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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2000/11/11 産経新聞朝刊
【正論】松本健一 「教育勅語」を再検討する 新しい「教育基本原理」の前提に
 
◆大事な国家指導者の見識
 教育改革はすべからく、新しい国民憲法の制定と連動するような、抜本的なものでなければならない。−わたしは以前、そう書いた。(本紙四月十四日付)
 そのためには、戦後のいわゆる平和憲法と連動している教育基本法の改正が必須である。
 ところが、森内閣はその教育基本法の改正を先送りする旨の決定をした。これは、森首相が教育改革国民会議に、教育基本法の改正も視野に入れてもらいたいと要請する一方で、「かつての教育勅語にも評価すべき、いいところがある」と発言したことに対して、公明党などが反撥したことに配慮した結果らしい。森首相の舌禍(ぜっか)、といえるかもしれない。
 たしかに、教育勅語には良いところがある。しかし、国家指導者たるべき人がそういう発言をするばあいには、どこが良くて、どこが悪いのか、みずからの見解を明確にのべておくべきである。そうでないと、その発言は教育勅語の復活をめざしたものだと誤解されかねない。
 戦後の教育基本法を改正して、明治の教育勅語に逆戻りする。−これは、公明党のみならず、教育基本法の改正を必須と考えるわたしなどでも、断じて受けいれがたい発想である。なぜか。
 教育勅語は明治のいわゆる欽定(きんてい)憲法と連動して、国家を根底において支える人間(国民)のかたちを、精神的、内面的に方向づけた。そうだとすれば、教育勅語がもっていた良いところと弊害とをいちどきちんと認識し、新しい「教育基本原理」を作成するにあたっての前提としておかなければならない。
 
◆儒教的な臭みを排除
 わたしがそう考えた直接のきっかけは、さきごろ入江昭さん(歴史学者・ハーバード大学教授)が「『東アジアはひとつ』なのか」(『論座』十月号)と題した座談会で、次のようにのべたからである。
 「入江 ……日本の政治家がアジアのことを言い出すと、教育勅語へ戻れとか、儒教的なことを口にするでしょう。父母に孝とか。アジアの文化遺産をもう一回再認識しようというときに、ああなったらひどいことだと思うんです」
 ここで入江さんは、教育勅語の精神を「儒教的なこと」と要約している。それゆえ、わたしはその要約のしかたに、一言訂正を加えておかなければならなかった。次のように。
 「松本 教育勅語自体は、儒教じゃないんです。儒教のような臭みを持ってはいかんということで、教育勅語をつくったんですね。儒教も仏教も受け継ぐものは受け継ぐけれども、より日本的な原理を強調するために、天皇が出てくる。……」
 明治国家を根底において支える人間(国民)のかたちを、「儒教のような臭みを持ってはいかん」と考えたのは、明治国家のデザイナー、井上毅である。井上は儒学者の中村敬宇がつくった教育勅語の草案をよんで、明治国家の精神は儒教によって形成されるものではなく、近代国家のナショナリズムを天皇によって統合するものでなければならない、と考えた。
 それゆえ、儒教の精神をより普遍的な人倫(五倫)へと高めて、
 「(君ニ忠)父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ……」
 という徳目(バーチュー)をうたいあげつつも、それを天皇制の国体イデオロギーへと収斂(しゅうれん)してゆこうとしたわけである。いわく。
 「朕惟(おも)フニ、我カ皇祖皇宗国ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ。我カ臣民克(よ)ク忠ニ、克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世々厥(そ)ノ美ヲ済セルハ、此レ我カ国体ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦(また)実ニ此ニ存ス。」(振りガナ、句読点は引用者)
 
◆神話は古典文学で教えよ
 森首相が、教育勅語には「評価すべき、いいところがある」とのべたのは、それが儒教の精神を、より普遍的な人倫(五倫)として徳目(バーチュー)に謳いあげた条(くだ)りにちがいない。天皇の祖先が国をひらき、以来、皇統「無窮」であるという「国体ノ精華」こそが国民のすすむべき道をさし示してきた、という国体イデオロギーに関する条りではないだろう。
 もし、これが逆なら、森首相は昭和二十三年に衆参両議院でおこなわれた「教育勅語等排除に関する決議」に、異を唱えていることになる。その決議には、教育勅語の「主権在君並びに神話的国体観」を否定する旨、明らかにのべられていたからだ。
 わたしは教育がその国の神話を教えることは、いっこうに差し支えない、と考えている。民族の発生はついに神話的領域に属するからだ。しかし、その神話は古典文学として教えられるべきであって、国民のついにすすむべき道が神話的な「国体」によってさし示されている、という国体イデオロギーの押しつけはやはり排除されるべきだ、と考える。
 かつて若き北一輝は、福沢諭吉や内村鑑三などの影響下に、教育勅語における国体イデオロギーが日本における「学問の独立を犯し」、「信仰の自由を縛し」、「国民教育」をその根源においてダメにしている、と批判した。こういった明治ナショナリズムの鋭い良識に、わたしはいま改めて注目するのである。(まつもと けんいち)
◇松本 健一(まつもと けんいち)
1946年生まれ。
東京大学経済学部卒業。
京都精華大学教授を経て、現在、麗沢大学教授。


 
 
 
 
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