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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2002年2月号 正論
国際化教育とは「日本人」を育てることである
 
●上智大学名誉教授 渡部昇一(わたなべしょういち)
●福岡教育連盟事務局長 木村貴志(きむらたかし)
 
 
不可欠な民族、同胞に対する誇りの視点
 
 木村 「教育には日本に求められているすべての答えがある」というのは、渡部さんの近著『国民の教育』(扶桑社)の帯にある文言ですが、一読後、教育現場にいる人間として大いに頷かされました。「教育は国家百年の計」と言われますが、戦後の教育を司ってきた者がそれを意識してきたとは言い難いと思います。とくに先の大戦の敗北と連合国による占領政策の結果、明治大正まで連続してきた日本人の縦の時間軸がすっかり断ち切られてしまった。日本人としての文化伝統の継承ということを考えれば、それは明らかに損なわれたと言わざるを得ない。未来の日本人のために教育現場で何を再生し、何を紡ぎなおさなければならないか。私は全体を俯瞰した上で、その問題意識の確認から始めなければならないと考えています。
 
 渡部 教育問題を考えるとき、私はこのところ決まって『ロスノフスキーの娘』というジェフリー・アーチャーの小説を思い出します。『ケインとアベル』の続編ですが、アメリカのホテル王になったポーランド人アベルの娘、フロレンティナの物語です。フロレンティナは学校へ行くと、「ダム・ポーラック」と馬鹿にされる。ポーラックというのは、日本人をジャップと呼ぶのと同じようなポーランド人への蔑称ですから、「ポーラックの馬鹿娘」というような感じでフロレンティナは蔑まれるわけです。アベルは金持ちですから、イギリスの有名な女学校の女性校長を家庭教師に引き抜いて娘に付けるんですが、イギリス保守党の政治家でもあったアーチャーはその家庭教師にこういうことを言わせるんですね。
 「私はすべての学科を教えられます。しかし、ただ一つポーランドの歴史は教えられない。歴史というものは誇りを持って教えなければなりません。私はイギリス人ですからポーランドの歴史に誇りを持って教えることはできない。それができるのはお父さん、あなただけです」と。
 こう言われたアベルは毎朝三十分ほど時間を割いて娘にポーランドの歴史を教えるんです。ポーランドが強大なロシアやドイツに挟まれていかに苦難の道を歩んだか。民族としてのアイデンティティをいかに保って、その中から有為の人材を輩出してきたかということを語る。娘はそれを聞きながら、自分がポーランド系であることに誇りを持つようになる。それであるとき学校で歴史の試験があった。一番いい成績を取ったフロレンティナに同級生は、「ダム・ポーラックがいい成績を取った」と囃し立てるんですが、彼女は「ポーランドには長い歴史がある。あなたがたアメリカはたった二百年の歴史しかない。長い歴史を持った私が、歴史の試験でいい成績を取るのは当たり前でしょう」と言うと、みんなシュンとしてしまう。
 小説の筋としてはそのへんから彼女のプライドが培われて、のちアメリカ最初の女性大統領になるという話なんですが、これはこんにちの日本にとって実に教訓的な小説だと思います。フロレンティナは自分のポーランド人としての血に誇りを持ったとき、アメリカ人としての誇りも持てた。そして大統領にまでなる。もちろんポーランドが国際的にどれほどの存在かということを客観的にいえば、ドイツやロシアは大いに疑問に思うでしょう。ショパンとコペルニクス、キュリー夫人がいたくらいではないかと。しかし、ポーランド人にとっての矜持、愛国心でいえば、そうした物差しはさして重要ではない。それはどの国、民族も同じです。
 こうした民族、同胞に対する誇りの視点を、明治から敗戦までの日本の教育は持っていました。戦後そうした「日本人としての誇り」を最も恐れたのは占領軍で、それこそ根こそぎにしようとしたわけです。こうした過去の経緯をわきまえない限り、教育者に未来を見ろと言っても無理です。木村さんのおっしゃった問題意識=Aその核心というのがここにあると私は思いますね。
 
 木村 小中高から大学までいま日本で教職に就いている者のいったいどれほどが、戦後の占領政策で日本に対して何がなされたかを知っているか。私もその無知は深刻な問題だと思います。歴史が消された、書き換えられたことを知らないまま、その後新たに刷り込まれた歴史を教え続けている。家庭でもアベルのような父親は稀です。
 民族の矜持というものはなかなか理屈では教えられない。渡部さんも『国民の教育』のなかで、『キング』とか『少年倶楽部』といったご自身が少年時代に読まれた本の面白さ、そこから得た感動や興奮について触れられていますが、やはり物語として語られる歴史、人物譚が国民の教育≠ノは必要なんだと思います。私の故郷福岡でいえば怪傑%ェ山満、隣の熊本でいえば宮崎滔天とか、歴史的評価はさまざまでしょうが、父祖の息吹が伝わってくるような血肉に連なる物語が子供たちの世界から消え去ってしまった。ちょっと極端にいえば、いったいどこの国の歴史か分からないような記述の歴史教科書、副読本が与えられているだけです。
 
「考古学」と「歴史」は違う
 
 渡部 戦後の左翼は『古事記』『日本書紀』からして抹殺しようとしているんですね。そもそも日本民族として完成した歴史をどこに求めるかといえば、これは『古事記』『日本書紀』から始まらざるを得ない。
 
 木村 左翼の歴史学者は仁徳天皇を認めていません。
 
 渡部 仁徳天皇陵があるにもかかわらず(笑い)。仁徳天皇は系図によると神功皇后の孫ということになっているから、それを認めると三韓征伐を認めなければならなくなる。左翼はそれが嫌なんでしょうな。だからたとえば岩波書店から出ている『日本史年表』(一九六八年、歴史学研究会編)を見ると、天皇として正式に取り上げているのは第二十六代継体天皇からです。それ以前は日本の天皇と認めたくないらしい。
 では神功皇后を認めないで、高句麗の広開土王碑銘(こうかいどおうひめい)の説明はどうするのか。神功皇后の時代は世界史でいえば多少後世にずれるのではないかという説はありますけれど、いずれにしても紀元四百年前後、日本軍はほとんど朝鮮全土を征服して平壌まで占領していたということが広開土王碑銘に刻まれている。この碑が朝鮮にあったなら、いま頃は壊されてなくなっているに違いないけれど、わが国にとって幸いなことにそれは満洲側に残った。だから今日までこの歴史的事実は残されているわけです。これを史実でないという歴史家がいたらもう歴史はないも同然になります。
 
 木村 考古学の成果と称されるもののなかにも問題の多いものがあります。
 
 渡部 考古学は大変なブームですね。遺跡の発掘において神の手≠持つといわれた民間学者の捏造が明らかになって少しその熱も冷めた感がありますが、まあ、私は考古学それ自体は結構なことだと思っています。しかし、考古学はいくらやっても歴史の代わりにはならない。書かれたもの≠フ歴史的な意味の重さが分からなければだめなんです。考古学の危険ということに気づかねばならない。正倉院に東ローマ帝国の御物があるからというだけで、東ローマ帝国に日本が征服されたなどという学者はさすがにいないにしろ、それが近い国の場合はそういうことを言い出したがる手合いが少なくない。
 いささか尾籠な話ですが、明治時代に泥棒の間でこんな迷信があったそうです。盗みに入った家の庭で脱糞すると捕まらないと(笑い)。あるとき夏目漱石の家にも泥棒が入って、足跡と糞を残していった。足跡からは足の大きさが分かり身長が推測できる。土のへこみ具合で体重が分かる。糞からは何を食べたかが分かる。しかし、その泥棒が何を考えていたかは一切分からない。ところが泥棒が日記を落としていったとすればどうか。メモのようなものでもいい。多少虚言癖があって嘘の混じった日記であっても、足跡や残していった排泄物の分析からは絶対分からない次元のことが分かるはずなんです。これが記録されたものの意味ですよ。
 
 木村 なるほど。たしかにいまの考古学は日記を軽んじて糞を重く見ているような感じがしますね(笑い)。実は私の家の近くに香椎宮(かしいぐう)があって、私は結婚式をそこで挙げたんですけれども、それこそ香椎宮には仲哀天皇と神功皇后が祀られている。だから三韓征伐の話はわりと身近なものとして子供の頃から触れているんです。福岡の人間にはそういう無意識の歴史意識みたいなものが結構あります。
 
 渡部 歴史風土というものでしょうね。神功皇后の妊娠中に仲哀天皇は亡くなられて、神功皇后は夫に代わって征伐を断行した。そして帰国したところ産み月になっていて、すぐに子供を生んだ。そのときに掴んだ木の名前と場所もちゃんと『日本書紀』に記されている。そのときの木とされるものも残っていて、いまでもその地名はある。だから何らかの伝承があったことはたしかだと私は思っています。神功皇后を否定すると、その子応神天皇も否定しなければならなくなる。応神天皇を否定すると八幡宮も否定しなければならなくなる。
 
 木村 宇佐八幡はどうしてできたのかと(笑い)。
 
 渡部 否定の無限連鎖みたいにならざるを得ない。こんな現実無視はありません。
 
 木村 日教組は本気でそうしたいんだと思います。日教組はどんな文章でも決して元号は使いません。常に西暦です。いうまでもなくその意図は天皇制度の完全否定にある。ところがそういう彼らの大多数が近くの神社に初詣ではするし、子供のお宮参りにも行く。七五三も祝う。彼らの理屈と現実の暮らしは全然一致していない。
 
 渡部 『日本書紀』を真面目に取り上げようとしない人たちの理由はいくつかありますが、一つは「神代記」といっているのを歴史だと錯覚していることです。『日本書紀』自体が神代記、つまり神話の時代の話だと断っているにもかかわらず、それを神話が書かれていると批判するのは滑稽ですよ。それに一つの話だけを押し付けているわけでもない。異説が四つも五つも書かれてある。そこに客観性を求める気持ちがあることを後世のわれわれは理解しなければならない。
 それから本紀に入ってからの半端でない詳しさということもこの際挙げておきたい。天皇・皇后の名前、その兄弟の名前、揉め事の名前や地名など、あれほど固有名詞が出てくる話はいかなるSF作家でもそうそう書けるものではない。だから私は『日本書紀』を軽んじる人は、『日本書紀』を読んだことがない人だと思っています。『古事記』も含め、こんな見事な古代文献のある国がいったいほかにどこがあるか。古代ローマと古代ギリシアがあるけれど、あとはシナにおける司馬遷の『史記』ぐらいのものでしょう。
 
 木村 いま生きている日本人にとって先祖から受け継いだ大変な贈り物だと私も思っているんですが、そうした認識と共感を抱かせないようにしようとする左翼の歴史観が、いまだに日本社会に根強く張っているのを感じざるを得ません。
 
三二年テーゼとW・G・I・Pの呪縛
 
 渡部 これは谷沢永一さんのコペルニクス的発見≠セと思いますが、日本の歴史を歪めた最大の作用は、一九三二年にコミンテルンから出された「三二年テーゼ(日本の情勢と日本共産党の任務に関する方針書)」で、それがいまも私たちを呪縛し続けている。当時の日本共産党というのはコミンテルン日本支部ですし、スターリンが出した指令というのは、「皇室の打倒」を第一に、日本以外の共産党には出していない日本歴史の暗黒化≠ネんですね。徹底した自虐史観の醸成といってもよい。スターリンは日露戦争の敗北がよほど悔しかったらしく、そのルサンチマンを日本歴史の暗黒化とそれによる日本民族の弱体化という手段で晴らそうとした。国際共産主義の拡張という美名のもと、当時の知識人や労働運動家はそれに乗せられて自国の歴史破壊をやったわけです。
 何とか持ちこたえていたのが、大東亜戦争の敗戦でそれまでの日本の価値観がすべて引っ繰り返された。混乱のなかで明日革命が起こるかもしれない、粛清されるかも知れない、そういう恐れが知識人や学者に「三二年テーゼ」の枠のなかでしか発言をさせない、ものを書かせないようにした。さらにこれに連合国の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(W・G・I・P=戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための情報宣伝計画)」が重なって、いわば二重の拘束を日本人は受けることになった。これが日本の戦後の精神史に一番大きなダメージを与えたものです。
 
 木村 国を愛するということを表明すると、いまだに「右翼」だとか「反動」というレッテルをはられる。こんな国は世界で日本だけだと思いますが、それも「三二年テーゼ」と「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の二重の呪縛が生きている証しですね。洗脳≠ウれていることに気づかない。彼らは実にうまくやったもんです。しかし教師の一人としては、その洗脳の旗振りをいまだに多くの教師がやっていることに忸怩たる思いです。
 
 渡部 呪縛から解けない先生たちには、右翼を封じ込めるための対日占領政策をやった当のアメリカの姿を見てほしいですね。右翼の定義を「愛国的であること」「国のためには戦争に行くこと」というふうに考えると、実に九割以上が今般の対テロ戦争を支持したアメリカ人こそ、大変な右翼国家の国民ということになる(笑い)。
 実は大東亜戦争のときも、日本は学徒出陣で文科系の学生の徴兵猶予を停止して出征させましたが、アメリカではその必要はなかったんです。学徒動員令はなかった。なぜなら志願する者が多かったからです。映画『ゴッドファーザー』の続編で、アル・パチーノが演じたドンの後を継ぐ三男坊マイケルは、学徒出陣して勲章を貰って帰ってきていた。これが普通だったんです。戦後アメリカは日本に「平和教育」を教えましたが、アメリカ人の愛国心とか、戦争が起これば進んで志願するという教育は、日本では想像することもできないほど徹底していたし、いまも徹底しているということを私たちは知るべきですね。
 
平和、人権、平等、国際化という毒
 
 木村 「右翼」もそうですが、いま渡部さんがおっしゃった「平和教育」という言葉も、実はきわめて恣意的に、左翼に都合のいいように用いられています。私はこうした戦後の言語空間における言葉の定義というか、意味のとらえ直しが急務ではないかと思っているんです。
 
 渡部 同感です。たとえば「平和教育」という言葉でいえば、アメリカが日本に及ぼした平和教育というのは、あくまでもアメリカのためのものです。アメリカに二度と刃向かわないように、おとなしい黄色人種をつくろうという意図が彼らにはあった。平和教育はアメリカの日本に対する牙抜き政策であったということをわれわれは知らなければならない。
 
 木村 一見、高い理想を謳ったように見える言葉が、意外に日本人に毒をなしているということがたくさんあると思うんです。「平和」「人権」「平等」というのは、いまやその三点セットみたいな感がありますが(笑い)、私はそれに「国際化」というお題目≠煢チえたい。日本人は孤立してはいけない、国際化が必要だということは、戦後一貫して戦争の反省とともに語られてきたように思います。しかし、ではいったい国際化するとはいかなることか、その意味内容が真剣に問われたことはない。やれ英語ができることだとか、外国の流行を知っていることだとか、あるいは日本の伝統的価値観を減じて彼らに合わせることが国際化だともいわれてきました。「個性(個人)尊重」というのも、戦前の集団主義の反動なのか盛んに言われてきましたが、とにかくこうした抽象的な言葉が世間や教育界に流通し、曖昧模糊としたまま、何かとても大切なものが日本人の間から失われ続けたのがこの半世紀ではなかったかという感じがするんです。
 
 渡部 曖昧模糊も曖昧模糊のままならいいんだけれど(笑い)、木村さんの言われたように、誰も反対できないような立派な言葉を、全部左翼のために使われたということが残念でならない。「人権を守る」ことが悪いとは誰も言えない。ただ実際は「人権」を声高に叫ぶ人たちほど人権を無視してきた。彼らは「人権」の名のもとに人を脅していることに気づかない。人権は誤謬なき正義だと思い込んでいて、そこで思考停止している。戦後一番悪質な人権侵害は人権屋≠ノよって行われたと断言してもよい。
 
 木村 渡部さんのところにもカミソリ入りの手紙がよく送られてきたそうですね。
 
 渡部 米ソの冷戦が激しかった頃、まだソビエト連邦が倒れる前は理想主義を掲げる人たち≠ゥらたくさん危ない郵便物が送られてきました。さすがに最近は少なくなりましたが、これはたぶん向こうのほうが私を見捨ててくれたんでしようね。あいつはだめだ、変わらないと。渡部は自分たちが考えるような国際化≠ノは向かない男だと(笑い)。
 
 木村 いまの日本で国際化というのは、日本人であるアイデンティティを減ずることと同義のようになっていますから、渡部さんがそうならないのはよく分かります(笑い)。国際化とは他者の文化、価値観に自らを一方的に重ね合わせることではないという意識をきちんと教育の現場で子供たちに持たせないと、やがてこの日本列島に人は住んでいるけれど、いったい何人か分からないということにもなりかねない。
 人間が言葉によって考える動物であるなら、「何人」かということは「何語」を話すのかということで自ずと規定されてくるものだと思います。それは人種や血統といったファクターよりも大きい。これは科学的に実証されているそうですが、角田忠信・東京医科歯科大学名誉教授の研究によると、幼いときから日本語の言語空間で育った者は、人種に関係なく脳の働きが日本人と同じパターンになるそうです。であるなら、日本人が日本人であろうとする限りは日本語を守らなければならない。故小渕恵三首相の私的諮問機関だった「二十一世紀日本の構想懇談会」が、その報告書のなかで「英語第二公用語化論」を提言したとき、私はどうにも違和感を覚えました。それはいまも続いています。教育の現場でもグローバル・スタンダードの進展にともなって「国際化教育」の必要性が盛んに言われていますが、果たしてそれは英語の公用語化というような道に進むことなのか。
 
 渡部 そもそも国際化というのは日本にとってペリーの黒船来航以来です。鎖国という徳川幕藩体制(国家体制)が崩れるわけですから、あれほどの国際化を迫られたことはない。砲艦の威力が当時の国際化の基準、いま風にいえばグローバル・スタンダードだったわけで、それに最も適合できたのは有色人種では日本民族だけでほかにはない。そのとき日本人は西欧近代というものに合わせようとして国を開き、憲法や法律をつくり近代国家の諸制度を採り入れた。ではそれによって日本人は日本人らしくなくなったかというと、たしかに和装から洋装になったりということはそうだけれども、むしろ日本人意識を強める力が作用した。皇室を国民の間に意識させることや、神社の権威が高められたことなどをはじめ、日本人のナショナリティがあれほど意識された時代はない。
 ここでそもそものグローバル・スタンダードの定義を考えてみると、普遍的な意味では、世界の人々がその宗教や習慣、価値観の差異を超えて、相互に納得できるところに収斂していくことだと私は思う。そのグローバル化の基準は、いまは大体欧米圏の人々のそれになっているけれど、ではその欧米圏のスタンダードがいつ頃からできたかというと、キリスト教を相対化したときからです。これは非常に逆説的なんです。ヨーロッパにはキリスト教を絶対化して、お互い激しく殺し合った歴史があります。
 
 木村 宗教戦争ですね。
 
 渡部 そうです。最も激しかったのは一六一八年から四八年にかけて、ドイツを舞台にヨーロッパ中を巻き込んで行われた三十年戦争で、これは最後の宗教戦争にして最大のものといってよい。この戦争を端的にいえば、ドイツの新旧両教徒諸侯間の反目を背景に、フェルディナント二世が新教徒を弾圧、旧教化政策を進めたのを起因としてボヘミアに勃発したもので、それにデンマーク、スウェーデン、フランスが参戦して拡大していったものです。戦場になったドイツでは、当時の統計はいまと比べればきわめて大ざっぱですが、それでも人口が四分の一から五分の一に減ったといわれています。周辺諸国も同じような惨状で、さすがにそんな戦争を三十年も続けているとみな厭戦気分が蔓延して、それがウェストファリア条約の締結につながった。私はこれが近代の始まりであり、近代的な国際条約の最重要なものであったと思っているんです。
 その原則は非宗教的なもので、ある地の君主がカトリックだったらその人民はカトリック、プロテスタントだったらプロテスタントでいいではないか、それが嫌なら移動の自由を認めるというようなものです。これを後世は啓蒙思想と呼んだんですね。啓蒙思想をいまでも宗教熱心な人たちは蛇蝎のごとく嫌います。自分がカトリックであってもカトリックを、プロテスタントであってもプロテスタントを最高価値としないわけですから。カントが「啓蒙とは何か」という論文を書いています。これが啓蒙思想の説明として最も分かりやすいと思うのですが、カントはいかに大きな宗教団体であっても、それは国家のなかでは内輪の集まり≠ネのだと自覚することだと述べている。ドイツのなかにカトリックがあり、プロテスタントもあるけれど、それがどんなに大きな集団でも内輪の集まりであり、国家はそれを超えたところで統治のルールを決めていかなければならない。それに内輪の集まりの人たちは従わなければならない。つまり内輪の集まりの上にあるものが啓蒙思想なのだと。
 私が実感として啓蒙思想が分かったと思ったのはドイツに留学したときです。もしカトリックの熱心な信者が裁判官になったとして、たとえば堕胎に関する法律とか、カトリックでは許されなくてもドイツ人としては許される行為について判断しなければならないとき、その裁判官は自らの宗教的信念に従うのか、国家の法律に従うのかといえば、それは法律に従うのであり、それが啓蒙思想だと言われたんです。あらゆる自分の大切なものを超えて共通のものに合わせようという、端的にいえばそういうことなんです。
 
 木村 ただそうしたことが、すべての人間の営みに可能でしょうか。やはり地域や文化、宗教の差異を超えて何かの高みに至るとしても、そこには力の強弱による呑み込むものと、呑み込まれるものの違いが出てくるのではないでしょうか。そうであるなら、やはり私は日本が一方的に呑み込まれるようなことにはなって欲しくないと思うのですが。
 
 渡部 何がいちばん合わせやすいかというと商法でしょうね。たとえば『世界法の理論』を著した法学者田中耕太郎の業績はもっと評価されてしかるべきだと思っていますが、彼の言わんとするところによれば、世界に共通の法律を定めようとすれば、最も決めやすいのは取引法、商法であると。したがって世界法は商法的ところから始まっていけばよいと彼は唱えている。明治維新も何だったかというと、商業、取引の制度やルールを欧米と同じにするということが一番の眼目だった。いまのグローバル・スタンダードもおおむねそうです。そこでは宗教的価値観などについてはお互いに口を出さない。そうであれば木村さんの懸念も少しは減るんじゃないですか。中国や韓国が日本の首相が靖国神社に参拝することに口を出してくるのは、これは商法を超えているからよろしくないんです。
 グローバル化というのはあくまでも商的世界が中心になるべきであって、そのなかにはそれぞれの国の文化の基層を破壊しようというものはない。ただその商的な色彩論が強くなると合理性が勝って、民族や共同体が持っている伝統や習慣を超えようとする力がどうしてもはたらく。その過程で旧来の習慣であまりに馬鹿馬鹿しいものや、迷信的なものは削ぎ落とされていくかも知れない。
 
日本人としての自覚と知識こそ
 
 木村 商的世界はそうかも知れませんが、言葉の世界においては、まず母国語を大事にしなければならないと私は考えます。グローバル・スタンダードが求めるものはわれわれの国際化でしょうが、それは日本語を母国語とする、確固とした日本人であることを前提に取り組むべき課題だと思うんです。国際化教育というのは日本語を蔑ろにしては成り立たない。その意味で英語第二公用語論というのは、日本語の位置付けを不明確にしたまま、グローバル化の世の中では英語が使えなげればだめなんだ、時代遅れなんだという劣等感、無意識の強迫観念に押されてのものという感じが拭えない。
 私は何も英語がしゃべれなくてもよい、と言っているわけではありません。日本が世界と伍していくためにも、コミュニケーション・ツールの一つとして英語が自在に使いこなせるということは大いに必要だと思っています。しかし、ならばなおさらわれわれにとっての国際化教育の目的と、その意味を問い返さねばならないし、英語の必要性を論じるのと同様に日本語のそれについても深く自覚しなければならない。
 
 渡部 「公用語」の意味を日本人はよく分かっていないという気はします。現代では公用語が複数あるということは、国の公式文書が複数の言語で書かれるという意味です。公用語が二つある場合は法律が二カ国語で書いてあり、公的な届け出は二カ国語のうちどちらでもできるようになっていなければならない。これが公用語ということであり、一国内で複数の言語が使われているような国、本来ならたとえばインドのような国で起こり得ることです。これに対して日本では国民みんなが日本語を使っている。学問にしても日本では日本語であらゆる学問ができる。私はアメリカのある大学で客員教授をしたとき、インド人の同僚から「君の国は何語で大学の授業をやっているか」と尋ねられて驚いたことがあります。
 インドのみならず世界には母国語で大学教育ができない国は少なくない。日本は先達が外国語を全部翻訳して日本語のボキャブラリーですべて表現できるようにしてくれた。この有り難みをわれわれはあまり自覚していないけれど、母国語で学問できないような国では、嫌でも他の言語を公用語化する以外にない。しかし日本の場合は全部日本語で学問ができ、また日本人はみんな日本語を使えるのだから、英語の公用語化という話が、「国際化」の名のもとに出てくること自体、いささか筋が違うと言わざるを得ない。
 木村さんが言われたとおり、そもそも英語をうまく話せるようにしようという問題と、英語を公用語にすることとは別次元の問題です。かりに国際会議で日本が国益を守るためには英語圏の国々に負けない語学力が必要であるという問題意識なら、それは純粋に教育の問題です。ここで最も重要な点は英語を使う技術ではなく、何を発信するかということです。日本人として何を考え、何を異なる文化圏の人たちに発信していくか。何かを発信するためには日本人としての自覚と日本に対する知識が不可欠です。
 私は三十八歳のときから一年間フルブライトの招聘教授としてアメリカの四つの州の大学で教鞭を取りましたが、そのときアメリカで生活している日本の青年たちや、アメリカの学校で教えている日本の若い学者たちが、日本について恐ろしいばかりに無知であることを思い知らされました。彼らは大東亜戦争についても日本側だけが一方的に悪いと信じ、日本にも相当の言い分があったなどということについては知識のかけらほどもなかった。それどころか日本の歴史、伝統についての知識もまったくなく、したがって日本文化への誇りもなかった。英語は達者なのに何もアメリカ人たちに向かって「日本の立場」を、「日本人とは何ぞや」ということが発信できていない。私が帰国して最初に書いた本は『日本史から見た日本人』というんですが、何たる無知な日本人か、という当時の苛立ちをそのままペンに託した感じでした。大方の日本人の共感を得られたのか版を重ねロングセラーとなっていまは文庫(祥伝社)になっていますけれど、当時はそうした状況に本当に驚いたものです。
 
 木村 昭和四十年代後半ですね。本来英語の先生である渡部さんが、アメリカ滞在を終えて書かねばならないと思った本が日本史の本というのはちょとしたパラドックスですが、そのときのお気持ちは痛いほど分かります。英語が話せる前に何を発信するのか、その知識と自ら拠って立つものの価値を認識することが大切なんだと、それは三十年近く経たいまも変わっていない。むしろますます重要になっていると思います。渡部さんが出会われた学者は私のように高校教師とは立場が違うけれども、教職にある者ということで括ればその無知が日本を損ねているのは同じです。
 
何を英語で発信していくのか
 
 渡部 大学の教員であるか、あるいは小中高の教員であるかは本質的には関係ありません。要は謙虚に学ぶ意志があるかどうかです。大学で教職に就いていても、日本について何も知らない、そんな程度の知識で生意気なことをいうなといいたかったわけです。
 繰り返しますが、英語教育で大切なのは、単に英語が話せる、書けるという能力だけではない。何を発信するかです。慶応大学名誉教授の鈴木孝夫さんは『日本人はなぜ英語ができないか』(岩波新書)のなかで、「英語で何を習うかより、何を発信するかが重要だ」と述べておられる。私はある雑誌からその本の書評を依頼されて、先に述べたようなフルブライト教授時代の話と『日本史から見た日本人』のことを書きました。しばらくして鈴木さんから葉書が来て、そこには、「まったくそのとおりだ。実は私はもっと日本の立場について書いたのだが、岩波は左翼だから大部分が削られた」というようなことが書かれてあった。鈴木孝夫さんは日本の立場の発信を強く主張され、第二次大戦における日本の立場についてもいろいろ書いたけれど大幅に削られたというのです。
 
 木村 鈴木さんのその本は私も読みましたが、本当にそうだなと思いながらページをめくりました。高校教育の現場にいて、英語の教師たちが日本のことを知らずに、言葉は悪いがしょせん英語かぶれ≠フ段階にとどまっているのを見ると――もちろんそんな教師ばかりではありませんが――、フルブライト時代の渡部さんの切歯扼腕と同じものを感じざるを得ません。結局、国語の教師であれ、英語の教師であれ、社会科の教師であれ、教えるべきことはすべて自国の歴史と文化に根差しているという自覚がなければならないんですね。
 
 渡部 発信する力はそこからしか生まれない。国際化というのはたしかにある高み≠ノ至る行為かも知れないが、それは日本人であることをやめることではない。まずはちゃんとした日本人を育てることが大切です。国際化教育とはデラシネの無国籍人間を生み出すことではありません。
◇渡部 昇一(わたなべ しょういち)
1930年生まれ。
上智大学文学部卒業。同大学大学院英米文学科修了。独ミュンスター大学大学院英語・言語博士課程修了。
現在、上智大学名誉教授。
◇木村 貴志(きむら たかし)
1962年生まれ。
山口大学人文学部卒業。
凸版印刷、福岡県立高校教諭を経て現在、福岡教育連盟事務局長。


 
 
 
 
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