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1992年9月号 国防
国連平和維持活動と自衛隊
志方俊之
(世界平和研究所 客員研究員)
はじめに
 ついに国際平和協力法が成立した。色々な条件こそ付加されたが、ねじれ現象の国会であるにも拘らずこの法案が成立した意義は大きい。これからの我が国の安全保障問題を考える上で、「六〇年安保」と並び称されるほどのインパクトを与えるものとなろう。いわゆるPKO問題についてはこれまで多くの解説がなされているので、ここではむしろ先般(五月二十三日〜二十九日)自分の眼と足でカンボジアの現状を視察した体験に基づいて、UNTACの現況を紹介するとともに、自己完結性および人的な国際貢献の意味について考えてみたい。
様変わりした国連平和維持活動
 国連平和維持活動は冷戦時代を通して人類が身につけた平和への対症療法であったと言えよう。その起源は一九四八年のパレスチナ停戦監視機関(UNTSO)とも、一九五六年にスエズ動乱に際し派遣された国連緊急軍(UNEF)とも言われている。国連はそれ以降、昨年六月にアンゴラに派遣された第二次監視団まで既に二十三回にわたって平和維持活動を展開してきた。
 米国とソ連を中心とした東西陣営が世界を二分して対立していた冷戦時代には、国連の安全保障機能は大国の拒否権行使で十分に機能しなかった。その反面、その狭間に生じた地域的な紛争は大戦争へ拡大する危険性をはらんでいたので、そのつど何らかの形で大国間同志の抑制力が働いていた。したがって国連の平和維持活動も比較的小規模なもので済んでいたのである。
 冷戦構造が終息した今日、人類は平和の配当を享受できると期待したが、そこに待っていたものは民族問題や領土問題などに絡む地域紛争と、それと機を一にした地域覇権主義の台頭であった。しかし反面、国連安保理における常任理事国の拒否権もなりをひそめるようになり、その安全保障機能は本来の力を少しずつではあるが発揮されるようになった。
 それではポスト冷戦時代に突入して国連の平和維持活動はどの様に変わったのであろうか。一つの方向は単能型からトータル型への変化であり、もう一つの方向は維持型から実施型への変換である。筆者は去る五月の末、雨季直前のカンボジアを一週間かけて歩き、国連が実施している全く新しい型の平和維持活動を見ることが出来た。
 それはカンボジア暫定統治機構(United Nation Transitional Authority in Cambodia, 以下、UNTAC)の活動である。眼に入ったプノンペンの街は無秩序ではあるが、喧騒で活気さえ感じられた。その雑踏の中を真新しい白いランドクルーザーが走りまわっている。その車体には大きく「UN」の字が黒く描かれており、その存在自体がこの国の安定化のシンボルの様な気がした。UNTACの活動の大きな特徴はそのトータルな活動範囲にある。その名の示す通り国家行政の全てを一時的ではあるが司っているのである。
 従来の平和維持活動には停戦監視などの単能型のものが多かった。例えばキプロス平和維持隊(UNIFICYP)は一九六四年に派遣されたが、現在もまだ任務を続行している。このPKOの任務はトルコ系住民とギリシャ系住民との間に割り込んで戦闘状態が再発しないようにしているだけであって、両住民の行政を管理監視しているわけではない。
 今回カンボジアに作られたUNTACは、事実上の支配政権であるヘン・サムリン派、それに今まで抵抗していたシハヌーク派、ソン・サン派とポル・ポト派とを和平のテーブルにつかせて調停するかたわら、避難民を帰国させてこれを定着させ、四派の動員を解除させて武装を解く。そして選挙人名簿を整備して自由選挙を実施させ、新しい民主的な政府を樹立する。
 その下に新しい軍隊を再組織させ、更に世界から資金を調達して国家としてのインフラ・ストラクチュア再建のスタートを切らせるという「トータル型の平和維持活動」を実施するのである。これはもはや何かを維持する活動ではなく、何か全く新しいものを生み出す平和再建活動とも言える。
 一方、現在ユーゴスラビアに展開している国連保護隊(UNPROFOR)は成立した平和を維持するというより、むしろ両勢力の戦火の中に割り込んで、平和を達成しようとする意気込みで臨んでいる。時を同じくして六月にはガリ国連事務総長が安全保障理事会に「平和への課題」なるスタディーを報告した。これは将来における国連の機能強化に関するもので、現在カンボジアとユーゴスラビアで進行している一種の平和再建活動や平和創設活動の延長線上に問題をとらえたものとも考えられる。
 いずれにせよ、ポスト冷戦後の国連平和維持活動は従来のそれとは全く様変わりしたものとなっている。もちろん従来のタイプの活動もこれから一部存続することは当然である。この二つの新しいタイプの平和維持活動が成功するか否かは、人類が次なる世紀の「国際的な安全保障の新しい枠組み」いわゆる世界の新秩序の形成の成否を占うものとして極めて重要である。
UNTACの組織と機能
 UNTACの最高責任者は、明石康国連事務総長特別代表である。明石特別代表のもと、組織は軍事部門と文民部門とに分かれている。国連は九月のピーク時には軍事部門に約一万六千人の軍人、文民部門に約六千人の文民を集めて行動する計画である。いずれにせよ合計二万二千人という規模の平和維持活動は、国連の歴史はじまって以来の大作戦、いや人類の歴史はじまって以来のいわゆる「史上最大の作戦」である。人類が平和のために挑戦した初めての壮大な実験だ。
 八月末現在、軍事部門は既に約九〇%の勢力にまで増強されているという。文民部門での増勢はこれほどのピッチではないようである。命令一下の軍隊ですらこの調子であるから、文民を派遣することが各国にとって如何に難しい問題であるかが分かる。
 ここで注意すべきことがある。なかなか要員が集まらないからといって余力のある国が極端に多くの人員を提供することは受け入れられないのである。これは中立の原則を貫くこと、そして多くの国々が参画しているということが、効率性を考えるよりも国連にとってより大切なのである。
 軍事部門の最高指揮官はオーストラリア陸軍のジョン・サンダーンン中将である。司令部には約二百名のスタッフが働いている。その他に参加各国から派遣された憲兵で組織する直轄の混成憲兵中隊がある。軍事部門は大きく二つに区分される。その第一は軍事監視要員のグループである。いわゆる停戦監視員で勢力は約五百人である。これは数人の将校と無線手とからなる小さいグループであって、主としてカンボジアと他の国との国境に沿ったジャングル地帯に監視哨所を設けてそこに常駐し、国内外からの武器や部隊の流出を監視する任務をもっている。このグループは非武装で全くの丸腰である。
 現在はタイ国との国境沿いに十二個所、ベトナムとの間に十個所、ラオスとの間に二個所と計二十四個所に分駐している。言語や宗教や習慣、とくに食物を異にする人たちが、隔絶した狭い地域で共通語の英語を使って共同生活をしながら三ヵ月も続けて任務を遂行するわけであるから大変な激務となる。語学に優れ協調性と忍耐力とを持ち合わせた将校でないと勤まらないようである。自衛隊にもこのような優秀な幹部は多くいるとは思うが、これからは意識して養成しておく必要があろう。
 もう一つのグループはいわゆる実働部隊である。実働部隊はさらに地域を担当する画一編成の歩兵大隊グループと全般を支援する技術職種部隊グループとに分かれている。UNTACでは現在カンボジアを十個の軍事セクターに分けて、それぞれのセクターに一個歩兵大隊を駐屯させている。この大隊は画一編成で人員八百五十名からなり、機関銃・小銃・挙銃を装備している。この部隊は現地に到着して少なくとも六十日は何の支援も受けずに行動できることが義務づけられている。自己完結性が厳しく要求されているので、この基準を満たさない部隊は国連がこれを受け入れない事情がある。
 歩兵部隊は十個の軍事セクターを各一個大隊、予備二個大隊の計十二個大隊が集結中であり、ほぼ展開を完了している。先進国からはフランスとオランダが、その他からはチュニジア・パキスタン・ブルガリア・ガーナ・バングラディシュ・マレーシア・インドネシア(二個)・インド・ウルグアイなどが活躍中だ。
 全般支援の技術職種部隊グループには、通信部隊、航空部隊、工兵部隊、医療部隊、補給部隊および国連の平和維持活動では初めての海軍部隊がある。通信部隊は最高指揮官が出ているオーストラリアが、航空部隊はフランスが、工兵部隊はタイ国と中国とポーランド、医療部隊はドイツとインド、補給部隊はカナダ・オーストラリア・ポーランドの部隊が担当している。メコン河に沿ってパトロールの任務についている海軍部隊にはウルグアイ・フィリピン・チリー・英国からの部隊などがそれぞれ活動中である。全般支援部隊には六十日間の自己完結性は厳格に要求されてはいないが、現地の実情を見ると当初は他の力を借りずに行動できるようにすることが重要である。
要求される自己完結性と精強性
 カンボジアに到着した部隊は数百人にのぼる隊員に水を供給するだけでも大変な仕事である。おそらくキャンプ地の周辺にはきれいな水を求めて現地の人達が集まってくるに違いない。その人達を横目で見ながら、自分達だけきれいな水を飲んでいるわけにはいかないのである。水の供給だけでも大変な仕事で、この他に食事、露営、医療、通信、輸送、整備など、生存のための機能を発揮して、なおかつ現地が要求する仕事を積極的にしなければならないのである。
 自己完結性はこれだけではない。自分のキャンプ地は自分で警備しなければならない。無警戒にしておくことは、かえって現地の人々を不要な犯罪に巻き込むおそれがある。また長期の行動では自分のグループの中から規律や法律の違反者を出さないように取り締まる警察機能も備えておかなければならない。現地の警察に依頼して捜査してもらうわけにはいかないのである。我が国が民間人のグループを送り込んでもなかなか受け入れられないのはこの点である。
 それでは自己完結的な民間人のグループなら受け付けられるのであろうか。実はそれもNoである。和平の合意が各派の間でなされたとはいえ、つい昨日まで戦争をしていた地域に割り込んでいくわけであるから、自分達の人員器材を自分達で守れない集団はこれまた困ることなのである。非武装のボランティア集団の安全を保障するために歩兵大隊を割くだけの余力は国連にはないのである。
 ではある程度の軽武装をした民間人グループを派遣したらどうだろうか。このようなグループのことを国際的には一般に軍隊と言うのであるが、それでもなお「軽武装をした文民のグループ」というユニークな集団を我が国が派遣することになれば、そのための要員の訓練には少なくとも約一〇年を要すると思われる。何故ならば、現在カンボジアで要求されている各種の活動へ、各国はその最精鋭部隊を派遣しているわけであるが、それでも任務達成は容易ではないのである。
 筆者がアンコールワットの所在地として有名なシェムレアップを訪れたとき、難民受け入れセンターの警備にあたっていたマレーシア陸軍は、レンジャー第一大隊というマレーシア陸軍の最精鋭といわれる近衛大隊であった。軍紀の厳しい如何にも精悍なレンジャーの集団であった。またUNTAC本部の警備についていたインドネシア陸軍の歩兵大隊もインドネシア陸軍きっての最精鋭であった。このような環境のなかで自衛隊の最精鋭部隊とほぼ同じレベルで活動する「軽装備の文民のグループ」とはどんなものなのだろうか。
 ほかに最優秀の自衛官を一時退職か出向させて編成する案もないではない。しかし自衛官の誇りや名誉はどうなるのか。一般的に自衛隊の組織は生死を共にすることを誓い合うことを前提に成り立っているのだ。この中から個人的にバラバラに抜け出して「軽武装の文民ボランティア・グループ」の一員になりますというのは士気のうえからも実効のうえからも思わしくない。
 どう考えても「別組織」の平和協力隊は想像の産物と言わざるを得ない。我が国よりもっと平和愛好国が世界には多いが、世界中探してもこの様な組織が現実にないことを直視しなければならない。
 現地までの人員や装備や補給品の輸送は海路と空路とで行なわれるのは当然であるが、港湾や空港での荷役の問題や端末地での輸送の問題などは、通常の場合は民間の手段でも出来ることで、むしろそのほうが経済的である。しかし、港湾・鉄道・道路・電話・郵便など全てのインフラ・ストラクチュアが破壊されているカンボジアで陸・海・空が連携した常続輸送を確保するためには海上自衛隊と航空自衛隊とを運用せざるを得ない。従ってこれは統合行動であり、いつも統合訓練をしている自衛隊であっても困難なオペレーションである。このような複雑で困難な行動を民間でやってのけ得る国家は、民間部門に対して国家の統制が平時から行き届いたよほどの全体主義国家に限られる。
人的貢献の本質
 我が国が財政的な面で今まで大きな国際的な貢献をしてきたことは世界が認めるところである。我が国においても財政面のみの貢献では完全ではなく、国際的にみても「ひんしゅく」をかうものだという認識は国民に共通のものとなっている。何らかの方法で人的貢献をすべきというコンセンサスはようやくにして定着したようである。しかし「人的貢献とは何か」という段によると大きく意見が分かれるのである。
 カンボジアでは国連平和維持軍の部隊の他に、多くの文民が活動しているのをこの眼で確かめた。UNTACの本部には明石代表のもとに多くのシビリアンが活動している。民生部門、文民警察部門、復旧部門、人権部門、選挙部門、難民帰還部門などの各機関が精力的に働いている。政府としてこれらの部門に多くの文民を派遣することは極めて重要である。
 前述したように、この部門の定員は約六千人であるが、先程の理由で多くの国からバランスをとって参画させることが国連の原則である。国連がその中立性を保持するため、ある特定の国の人が卓越して多いことを敢えて避けているのである。したがって我が国は自衛隊は出さないで、そのかわり多くの文民を出したいといってもおのずから限界があるのである。とくに明石代表が日本人であればなおさらである。
 たとえ国連が受け付ける限界のギリギリの数まで我が国が多くの文民を参加させても、だからといって軍事部門に人を出さないで済む理由にはならないのである。何故ならば、文民部門の人達の活動は軍事部門の人達の命懸けの努力によって築かれている「戦いのない状態」があってはじめて効率的に展開されるからだ。
 人里はなれたジャングルの中でマラリヤ蚊と戦いながらテント暮らしを続け、二十四時間の任務についている軍事部門の若者達の努力の上に和平はかろうじて保たれ、文民スタッフの活動も意義あるものになっていることを忘れてはならない。
 「危険な戦場に息子達を出すな」のシュプレヒコールも良い。しかし何故、その危険な戦場へ文民としてなら自分達の息子達を出してよいのだろうか。四十ヶ国にのぼる世界の国々から軍人として来ている若者たちの築いた安全の中なら自分達の息子を出して良いとでも言うのであろうか。
 カンボジアの戦争は大国の思惑で長く続いたのであるから、彼らこそ和平に協力すべきだとの意見もある。筆者はプノンペンのUNTAC司令部で、米国やロシア共和国や中国の将校が仲良く働いているのをこの眼で見てきた。それでは何故バングラディシュやウルグワイ等の直接に関係のなかった国の若者が命懸けの仕事をしに来ているのであろうか。
 湾岸戦争が終結したのち、海上自衛隊の掃海艇部隊が残留した機雷の清掃に参加したことは読者の記憶に新しいと思う。部隊は完全に任務を達成して帰還したが、もしあの行動が安全な海域における海洋観測や港湾整備であったら、国際社会は我が国のとった行動を評価したであろうか。危険水域の機雷清掃という一歩間違えば生命の危険があるからこそ、世界は日本の青年達の行動を評価したと考えられる。
 この様に、同じ人的貢献といっても軍事部門と文民部門とでは性格を異にするのである。どちらか一方の努力で、他の努力を補えない性格のものだ。国連の文民部門へ文民を、国連の軍事部門へこれに馴染む自衛隊を出してはじめて国際社会に通ずるとあえて言いたい。幸いなことに、昨年十一月にカンボジア入りした国連平和維持軍は未だ一名の戦闘による犠牲者も出していない。これはカンボジアの国民が平和維持軍が何であるかを十分に理解していることの証明でもある。
 平和を愛する国民とは、戦争のあった場所から遠く離れて、何故戦争になったか、何故平和にならないのかと手をこまねいているだけの国民ではない。やっと達成した隣人の和平の状態を維持するため、危険ではあるが勇気をもって参加する国民のことである。
 この度の国際平和協力法は多くの歯止めがあって国連の旗のもと平和の維持のためだけにしか参加できないようになっている。軍事的な野心もなく、経済的な権益を追うこともなく、我が国の青年がアジアの隣人のために命懸けで活動する姿をみて、アジアの国々の日本に対する懸念は信頼に変わると期待したい。
 一方、カンボジアには民間のボランティア・グループも幾つか参加して人知れず草の根的なキメ細かい活動をしている。勇気と限りない愛情を備えた素晴らしい人達である。国としてもこれ等の人々の活動を理解しこれを支え、より効率的にできるようにすることも大切である。
 筆者がシェムリアップの難民受け入れセンターを訪ねたとき、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の多くの男女職員が難民の世話をしていた。本当に頭の下がる想いがした。救援物資を届けに来ていたNGO(非政府組織)の活動家にもシェムリアップの空港で会った。無償の愛を届けるこの人達の活動はまさに「こころ」の支援である。
 自衛隊の諸君が派遣されれば、それは心と共に強靱な筋肉をもった「人」として貢献するであろう。「財政的な支援」と「人の支援」と「心の支援」とが相俟ってこそ、カンボジアの人達やアジアの人達の心を動かすことができるのである。
我が国に対する期待
 明石代表は「現在カンボジアで行なわれている国連の行動は、平和のためのオリンピックなのです。何ができるかと言うまえに、参加することそのものが重要であると思う。」と表現した。
 当時、我が国の国会で行なわれていた議論の詳細をモニターしていたUNTACの人達は、どんな制約を付けられたものであっても日本が国家として部隊を参加させること自体が重要であると考えていた。
 戦後、一貫して我が国は経済の面のみで東南アジアと深く関わってきたと言えよう。冷戦構造の終焉とともに、我が国は初めてカンボジアに平和をもたらすという問題について自ら政治的なイニシアティブをとったのである。東京においてカンボジア最高国民評議会(SNC)を開催するとともに、世界中から代表を招集して援助対策を決定するなど主導的な動きをしている。
 いま何故カンボジアの和平について我が国が積極的な外交を展開するのか。それには幾つかの理由がある。その第一は国連を中心とした活動であることがあげられる。湾岸戦争においても多くの国連における決議に基づいて各国は行動したが、軍事行動そのものは多国籍軍による行動であった。今回のカンボジアにおける一連の平和維持軍の行動は多国籍軍のそれとは大きく異なるのである。冷戦構造が消滅した後に初めて行なわれたこの国連の平和維持活動には旧ソ連の国々や中国も参加し、まさに人類あげての平和への挑戦となっているからである。
 第二はカンボジアと我が国との特別な関係にある。同じアジアの国といっても、フィリッピン、マレーシア、インドネシア等の国々は、大東亜戦争において直接に戦禍をもたらした国であって自衛隊の派遣について特別の感情があることはいなめない。しかしカンボジアについては大東亜戦争時代においてすら常続的に友好的な関係にあったのである。
 第三はカンボジアの国家としてのサイズである。カンボジアはその面績が約十八万平方キロで北海道の約二倍である。人口も八百万人でこれまた北海道の一・五倍にすぎない。もしカンボジアがバングラデッシュのように人口が一億を超えるような国であれば、なかなか「国家丸ごとの再建」の支援に着手することが困難であったと考えられる。国連が冷戦後はじめて挑戦した大いなる試みには適したサイズなのである。
 第四は軍事的活動が比較的に低レベルなことである。国連がカンボジアで行なう最大の難関は四派の武装を解除することである。武装解除を躊躇している最大の勢力はポル・ポト派であるが、これとても戦車や航空機を保有しているわけではない。この辺がユーゴスラビアの場合と大きく異なる点である。
 第五は対立していた四派が既に停戦に合意し、曲がりなりにもカンボジア国内の戦闘状態が終息していることである。
 この様にカンボジアでの平和維持活動は、我が国が主導的に外交的な力を発揮しうる全ての条件が整っているのである。決して容易な状態とは言えないが、この平和維持活動の成功は来るべき地域紛争多発の時代に対する一つの大きな対応策となりうる。
 ときあたかもASEANの連帯は経済問題ばかりでなく、この地域の新しい安全保障の枠組みを模索している。その意味でも今回のUNTACの偉大なる挑戦は成功させなければならないのである。
むすび
 自衛隊は我が国の独立と平和、そして自由と個人の尊厳という価値観を守ることがその任務である。そのためには領域を保全し、国民の生命と財産、すなわち国益の基本的な部分を守らなければならない。我が国の領域内にある国益は、領土・領空・領海と千海里のシーレーンを守っていればこと足りる。
 しかし、ポスト冷戦時代には地域紛争が世界のいたるところに頻発するであろう。世界中に散らばっている国民や資産がこれらの地域紛争に巻き込まれた場合は、どのようにしてこれを守ればよいのであろうか。
 我が国は憲法の精神にのっとり、このような場合に防衛力を直接行使することをオプションの一つにはしていない。この様な場合は経済力か政治外交力を行使して紛争地域にある国民と資産を守らなければならないのである。しかし全ての場合が経済力や外交努力だけで解決できるとは限らない。
 このような場合は、その地域に馳せ参じる世界の若者たちの血と汗で守ってもらう以外に方法はない。彼らは自分の国の国益のためなら血も汗も流すであろう。果たしてその地域にいる我が国の国民のために世界の若者が血や汗を流してくれるであろうか。若者達を派遣した国々の政府は命にかえて日本人を守れと命令するであろうか。
 他の国が困っている時に、若者がその国の平和の維持のため駆けつけた実績を世界は忘れないのである。平和な時の行動こそ大切なのである。このように考えると国連平和維持活動に文民や民間のボランティアだけでなく、自衛隊も派遣するのは単に国連の活動を助けるだけではなく、結局は我が国が国際社会の中で名誉ある平和国家として生存するためのものであることが分かる。(七月二十七日記)
志方俊之(しかた としゆき)
1936年生まれ。
防衛大学校卒業。京都大学大学院修了。工学博士。
陸上自衛隊で陸上幕僚監部人事部長、第二師団長、北部方面総監を歴任。現在、帝京大学教授。
 
 
 
 
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