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私はこう考える【自衛隊について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1999年12月号 軍事研究
部外との知的交流を妨げるな! 自衛官よ、他流試合を恐れるなかれ
<朝日新聞編集委員>田岡 俊次
幹部教育に問題ありか?
 「これで今後十年間は防大の教官は本を出せなくなりそうです」
 九月二十日の朝日新聞朝刊のコラム「私の見方」に、私が防衛大学校の防衛学教官を中心とする十五人が分担執筆した「軍事学入門」(かや書房刊)に初歩的な誤りがあまりに多いことを指摘し(別掲載記事参照)、将校(幹部)教育の重要性を述べたところ、防衛大の先生たちから、そんな電話が掛かってきた。
 “防大の恥をさらした。間違いだらけの本を学生にも買わせたことを謝罪すべきだ。とか、こんな非常識な誤りを書くような人には教官の資格はない、など防大内でも防衛庁内局からも非難が激しい。二度と外部で本を出せない雰囲気です」と異口同音に訴えられる。
 「それは逆。これまで仲間うちの防衛学会とか、揚げ足を取らない防大生だけ相手にしていたから粗雑になった。部外で読まれる本を出し、世間の風にさらされて学問は進歩し、相互批判を重ねて精密になる。スポーツの全国大会に出ればエラーして野次られたり、評論家に酷評されるのも当り前。それがこわいから、対外試合を禁止、校内の練習試合だけにしようというのでは進歩しないどころか、退化するだけじゃないですか」とお答えし、要路の方々にも、教官がこれで怯むようなことはないように、とお願いしてはおいたのだが、考えれば考えるほど、ことは教官の執筆の是非、という小さい問題ではない。
 防衛大学校の教官が自衛隊内の最高の知識人であるか否か、は別としても、知性において幹部中の平均より相当上であることは疑いあるまい。それにしてこうなのか。自衛隊の幹部教育にひそむ問題の氷山の一角ではあるまいか、と思えてくる。思い出せば他にも同様な例はいくつもあった。
 例えば、防衛庁の広報誌「セキュリタリアン」(英語まがいの変な名)で施設科の二佐が地雷について解説した中に「地雷が生れたのはローマ時代」とあったのには仰天した。「ローマ時代に火薬があるはずがないじゃないか」と陸幕広報で話したら、施設科の教科書にもそう書いてあるのを知り驚いた。昔誰かが古代ローマ軍の城攻めの際の坑道戦法(坑道を英語ではマインと言う。のち坑道に火薬をつめて城壁を崩すことも「マイン」と称し、地雷の語源となった)についての記述を誤訳したのに、誰もそれに疑問を呈さず、代々教えてきたらしい。
 防衛大の陸戦史の教官が同誌に書いた僅か二ページのエッセーには「セルビア独立派の闘士がオーストリア皇太子を暗殺して」第一次大戦が始まった、など深刻な誤りが数か所もあった。社に送られてきたセキュリタリアンを見て、私が「これはこれは」と笑い出したら、側にいた同僚(全く軍事問題の専門家ではなく、スペイン圏と中南米が専門)が「何ですか」とのぞき込み「エーッ、第一次大戦はオーストリアとセルビアの戦争が波及して拡大したのですから、セルビアはとっくに独立していた。高校の世界史で習うことで常識じゃないですか、こんなことを防大の戦史の教授が書くんですか」とあきれていた。
 他人の記述の誤りを公表してあげつらうのは品位に欠ける、という感覚もあったので、こうした誤りはその都度本人に手紙などでお伝えしてきた。だが、橋本龍太郎氏が総理大臣時代、統幕議長、三幕僚長を招いて、戦史の話をしようとしたがほとんど反応がなく驚いた(橋本氏は相当な読書家で歴史に詳しい)とか、他の機会に当時導入の是非が論じられていた装備について幕僚長に意見を求めたが何も知らず「そんなことは知らなくても良いのです」と答えたため橋本首相は「無責任ではないか」と激怒し「概算要求から外せ」と指示し、事務次官が謝りに行って入れてもらった、などの話も聞える。「やはり警鐘をならすことは必要か。軍事学入門は執筆者が一人でないだけ、例にあげても痛みは比較的軽いか」と考え、指摘することにした。
 新聞の記事だけに、一般の人に分りやすい誤りの例をあげたが、軍事的な誤りや疑問は四、五十個所はある。「軍事研究」の読者の方々向けに若干の例をあげると、
 「V・STOL空母のスキップ・ジャンプ台」(正しくはスキー・ジャンプ)。
 「海軍力は潜水艦を除いて機動力は大きい」(今日、原子力潜水艦の機動力は水上艦より大きいし、第二次大戦中でも潜水艦の航続距離は長かった)。
 「アメリカ・ロシア両国は戦略航空兵器として爆撃機と大陸間弾道ミサイル(ICBM)、中距離弾道ミサイル(IRBM)などの混合兵器体系を採用している」(INF条約でSS20、パーシングIIは廃棄され、米露はI/MRBMを保有していない)。
 「(湾岸戦争で)ペトリオット部隊がスカッド・ミサイルの迎撃に成功した」(米軍はのち、「パトリオットはイスラエルの参戦を防いで政治的には成功した」とし軍事的には失敗だったことを暗に認めた)。
 「トルコ艦隊とロシア艦隊のノシベの海戦」(正しくはシノプの海戦、ノシベはバルチック艦隊が停泊したマダガスカル島北西岸の島)などなどだ。概して言えば軍事史に関する誤りが目につく。「軍事史を学ぶ意義」という項があり、それ自体は深みのある文章だけに、それに続く「軍事力の変遷と意義」や「現代の軍事力の態様」といった各論でお粗末な誤りが多いのは皮肉だ。
 一方「国際法と軍事力」は格段に水準の高い論文だ。これは国際法には防衛学とちがって部外に学者が多く、日頃“対外試合”“国際試合”がある分野だけに、“校内試合”だけの防衛学とくらべ腕が上がるのだろう。また「NBC戦」の化学兵器に関する記述や「後方支援と軍事力」「科学技術と軍事力」などは精密な解説だ。「軍事学入門」はすでに二刷(増刷分)まで出たが、第三刷でかなりの訂正を行い、すでに買った防大生には正誤表を配布する、と言う。全体としては悪くない概説書だけに第三刷は一般向けの入門書としては役立つものになりそうだ。
「内向き、上向き、うしろ向き」
 「将校(幹部)教育以上に平時の軍、自衛隊にとって大事なものはない」と私が新聞に書いたことに賛意を表す声はその後防衛庁内で多く聞いた。「実はそれこそ日本の防衛政策上、最大の問題点かもしれない」と言う内局幹部もいる。防衛庁内局の役人の質は近年目立って向上し、他省庁にくらべ実務の多くを各幕僚監部に委ねるだけに暇もあってか、読書量が外務官僚などより多い印象を受ける。多くの他省庁を担当した記者たちと話しても、防衛官僚の質への評価は概して高い。それだけに、彼らには幹部教育の問題点が目につくのだろう。
 また最近では、制服自衛官と外務、防衛官僚が、米国その他外国の軍人と会議などで同席する機会が増えたため、自ずと比較され、「識見や視野の広さに大差がある」との声は他省庁の役人からも聞かれる。もちろん比較論は相手のどの部分とこちらのどの部分を比べるかで全くちがってくるから一概に言えないが、米軍などの将校の方が一般教養の水準が高い印象はある。私自身、日本の幹部学校などに留学した経験のある米軍将校から教育内容などについて酷評を聞いたことがある。また米国の外交官から「航空自衛隊の某部隊に隊付勤務した米軍の将校は、日本の将校は馬鹿ばかりだ、と言ったが本当にそうか」と聞かれ「言葉の問題で高度の話ができないため、そんな印象を受けたのだろう」と答えたこともある。また「演習が儀式化し、誰も面子を失わないようにしている。どこに問題があるかを発見するのが演習ではないのか」という評も米軍将校から聞いた。各種の制約があったり、説明が十分にできず誤解を生じたりすることもあるのだろうが、思い当たるふしがなくはない。
 自衛隊幹部が自分の専門分野に精通し、技倆が高いことは疑いないし、計画の立案では驚くほど緻密であることもたしかで、予定された行動ならば整斉と実施できる点では他国に比類がないのではあるまいか、と思われる。NATO軍や米軍、韓国軍、ロシア軍などの演習を見学すると、案内の将校が道に迷ったり、時間が予定と大幅に狂ったりし、自衛隊にくらべてだらしない印象を受けたことが多い。だがその方が実戦的だ。
 戦史や海外情勢に詳しく外国語が達者でも、自分の専門分野の技術、知識が乏しくては役に立たない。特に戦闘機パイロットなどは仮に無教養でも腕の立つ人の方が国の役に立つ、ということはあるだろう。ただ部下からも「人前には出せません」と言われるような人が代表的な地位につくのは問題だ。
 職人芸を尊ぶ日本の伝統は強みであるが、反面で高度な「プロフェッション」(専門)と「トレード」(職能)が同一視され、職能に長じた人を「プロ」とする傾向が生じる。オフィサーは「プロフェッション」であり、下士官は「トレード」のエキスパートで、そのちがいは本来は教養の幅、受信能力の帯域の広さ、というものだろう。
 専門の分野に精励する一方、視野が狭く「内向き、上向き、うしろ向き」になりがちなのは自衛隊だけでない。日本の組織の通弊で、近年の金融機関の破綻や窮状もその結果だろう。大企業の技術系役員が台湾の企業家との宴席ではじめて台湾が戦前日本領であったことを知り、「そうですか、私は昔から台湾国があったのかと思ってました」と言って相手を唖然とさせた、という話も聞いた。
 日本人は「一億総下士官」で、下の水準が高い割に上の方はさほどでなく、世界の中では日本国民全体が伍長から少佐の間に入るような感がある。自衛隊の高級幹部だけを他国と比較するのは公平とは言えないだろう。
 とはいえ、日本人はそうだから仕方ない、と済ませるわけにも行かない。ノモンハンで日本軍と戦ったジューコフ元帥は日本の下級士官、下士官、兵の戦意、能力を高く評価した一方、高級士官たちの能力に対する疑問を回想録で書いている。ビルマで戦った英軍将校の中には「日本軍はもっとも頭の良い人を軍曹にし、もっとも悪い人を高級指揮官にしたのではあるまいか」と皮肉った人もいる。防衛も経済も対外的、国際的なものである以上、幹部の質が他国よりすぐれていることは決定的に重要なのだ。
 自衛隊幹部、防衛大教授の間からは「自衛隊幹部に広範な軍事史や他自衛隊について勉強しない人が多いのは自分たちが重要な決定に関し発言する立場にないためだ。社会的地位の低さが基本にある」という声もでる。即座に「まるで不良少年の言い分。親が悪い、世間が悪いから勉強しないというのと同じだ。ちゃんと勉強している自衛隊幹部もいるではないか」と切り返したのだが、こうしたことを自衛隊幹部自身が言うことの当否、体裁はとにかくとして、客観的にはそうした要素が若干あることも否定しがたい。
 自分で物事を考え、決める場合には古今東西の失敗例、成功例が第一の手掛りだが、戦後の日本の防衛政策は非武装化から警察予備隊創設、防衛力強化の要請、そして冷戦後の「日本軍事大国化阻止」にいたるまで、基本はアメリカ主導で決まり、また編成、装備、運用などの細部にいたるまで防衛庁内局の承認を得るため自衛隊には決定権がなく、歴史や、海外の軍事情勢、他自衛隊について知る意欲が薄れがち、ということはあるだろう。
 他の国々でも軍人だけで同盟政策や防衛力整備を決める訳ではないが、軍人が意見を述べる機会は日本よりは多く、視野が狭くては務まらない。自衛隊の場合は労働組合に似て経営に関する発言権がないから文句を言うだけになりがちで、自衛隊には地位向上、処遇改善を求める労組的雰囲気が感じられる。
 ただ、戦前の日本陸、海軍のように大臣を出すことを拒否して内閣を倒す強大な“ストライキ権”を行使して権力を握り、また軍人の地位が高かった時代でも「内向き、上向き、うしろ向き」の風潮は今日と変わらなかったようだ。例えば東条英機首相は大尉で陸軍省副官時代に関係法令、内規をまとめた成規類集を丸暗記して上官たちから“能力”を評価され、のちにも部下の報告は克明にメモにし、後日の報告が前回とちがうと叱りつける「カミソリ」ぶりで煙たがられた、課長時代には局長の指示をそっくりそのまま課員に言うことで部下を驚かせ、ドイツ留学後陸大教官をつとめた際には学生たちが「東条教官の講義はドイツで習ったことを正確に伝えるだけで、創意も批判もない」と感じた、と言われる。小心、勤勉で家庭を大切にした典型的軍人官僚で、今日の自衛隊幹部にもこうした「伝声管」型で法令、内規に詳しい一方、軍事史や他自衛隊、外国の軍などについてはさっぱり、というタイプは少なくないように思える。
 東条大将が軍人として育った時代は日露戦争から第一次大戦後で、日本にとっては比較的平和な時期で、それだけに官僚化が進んだ時期だったのだろう。今日のように五十年以上も平和が続くと一層その傾向が激しくなる危険は高い。
 軍隊の教育のように先輩が後輩に教える方式は世代をへるに従い縮小再生産になり、硬直化し、十年一日のような教育訓練になりがちだ。日本の大学の水準が欧米にくらべて低い理由の一つは同じ大学の卒業者から教員の後任を選ぶことが多い「血族結婚」のため、と言われるが、防衛大学校の防衛学や、幹部学校は一般大学以上に血族的だ。幹部になる人では防大卒が三割、一般大二割、部内五割という比率だが、将官二百四十九人中に防大卒業者は二百十九人を占め、特殊な専門分野を除いてはほぼ独占状態だから一層画一化が進み、発想の柔軟性を欠くおそれがある。
 日露戦争当時のように陸軍大学校、海軍大学校を出た大将、中将がまだ一人もおらず、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争の体験と独学で戦術、戦略を身につけたり、東郷平八郎のように英国の商船学校で勉強したり、福島安正のように大学南校(東大の前身)から陸軍省の役人になり、途中で軍人に変わったといった人々がいた間は、作戦が柔軟で近代化もすばやく、陸士・陸大、海兵・海大の「正規」の教育を受けた軍人が上に立つ時代には発想が固定化し組織も硬直化したことは苦い教訓だ。
 将校の質は一度低下すると、それが後輩を教え、後輩は先輩を見習う。また自分に逆らう優秀な後輩は嫌がりがちだから、悪循環を起こす。装備は金と組織さえあれば比較的簡単に増やせるし、兵員もいざ危機となればどっと志願者が集まることはまず確実だろう。まして法制は研究さえしておけば、一週間もあればまず解決する問題だ。ところが将校の質は急には改善できない。いざとなれば政府も国民も上級幹部の識見と判断力に頼ることになるが、その際に他自衛隊のことも知らず、外国の軍事力の正確な評価ができず、自衛隊の「地位向上」を狙ったり、そのために誇張した脅威論を言う人では困るのだ。
他流試合を恐がるな!
 自衛隊の幹部教育の質の向上のためには部外との知的交流が第一に有効な方法だろう。アメリカ等では有望な将校を大学院に派遺して、修士、博士号を取らせる。かつてのソ連軍すらそうしていた。日本でも三十年ほど前まではいわゆる一流大学の大学院に内地留学する幹部が少なくなかったが、ベトナム戦争中の反戦運動の激化で大学が自衛官を受け入れて騒ぎになることを恐れ、ほとんどその制度は消えてしまった。今日も国内の大学院に七十人、海外の一般大学の大学院に十人が入っているが、まだ例外的だ。
 だが時代は変わって、今日では自衛隊に対する偏見はほとんど消え、防衛庁が努力すれば自衛官を受け入れる大学は少なくないはず、と考える。一つのセミナーに自衛官が入ると「他の学生が軍国主義化する」という論もかつてあったが、人間は少数の方が多数に影響されるのが普通で、一人の若い幹部に周囲が引きずられて軍国主義になるならよほど学生たちがお粗末だ。逆に幹部の方が若干リベラル、柔軟になる公算の方が高い。それを可能とするには文部省などとの交渉、大学への巧みな根回しが必要だし、大学では理事者側を口説いても教授会で一人が「絶対反対」と言えば難しいが、有事法制で警察庁との権限争いをするのにくらべれば、本質的には楽な話だろうし、世論の支持もあるだろう。長い目で見れば有事法制以上に有益な努力だ。
 また逆方向の知的交流として部外の講師をどしどし招くことも有効だろう。自衛官はえてして自分たちは軍事問題の専門家、部外の人は何も知らない、と思いがちだが、民間にも軍事史や装備、海外軍事情勢などに詳しい人は少なくない。新聞記者はそうした人々を満足させつつ、一般の人に分かりやすい記事を書くのに苦労する。常に人材を探し講演を求めれば仲間うちだけの教育より水準は向上するか、少なくとも別の視点も得られよう。自衛隊は自分たちに優しい声を掛けてくれる人を講師に招くことが多いようだが、そんなひ弱な神経では勉強にならない。他流試合を嫌っていては進歩はないのだ。
 また、自衛隊幹部がたがいに他自衛隊について知らないことにはよく驚かされる。知らないと統合作戦に支障がある、と言う以前に例えば陸上自衛隊が輸送艦で海上機動をしたり、着上陸に対処する計画を考えたり、経空・脅威への対処を考えるにも海や空のことを知らねばできないはずだし、逆に航空自衛隊が対地、対艦攻撃をするには陸や海のことを知らねばならないはずだ。そもそも将校、自衛隊幹部が“他軍種”のことに好奇心を持たないのが変だ。一つには「我が部隊が何より重要」といった我田引水的な教育が好奇心を殺しているのではあるまいか、とも考える。一つの手としては指揮幕僚課程の入学試験に、他の幹部学校教官が、将来高級指揮官、幕僚になる人はせめてこれ位は知っていて当然、という軍事常識を問う出題をすればどうか、とも考える。若い間に知識の枠組みさえ作れば、あとは機会にふれデータは入るが、若い頃に一合マスのような頭になれば、後に幹部高級課程や統幕学校ではじめて他自衛隊のことを学んでも、一升の酒を注いでも一合マスには一合しか入らない結果になってしまう。
 英国海軍のフリゲートで北大西洋の訓練に出港した際、士官室に陸軍の絵が掛っているので聞いたところ「姉妹連隊だ」との答えに、イギリス人はうまいことをやる、と感心したことがある。軍艦と陸、空の部隊を姉妹関係にし、ときどき見学に招待し会ったり、スポーツ試合をしたりすれば、自然に相手に関する知識もつき、考え方のクセも分かるわけだ。日本では米軍艦とのシスター・シップ関係はあるが、他自衛隊の部隊との姉妹関係は聞いたことがない。英軍は三軍の連携が上手だが、平素からこうした草の根レベルでも気配りしていることの現れなのだろう。
 また陸の指揮幕僚課程の戦史の出題範囲を見てみると、「大東亜戦争、朝鮮戦争、中東戦争及び湾岸戦争」であるのも疑問のあるところだ。日本の戦国時代のこともナポレオンや南北戦争のことも知らなくてもよい、というのは不思議に思える。技術進歩や状況のちがいで戦争の手法は異なるから細部を学んでもそう参考にならず、浅く広く大づかみに原則を知る方が、短い期間だけを詳しく勉強するより有益ではないか、とも考えた。古今東西の戦史に詳しい幹部も知っているが、概して歴史を知らない幹部が多い。防衛大教授がなぜこんな間違いを書くのか、と感じたが今回出題範囲を調べてナゾが解けた気がした。
 ただ、歴史は教室で習うのはごく一部で動機付けに過ぎず、むしろ自分で本を楽しんで読んで身につくものだろう。各部隊の図書室に一般の書店に出ている世界や日本の戦史シリーズや一般歴史のシリーズ、歴史小説などを充実し、読みやすい環境を作ることも考えてよいのではないか、と考えた。
 自衛隊の幹部教育の実態は部外者にはもっとも分かりにくい分野だ。制度を知っても肝心の質は分からない。操縦や射撃の技倆なら他国との共同訓練で比較できるが、教育の内容や水準については断片的な噂話の域を出ず、数値的に評価はできないだけに、群盲が象をなでるような印象論になりがちだ。しかし防衛大学校の教授たちが、一般の人が「まさか」と驚くような誤りの多い本を出すのは、CTスキャンで影が写ったようにどこかに問題があることを示している。日本は半世紀の制度疲労を全て点検し、改革する時期にある。幹部教育も真剣に論じられるべきテーマと考え、群盲の一人の観察を述べてみた。
◇田岡俊次(たおか しゅんじ)
1941年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。
朝日新聞社入社。防衛担当記者、編集委員を経て、現在、軍事ジャーナリスト。
 
 
 
 
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