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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2002年6月号 正論
教育現場に父性の復権を
―やさしいだけでは子供はダメになる。いかに愛し、いかに鍛錬するか。
 
政治評論家●屋山太郎(ややまたろう)
福岡教育連盟事務局長●木村貴志(きむらたかし)
 
男親にしか伝えられない愛情とは
 
 木村 時代の流れはどんどんソフト化していると言われます。たとえば学校教育も小中学校の現場を見ると、これは女性教師が半数以上を占めるようになったことと無縁でないと思いますが、子供たちに対して「危ないことはしちゃだめ」「怪我をするようなことはしちゃだめ」という感じになって、あえて負荷をかけることで何かを乗り越えさせるという教育手法が消えつつあるように思えます。教育界全体が「よりやさしく」「子供に負担をかけず」になっている。
 家庭でも父親の影がすっかり薄くなったと言われますが、学校でも同じとなると、成長期の子供たちにとっては、「父性」から影響を受ける機会と場所がまったくないということになる。「母性」と同じように「父性」にも確たる役割があるはずで、ざっくばらんにそれを言えば、「男親にしか伝えられない愛情がある」ということだと思うんです。
 屋山さんの自伝的エッセイ『私の喧嘩作法』(新潮社)を拝読したとき、「この父にしてこの子あり」とはまさに屋山親子のことだと膝を打ちました。相手が誰でも歯に衣きせず、ときには鉄拳≠ナ「道理」を通す。かりに時代遅れと言われようとも、男子として生まれたからにはいかに生くべきかという、何とも痛快な教育論が、屋山さんとお父上の実人生を通じて描かれている。
 
 屋山 実は『私の喧嘩作法』を書く前に、自分史の年表をつくって、思い出したエピソードを書き加えていくという作業に三週間ほど没頭しました。集団疎開をして帰ってきたら空襲で家を焼かれ、一家は離散。敗戦後ようやく一家が集まったと思ったら、両親が離婚して、またもや家族は離散。その兆候は私の幼年の頃からあって、私はいつも両親が諍いを始めるのではないかと心を痛めていました。だから私が生まれ育った家庭は決して平穏というのではなかったんです。
 ただ母親の愛情を受けたことは十分に認識していました。父に躾けられたという明瞭な場面はないのですが、父は自分の姿を、良いところも悪いところも息子にすべてさらけ出すことで私を教育したように思います。私は幼いときから父の振る舞い≠見て、自らの行動の尺度にしてきた。だから今、自分の小中学校時代を思い出してみると、いい先生≠ヘいたけれども、強烈なわがおやじを超える印象を持った先生はいません。不遜な言い方かも知れませんが、教師といっても大した存在には見えなかった。
 屋山の姓は九州・柳川の立花藩に発するんですが、養子にきた父は生粋の薩摩隼人で、郷里鹿児島の気風を心から誇りにしていました。鹿児島では男の子は、「泣こかい、飛ぼかい、泣くよか引っ飛べ」という格言を教え込まれる。小川やちょっとした崖を飛び越えるとき、とても飛べないといって泣きそうになると、「泣くより前に飛べ」と気合を入れるんですね。鹿児島人は人物を評価するとき、「あの男は肝が据わっているかどうか」を最大の尺度としますから、父がその鹿児島の気風、精神を教え込んでくれたおかげなのか、私は自分の度胸にだけは自信がある。そのせいで「喧嘩太郎」などとも言われるのでしょうが(笑い)、生意気な若造の頃は、神よりほかに怖いものはないと信じていました。
 
 木村 私も屋山さんと似たところがありまして、やっぱり学校で教わった先生よりも父の影響のほうが大きいんです。父は筑豊の出身で、中学校の国語教師を長くつとめていました。私は大学を卒業してから民間の印刷会社で働いていたんですけれど、父の後を継ごうと思い、国語の教師に転身したんです。父がそうしてくれと言ったわけではないんですが、暗黙の何か≠ェあったと勝手に思っています。
 父には川筋の気質≠ェあって、それは私にも濃厚に影響しています。見かけよりは随分と血の気も多く(笑い)、それを話すと周囲からは意外な顔をされるんですが、父の里に行けば、誰某が刀で斬られたとか、血が出て大変だったとかいう話を、子供の頃から祖母たちに随分と聞かされていましたし、祖父は昼間から一升瓶を抱いているような人でしたから、たとえば「修羅場」という言葉なんか、子供心にもかなりはっきりとイメージできました。
 今なら単に「粗暴」というような言葉で括られてしまうのでしょうが、男たちが生きる熱気、人間が生きていくことの切なさや、面倒くささといった、より深い人間理解というか、人間把握の現場にいたのだという気がしています。いわば妙にクレンジング(浄化)されていない、人間の生の姿の中で育ったという実感です。
 父の教師としての志というのは、そうした土壌の持つ激しさ、負けん気と張り合わせになっていたと思います。喧嘩腰の強さというか・・・、最近、私も教師にとって必要なのは愛情や志とともに、喧嘩腰の強さ、粘りじゃないかと思うようになってきているんです。それがないと、人を教えるなんてことはとてもできない。弱い人間では教える前に自分が潰れてしまいます。
 
 屋山 人間は生まれ育った風土と無縁ではいられない。私は福岡市で生まれ、鹿児島に引っ越し、小学校入学のときに東京に来てからほとんど東京で育ったんだけれど、履歴書を書くときは必ず「福岡県出身」で書くんです。子供っぽいと言わば言え、「俺は九州の男なんだ」とデモンストレートしたいんですね(笑い)。では九州の男はどこが違うかと言うと、まずダンディズムがある。いや、なくちゃいけないんだ。
 父が私に徹底的に叩き込んでくれたのがダンディズムです。これは武士道の精神とも騎士道の精神とも通ずる。平たく言えば、やせ我慢の精神とも言える。物心ついた頃から、私は卑怯なことだけはしてはいけないと心得てきたつもりです。勝負事をしても、正々堂々戦って負けたのなら、勝者を賞賛する精神を持ちたいと思ってきた。博打に負けたら払いっぷりをよくしようと心掛けてきた(笑い)。要するに、私は男として格好よく生きたいと思ってきたんです。
 まあ、あんまり男、男と言うと女性から「女はどうなのよ」と顰蹙を買うかも知れませんがね(笑い)。私は男女の基本的な人権に差があるとはまったく思っていませんが、男の子には男の子の、女の子には女の子の躾が必要だと思ってきたし、今でもそう思っています。むしろそうあることが人間らしい生き方だと確信している。ジュネーブに特派員として駐在していた頃、中東和平だ、テヘランで革命だと私は年中出張していました。出掛ける前、当時七、八歳の息子を呼んでこう言い聞かせたものです。
 「お父さんはこれから何週間か出張する。その留守にママと妹を守るのはお前の責任、務めだぞ」
 あとで家内に聞くと、私の留守中、息子は「戸締まりをしたか」「どこに出掛けるのか」と命令口調でうるさかったという。しかしこれはまだ幼いなりに男としての責任感を発揮しているということだと思うんです。男にこの感覚があるということが女にとっても幸福につながるわけで、今かりに日本の女性の多くが不幸だとしたら、それは男がダンディズムの精神を失ったからです。小さな頃からそれを涵養してこなかった、あるいはジェンダーフリーとか言って、それを不要なものとしてきた結果だと私は思います。
 
美意識を持たせること
 
 木村 父親の教育というのは存在感そのものにある。家庭の中で何かをことさら喚いたり、指図したりする必要はないけれども、「背中で範を垂れる」という美意識が大切だと思うんです。単なる説教オヤジ≠ナはだめで(笑い)、まさに屋山さんがおっしゃったようにダンディズムの裏打ちがなければならない。
 私の父のことで申し上げると、ダンディズムというのとはちょっと違うでしょうが、書や絵画、焼き物といった世界が好きで、小学生の私をよくデパートの美術品売り場に連れていきました。備前焼なんかを見て「いいだろう」とか言いながら、自分が楽しいと思ってる世界を私に共有してほしいと考えていたのか、それはよく分かりませんけれど、喧嘩腰の一方にそういう父の姿があった。父と触れ合ったこと、ともに経験したことの一つ一つが、私にとって具体的な躾や教育になっていたのかなと今しみじみ思うんです。
 
 屋山 私は父を振り返って、実に多くのことを学んだと思うのですが、不思議なことに具体的に教えてくれたのは「喧嘩作法」だけなんです。そのほかのことで説教やら文句を言われた記憶はない。ただ深い過去に思いをめぐらしてみると、手ひどく叱られたことが一度だけありました。三、四歳の頃だったと思いますが、鼻の治療のため父の友人の耳鼻科の先生のところに連れていってもらったときのことです。散々渋った揚げ句にようやく診察台に乗せられ、鼻をいじられた途端、私は目の前にあった器具を乗せた台を思いっきり引っ繰り返して泣き叫んだんです。
 治療をやめて帰る際、父は、「おまえは情けないやつだ」と言って、鹿児島城のお濠に私をいきなり投げ込みました。ほうり込んだ瞬間、父は私が泳げないことに気づいたんでしょう(笑い)、あわてて助けに飛び込んできた。二人でずぶ濡れになり、水を滴らせながら歩いて帰りました。そのとき、父が言った二つのことを今でもはっきり覚えています。
 一つは、人の顔、面子を潰してはいけないこと。
 二つは、痛みなんぞで男は泣いてはいけないこと。
 私はだから物心つく前に、父によって、やってはいけないこと、やると褒められることをインプットされていたと思うんです。美意識ですね。私は父たちの会話を聞いて、父がどういう性分で、何をしたらいけないのかを物心つく頃から悟っていた。それは世間的な常識とは掛け離れたものであったり、より厳しいものであったりしたけれど、普通に「オヤジに説教された」というような場面はありませんでした。
 私は子供の頃から、応接間でも居間でも酒席でも自由に出入りすることを許されていました。その代わり、父と私の間では入室する際は深く黙礼して挨拶し、大人の会話には一切口を挟まないという堅い約束があった。これもまた私の物心がつく前にその作法を教えたに違いないんです。それで父たちの話を聞くうちに、鹿児島の父の実家の様子や父の青春時代を知り、父の思想や価値観が何となく伝わってきたわけです。余談ですけれど、私は大人の会話に子供がしゃしゃり出て、あたかも子供が主人公であるかのような家庭の雰囲気は好きではありません。今でもそういう家に招かれると少しばかり血が上ってしまう(笑い)。
 
 木村 私の父もよく家に客人を招いていましたが、酒席を設けている日には、私も朝から買い物に行かせられ、庭や家の中を隅々まで掃除させられ、料理の手伝いをさせられた。お客さんが来れば礼儀正しく振る舞うことを求められましたし、揚げ句の果てには、父の満足いくもてなしができなければ叱られるという、まあ散々な目にあっていました(笑い)。
 しかし、今になってみれば、そうした体験は「大人の世界」をかいま見ることのできた貴重な窓だったし、同時に、人をもてなすときの心構えや、目上の人に対する礼儀作法を学ぶ大切な場でもあったと思います。とにかく、愛情深くも頑固で、厳しく、やかましい、恐ろしい親父でしたけれど、親しみやすいだけの薄っぺらいマイホームパパなんかよりは、ずっと教育的な存在でしたね。
 やはり大人と子供、親と子という節度がないと、単なる歳の離れた友達≠ノなってしまいます。そうした関係を良しとする考えも最近流行っていますが、私は違うと思います。誤解を恐れずに言えば、親子関係というものは対等な人間関係≠ナある必要はない。やはり親子、家族というものは、垂直の倫理観に支えられた関係でなければもたないと思うんです。
 
 屋山 自然な情感のもとにそれが了解されていることが望ましいけれど、たしかにそうした関係を認めることが家族が成り立つ前提ですね。昔は言葉にしなくても、社会構造として濃密な人間関係があったから無言のうちにもそれが可能だったけれど、今は親も子も、意識して言葉に出す必要があるかも知れない。
 実は私も女房に助言されたことがあるんです。私は子供たちを愛することでは人後に落ちないと思っていますけれど、彼らが小さい頃、「もっとあなたの愛情が子供に伝わるようにしたら」と女房に言われました。はて、何のことやら分からない。俺はこんなに愛してるぞ(笑い)。
 私の父は、相当に私を愛してくれていましたが、昔気質ですから、そんなことは決して口にしない。腐っても「おまえを愛してる」なんて言わないわけです。私にすればそれは十分に感じているからそれでよかったんだけれど、「もしそれをきちんと言葉でも伝えてくれていたら、もっと嬉しかったんじゃないの」と女房は言うわけです。
 なるほどなあ。そこで私は自分の二人の子供に、男の子と女の子ですが、小さいときから「パパはきみたちが大好きだからね」と言うようにしたんです。躾や教育方針は父のそれと変わらないんだけれど、無言の教えではなく、言葉でも伝えるようにしたんです。
 一般論として、たとえわが子であっても親の気持ちに感応する力の鋭い子もいれば、鈍い子もいる。なかなか理解できずに距離が離れていってしまうこともあるでしょう。昔は離れようがなかったけれど、今はいくらでも拡散していけるから、ならば言葉を惜しんではいけない。そう思うんですね。子供に課す厳しい躾や鍛錬も、それがどういう意味を持つのかをちゃんと語ってやれば伝わりやすい。
 
家庭と学校、父と母、それぞれがなすべきこと
 
 木村 愛情も言葉も惜しまないということですね。照れが先だって難しいかも知れませんが、父親の何げない片言隻語が妙に心に残っている、ということはたしかにあります。そこに愛情や激励を感じたり・・・、父親の子供に対する存在感、影響というのは、案外そんなところで確認されたりもする。
 ちょっと唐突ですが、ジャン・ジャック・ルソーの言葉を思い出しました。ルソーというのは、内妻との間に五人の子供をもうけながら、全員養育園に預けて、自分はよそに愛人をつくるというデタラメでひどい男ですけれど、『エミール』の中で「どんな優れた教師よりも平凡な父親に勝る教師はない」というようなことを書いてるんですね。単純に反面教師としての自分を投影した言葉なのか、彼の放蕩を思うと不思議な気がするんですが、とにかく父親らしいことはほとんどしなかったルソーの言葉だけに妙なリアリティを感じます。言行一致を重んじたい私としては、ルソーはイヤな奴なんですが(笑い)。
 
 屋山 父親に勝る教師はない、というのはそのとおりだと思います。教育権というのは基本的に親が持っているものです。子供と親、教師の関係でいうと、誰にでも読み書きが必要になってからは、親が寺子屋を選んで子供を預けるようになった。寺子屋が親の意志に反することを教えたら、親は寺子屋を代えたんです。これは教育の原点であって、この道理は現代でも変わっていない。だからいくら公教育だ、義務教育だといったって、政治家や官僚が親の素朴な教育観を一方的に無視して、実験のような勝手な教育、理屈を教えてもらっては困るんです。
 逆に家庭はしっかりと躾をした上で寺子屋、学校に子供を預ける。この分業がきちんとなされているかどうかが問題ですね。今の日本を見ると、家庭は躾をおろそかにし、学校は学習をおろそかにしている。スイスで暮らした経験から言うと、「躾は家庭でなされるもの」というのがスイス社会の不文律です。子供たちは二週間おきに学校から連絡帳を持たされて帰ってくるんだけれど、そこには「操行」というチェック項目があって、どちらかというと通信簿の「学業」の評点よりも、「操行」の評点のほうを親は問題にするんです。勉強ができないことは仕方ない。おまえは頭が悪いんだからで済むんだけれど(笑い)、しかし、操行が悪いとは何事ですかとなる。これは家庭の躾の問題と見なされるからです。あんまり悪いと学校に呼び出されて、それこそいい年をしたオヤジが、若い女教師に「家庭の躾がなっていない」とやられるわけです。
 ところが日本に帰ってきてたまたまPTAに出たら、父親の参加は私ともう一人自営業のオヤジがいるだけで、あとはみんな母親ばかり。ちょうど学期の始まりで先生への要望を聞かせてくれということだったので、自営業のオヤジは、「煮ても焼いても構わないからしっかり躾けてくれ」なんて言ってるんだけれど、「それは違うんじゃないか。躾は家庭ですべきもので、学校ではしっかり読み書き算盤を教えてもらいたい」と私は言ったんです。それで「マルクス主義とか余計なことは一切教えてくれるな」とも(笑い)。
 そうしたら帰り際に教師がすごく喜んで、家庭での躾の責任を放棄したまま、何でもかんでも学校に押し付けようとする親が多くて困るとこぼすんです。やっぱり子供をきちんと育てるためには家庭と学校の分業がうまく機能していないといけないし、家庭の中でも父親と母親の役割がうまく機能していないとだめです。とくに今は、父親の自覚が何より大切になってきていると思います。
 
 木村 仕事の多忙を言い訳にしたところで、家庭での教育が良くなりはしません。いや、昔だって時間の有無に関係なく子供に愛情を注ぐ父親とそうでない父親はいたはずなんです。屋山さんがおっしゃったように、やはり問題の根幹は「父としての自覚」に尽きると思います。そこから心掛けに基づいた言葉と行動が生まれてくる。
 
 屋山 それから母親のフォローがないとつらいね。私は世の男はみんな愛妻家でいいと思うんだけれど(笑い)、ちょっと尻に敷かれすぎというか、子供の前でないがしろにされることが多すぎるんじゃないかという気がする。テレビのCMなんか見てもやたらオヤジが仲間外れにされたり、笑いの種にされてるのが多いでしょう。生真面目すぎるのも窮屈だけれど、やはりどこかでちゃんと妻からも家族からも尊敬されているという安心感がないと、家庭での躾は成り立たない。
 それでちょっと極端に言えば、尊敬される理由は何だっていいんです。悪い奴を懲らしめたとか、スキーが上手だとか、喧嘩が強いとかね(笑い)。母親が「お父さんのようになっちゃだめよ」と子供に言うのが一番よくない。それは自分にも返ってくるんだから。
 
 木村 子供の前で父親を尊敬してみせることのできる母親の存在は本当に重要ですね。父親の生き方について言えば、あんまり格好よくなくても、「頑張っているお父さん」でいいと私は思うんです。それで少しでいいから子供たちが、とくに男の子が父親に憧れを感じてくれたらしめたものです。もちろんその憧れは子供の成長過程でしぼんだっていい。それは現実の厳しさを知るということだし、父親の苦労を知ることにもなるでしょう。
 登校拒否の子供たちの家庭を見ていて思うのは、父親の存在感がおしなべて希薄だということです。少なくとも私の見知ってる範囲ではそうで、その分母親が口やかましくて父親をないがしろにしたりすることが多い。あるいは父親自身がほとんど子供に関心がない。子供が登校拒否になることと、その両親の人間関係には明らかに因果関係があると思いますが、普通に「夫婦仲良く」いってる家庭の良さ、そうした素朴な価値観をもう少しきちんと見直すことが必要だという気がします。今は家庭の在り方に対して刺激的で突飛な情報が多すぎますね。
 
 屋山 父親の単身赴任というのもよくない。あれは家庭が崩れていく引き金になりかねない。家庭に父親が長期間不在というのは問題です。企業も人事異動で子持ちの妻帯者を動かすのならそういう点を考えなければいけなかった。高度経済成長時代から今まで、ほとんど省みられてこなかったけれど、そもそも日本の企業は家族的経営で一つの共同体を形成してきたのに、そのことだけは無関心すぎたように思います。「素朴な価値観」と木村さんがおっしゃったように、やっぱり家族はできる限り一緒にいるのがいいんだよ。私は臨教審委員をつとめていたとき、せめてそうした親の転勤に備えて子供たちの転校がスムーズに行くように仕組みを変えろと主張したんだけれど、日本社会全体のことを思えば、家庭を犠牲にすることを、企業の中の昇進や昇給の条件にするのはもういい加減にやめるべきですね。
 
マルクス・ティーチャーは要らない
 
 木村 教育や躾には適時性があって、もう密着≠ニ言ってよいほど母親の愛情を一身に注いでもらう時期や、父親のエネルギーと向かい合って反抗心を燃やしながら成長していく時期とか、子供には親の存在が欠かせない人生の季節があります。だからたとえば、思春期の反抗したい盛りに父親が不在だったため、そのエネルギーが母親に集中して暴力をふるったというような話になるわけです。もちろん、それが欠けたらみんな不良になるのかと言えばそんなことはないけれど、欠けるよりはあったほうがいいに決まっているんです。
 それから先ほどの学校と家庭の分業について言うと、残念ながら、今の公立学校は相当に親の監視が必要です。それは屋山さんが先ほどおっしゃったように、「マルクス主義とか余計なことは一切教えてくれるな」という意味においてです。もう一昔も前に私たちはマルクス主義の破綻を見たはずなのに、教育界にはいまだにそれが色濃く、根強く残っています。むしろより複雑に形を変えて子供たちを蝕んでいる。まともな父親になろうと思ったらそれとも戦うべきです。
 私の息子が小学校を卒業したときの話なんですが、卒業式が終わった教室の息子の机の前に、白地に墨書した布が張ってあったんです。そこには何と書かれてあったか。驚くなかれ「赤報隊」とあったんです。
 
 屋山 ほう!
 
 木村 「これ、おまえどうしたんだ」と息子に聞くと、「学校の劇で使った」と言うんです。いったい小学校の劇で「赤報隊」と名乗る存在が出てくるストーリーとは何か。それから愛子内親王ご誕生のとき、テレビは特別番組を放送したので通常の番組は見られなかったんです。そうすると息子が、「だいたい天皇なんているから差別が起こるんだ」と口にしたんです。学校でそう吹き込まれてきたわけですね。私は息子にわが国の皇室伝統についてわかりやすく話し、誤った思い込みを正したんですけれど、こんな洗脳≠フような教育が公立小学校で行われていることに改めて呆れ果てましたね。親に自覚がないまま油断していれば、これはもうマルクス教師たちのやりたい放題です。
 
 屋山 本当に怖いですね、それは。
 
 木村 小泉総理が誕生したときも、テレビのニュース画面に小泉さんが出てきたら「小泉カイケン(改憲)センソウ(戦争)ハンターイ」と言ったんです。なかなか語呂のいいフレーズだなと思って(笑い)、「どうしたんだ、それ」と聞いたら、やっぱり「先生が言ってた」と。そういうことなんですね。全部とは言いませんが、日教組の先生たちが子供たちにそういう影響を与えているのは間違いない。
 
 屋山 それは確信犯なんだろう。私なら怒鳴り込んでるな。日本の教育をさらに厄介にしているのがそうした偏向教育ですね。これは他国にはまず見られない問題です。またスイスの事例から話をさせていただくと、義務教育課程の学校で共産主義礼讃の教育をしていた教師がいて、校長は生徒たちに授業内容を確認した上で、その教師を即座に解雇したんです。
 それが裁判になっていた。マルクス・ティーチャーが地位保全の訴えを起こしたんです。最高裁まで争われた結果どんな判決が出たかというと、「スイスは民主主義を最高の価値としている。だから個人がいろいろな思想を持つのは自由だが、少なくとも民主主義を破壊していいという思想の持ち主は義務教育をする教師にふさわしくない」というものでした。したがってスイスでは、偏向教育をしてはならないということがはっきりしているんです。
 日本も教師が個人の内面においてどんな思想を持とうと自由だが、義務教育において偏った思想教育をやることはまかりならんというふうにしないと、それこそマルクス主義礼讃、反日の子供たちが育つことになる。あるいは男と女の性差を認めないという、およそ本来の人間性に反したジェンダーフリー教育が堂々と行われることになってしまう。公教育、義務教育を彼らの好き勝手な実験場≠ノさせてはいけない。彼らから見れば、男の子には男の子の、女の子には女の子の躾が必要だと思っている私のほうが間違っていると言うのだろうが、余計なお世話だと(笑い)。父親は、「俺の子供におかしなことを吹き込むな」と言わなければならない。
 
 木村 今や私もふくめて「先生というのは立派な人で、先生の言うことは聞かなければいけない」という日本の佳き伝統的価値観がマイナスに機能せざるを得ないところがあります。私の場合、「まあ、この先生には何を言ってもどうせ変わらないだろうから、わが家で軌道修正するしかないか」という温かい気持ちでやり過ごしましたが(笑い)、教員がそんな状態なら、父親の価値観というものが死活的に大事になってきますね。自分はいかに生きるか。子供たちにはどう生きてほしいのか。あるいはどんな家庭をつくっていくのか。それを今の日本のオヤジたちは、私もふくめてどれほど真剣に考えているのだろうかと思います。
 私の父は骨髄腫という病気で人生の最期を迎えたのですが、骨盤と大腿骨の間が異常に狭くなって、足でも滑らせたら大腿骨が骨盤にめり込んでしまうという状態のときでも、松葉杖を使いませんでした。当時は市の教育センターの所長をつとめていましたけれど、松葉杖をついて教壇に立つのは好かんと言って、細いステッキを一本支えにするだけで歩いていたんです。明らかに無理をしていたわけです。でも、誰もやめさせられない。それが父の美学だったからです。
 最後は湯布院に家族と一緒に旅行に行きました。杖一本の父を介添えしながら私も行ったのですが、お湯で階段が濡れていたので父は足を滑らせてしまい、状態が悪くなって熱を出したんです。それでも、「大丈夫だ。おまえたちはゆっくりお湯を楽しんでこい」と言って自分は部屋で寝ている。救急車を呼んだほうがよかったのかも知れませんが、「その必要はない。一緒に車で帰る」と自分の流儀を通しました。
 やせ我慢と言ってしまえばそれで終わりなんですが、それを押し通す強さをまざまざと見せられて、身内のことながらたいそう感動したことを今でも鮮明に覚えています。欲目ひいき目と笑われるかも知れませんが、私はそうやって死んでいった父を誇りに思っています。そして父が示してくれた美意識や信念を通す強さを、私もわが子に示せたら幸せですね。
 
回復すべきは女の気品、男のダンディズム
 
 屋山 私の父は結局ガンで死んだのですが、死ぬ七年ほど前にも一度ガンに罹っているんです。東京の病院で手術して、父の親友が執刀してくれました。麻酔を打った後、「屋山、痛いか」と親友が尋ねると、父は「痛くない」の一点張りなんです。「麻酔が効いているかどうか確認したいんだから、正直に言ってくれなきゃ困るんだ」と言っても、「痛くない」しか言わない(笑い)。父は鹿児島の男だから「痛い」とは絶対言わないんですね。「本当のことを言え」と言っても、必死になって「痛くない」(笑い)。
 私が脇で「お父さんね、じゃあ感じるか、感じないかを言ってよ」と聞いてやっと麻酔の効果が分かった。「痛い」という言葉を絶対使わないんだから、その頑固な意地っ張りぶりには改めて感嘆しました。どえらい心配をかけやがって、と怒りながらも、私もなにかしらそういう父のことを誇らしく思ったものです。
 
 木村 今の教育は子供たちに対して、痛かったら痛いと言いましょう、泣きたいときには泣きましょう、それが人間として自然な行為です、という教え方をしています。無理をしなくても、我慢をしなくてもいいと。しかし人間だけが、痛くても痛くないと言える。泣きたくても泣かずに歯を食いしばって我慢できる存在です。自然にわき出てくる欲望や情感を意志の力で抑えて、何事かを為すことができる。それがほかの生き物にはない人間だけが持っている価値ではないでしょうか。私は教育の意義というのは、そうした人間存在の本質を伝えることだと思っています。
 
 屋山 やせ我慢の美学は人間だけが持ち得る、ということですね。我慢するということは、何か志や達成すべき目標があって、それに向かっているからこそできる。たとえ人間でも理想なき者にはそれはない。今の日本の子供たちのありさまを批判することは簡単ですが、その子供たちを育てている父親、母親が信念とか理想像を見失っていることをまず省みなければならない。女の気品、男のダンディズムです。
 ではダンディズムはどうすれば身につくかと言うと、たとえば伊達の薄着≠ニいうように、寒くても厚着しないという我慢なんです。それは表面的なお酒落にも通じるけれど、精神的なダンディズムを探求すれば、究極のやせ我慢をする、逃げ出したくなるような局面でも勇気を振り絞って耐える、どうしてもそういう体験に至るんです。しかしそれは窮屈なものかというと、そんなことはない。私なんか本当に伸び伸びとやってきた。己の美意識にかなった生き方というのは、精神的には逆にストレスがないんですよ。
 
 木村 今は子供たちに鍛錬や我慢を課すことがネガティブにとらえられすぎています。「我慢させるのはかわいそう」とか、「自由放任が最も子供の個性を伸ばす」といった意見が幅をきかせていますが、私はそれは誤りだと思います。先ほど教育の適時性ということを申し上げましたが、一切の我慢をさせない、自由放任していたら子供はとてもまともには育ちません。かつてそれを喧伝していた欧米の教育学者たちも、少しずつ撤回し始めています。
 虚心に日本の先人たちの言葉に耳を傾けてみるべきです。たとえば貝原益軒は、「子の好きこのむことに任せてはならない。善し悪しを選ばざれば多くは悪しき筋に入りて、後は癖となる」と、自由放任の無責任を指摘する言葉を残しています。内村鑑三の、「愛は怒り、また叱る。怒らざる愛は偽りの愛である。少なくとも浅き愛である」という言葉も、親の子に対する毅然とした姿勢を求めるものでしょう。
 
 屋山 ただやさしいだけでは子供をスポイルするだけで、親たらんとすれば、いかに愛し、いかに鍛錬するかという自覚がなければならない。私はその意味で、「家風」というものをつくることが大切だと思っています。うちの家風はこうなんだと。それこそ男の子には「喧嘩作法」を教える。それが親としての覚悟にもつながるし、家族の一体感を生むことにもつながるでしょう。
 
 木村 そうした柱をつくるのは、父親の務めだと思います。『ピーターパン・シンドローム』の著者として知られるダン・カイリーがこんなことを書いています。
 「父親の言葉は法律であるとしても、子供は法律の抜け穴を探してあの手この手を使ってくる。『いつまでも子供扱いしないでよ』『みんなやっている』『全然わかってくれないんだな』『そんなの古いよ』。
 それに対して父親は、『お前より親の方が経験がある。人生の先輩だ』『よそとうちは違う。これがうちのルールだ』『ここまでは許す。これから先はだめだ』『古かろうと新しかろうと良いことは良いのだ』と権威をもって答えるべきである」。これはまさに、今の日本の父親に欠けている毅然たる教育観だと思います。
 
 屋山 私が出会った最も立派な教育者は、よくよく考えると父親でした。オヤジというのはやっぱり子供にハードルを示し、それを飛び越せるよう鍛える責務がある。齢七十を迎えて、果たして私は父の域を超えられたか。思い返すと、父は息子へのこよなき愛情を密かに示し続けてくれたのに、私は一度も感謝の言葉を述べた記憶がない。私も同じ道を歩むとすれば、父とは限りなく寂しい存在なのかも知れない。
◇屋山太郎(ややま たろう)
1932年生まれ。
東北大学卒業。
評論家、元時事通信解説委員。
◇木村 貴志(きむら たかし)
1962年生まれ。
山口大学人文学部卒業。
凸版印刷、福岡県立高校教諭を経て現在、福岡教育連盟事務局長。


 
 
 
 
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