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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2000年3月号 正論
日教組は「労働組合」か? “常識”の誤りと本質を見失う危険について
皇学館大学助教授●松浦光修(まつうら みつのぶ)
 
 本誌平成十一年十二月号の拙稿「広島よりひどい!“日教組王国”の惨状」に関して、大阪市の元郵政職員・村田昂一氏が、平成十二年二月号の「編集者へ、編集者から」欄において、拙稿の「日教組は正規の労働組合ではなく、任意団体にすぎない。なぜなら彼らの多くは『公務員』だからである」という一文を、「間違いではないか」と指摘された。村田氏は、「いわゆる労働三権(団結権、団体交渉権、団体行動権=争議権)のうち公務員(国家公務員を含む)で完全に三権が認められていないのは、警察官と消防署員等と一部の管理職員」のみであり、「一般の公務員には団結権と団体交渉権が認められ、争議権(スト権)だけが認められていない」、したがって「教職員の組合は法的にも認められた労働組合」である、とされている。村田氏の指摘に対して、「編集者から」の欄には、「おっしゃる通り日教組は労働組合です。おわびして訂正します。こういう常識的なところをチェックできないとは、編集者として面目なしです」とある。
 しかし、「日教組は労働組合」というのは“常識”なのであろうか。結論を先に言えば、村田氏の指摘は誤りであり、それを追認した「編集者」も誤りである。なぜ村田氏の指摘や編集者の追認が誤っているのか。きわめて重大な問題であると思われるので、いささか話はややこしくなるが、これから少し論じてみたい。
 
まずは「地方公務員法」を見よ
 
 日教組の構成員の誰かが、個人レベルで「自分たちは労働者であり、したがって日教組は労働組合である」と信じ、そう発言していたとしても、それは個人レベルの認識の問題である。いかなる誤解にもとづくものであろうと、基本的に言論・表現の自由は保証されるわけであるから、「そう思いたい人はそう思えばいいし、そう言いたい人はそう言えばいい・・・」、という程度のものであろう。しかし、今回問題としたいのはそういう次元のことではない。日教組が現行法の、どのような法規にもとづいて組織されている団体なのか、ということである。
 そもそも、「日本国憲法」(以下「憲法」と略す)第二八条には、「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保証する」とあり、ここから、いわゆる勤労者の「労働基本権(団結権、団体交渉権、争議権)」という概念が導き出される。言うまでもなく、私企業の勤労者の場合は、これがそのまま認められるから、私立学校の教職員の場合は、その労働基本権は何ら制限されない、ということになる。
 問題は公務員の場合である。公務員が勤労者に該当するのかしないのか、ということについては、長く議論の対象とされてきたところであるが、現在では、公務員についても第二八条の保証がおよぶということが、基本的には認められている(昭和四十一年・全逓東京中央郵便局事件最高裁判決)。しかし、「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」(「憲法」第一五条(2))のである。公務員とは、そういう特殊な性格をもつ「勤労者」であることを、まず認識しておかなければならない。したがって、その労働基本権も、当然のことながら、国家公務員法(以下、国公法と略す)、地方公務員法(以下、地公法と略す)、自衛隊法などによって制約をうけることになる。
 たとえば、地公法の第五八条には、「労働組合法、労働関係調整法、及び最低賃金法、並びにこれらに基く命令の規定は、職員に関して適用しない」と明記されている。言うまでもなく、公立の小学校、中学校、高等学校などの教諭は地方公務員であり、ここでいう「職員」に該当するから、これら三つの法律の適用除外の対象となり、この一点からしても、日教組が労働組合法(以下、労組法と略す)上の「労働組合」ではないことは明白であろう。
 そうであるからこそ、日教組は、たとえば昭和三十七年の運動方針で、労働基本権が「公務員から奪」われている、「公務員労働者、公共企業体関係労働者二百五十万の労働三権」を回復せよ、などと主張したのである。日教組自身、公務員には労働基本権が認められていない、と認識していなければ、このような運動方針を表明するはずがない。
 しかし、言うまでもなく、その労働基本権の制限に対する代償措置は完備している。人事院、人事委員会、公平委員会などの行政機関の設置がそれであり、それだけでも、私などからすれば、手厚い保護ではないかと思われる。さらに手厚いことに、国家公務員にも地方公務員にも、勤務条件の維持改善を目的とする団体ならば、「職員団体」の設立が認められているのである。
 国公法の第一〇八条の二(1)と地公法の第五二条には、「この法律において『職員団体』とは、職員がその勤務条件の維持改善を図ることを目的として組織する団体又はその連合体をいう」と記されている。たとえ一般には「組合」という名称を用いているとしても、すべての公務員の「勤務条件の維持改善を図ることを目的として組織する団体」は、法律上は、国公法・地公法にもとづく「職員団体」なのである。むろん、公立の小学校、中学校、高等学校などの教諭が所属している「組合」も、法的には地公法にもとづいて、都道府県ごとに設立されている「職員団体」ということになる。したがって、全国組織としての日教組とは、都道府県ごとに結成された「職員団体」の集合体の名称である。それは日教組自身も当初から認めている。たとえば、昭和二十二年六月の日教組の「結成大会」で発表された「綱領」第二条にも、「この組合は都道府県単位の教職員組合を以て組織する連合体である」とある。つまり、全国組織としての日教組そのものは、「労働組合」でも「職員団体」でもないので、昨年十二月号の本誌に私が記したように、「任意団体」ということになるのである。
 
「労働組合」と「職員団体」の違い
 
 労組法にもとづく「労働組合」には、さまざまな強制力が認められている。たとえば、労組法第一七条には、「一の工場事業場に常時使用される同種の労働者の四分の三以上の数の労働者が一の労働協約の適用を受けるに至ったときは、当該工場事業場に使用される他の労働者に関しても、当該労働協約が適用されるものとする」とある。労働組合の場合、よりよい労働条件を獲得するためには、より多くの労働者の団結をはかる必要があるため、一定の強制力をもつことが認められているのである。その強制システムにもいろいろとあるが、現在のわが国では、ユニオン・ショップと呼ばれるシステムが一般的とされている。
 このシステムでは、使用者が従業員を雇う際には組合員資格とは無関係に雇うことができるが、雇われた者はすべて組合に加入しなければならず、また組合から脱退したり除名された者がいれば、使用者はその者を解雇しなければならない、などというような協定が労使間で結ばれる。むろん、組合が複数存在する場合、この協定は他の組合に対してまでは効力をおよぼさない。
 要するに、ある私企業において、すでに労組法にもとづく「労働組合」が組織されていた場合、雇われた者は自動的に「労働組合」に加入させられる、と考えればよい。当然ながら、これがときには個々の労働者の持つ「結社の自由」などの権利と対立することもある。
 一方、公務員の「職員団体」は、労組法上の「労働組合」ではないため、それに加入しない自由が保証されている。国公法の第一〇八条の二(3)と地公法の第五二条(3)には、「職員は、職員団体を結成し、若しくは結成せず、又はこれに加入し、若しくは加入しないことができる」とある。つまり、結成するもしないも自由であり、個々人が加入するもしないも自由、なのである。平成十年十月時点での調査によれば、日教組の加入率は全国平均で三二・三%となり、過去最低を記録したというが、たとえそれが○%になろうと、むろん法律上は何の問題もない(ちなみに、現在の日本では「労働組合」も自由設立主義をとっているので、それを無理に結成する必要もない)。
 労組法上の「労働組合」には加入を促す一定の強制力が認められているが、国公法・地公法上の「職員団体」にはそれが認められていない。これは重要な相違点である。ほかにも、「労働組合」と「職員団体」との相違点はいくつも存在する。
 たとえば「労働組合」ならば、労組法の第六条によって「使用者又はその団体と労働協約の締結その他の事項に関して交渉する権限」(労働協約締結権)が認められているが、「職員団体」には、この権利は認められていない。たとえば地方公務員の場合、地公法の第五五条によって「指名」された者が「当該地方公共団体の当局」と交渉し、「書面において協定を結ぶ」ところまでは認められているものの、それは、あくまでも「団体協約を締結する権利を含まない」という限定を付されたものなのである。一般的には、この「交渉」は話し合いにすぎず、書面の協定にも法的な拘束力はなく、あるとしてもそれは道義的な拘束力である、と解釈されている。
 注意すべきは、このような「当局」との交渉では、管理運営に関することは交渉の対象とすることができない、という点である。国公法の第一〇八条の五(3)には「国の事務の管理及び運営に関する事項は、交渉の対象とすることができない」とあり、地公法の第五五条(3)は「地方公共団体の事務の管理及び運営に関する事項は、交渉の対象とすることができない」と明記されている。「職員団体」の権利は、あくまでも「勤務条件の維持改善」に限定されているが、それにもかかわらず現在の日教組は、「交渉の対象とすることができない」はずのものまでも、交渉の対象としている場合が少なくない。
 それはたとえば、人事への介入である。
 昨年十二月の三重県議会で、この点について、興味深い発言が記録されている。三重県教職員組合(以下、三教組と略す)が公立学校の教頭人事に介入しているのではないか、という疑念が呈された際、それを質した同県議会議員・浜田耕司氏(自民党)が、「昨日(十二月十四日)行われた自民党と三教組との意見交換会では、鈴木逸郎執行委員長がすべて事実と認めていた」と発言したのである。この発言は、翌日の新聞でも報道され、不当な人事への介入が行われていることがついに公の場でも明らかにされたわけである。
 「労働組合」と「職員団体」の相違点として、最後に指摘すべきは争議権の有無である。「労働組合」は、労組法の第一条において「争議権」(スト権)が認められているが、「職員団体」には一切認められていない。これは周知のことであるから、詳述する必要もなかろう(国公法九八条、地公法三七条などを参照)。
 ちなみに、よく引き合いに出される警察官、消防士などの場合であるが、彼らは「職員団体」も、結成してはならないのである。地公法の第五二条(5)には、「警察職員及び消防署員は、職員の勤務条件の維持改善を図ることを目的とし、かつ、地方公共団体の当局と交渉する団体を結成し、又はこれに加入してはならない」とある。したがって公務員のなかで彼らだけが「労働組合」を結成してはならないことになっている、という見解は、そもそも労組法上の「労働組合」と国公法・地公法上の「職員団体」の区別がついていないという点で、その認識の前提からして誤っていると言わざるをえない。
 なお、このほか海上保安庁職員、監獄職員、自衛隊員などにおいても団結権は制限されている。
 
選挙活動の強制は憲法違反である
 
 労組法にもとづく「労働組合」には、一定の強制力がある。そのことは先にも述べたが、これは、選挙活動においても認められており、「その目的達成に必要な政治活動」は、ある程度まで認められている(昭和四十三年・三井美唄炭鉱労組事件最高裁判決)。しかし、それにも限度がある。たとえば、「憲法」第一五条の四項には「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問われない」、「憲法」第一九条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」などとあり、これらを侵害することは、労組法においても許されるものではない。
 これに関して最高裁は、昭和五十年に次のような判決を出している。「選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかは、投票の自由と表裏をなすものとして、組合員各人が市民としての個人的な政治思想、見解、判断ないしは感情等に基づいて自主的に判断すべき事柄」であるから、「労働組合が組織として支持政党又はいわゆる統一候補を決定し、その選挙活動を推進すること自体は自由であるが」、「組合員に対してこれへの協力を強制することは許されない」(国労広島地本組合費請求事件)。
 つまり、一定の強制力を認められている「労働組合」においてさえ、選挙活動の強制は認められないのである。まして「全体の奉仕者」である公務員に対しては、いかなる組織といえども選挙活動を強制できるはずがない。国公法の第一〇二条・地公法の第三六条・公職選挙法の第一三六条・人事院規則一四−七などでは、公務員の「政治的行為」が厳しく制限されている。また、公職選挙法の第一三七条では「教育者の地位利用の選挙運動」が禁止されているし、教育公務員特例法の第二一条四の(1)では「公立学校の教育公務員の政治的行為」が、一般の地方公務員の場合よりも、より厳しく制限されているのである。
 しかし、現在の日教組では明らかに選挙活動の強制が行われている。三教組と自民党三重県議団との会合が、昨年十二月十四日に行われたことは先にも触れたが、そのとき、同県議会議員・水谷俊郎氏は、県内のある若い女性教諭が「村八分」を恐れるあまり選挙活動を強制されていた事例を突きつけた。これは地公法や労組法などを持ち出す以前の問題で、「憲法」違反の人権侵害である可能性が強い。
 
忘れられつつある日教組の本質
 
 この一文は、村田氏と編集者の拙稿に対する誤解を解いてもらうことを、一義的な目的として執筆したものであるが、執筆しつつ、私は、そもそも「日教組とはどういう組織なのか」という基本的な認識が、わが国の多くの人々から忘れられつつある現状を痛感し、それに強い危機感を抱かざるを得なかった。
 長い歳月が流れ、「日教組結成」当時の空気を知る人も、「勤評闘争」当時の空気を知る人も少なくなった。それと同時に、かつて日教組が「革新政党とともに斗い抜く」(昭和三十二年・運動方針)、「政治的には『なんでもやる』という積極的立場に団結しなければならない」(昭和三十五年・「教師の倫理綱領」第六項解説)などと表明するような過激なイデオロギー集団であったことも、そういう日教組に対して、「破防法すれすれの団体」ではないか(荒木万寿夫元文部大臣=池田勇人内閣)という危倶の念を表明する政治家がいたことも、すべては忘却の淵に消えつつある(以上、文部省初等中等教育局地方課『日教組と階級闘争』[昭和三十八年]参照)。ちなみに、三教組は昭和三十三年に『不当弾圧対策ノート』という手のひらサイズの印刷物を出版し、構成員に配布しているが、これは「捜索・押収」「逮捕・検挙」などの事態に備えたマニュアル本である。これなどを見ていると、たしかに「破防法すれすれの団体」と思う人がいたとしても不思議ではない、という気がする。
 それらのことが「忘れたこと」なのか「忘れさせられたこと」なのか、私には分からない。しかし、その一方で今も日教組は、「教え子を再び戦場に送るな」という昭和二十六年以来のスローガンを、まるで無形文化財の指定でも受けているかのように、毎年、全国で繰り返しているのである。
 いずれにしても現在のように地公法や学習指導要領などの「法」を守らない「先生」たちの集団が現場で不当な「強制力」を行使している限り、児童生徒や父母、そして一般の納税者は、物心ともに甚大な被害をこうむり続け、それとともに国民精神の溶解現象もとどまることなく進行していくであろう。あるいは、当の教諭たちからして、過去の亡霊に呪縛されている気の毒な「被害者」と言えなくもない。これらすべての人々の幸福のためにも、わが国の公教育の現場において、普通の「職員団体」が、普通に存在できる日が一刻も早く来ることを、私は願ってやまない。
◇松浦 光修(まつうら みつのぶ)
1959年生まれ。
皇学館大学大学院修了。
現在、皇学館大学助教授。


 
 
 
 
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