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私はこう考える【自衛隊について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1999年10月号 ディフェンス
自衛隊は軍隊か
色摩力夫(しかまりきを)
「泥縄的手法」の自衛隊権限付与
 さる五月二十四日、ガイド・ライン関連法が成立しました。それは、自衛隊の活動分野を広げるために、自衛隊に新たな「権限」をあたえるものです。かえりみれば、七年前にも同じようなことがありました。それは、一九九二年の「国連平和維持協力法(PKO協力法)」です。その時も、限定的な範囲で自衛隊に新たな「権限」をあたえるものでした。つまり、わが国は、国防上または国際協力の見地から必要となっても、現行法では想定されていない「事態」や「状況」に直面すると、そのつど新たな立法措置によって対処してきたわけです。まさに「泥縄的手法」と言えましょう。
 なぜ「泥縄的手法」と言うのかと言いますと、そもそも、国際関係というものは、その本質上、不合理で、一義的には確定できぬものだからです。ましてや、国際紛争を解決するための最終的な手段、すなわち「戦争」など武力行使を必要とする事態とは、一方的に、つまり自国に都合よく、あらかじめ想定しておくことはできません。なにが起こるかわからない、なんでも起こりうると覚悟すべきでしょう。国際関係における有事とは、本来コントロールが効くか否かわからない事態です。「危機管理」などというのんきな話ではないのです。そのような事態には、「危機対処」をするほかありません。
 それ故、もし、なにか事前に想定できなかったことが起こってしまってから、その対応のために、そのつど新たに明示的な法的根拠をあたえる必要があるとすれば、それは、あまりにも「不条理」な話です。つまり、「泥縄的手法」と言わざるを得ません。
 そもそも、この「不条理性」は、その時々の立法政策から来るものではありません。そのような次元の低い問題ではないのです。わが国の基本的なありかた、つまり、現行憲法に端を発する法的「構造」の問題です。
 もっとも、これは、必ずしも成文憲法である「日本国憲法」の条文の問題とはかぎりません。どこの国でも、歴史的に形成されてきた慣習として「憲法秩序」があります。「国のあり方」「国の成り立ち」あるいは「国体」と言ってもよいでしょう。たとえば、英国の場合には、成文憲法はなく、すべては慣習法の形をとった憲法秩序があります。わが国のように成文憲法がある国でも、それを核としつつ慣習として形成されてきた憲法秩序があるはずです。この問題は、まさに、わが国の現行「憲法秩序」の構造的欠陥から来るものと認識せねばなりません。
 それは、「自衛隊」の本質にかかわる問題でもあります。
 自衛隊は、周知のとおり、一九五〇年、朝鮮戦争勃(ぼつ)発の直後に、マッカーサー司令部の指令により「警察予備隊」として誕生し、一九五二年に「保安隊」と改称され、一九五四年六月二日に制定された「自衛隊法」により成立したものです。
「自衛隊」の重大な問題点
 そこで、重大な問題点が二つあることになります。一つは、自衛隊が「警察」の延長として生まれたことです。つまり、「出生の秘密」です。もう一つは、「自衛隊法」が、対日平和条約の発効(一九五二年四月二八日)後の立法だったことです。つまり、わが国が主権を回復した後の自主的措置です。
 自衛隊の前身の警察予備隊が「警察」の延長として発足したのは、当時の政治的要請にもとづく便宜の問題であり、国内の「治安維持のため特別の必要がある場合」に対処するためだったので、別にどうと言うことはないでしょう。しかし、それは、同時に警察の本質をそのまま持ち込んだことを意味します。
 ところで、自衛隊は、自衛隊法第三条にもあるように、「直接侵略および間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務」としています。つまり、「警察予備隊」から「自衛隊」への変身とは、単に名称が変わっただけではなくて、「任務」が大きく変わったことです。任務が変わったのであれば、その「本質」も変わらなければならないのは当然でしょう。つまり、この時点で、自衛隊は、その警察的体質から脱却しなければならなかったのです。しかも、前述のとおり、「自衛隊法」が成立したのは、対日平和条約の発効により外国の間接統治がおわり、わが国が全面的に主権を回復してからのことです。したがって、新しくできる「自衛隊」には、新しい任務にふさわしい法的構造をあたえる絶好のチャンスでした。
 しかも、ここで、主権の回復とは、当時のわが国にとっては意外に重大な意味を持ち得るものでした。それは、日本国憲法第九条の第二項後段にある「交戦権」の否認にかかわる問題です。国際法によれば、「交戦権」とは戦争をおこなう権利で、完全な「主権国家」だけに認められます。「半主権国家」、すなわち従属国家または連邦国家の中の部分国家などには認められません。つまり、日本国憲法の原起案者がいかなる意図で書き込んだのかは別として、わが国が占領下にあったときは、いわば半主権国家つまり「属国」だったのですから、「交戦権」は否認されて当然です。しかし、主権を回復したなら、その時点で、少なくとも「交戦権の否認」は削除すべきでした。なぜならば、「交戦権」は主権国家にとっては、個人にとっての「基本的人権」のように、本来固有の権利であり勝手に放棄できないものだからです。
自衛隊・警察の任務と権限
 さて、ここで、当初の問題に戻りたいと思います。
 はじめに、わが国は、従来より自衛隊の権限をすべて明示的に規定する建前をとっているので、なにか新しい事態や事前に想定できなかった状況が生ずると、そのつど立法措置を講じて所要の権限を付加してきたと指摘しました。そして、それでは、自国の主権の外に起因する状況に対応するには、所詮(しょせん)「泥縄的手法」としかならないと言いました。
 では、なぜ「泥縄式手法」とならざるを得ないのでしょうか。それは、「警察」への権限付与方式を、当然のように「自衛隊」にも機械的に当てはめるからです。
 「警察」の任務は、国内における犯罪の予防と犯罪の取り締まり、それに治安の維持です。つまり、自国の主権の範囲内で起こりうる事態に対応することです。したがって、「警察」への権限付与は、原則「制限」という「ポジ・リスト方式」でおこなっても重大な支障はないでしょう。法律に明示的に書いてあることしかできなくても差し支えありません。特に自由民主主義国家では、その作用の対象が主権者の国民ですから、なおさら権限を厳格に制限しておくことが肝要です。
 ところが、「自衛隊」の任務は、他の主権国家を対象として、国家の防衛に任ずることです。それは、主権を対外的に行使することと言ってよいでしょう。しかも、各国の主権は絶対であり平等です。したがって、あらかじめ想定されぬ事態や状況に対応せねばなりません。それ故、いずこの国の「軍隊」でも、その権限付与は、原則「無制限」という「ネガ・リスト」方式で規定されています。つまり、例外として国際法で明示的に禁止されていること以外は、なにをしようが自由なのです。そうでなければ、ものの用に立ちません。あらかじめ国内法の次元で、軍隊の権限をがんじがらめに制限しておくのはナンセンスと言う外ありません。
 もっとも、「自衛隊」は「軍隊」ではないという議論があります。しかし、「自衛隊法」によると、その主たる任務は「国防」であるはずです。国防に任ずる常備の武装集団は、国際社会では、通常「軍隊」と認識されています。ですから、国防に任ずる国家機関を「自衛隊」と呼んで、しかも「軍隊」ではないと言うのは詭(き)弁のそしりを免れません。また、国際社会としては、原則として、「警察」には、主権の作用としての「交戦権」の行使を認めるわけにはいきません。もし、「軍隊」でも「警察」でもない「第三の武装集団」と言うのであれば、国際法上、これを遇する道がありません。迷惑千万なものとなることでしょう。
 わが国がはからずも陥った「泥縄的手法」というこの国防上の迷路から脱出するためには、「自衛隊」を名実ともに国際社会でいう「軍隊」とする以外に、適当な方策はありません。そうすれば、自動的に原則無制限の権限が付与されることになり、将来とも「泥縄的手法」で際限もなく新しく立法措置をとる必要はなくなります。そのためには、現行の「憲法秩序」を変更する必要があります。場合によっては、成文法の「日本国憲法」も改正する必要があるかもしれません。
 現行のままの「自衛隊」では、いくら兵力を増加し装備を高度化しても、所詮ものの役にたたぬ無用の長物となるだけでしょう。わが国のためだけではなく国際社会のためにも、その本質をまともにすることが先決かと思います。
 最後に一言つけ加えておきたいことがあります。それは、われわれ日本人は、とかく法的次元と政策的次元の問題を混同する傾向があることです。
 ここで、軍隊の権限が原則無制限というのは、「法的次元」の話です。その権限を具体的に行使するのは政策上の話です。なんでも法的次元で厳格に縛っておくのは、賢明ではありません。「政策的次元」には、可能な限り選択の余地を残しておくのが健全な姿です。
 そもそも、抽象的な「戦争」を「法的次元」で、しかも「国内法」によってやみくもに禁止しようとするのは、筋違いではないでしょうか。対外関係の「政策的次元」で、個々の具体的な戦争の防止に努力することこそ、「平和国家」の使命と心得るべきでしょう。
色摩力夫(しかま りきお)
1928年生まれ。陸軍士官学校六十一期。東京大学文学部卒業。
外務省入省後、コロンビア、チリ大使などを歴任し、1992年退官。
 
 
 
 
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