヘリコプター二機」が入っている。米海軍はMH-53Eの後継機となる大型ヘリを開発しておらず、V-22を念頭に置いている、と考えられる。防衛庁は「ハリアーやJSFを購入する計画はない。だからヘリ搭載護衛艦だ」とも言う。だがハリアーは古いし、JSFはまだ開発中だから、これは当然の話だ。艦載戦闘機を導入するとしても、それは二〇〇六年からの次の中期防か、それ以降のマターだ。
 将来軽空母にする場合には、英の「インヴィンシブル」級の搭載機数が固定翼、回転翼合せ二十一機、スペインの「プリンシペ・デ・アストリアス」(満載一万七千百八十八トン)が十七機、イタリアの「ジュセッペ・ガリバルディ」(同一万三千八百五十トン)が十二機、タイの「チャクリ・ナルベット」(同一万一千四百八十五トン)が十機(いずれも格納庫内に収容できる機数、甲板上係止は含まず)という例から考え、日本の“DDH”」はJSF十二機、EV-22(V-22のAEW型)四機、救難用のUH-60二機、計十八機の搭載が多分可能、と考えられる。この場合、航空機の経費は艦とほぼ同じ位になるだろう。
 近年技術的には軽空母の価値は高まった一方、日本にとってその戦略的意味は乏しくなった。どこでどう使うのか、説明がつかないのだ。ロシアの超音速爆撃機Tu-22Mが「キングフィッシュ」などの対艦ミサイルを抱いて太平洋上に出現することもほぼなくなり「洋上防空」の説明は成り立たない。
 「近代化が進む」と言われる中国の空軍は九二年から二〇〇〇年の間にSu-27をたった六十五機とSu-30若干、つまり年間平均八機程度をロシアから輸入しただけだ。その間に台湾はF-16百五十機、ミラージュ2000六十機、国産の「経国」百三十機の計三百四十機を導入したから、近代化の速度でも大差をつけられている。台湾国防部の作戦次長、胡鎮埔中将が昨年十一月二十日、立法院の国防・予算委員会の連合審議で、台湾が制空権を確保していること、中国の揚陸輸送能力は最大一個師団強であることなどを説明し「中共(大陸中国)の渡海作戦は根本的に不可能」と断言したのは正確な判断だ。
 余談になるが、台湾の軍首脳が圧倒的な自信を示す状態なのに、日本では政治家やメディアの一部が「台湾を助けるために憲法を改正して集団的自衛権を認めるようにせねば」などと言うのは実に馬鹿げていて、軍事知識の不足が嘆かわしい。
米国の執拗な日本軍国主義バッシング
 海外での戦乱、革命などの際、邦人輸送の護衛に軽空母を付ける、というシナリオは考えられるが、その際には当該国の許可を得て領海、領空に入り、港、飛行場などを使って邦人を運ぶことになっている。
 ただし、例えば内乱などで相手国が大混乱し、許可を求めるべき政府が事実上ないような場合、艦載戦闘機で上空から援護し、飛行場、広場、港などを一時的にヘリボーン部隊で占拠して邦人を救出する、という必要が将来全く生じないとも言い切れない。これは刑法の「緊急避難」行為に当たるだろうが、他国の主権を一時的にせよ無視する行動だから「いざとなったらそうする」と公言はしにくい。また、邦人救出は日本からの距離や暴徒等現地勢力との力関係などの戦術的判断や、関係諸国との政治的関係からも、やれる場合とやれない場合が当然ある。海外に行く人々に「いつでも、どこでも救出してくれる」と期待されてはまずいことになる。
 根本的には政府の責任はその主権の及ぶ範囲であって、海外に行くのは他国の主権に自らを委ねる行為だから、自己責任で行き、政府はできれば助ける、という程度だろう。空母を持つために「邦人救出」を宣伝した結果無理な状況でもやらざるをえず、第二次大戦前の帝国海軍のように「対米戦と言って予算を取って来たのに、いまさらやれぬとは言えない」と失敗覚悟で出動するようになっては大変だ。
 自己完結的な艦隊を作り、米海軍の助手の地位から脱却したい、と思うのは当然だが、日本は米国が推進したNPT(核不拡散条約)の無期限化を一九九五年に呑み、軍事的自己完結性や安全保障政策の自主性をすでにあきらめており、艦隊だけが自己完結的になっても、どれほどの意味があるか疑問だ。
 また共通の脅威だったソ連の崩壊後、「一極世界」の覇者となった米国人は、将来その覇権を脅かしかねない相手として日本と中国を見ており、九九年四月の朝日新聞と米ハリス社の共同世論調査では「米国の日本駐留の目的は」との問いに対し、アメリカ人の四十九%が「日本の軍事大国化防止」と答え、「日本の防衛」は十二%にすぎなかった。米国の有力週刊誌「ニューズウィーク」は米軍への協力を狙うガイドライン関係法案の成立についても「スモーク・アラーム」(火災警報)の見出しで、日本の軍事的進出への警戒を訴え、北朝鮮工作船の追跡では「トーキョーズ・スモーキング・ガンズ」(日本政府の現行犯)とまるで北朝鮮の労働新聞かと思われるような見出しで報道した。米国メディアには何とか「日本軍国主義再興」の証拠を探し、海外事情にうとい米国人大衆の既製観念に迎合する派手な報道をしたい姿勢が露骨だ。「日本の空母」は中国の空母計画以上に米国民にとって刺激的だろう。
 他国の例を考えると、フランス、ロシア、スペイン、イタリア、インド、タイ、ブラジル、アルゼンチンが各一隻の空母を持つが、軍艦は就役期間中の少なくとも四分の一はドック入りだから、一隻では軍事的価値は怪しく、国家的虚栄心の表れ、という感が強い。日本の場合でも、世界第二の海軍なのに空母がないため軽く見られがちなのは悔しい(私自身、そう思うことがある)。家を建てたのに、車庫がカラでは変だから車を買うか、というのに似ている。だが「あなた本当に車が要るの」と聞かれると答えに窮するような形だ。
 とはいえ、ロシア潜水艦隊がほとんど消滅したのに、なお漫然と在来型の護衛艦を造り、四個護衛隊群を持とうとする位なら、軽空母を造って編成も変え「米海軍の助手ではない」とのアイデンティティの象徴とする方が、国際政治上“ステイタス・シンボル”として少々役に立つか--などなど軽空母について考えれば考えるほど自問自答の循環に入り込む。海幕が率直に「軽空母を造る」と言えない理由の一つが「どこでどう使うか説明ができないためだ」と聞いて「誰も同じ思いか」と妙な親近感を抱いた。
「八八艦隊」の見直し
 海幕が「八八艦隊」四個の態勢を再検討しつつある、という話は聞いていたが、新中期防のDDG二隻の「イメージ図」はまさにそれを示すもの、と注目される。これは二〇〇六年と九年に艦齢三十年で退役する「たちかぜ」「あさかぜ」の後継となるイージス艦だが、米海軍の「アーレイ・バーク」級の後期型「フライトIIA」に範を収るもので基準排水量七千七百トンの計画だ。「こんごう」級イージス艦四隻は基準排水量七千二百五十トンで満載時に九千四百八十五トンだから、次のDDGは多分満載で一万トンを少し超え、米の「タイコンデロガ」級イージス巡洋艦(満載九千五百十六トン)を上回る大きさとなろう。巡洋艦より大きい「駆逐艦」(DD)とは「豹より大きい猫」を見るようなおかしさがある。「アーレイ・バーク」級フライトIIAはSH-60対潜ヘリコプター二機を積む点が、それ以前の同級艦との違いだ。それを思い出して「イメージ図」を見直すと後部にはあきらかにヘリコプター格納庫が描かれている。一個護衛隊群(八隻)のDDGに各二機のSH-60、DDHにもSH-60が三機、DD五隻に各一機だと、SH-60は計十二機となり「八八艦隊」ではなくなる。「たしかに格納庫はあるが常時ヘリコプターを搭載しない」と海幕は言うのだが、それでは不要な設備をつけるのか、と言われるから相当苦しい説明だ。対潜戦を考えればSH-60は「多々ますます弁ず」なのだが、ロシア潜水艦隊はほぼ自滅し、中国のロメオ級(一九四四年完成のUボート21型を戦後ソ連が真似し、それを中国でライセンス生産した)が主体の潜水艦隊相手ならP-3Cだけでも十二分だ。
 これは海幕が将来CVL(軽空母)を中心とするCVBG(空母戦闘群)を考え、CVLにはSH-60を乗せず、JSF、EV-22と救難用のUH-60を搭載し、DDG二隻とDD五隻で計九機のSH-60を積むことを考えている、と見るのが自然だろう。それをするなら四個護衛隊群態勢もやめて外洋用のCVBG二個(ドック入り分を含めCVL三隻、艦載機は二隻分と訓練用、及び予備機)の「外洋艦隊」と地方隊と地上基地航空機を包含した、「本国艦隊」に再編するのが合理的と考えられる。
大東亜共栄圏哨戒機
 「P-3C後継機」の闘発が新中期防で決まり二〇〇一年度で次期輸送機と合せて五十二億円の開発費がついたのも注目すべきだ。P-3Cは二〇一〇年には退役が始る見通しで、その後継は国産の四発ターボファン、巡航速力四百五十ノット(時速八百三十km、P-3Cは六百二十km)、巡航高度一万一千m(P-3Cは八千八百m)、航続距離約八千km(P-3Cは六千六百km)と公表されている。
 だがP-3Cの進出速力は実用上は二百二十ノット(時速約四百km)だから、速力で二倍になるし、次期哨戒機の航続距離は約九千kmで対水上艦船の攻撃ミッションの場合は戦闘行動半径約二千海里(三千七百km)、すなわち那覇基地からマレー半島沖、硫黄島からニューギニア周辺、八戸基地からアリューシャン列島までが戦闘行動半径内に入りそうだ。
 兵装は射程百八十kmの対艦ミサイル「ASM2」四発、対潜魚雷四本、ソノブイ百本以上、とされる。エンジンなども国産で、ステルス性はあきらめたが、レーダー妨害装置を持つ計画だ。九十機を造って一機百五十億円以上とみられるこの洋上哨戒機は、米海軍がP-3の後継となるP-7の開発をあきらめた今日、二十一世紀の最高の長距離洋上哨戒機となるはずで、西太平洋全域ににらみを効かせることになるだろう。その性格は第二次大戦前の海軍の九六陸攻に通ずるものがある。
目玉がない陸自と空自
 海上自衛隊について述べすぎたきらいはあるが、実は陸上、航空自衛隊は新中期防での画期的な計画は乏しい。陸上自衛隊では二〇〇五年度に減耗が始る対戦車ヘリコプターAH-1Sの後継となる「戦闘ヘリコプター」の調達が二〇〇二年に始る。国産の観測ヘリOH-1をベースにした戦闘ヘリではなく「外国機」で、機種は未定だが、当然米陸軍の最新型、ボーイングAH-64(ロングボウ・アパッチ)が最有力候補だ。これは打ち放し式の対戦車ミサイル「ヘルファイア」(射程約八km)通常四発と三〇mm砲、七〇mmロケットを搭載し絶大な対地攻撃力を持つほか、携帯用対空ミサイル「スティンガー」(射程約四km)を搭載して空対空戦闘能力もあるから「対戦車」ではなく「戦闘」ヘリなのだが、価格も一機五十ないし六十億円と戦闘機なみだ。
 またすでに減耗が始った74式戦車の後継となる「新戦車」の開発が決った。74式は年間三、四十輌ずつ造られたから、その穴埋めは大変だ。90式は当初十一億円、のち八億六千万円に下がったが、新戦車は七億円ほどにしたい、とする。砲は国産の一二〇mm砲だが、重量は90式が五十トンのところ、新戦車は約四十トン、モジュール装甲を付けて四十四トンとし、高度の情報・通信技術を採用する計画だ。近年、戦車の価格を高くしたのはコンピューターだが、新戦車は出来るだけ民生品を使ってコストを抑える、という。戦車数はいまの約一千百輌が将来八百五十輌程度に減りそうだ。
 航空自衛隊ではF-15の近代化が始る。レーダー、コンピューターの換装に伴い、空調、電源も換装し、今後約二十年は使う、という。F-15のアメリカでの初飛行は一九七二年だから五十年も第一線機でとどまることになる。空対空ミサイルの射程が延びて、戦闘機は「空中ミサイル発射機」化しつつあるから、電子機器さえ近代化すれば十分使える。だが空軍のステルス化は海軍に潜水艦が登場し対潜戦が中心となったと同様、航空戦に別の局面が開いている。それへの対応が将来の航空戦力を考える際の最重要課題だが、当面ステルス機をもつのは米国だけだから意外にのんびりしている、というところだ。
 空中給油機は二〇〇一年度中に機種を決めることになった。四機を導入し、一機をCAP(空中警戒待機用)に上げ、戦闘機八機に給油するほか、人員二百人ほどが乗れ、六千五百kmの航続距離を持つためPKOなどの長距離輸送にもあてる。空中給油機は数が多いと攻撃能力を飛躍的に高めるが、四機程度では防衛用で、あまり数を増やさなければ問題はないと考えられる。
 また二十七機あるC-1は二〇一一年から退役が始るため、その後継機の国産開発も決った。C-1が航続距離二千二百kmのところ、三倍の六千五百km(この場合貨物十二トン)、搭載量もC-1の八トンが国内飛行で二十六トンに、武装兵員ならC-1の四十五人が百人に、巡航速度も六百五十kmから八百九十kmへと一挙に大型、高性能化する。防衛庁の説明では「国際協力任務」がその第一の理由にあげられるが、こうした大型軍用輸送機を持つのは米とロシアだけで、英、仏、独はC-130、C-160といったターボプロップの中型機と「トライスター」「エアバス」など旅客機の改造型を使ってきた。「国際協力」も適当にお付合いした方がよいが、そのために長距離大型輸送機まで開発するのならやり過ぎでは、と首を傾げるところがある。
不愉快な平和の到来
 日本は二〇〇一年度末に国の長期債務が三百八十九兆円、地方を含めると六百六十六兆円に達する、と見られ、間もなく人口は減少しはじめ、経済の「右肩上り」は期待できない。ロシアの衰退で脅威は明らかに減り、中国の軍事力は近年、数的には著しく減少し、財政難のため近代化の速度も台湾、韓国、日本より遅い。防衛白書が「中国の軍事力の近代化は今後も漸進的に進むものと考えられる」(P52)とするのは、その事情を見抜いているためだ。米の軍事力、情報力の世界的優位は少なくとも二十一世紀前半は絶対的で、他の諸国は徳川家の覇権下の各藩のように「不愉快な平和」の時代を過ごすことになりそうだ。
 地域紛争も「多発」しているように言われるが、実は冷戦終了後、米ソが火に油を注がなくなったため、新たに発生したものは七、八〇年代より少なく、終結したものは多い。特に九〇年代後半に発生したものはほぼゼロだ。大規模戦争の危険が減ったため、地域紛争にメディアや政治の注目度が高まったにすぎない。だが国際情勢は将来変わることがあるし、軍事力はすぐには作れないから、ガス風呂のパイロット・ランプのように消えないように保つことは必要だろう。
 こう考えると二十一世紀の自衛隊の目標は、水準の高い人材を含む良質の基盤的防衛力、の維持と改善であって、経済力拡大にともなう防衛力の右肩上りの時代は終った。だが新中期防衛力整備計画は過去の発想から完全に脱却し切っていないように感じられる。
◇田岡俊次(たおか しゅんじ)
1941年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。
朝日新聞社入社。防衛担当記者、編集委員を経て、現在、軍事ジャーナリスト。
 
 
 
 
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