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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2000/07/23 毎日新聞朝刊
[時代の風]学力低下招く「ゆとり」教育=榊原英資・慶応大教授
 
◇プロ教師育成こそ急務
 3月末に発足した教育改革国民会議の議論が本格化し始めた。森喜朗首相、大島理森文相をはじめ多くの論者たちが教育の憲法である教育基本法の改正など、現在の教育のあり方の抜本的見直しの必要性を説いている。筆者も教育基本法を見直すことの思想的意義は十分認識しているつもりである。しかし、現在の教育が進んでいる方向に危機感を抱いているなら、まず足元の重要問題を解決する必要がある。関係者の多くはこの問題を見過ごすか、もう終わってしまったことだと考えているようだ。
 それは、一連の教育「改革」の仕上げとして文部省が2002年に実施しようとしているいわゆる、新課程の導入である。「ゆとり」教育推進のために行われようとしているこの「改革」は、日本の初中教育の基本的機能を完全に破壊しかねない恐るべき内容を含んでいる。もし、日本の教育の現状を真剣に憂い、改悪ならぬ本当の「改革」を実現しようとするなら、我々はまず、この新課程導入を阻止しなくてはならない。日本物理学会、日本化学会など多くの学術団体が日本の子供たちの学力崩壊を危ぐし、この暴挙を阻止しようとしているし、多くの現場の教師たちもこの「ゆとり」教育の実施が、現場の実態を理解しない空理・空論に基づくものであり、学生たちの基礎学力を確実に低下させるものだと考えている(「中央公論」2000年8月号)。しかし、今のところ、こうした声は教育関係者のサークルを超えてメディアや一般大衆に届くまでには至っていない。
 1996年の第15期中央教育審議会で、「ゆとり」のなかで「生きる力」を学生たちに与えるという基本方針をうたい上げた文部省は、第16期中央教育審議会を経て、98年11月に小・中学校学習指導要領全面改訂を、99年2月に高校第7次学習指導要領全面改訂をそれぞれ告示し、双方とも02年4月から実施するとしている。
 ここで文部省の言い分を詳述する紙面的余裕はないが、要するに、英語や数学などの既存の科目の授業時間数を大幅に削減して、総合学習の名の下に、少なくとも筆者にはその具体的内容が全く理解できない新しい科目を導入しようということなのだ。小学校2年生の算数から不等号の式を、5年生のそれから台形と多角形の面積を、6年生のそれから比の値を削減することなどを含む、小学校、中学校での各教科の内容の削減、移行統合、軽減、集約・統合・重点化は膨大な数にのぼり、結果として初等・中等教育における既存の科目の授業時間は、平均25〜42%削減されることになる。
 ちなみに、その教育の強化が各方面で声高に主張されている英語についても状況は同様で、中学校における週当たりの英語の授業時間は新課程で現状の200分(東京都公立中学)から150分に削減される。東京の開成中学や麻布中学の授業時間は300分なので、公立中学では私立中学の半分しか英語を教えないということになる。「改革」の名の下に改悪を重ねてきた文部省だとはいえ、これはあんまりではないか。どこか、基本的にその考え方が狂っているとしかいいようがない。寺脇研氏(文部省官房政策課長)はその著書(「中学生を救う30の方法」講談社)のなかで、明確に、勉強嫌いの生徒をなくすには、授業をわかるようにすればよく、そのためにはカリキュラムの内容を削減すればいいと述べている。しかし、教育は落ちこぼれの生徒だけのものなのか。そして、落ちこぼれ対策としても、全部の生徒に平等に授業時間を少なく、授業を平易にすることが本当にいいのか。いかにも単純で、感情的な寺脇氏の論理が全文部省の論理として採用されているように思われるのはまことに嘆かわしい限りである。
 寺脇氏・文部省の立場はいくつかの点で決定的過ちを犯している。
 まず、これは多くの教育関係者やメディアに共通する思考だが、学校だけが子供たちの教育を担っている、あるいは担っていかなくてはならないという考え方である。公的教育の目的は主として一定の知識を一定の期間に習得させることに限定されるべきものであって、本来、コミュニティーや家庭が果たさなくてはならない役割を学校に担わすべきではない。少年たちの凶悪犯罪まで学校や教師たちの責任だというのでは、(責任が全くないとはいわないが)本来の仕事をじっくりやっていきようがない。
 また、創造力とか、「生きる力」をつけてやるということは極めて困難なことで、公的教育で教師がこれを行うことはほとんど不可能である。そもそも、「生きる力」とか創造力を、教師と生徒という上下関係で教えることが出来るという発想そのものが幼稚でごう慢なのではないか。こうした資質は、我々が一生かけて、さまざまな知識と経験の積み重ねの中から自らつかみ取っていくものではないだろうか。
 大学の教育課程を修了し、ただちに学校教育に従事し、教師以外の経験を余りもたない教師たちに多くの期待を我々はかけすぎていないだろうか。より経験の豊かな人たちを免許なしで教師にする道を規制の緩和によって開くと同時に、現場の教師の負担を軽減し、彼らを知識を習得させるプロとして扱うべきであろう。聖職者としての教師も金八先生も今の日本は必要としていない。英語なら英語を生徒にうまく習得させるプロを我々は必要としているのであって、神様のような教師という幻影を追うべきではない。文部省はカリキュラムをこねくり回して生徒たちを混乱させるよりも、よりプロフェッショナルな教師をどう育成すべきかにエネルギーを割くべきだろう。
 いずれにせよ、新課程導入を何とか阻止しないと日本の教育の崩壊は行き着くところまで行ってしまいかねない。まだ時間は残っている。できるだけ早く2002年実施の既定路線を白紙に戻すべきである。
◇榊原 英資(さかきばら えいすけ)
1941年生まれ。
東京大学大学院、ミシガン大大学院修了。経済学博士(ミシガン大学)。
大蔵省入省後、国際金融局長、財務官を経て退官、現在、読売新聞調査研究本部客員研究員、慶応義塾大学教授、慶応義塾大学グローバル・セキュリティ・リサーチ・センター(GSEC)ディレクター。


 
 
 
 
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