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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1997/04/21 読売新聞朝刊
[地球を読む]教育改革 共同体意識培え 中曽根康弘(寄稿)
 
◆個性なき「基本法」改正を
 現在の日本の政治で一番大事なことは何か。それは政治の理念、哲学の確立であり、それに基づく日本の未来に対する青写真の提示である。その点に関して、行革以上に大事なことは教育の改革であると思う。今日諸般の改革をしなければならなくなった根本は戦後教育の誤りにある。その教育改革の一番の基本は教育基本法の改正である。
 なぜならば、現在の教育基本法は昭和二十二年、マッカーサー司令部が日本解体を進めている時に米国の教育調査団が来て、それを受け入れて作られたものであった。故に中身を見ると、人類、平和、自由、民主主義という言葉はあるが、国家、民族、文化、歴史、家庭という言葉はない。言い換えれば、当時、マッカーサー元帥はどの国でも通用するような教育基本法を勧告として日本に与えた。従って、それは蒸留水のようで、日本の固有の味はない。日教組が嘗(かつ)て君が代を歌わず、国旗も掲げなかったのはここに原因がある。教育基本法は今や古臭い古典的近代主義による一般原則法で、初めから日本の個性を念頭に置いた法律ではないのである。
 
◆心の貧しさを生む
 一般的に戦後の民主主義は日本人の骨肉で形成されているかどうか疑問が多い。東畑精一という東大の農政学者で非常に尊敬されていた自由主義者がいた。この人が嘗てアジア調査会の講演で、「戦前は自分は農学者で、軍国主義、国家主義、農本主義に反対であった。戦後、民主主義になって良かったと思うけれども、戦前ほど力が入らないのはどういうわけだろうか」と言っていた。それは戦後の民主主義が一見華やかであるが、占領軍から与えられた切り花であるからである。本当の民主主義は自らの根と幹で水を吸い上げて、自分の花を作るものである。それがないのではないか。
 自己責任と自立の精神に欠け、一国平和主義の町人国家と指摘されたり、未(いま)だに御上(おかみ)に依存する経済社会体質はそこから生まれている。そこに米国の利己的個人主義や物質主義が過剰に入り込んで、日本の社会を支えてきた良き精神や伝統が失われた。物質的には繁栄し、一流の世界的経済国家を創(つく)り上げたが、心の貧しい国になってきた。女子学生の援助交際とか、中学生の自殺、陰湿ないじめが跋扈(ばっこ)するまでに至った。こんなに悲しいことはない。
 
◆自ら育てる民族性
 どの民族でもどの国家でも固有の価値をもって初めて世界的に存在意義がある。これからは世界はボーダーレス社会、グローバル社会に移り、国境の垣根が低くなっていく。それは結構なことだ。
 しかし、平均的なステレオタイプの民主的価値が氾濫(はんらん)すればするだけ、固有の民族の精神や文化や芸術が益々(ますます)貴重になってくる。その個性があって初めて外国から尊敬される。米国や英国の真似(まね)の切り花を持っていっても笑われるだけである。真似の切り花の根元には無国籍的な教育基本法や憲法がある。
 世界の文化の花園では自らが育てた固有の花を見せなければならない。それで世界が豊かになる。正しく民族を向上させようとする者、真に謙虚に国家を愛する者が世界を愛する者なのだ。
 私は嘗てフランスを公式訪問した時、ミッテラン大統領と約二時間、エリゼ宮で食事をはさんで文化談議を行った。その時私は、「私は多神教であり仏教徒である。あなた方はキリストを信じる一神教徒でしょう。私は子供のころ、仏教を信ずるお祖母(ばあ)さんは蚊がいると掌(てのひら)で包んで窓の外へ放してやった。蚊を殺してはいけないとお祖母さんによく言われた」と言ったら、ミッテラン大統領は、「その蚊は隣のうちに行って人を刺すであろう」と言われた。ここに一神教徒と仏教徒の差がある。
 サミットでは各国の大統領や首相は時々文化談議に興ずる。文化やユーモアをよく知り、そこで粋(いき)な味のある発言をすることがサミットにおける首脳の人間的勝負になる。それを外国の公務員や新聞記者が皆見ている。それは政治家の文化的価値、全人的力量を競う横綱の千秋楽とよく似ている。だから、その国の文化を深く体得して、その権化である人間が行くべきところだ。そうでないと、その首脳は終始、黙り込んでいることになる。
 
◆文化と伝統の尊重
 日本は自然国家である。今から約千五百年前に大和朝廷ができて、それは初め氏族制度であった。その時は政教一致の神政政治的なものであったろう。天皇は神聖な神に仕える神主の頭領であった。この神聖な頭領を世俗の権力で打倒することはできなかった。藤原氏といえども自分の息子を天皇にすることはできなかった。だから、娘を中宮や皇后にしてそこで生まれた子供を天皇にした。清盛と安徳天皇の関係もそうである。この天皇観は全国民に広がって、明治維新まで続いた。天皇は超越的な尊貴さをもって、笏(しゃく)を持った神主であったから、連綿として天皇制は続いた。明治になってからプロシア憲法を入れて、天皇は世俗的な権力を持ち、軍刀を持った。軍刀を持った天皇体制はこの間の戦争で米国に倒された。
 戦後は天皇は軍刀を捨てて、今度は笏を持つわけにいかないから顕微鏡を持った。これは大変な智慧(ちえ)である。今の象徴天皇は明治以前の天皇に戻った。天皇は権威を持ち、征夷大将軍は権力を持った。そして、天皇は文化の擁護者であった。それが日本が比較的国内平和を維持してきた原因である。その天皇制は伝統を保持し、千数百年続けて現存している。
 
◆評価すべき独自性
 日本歴史の大きな成果は更に、わび、さび、もののあわれという新しい価値を日本人が発見したことである。芭蕉の幽玄の道に示されるような、何となしにかそけくも気高いもの、そういう美の感情を日本人はつかんで芸術の形にした。それは能や茶の湯や歌舞伎や生け花になり、今日の日常生活に入っている。このような他の民族にない独自の美を発見し、このことは二十一世紀にかけて世界化が進んでいく中に日本の高尚な独自性を示すものとして、世界に評価されるものになっていく。
 この天皇制と、わび、さび、もののあわれ等の芸術が日本歴史の誇るべき文化価値なのである。このような文化的独自性を持つ日本は千数百年の歴史の時間の中で造成され、自然国家として益々価値を発揮すべき場に臨む。
 これに対し、米国や中国は戦略国家であり、人工国家である。米国は憲法にあるように移民でできた契約の国である。自然的生長の色彩の薄い人工国家である。中国は共産党イデオロギーの人工国家である。このような人工国家は非常な戦略性を持ち、機動性を持っている。自然国家は戦略国家から手玉に取られることもままあるが、この自然国家の尊厳性を我々は自覚し、発揚すべき時である。
 教育基本法の第一の問題点は公共性または共同体という視点が欠落していることだ。それは現実には国家であり、郷土である。私は自由民主党に所属している。現代世界は自由主義、民主主義を普遍的政治価値として尊重している。しかし、実際は自由と民主は直ちに結合できない。自由は個性で独自を主張し、民主は平等で連帯に傾く。それが結合できるのはその基礎に共同体があるからである。つまり言語や文化を同じくし、運命を共にして共生しようという人間の集団が歴史的に育ってきた。それが共同体であり、民族となり、国家を形成した。このような共同体であるが故に、同胞愛が生まれる。社会的弱者を放っておけない。そこにシビル・ミニマムという概念が生まれる。かくて自由と平等は結びつく。民族や国家はそのようにして形成されている。共同体の基礎は共通の経験であり、共同の歴史である。
 最近の若い政治家の著書を見ると、共同体という概念が希薄である。従って、歴史、伝統、文化に対する思いが少ない。国家改革の著書を見ても、列島改造の現代版の感が強い。市民主義という主張はマルキシズムの影響で国家を悪の装置と見る反射から、国家や国民を避けて抽象的な市民という反権力的なインテリ的な表現に頼っているのである。このような考えを基本にすれば、真の理想主義的な夢と感激は生まれない。夢や感激は幼い時の家郷と大地自然と人間との結合に胚胎(はいたい)する。その時の情感が根元である。政治は損得でなく、熱情に基づく感激なのである。私は昔、松村謙三先生から教わった言葉を忘れない。「中曽根君、政治は感激だよ」。現代日本の政治に対する白けは政治を行う者、受ける者との間の感激の欠落からきているのではあるまいか。
 
◆公共奉仕、個の尊厳
 人間は歴史と伝統を持つ郷土を愛し、自然を尊び、個の尊厳を究めると共に、公共に奉仕する観念が教育の基本になければならない。そして、教育の実践において目に見えないものの価値を大切にし、無限に憧(あこが)れる宗教性や理想主義を体得させることが大切である。それは道徳教育の基礎である。
 これからの日本が持つべき哲学は、第一に自然主義である。自然を尊び、自然と共存していく。第二は歴史主義である。民族の伝統と歴史を大事にする。第三は科学主義である。合理主義の一面を捨ててはならない。第四は宇宙主義である。DNAから宇宙の隅々まで至る存在が解明されてきた。我々は望んで日本人に生まれたわけではない。大宇宙の大きな摂理の中で与えられたものである。ヘーゲルが言う放たれた弾丸のように。命を与えられた瞬間から無限に向かって前進すべく運命づけられて生きている。この命の中身はDNA等を通じ、先祖代々をさかのぼる無限の彼方(かなた)から与えられた。無限に前進するところに各々の目標が生まれ、理想や希望が発生する。ニーチェやドストエフスキーのように絶望的諦念(ていねん)も出現するが、それも無限の過程の所産である。私たちはこの大きな宇宙に包まれ、育(はぐく)まれて、人類として無限に向かって生き抜いていくという宇宙主義である。
 教育基本法はこのような広さと深みのある世界から、もう一度見直されなければならない。現在の教育基本法は終戦直後の古典的な近代主義と事務的な官僚主義の所産であり、二十一世紀の日本には耐えられないものなのである。
◇中曽根 康弘(なかそね やすひろ)
1918年生まれ。
東京大学法学部卒業。
元衆議院議員、元首相・自民党総裁。

 
 
 
 
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