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1992/12/19 産経新聞朝刊
【主張】武庫川女子大教授 新堀通也 判定を偏差値だけで行なう
 
 埼玉県で最近、全国的な関心と論議を巻き起こした二つの出来事が起きた。一つは庄和町で学校給食廃止案が議会に提出されたこと、もう一つは県教委が県内中学校に対して、私立高校への「偏差値」提供を止めるよう指示したことである。
 何れもがいわば当然のこととされてきた制度や慣行に対する公式の問いかけであり、本質的な問題提起としての意味が大きい。前者は町民の強い反対にあって廃案となったが、後者は文部大臣、さらには文部省の高校教育改革推進会議や自民党文教部会の応援を受け、都道府県教育長協議会や日本私立中学高校連合会なども、文部省から実現に向けて協力を求められている。
 このように大きな波紋を呼ぶ一石を投じたのが埼玉県だが、そこには県独自のいわば地政学的な条件がある。この県は東京都埼玉県といっていいくらい、ほとんど県全域が実質的に東京都の中に組み込まれており、都への交通は至便だ。「ダサイ」玉と失礼なあだ名をつけられていたのが近年、次々に新興住宅地が開発され、人口急増、都市化が進行した。
 県教委は私立高校にこそ「偏差値」提出を求めることを止めるよう要求すべきだが、それができないところに現行の学校行政上のジレンマがある。県教委の管轄権、監督権は公立学校に限定されており、私学行政は知事の所管だ。
 「立学の精神」「自主性」の尊重のタテマエから、知事部局は私学の教育に対してはほとんど口を差し挟まない。また教委とちがってその専門的な能力もない。そのため私立学校は中高一貫性にせよ、五日制の実施にせよ、学習指導要領の取り扱いにせよ、教科書の採択にせよ、公立にくらべてはるかに自由だ。
 教委は私立学校に対して指導、監督、命令する権限をもっておらず、せいぜい「お願い」する他ない。まして県外の私立学校に対する発言権はほとんど奪われている。私立学校にはもともと学区もなければ県境もないのだ。
 生徒の通学圏からいつても、私立学校の社会的影響力からいっても、私立学校への公費助成の制度からいっても、県を単位とする学校行政、公立と私立とに対する二元的な教育行政のジレンマを、今回の問題は指摘している。
 事実、大学ともなると、私立に対する文部省の権限はかなり大きい。「偏差値」問題も一県教委が直接ものをいいやすい公立中学校に指示するだけでは、とうてい解決できない。
 偏差値はテストを受ける人の数が多いほど正確に算出さる。一県全体をカバーする業者テストは、一部の生徒だけが受ける塾のテストより、さらには一校や一学級だけで行われるテストより、はるかに信頼度の高い偏差値を出してくれる。偏差値が合否の判定基準とされるなら、業者テストが「必要悪」として頼りにされるようになることよりは、それに対応する公的テストがない限り避け難い。
 大学の段階ではすでにかつては共通一次、現在は入試センターテストという全国規模の、しかも公認のテストの成績、また受験産業の行う大規模な模試による「偏差値」が進学指導、進路決定にさいして、また入試の難易度による大学の序列化にとって、大きな威力を発揮していることは公然の事実だ。かつての全国中学校いっせい学力調査(学テ)なども国レベルで「偏差値」算出の資料を提供する可能性を秘めていた。
 志願者や高校が県域を越えている場合、県を単位とする業者テストでは不十分だし、また公立の中学校が私企業たる業者テストに頼れば癒着の温床になりかねない。入試判定を「偏差値」だけで、しかも事前に行うなど論外だ。(しんぼり・みちや)
◇新堀通也(しんぼり みちや)
1921年生まれ。
広島文理科大学卒業。
広島大学助教授、広島大学教授、広島大学教育学部長を経て、現在、武庫川女子大学教授。


 
 
 
 
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