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2001/04/18 産経新聞夕刊
【和田秀樹のべんきょう私論】勉強ができる子をバカにするな
 
◆カッコ悪い意識、思いきりほめて
 最近、子どもたちの姿を見ていて、もっとも気になることに、勉強ができる姿を隠そうということがある。
 私が子どもの頃も、勉強ができることを隠したり、テストで相当点が取れそうな時でも、「全然だめだった」と装うことがあったが、話をよく聞いてみると、今の子は多少動機が違うようだ。
 私の頃はというと、勉強をこそこそやるのがカッコ悪い、セコイ奴というところがあって、勉強をしていてもしていないフリをすることがままあった。逆に言うと、勉強をしていないのにデキルというのがカッコよかったわけだ。
 しかし、どうも今の子は、勉強ができること自体がカッコ悪いと考えているようだ。
 それに比べると、ゲームが強かったり、子どものクセにブランドやお化粧法に詳しかったり、「モー娘。」のふりつけをいちばん先にできるようになった子のほうが、ずっとカッコいいという扱いを受けているようである。
 最近の精神分析の考え方に自己愛理論というのがある。ことばは難しいが、理屈はきわめて単純なもので、人間というのは、人に認められたい、人にほめられたいから行動するというものだ。精神分析の祖、フロイト先生が言ったように、人間は性欲を満たそうと頑張る生き物ではないと考えられるようになったのだ。
 つまり、人間はほめられる方向で行動する生き物なのだ。小さな子どもが初めてよちよち歩きができるようになると、母親が大喜びすれば、もっと歩けるようになりたいと願うし、頑張るというわけだ。
 だとすると、毎日テレビを見て、その話題に遅れなかったり、ゲームが強いほうが、まわりからチヤホヤされるのでは、子どものやる気もそっちにいってしまうだろう。現実に、諸統計では、子どもの睡眠時間が減っているのに、勉強時間も減り続けている。その多くの時間がテレビやゲームに流れているのだが、それは単に楽しいからでなく、テレビに詳しく、ゲームが強ければ自己愛が満たされるという要素があるのだろう。
 外国では、たとえばミュージシャンや、プロバスケのスーパースターが続出するアメリカでも、その手の音楽やスポーツが出きる子どもは、確かにモテモテだが、それと同等に勉強ができるとモテモテなのである。最近、コンピューターのソフト開発で世界をリードしていると注目されているインドなどでも、勉強ができるだけで、一族郎党の期待がかかるし、周囲からもものすごくチヤホヤされる。そして子どもが当たり前のように猛勉強をするのだ。
 日本もそろそろ勉強することがカッコよくならないと、国際競争に勝てる子どもなど出てくるわけがない。現実に国際化した社会では、そしてそういう当たり前の国からやってきたエグゼクティブたちは、勉強のできる人間、能力のある人間には、国籍や人種に関係なく素直に敬意を払うが、バカをそのままバカにする。彼らにバカにされるようになってからでは遅いのだ。
 親たちも闘い続けるべきだ。勉強をすることがカッコ悪いなんていう番組のスポンサーの製品は即刻不買運動を始めるくらいでないと彼らは変わらない。これもアメリカでは当たり前に行われる消費者側の抗議の方法である。
 ただ、彼らが当面変わらない間は、親の側で自衛するしかない。勉強ができる、勉強をしている我が子を、とにかく思いきりほめてやろう。そして、「国際化時代に泣きを見るのは勉強をしていないバカなのだ」と、本当のことを教えてあげよう。
◇和田 秀樹(わだ ひでき)
1960年生まれ。
東京大学医学部卒業。
東京大学医学部付属病院精神神経科助手を経て現在、一橋大学経済学部非常勤講師、東北大学医学部非常勤講師、川崎幸病院精神科顧問などを務めるかたわらマスコミにて積極的な言論活動を展開している。精神科医。


 
 
 
 
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